顕現の儀式


「これは、まさか」


 ルイは悪魔よりも地面を淡く照らす魔法陣を見つめている。滅殺者スレイヤーの歴史書で読んだ統一された形。その魔法陣の名称を声を僅かに震わせながら呟く。


顕現けんげんの儀式……!」

「何だよけんげんって!?」


 ルイの方に視線を向けたリュウト。その顔は廃墟探索に来てから初めて見る程、狼狽した表情を浮かべていた。

 そんなルイは魔法陣を見つめたまま言葉を返す。


「悪魔を呼び出す儀式だ。使用された場所と範囲は擬似的な魔界になると言われている」

「魔界?」

「あぁ、呼び出された悪魔を倒さないとその儀式陣からは誰一人出られない……。わかりやすく言えば、悪魔と同じ檻に閉じ込められたんだ」


 リュウトはルイの言葉を聞いて下を向きながら数回頷く。その後はやるべき目的と、理解したくない現実を擦り合わせるように大きくため息を吐いた。


「はぁ……戦うしかねぇって事だな」

「倒さないと出られないなら、それしか無いね」


 リュウトは覚悟を決めたように魔剣を構え、切っ先を軟体の悪魔に向けた。おぞましい姿と今まで感じた事の無い程、よどんだ魔力に嫌悪感が溢れる。


「あぁ!防御は任せるぞルイ」

「……わかっている」


 リュウトとトウヤが先陣を切る。その後ろでルイは盾を前に、剣を右下段に構えながら軟体の悪魔へ駆けた。木の幹と差程変わらない太さの触手がウネウネと迫り来る。

 リュウトは自身に一番近い触手に魔剣を振り下ろした。硬いかもしれないと予想していた事態とは裏腹に、いとも簡単に切り裂く事に成功する。


「これなら行けるか?」


 硬さで言えば前に戦った甲殻の悪魔の方が硬い。リュウトは黒い血を垂らしながら引いていく触手を見つめる。

 軟体の悪魔は触手の切り口を自身の顔に近付けると、リュウト達に見えるように振るう。すると傷口から、二股に別れた触手が新たに生えてきた。


「そう簡単には行かないね」


 軟体の悪魔の顔を睨みながら、残念そうに下がった声色で呟くトウヤ。だがリュウトは魔剣を握り直し、踏み込んだ右足に力を込める。


「なら全部斬るまでだ!!」


 リュウトは叫ぶと同時に束のような触手に剣を振るっていく。まるで半ば自暴自棄のような太刀筋に見られるが、その表情は真剣そのものだった。

 友を失ってからの半年。リュウトは滅殺者スレイヤーを目指す為の力を着実に蓄えていた。

 その姿を見て後へ続くトウヤもまた、甲殻の悪魔と戦った時より強さを上げている。


「二人は頼もしいな」


 もし僕だけだったら今頃は――。そんな考えたくも無い思いがルイの中で過ぎる。

 二人の勇姿を後方で伺いつつ、自身に迫る触手を避けながら盾の魔力で味方にバリアを展開していく。

 いつしか三人の周囲には切られた触手が黒い砂となり、地面を覆っていた。


「くそ、キリがない!」

「斬っても増えるだけとか、対処法が無いよ!」


 次第に振る力が弱まり、一度距離をとって軟体の悪魔を睨む。疲弊した体を整えるように、ゆっくりと大きく呼吸をする。

 そんな三人の姿を見て、軟体の悪魔は目を細めて大きくため息を吐いた。


「はぁ、この程度カ。興が冷めルゾ?」


 軟体の悪魔は本体から伸びる十三本の触手全てを振り上げ、何股にも別れた先端を無作為にリュウト達へ叩き落とす。まるで大木を上から落とされているような勢いに三人は咄嗟にその場から離れた。


「リュウト、トウヤ!僕の所へ!早く!」


 ルイは叩き落とされる触手を斬りつけながら盾に魔力を貯めていく。二人が引く寄せられるようにルイの背後へ到着すると、盾を構え魔力を放出した。


「頼むぞアイギス……城壁ランパート!!」


 ルイの詠唱と共に盾から放出された魔力が三人を囲む。薄い黄色に光る魔力はまるで城壁を象ったようなバリアへと形成された。

 触手が直撃する度に弾けるような音が響く。


「すげぇな……」

「褒めてる場合じゃない!これも長くは持ち堪えられないから、この場から離れる準備をするんだ!」


 ルイが叫ぶ間にも、触手の叩きつけによる攻撃でバリアに小さな綻びが出来始める。あくまで時間稼ぎでしかない事を察したリュウトとトウヤは数秒だけの安心感を捨てた。


「次の攻撃でバリアを消して離れる!……今だ!」


 ルイは崩れ落ちる前にバリアを消すと、追撃が来る前にその場所を離れる。

 三方向にバラけて移動する三人。だが次の瞬間、体に強い衝撃と共に腹部へ激痛が走る。

 距離をとる事に気を取られていたせいで、別の角度から現れた触手の対処が出来なかったのだ。吹き飛ばされた体は魔法陣より外に出る事は出来ず、半透明な魔力の壁に直撃する。


「くそ……!二人共大丈夫か!」

「何とか……リュウトは!」


 ルイが飛ばされた位置よりも右方向に飛ばされたトウヤから声が返ってくる。しかしトウヤがかけたリュウトへの言葉に返事が来ない。


「大丈夫だ、けど痛ってぇ……」


 リュウトの声が聞こえた方を向くと、魔力の壁や岩にぶつかったのではなく、魔法陣の内と外を区切るように置かれた機械のようなものだった。

 リュウトがぶつかったせいで機械は大きくへこみ、導線からは火花が散っている。


「無事なようで良かった」

「どこが無事だよ、全然――」


 ルイの言葉に腰を擦りながら立ち上がるリュウト。ルイへ言葉を返そうとしたその時、軟体の悪魔から地を揺らすような声が響いて来た。


「ぐぁぁぁぁぁ!」


 突然の声に三人は軟体の悪魔の方へ振り向く。そこには体や触手を揺らし、のたうち回る軟体の悪魔の姿があった。

 口からは黒い血を垂らし、リュウト達が斬った触手の切り口からも出血している。


「まだ、まだ生きていたノカッ!?あれは人間の体を得た時に壊したハズ……!」


 軟体の悪魔が叫ぶ度に魔法陣内に血が飛び悪臭を放つ。腐敗臭のような膿んだ傷口のような臭いに三人の顔が歪む。


「何だこの臭い……」

「それもだけど何が起きたんだ?」


 トウヤは袖口で鼻を隠し、リュウトは自身が壊した機械を再び見つめる。ルイも同じく機械を見つめていると、ある部分に目がいった。


「魔法陣の色が違う、もしかしてリュウトが壊した機械が原因なのか?」


 ルイに言われて魔法陣を見ると、青紫の色をしていた魔法陣は赤く脈打つように発行していた。


「わからない。でも、アイツを倒すなら今かもしれない」


 ルイの言葉に、三人は互いで確認するよりも先に体が動いていた。無作為に暴れ回る触手を避け、軟体の悪魔の本体に近付いていく。狙った目に映るのは、軟体の悪魔の頭部のみ。


「おのレェ……調子にのるナァ!」


 軟体の悪魔は数十本に増えた触手を三人へ叩き付けようとする。だがさっきまでと違い心情が荒れている攻撃では、三人を止めるどころか簡単に避けられてしまう。


「リュウト!俺が触手を落とすからヤツの頭を狙って!」


 トウヤは軟体の悪魔の本体付近で足を止め、鎌を右下に構えながら紫色の魔力を刀身に纏わせる。

 怒号のような叫びと共に鎌を斜めに振り上げると、纏わせていた魔力が放出され巨大な鎌の形をした斬撃が放たれた。

 紫色の斬撃は触手の大半を切り落とし、離れた先端は砂となって宙を舞う。


「行くぞ……!」


 黒い砂に混じりリュウトが飛び上がると、振り上げた魔剣に黒い魔力を込める。だがリュウトはそれを斬撃としては放たず、魔力を纏わせたまま軟体の悪魔の頭頂部に突き刺した。


「はぁぁぁぁぁぁ!」


 刺さった魔剣を抜けないように更に押し込め魔力も溜めていく。

 軟体の悪魔の頭部には徐々に黒い魔力が溢れ出す。


「終わりだ!!」

「ぐぁぁぁァァァァ!!」


 リュウトが叫び、魔力を放出した瞬間、水風船を割ったかのように頭部は大きな音を立てて暴発した。

 頭の六割が消し飛んだ状態の軟体の悪魔は、噴水のように黒血こっけつを吹き出し、声にならない声をあげる。魔法陣の中は、腐敗臭や汚物が詰まった下水道に似た臭いが充満する。


「まァ……アァ……ダァ……」


 だが軟体の悪魔はまだ倒れる事は無かった。

 僅かに再生し始めた頭部を動かし、地面へ着地したリュウトを睨む。


「こいつ……まだ回復するのかよ!?」

「まあだァ、まだぁ、やられる訳にはァ……あッ!」


 再生と共に聞き取れる声を漏らしながら、リュウトへ恨みが溢れた目を向け続ける軟体の悪魔。リュウトが再び魔剣を構え、魔力を込めようとした時だった。


 軟体の悪魔は突然、目を見開くと同時に何かに怯えるように周囲を見渡し始めた。

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