青色の夕焼け


 二軒目の目的地があった駅から約一時間。山の多かった景色が一変して片方の景色は海が広がり、もう片方は住宅が並ぶ場所へとやって来た。

 電車を降りて駅を出ると、海が近いからか、潮の匂いが僅かにする。


「最後はこの街みたいだね。でもこの人の遺体がまだ見付かってないのが引っかかるな」


 リサの言葉を聞いた途端、リュウトの中で清々しい潮風とは真逆の感情が濁流のように押し寄せる。

 遺体が見つからない。それは軟体の悪魔に取り込まれ、最後は人型悪魔となり、リュウトがトドメを刺した滅殺者スレイヤー以外に考えられないからだ。


「自分何かが会っていいのかな」そんな事を考えながら、リュウトはリサの後を追うように歩みは進んで行く。

 やがて一軒の家の前でリサは足を止めた。二階建ての一般的なデザインだが最近建てたのか、真新しい雰囲気が外装から見てとれる。


「すいません!あれ、居ないのかな」


 インターホンを押すも全く反応が無い。リサが家を囲う塀から中庭を除くも人の気配が無い。その時、二人の背後から女性の声が聞こえてくる。


「すみません、家に用でしょうか……?」


 その声に振り返ると、小学校低学年くらいの子供と手を繋ぐ母親が不審者を見るような目で二人を見ていた。

 しかしリサの黒いコートや胸元にある十字架のペンダントを見て、母親は目を見開き怯えるような表情を浮かべる。


「あの……もしかしてあなたは滅殺者スレイヤーですか?」

「はい」


 リサが頷いた瞬間、母親はその場で唇を噛み締めながら、リュウト達の間を縫うように駆け足で家に向かう。不思議そうな顔をしている子供を家に入れると、その場で泣き崩れてしまった。


「だ、大丈夫ですか!?」


 急いで歩み寄ったリサが母親の背中を優しく擦る。近所を気にしてなのか、母親はしばらく声を殺して涙を流していた。

 やがて落ち着いてきたのか、リサに手を借りながらゆっくりと立ち上がると、申し訳なさそうに二人へ頭を下げる。


「すみません……良かったら家へあがっていってください」


 母親は目元の涙を拭くと、家の玄関を開けて二人を中へ迎え入れる。

 好意を無下にできないと思った二人は、母親に小さく頭を下げてから家の中へと入っていった。通されたリビングもなんの変哲も無い一般的なデザインである。父親が悪魔狩りを生業としていた事を除いて。


「夫が言っていたんです。もし同僚が来たら、覚悟してくれと……」

滅殺者スレイヤーの事は知っていたのですね」


 母親はキッチンで煎れてきたお茶を二人の前に置いて、向かい側の席へ腰掛ける。そしてリサの言葉に重苦しそうにゆっくりと頷いてから口を開いた。


「ええ、学生の頃に悪魔に襲われかけまして、それを助けてくださったのが夫でした」

「そうだったんですか」


 母親はもう一度無言で頷いた後、自分で煎れてきたお茶を一口喉へ通す。


「危ない仕事ですし、私達が悪魔に狙われては困るからと滅多に家には帰ってきませんでした。それでも毎日モニターで通話をしていたんです。ですが……」


 弱々しい声と共に俯く母親の表情は、すでに疲れ果てて生気が残っていないようにも見えた。


「ここ二ヶ月程でしょうか、所属先が変わり忙しくなったのかわかりませんが、通話も出来ないようになって、そしたら……」

「そうだったんですね……」


 リサも軽く視線を落とし、自分の前に置かれたお茶のコップを眺める。水面に映る顔は笑顔まで行かなくとも、普段と同じ顔をしていたつもりが、母親と同じく疲弊した表情を浮かべていた事に自分自身が驚いた。


「あの、夫は帰ってくるんですか?」


 コップの水面に気を取られていたせいか、母親の質問に焦り気味に顔を上げるリサ。目が合った母親の表情は心配そうな、そして小さな糸でも手繰り寄せたいような必死な顔でリサを見つめていた。

 そんな顔を直視する事が出来ず、リサは視線を逸らしながら動かしにくそうに口を開く。


「それが、とても言いにくいのですが……」


 リサは夫が廃墟で悪魔と戦い、負けた事を打ち明けた。その後廃墟が破壊され、遺体がまだ見つかっていない事も話す。

 その間、母親はジッとリサの顔を真剣な眼差しで睨むように見つめていた。


「悪魔にどう立ち向かったのかわかりませんが、現在は捜索中です」

「わかりました……ところでそちらの子は?」


 母親が黙って聞いていたリュウトの方へ視線を向ける。


「ああ、この子はまだ候補生でして、実は旦那様が戦ったと思われる悪魔を倒した子なんです」


 リサが言った瞬間、母親はおもむろに立ち上がり近くの棚に置いていた一枚の写真立てをリュウトの元に差し出してきた。


「……ねぇ、この人には会っていない?」


 母親は三人が写った家族写真を見せてくる。どこかの遊園地で撮ったのか、背景にはアトラクションが見えて仲睦まじい笑顔が溢れている。

 そしてそこに映る男性は、正しく軟体の悪魔が取り憑き、最後は人型悪魔としてトドメを刺したその人だった。

 リュウトの中で真実を話したい思いが込み上げるも、そうすれば辻褄が合わなくなる。

 下手に動いて支部へ知られればどうなるかわからない。そう思ったリュウトは俯きながら首を横に振ることしか出来なかった。


「すみません、襲ってきた悪魔と戦っただけなので……」


 母親は我に帰ると、勢いが強かったかもしれないと思いそっと写真立てを棚へ戻す。


「そう、か……ごめんね。ありがとう」


 リュウトにとって、そのありがとうの言葉が、悪魔に傷付けられるよりも痛く感じた。

 その後母親から思い出話しを聞いたリュウトとリサは、夫の遺体を見つける事を約束し、最後の遺族の家を後にした。


「そうだ!せっかく海が近いんだしちょっとあそこに寄っていこうよ」


 リサは子供のようにワクワクした様子で駅の横にある公園の入り口を指した。小走りで向かうリサを見て、連れられるがままに後を歩くリュウト。

 夕刻を過ぎているからか、人の気配は一人も感じられない。


「海が綺麗だねぇ」

「うん……」


 公園の端で一段高くなっている展望デッキのような場所に来ると、リサは胸の高さまである手摺に寄りかかりながら海を眺める。太陽はすでに海の先へと沈み、夕日の赤色から夜の青色へと変わり始めていた。

 ふとリサがリュウトの方へ視線を移すと、手摺に力無く手を掛けたままどこにも定まっていない視線で海の彼方を見つめている。


「ねぇリュウト。あなたが何をしても、どんな事があっても、私は味方でいるつもりだよ」

「え?」


 突然の言葉に思わずリュウトがリサの方へ振り向くと、リサは青色の空を見つめたまま話しを続けた。


「私の大切な人の大切な人だからってのもあるけど、何よりリュウトがリュウトだから。今回もきっと何かをしようとしてるんでしょ?」


 そう言ったリサの質問に、リュウトは一言も返す事が出来なかった。


「……」


 言えないだけで既に答えを出しているような事に気付いていないリュウトに、リサは優しく微笑みながら視線を向ける。


「言わなくて大丈夫だよ。でも忘れないで。私もマナも、そしてユウキも。皆があなた達を見守ってる」

「……ありがとう」


 リュウトがリサの方へ顔を向けると、ニコッと目を細めて歯を見せる子供のような笑顔を浮かべてきた。その顔に暖かいものを感じたリュウトも自然と笑顔が零れた。


「それが言いたかっただけ!うん、そろそろ帰ろっか」


 手摺から離れ、リサは公園の入り口へと歩き出す。その後に続いてリュウトも後ろ姿を見た時だった。

 リサの黒コートから人型悪魔が現れたような感覚に陥り、再びあの言葉を思い出す。

 お前は、魔帝の――。


「ねぇリサ」

「ん?」


 衝動的にリサを呼び止める程の強い声で彼女を呼ぶリュウト。リサが振り返って僅かに頭を傾げてリュウトの言葉を待っている。

 悪魔に言われた言葉が離れない――。

 そう話すだけで良いのに、理由は分からないがそれを口にする事が出来なかった。


「ううん。やっぱ大丈夫、帰ろう」

「……うん、何だかんだリュウトも今日退院したばかりだしね。おいで、ご飯も食べて帰ろうか」


 自身の隣で俯き加減に歩くリュウト。

 リサは自分と同じぐらいの背丈の横顔をチラリと見て、再び正面に視線を戻す。夕闇に背を向けた二人は本部へ帰る為、ゆっくり駅の方へと歩を進めていった。


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