第6話 エンディング わたしたちは、今日も大空にいる

     Scene#1 新宿駅西口


 相手とは、ホテルのロビーで待ち合わせをする約束だった。そして、定刻にその男性は現れた。携帯音楽プレーヤーが長渕剛の「CLOSE YOUR EYES」の再生を終えようとしていた時、彼女に、

「藤堂玲子さんでしょうか。坂口雄馬です」

 そう言って一礼した男性は、写真にあったとおり彼女の理想像・加藤健夫中佐に似る面影があった。

「はい。藤堂です」

「お待たせしました。初めまして」

 坂口の話を持ち込んだのは、玲子の次兄、真二である。

「高校の後輩。極東医大卒の外科医。現在、同大学の付属病院勤務。祖父は医療法人の理事長。父親は病院長で心臓外科の権威」

 ティールームに移動して、自己紹介を兼ねた初対面のやり取りをしながら、玲子は事前に兄から教えられたプロフィールを思い出していた。

 ――歳は少し上、ルックスよし、服装のセンスよし、話し方よし……

第一関門はクリアした。玲子はパートナー選びに、日本の古典的な出会いの方法である見合いを活用していた。父親の元部下とか二人の兄のコネをフル活用しているが、これまで、これはと思う男性が現れなかった。ハイスペックではあっても、感覚的に評価が高くないという男が多かったのである。

 ――タリホー。

 しかし、今回は従来と違う出会いになりそうだった。玲子は、そろそろ少しの焦りを感じていた。父親が知ったら安心するだろうが、目標レベルの男性を捉まえた時に備えて、料理だとか、掃除だとか、洗濯とかの花嫁修業を、玲子は抜かりなくやっている。同期二人に先を越されてしまったが、自分も目標を捕捉したら家庭に入って、必ず水準を超える妻・母親になってやるつもりだった。世間一般的な女の幸せを断念する気は、玲子にはまったくなかった。相手が医者なら、通常の女子と同じく、目の色が変わるものを感じている。今日は下着からして念入りに選んだ。そして、ワンピースに時計、ヒール、バッグまで白で統一し、清楚さとフェミニンさを絶妙に調和させるファッションで全身を固めていた。

 ――この男、逃がさない。

 最初の一分で玲子は心に決めた。

 翌々日、朝の全体ブリーフィングに向かう玲子のスマホに、真二を経由した返事があった。

「また、是非お会いしたい」

 ――やった!

 画面を確認するなり、玲子は心のなかで喝采を叫んだ。そして、瞬時に海外で挙式、都心のマンションに新居、子どもは一男一女、両方とも幼稚園から私立の名門校に通わせる、と人生設計を行った。そのために、パイロットとしてのキャリアに制約が発生することも覚悟した。

 ――一年以内に、絶対結婚してやる。セレブ妻になってみせる!

 玲子はそう、心に誓っていた。


     Scene#2 入間基地


 防衛大臣一行を乗せたスーパーピューマは、予定の時刻に到着した。駐機場で、U―4多用途支援機は離陸準備を完了していた。北海道で発生した水害に対する災害派遣の現場を視察に赴く大臣を、これから輸送するのである。

「本日のフライトは、機長高坂俊一三佐、副機長小松恵子二尉が担当致します」

 機体の前で整列したクルーを、航空総隊幕僚が紹介した。女性の大臣は、副機長の方を向き、尋ねた。

「あなた、外国の方?」

 それは、法的にはあり得ない疑問だったが、それほど副機長の外見は日本人のそれには見えなかったのである。

 ケイは、大臣に向かって報告した。

「大臣、わたくしはアメリカ人を母に、アメリカで生まれ育ちました。しかし、現在はまったくの日本人です。わたくしの夫も子どもも日本人です」

 小松恵子――旧姓は山之内であり、夫は二等陸曹小松正春である。

 だが、ここに至るまでには、少々紆余曲折があった。

 最初に、正春が借りているアパートに足を踏み入れた時、ケイは、

「ふうん、これがあたしとの結婚を渋っていた理由だったんだ……」

 と呟いた。小松は、蛇に睨まれた蛙に等しかった。二人が現在いる1DKのアパートのなかは、美少女アニメのフィギュアやCD、DVD、写真集、同人誌といったもので、埋め尽くされていたのである。中野とコミケに頻繁に通うのが、筋肉男のもう一つの正体だった。

「いや、そういうわけじゃなくて……だから、その」

「全部片づけて。が生まれるまでに全部よ」

「ええええ? 全部かよ! そんな殺生な」

 泣き出しそうな小松の抗弁を、ケイは一言で却下した。

「当然でしょ。あたしは、自分の子どもを、オタクにはしたくないの!」

 星華と治の結婚式で改めて出会った二人は、短時間で仲が進展した。空挺団でも指折りの筋肉質である上に、男ぶりも悪くない小松に、ケイが夢中になるには、長い時間を必要としなかった。だが、交際は進展しても、今一つ一線を越えて自分の望む方へ動こうとしない小松に、ケイは業を煮やした。そして一計を案じ、小松をフェイクにかけ、絶対に逃げられない状況に追い込んだのである。逃げようのない事実を産婦人科医の診断書という形で突きつけられて、小松は顔面蒼白になった。

「だって、お前、あの時は安全だって……」

 気が動転し、舌はもつれて、小松はまともにしゃべれなかった。そこをケイは一喝し、

「往生際が悪い! あたしをシングルマザーにする気? なんだったら、あたしが自ら空挺団長のところへご相談にあがりましょうか? あなたの部下が、WAFの幹部をもてあそんだって!」

 最後通牒を突きつけられて、約十秒後に小松は白旗を掲げた。そしてケイは、心のなかでⅤサインを作った。そして、今日、小松が習志野市内に借りているアパートに初めて足を踏み入れたのである。

 ――

 正春とケイの結婚式は、ケイが安定期に入ってから行われることになった。結婚式の数日前、ケイの両親が来日した。成田空港の到着ロビーに現れた母親に、ケイは小走りに近寄った。

「ママ!」

「ハイ! ケーイ!」

 ケイの母は、典型的なアメリカ人女性で、外見上、ケイとの遺伝子的結合が濃厚だった。

「走ってはダメよ。転んだら子どもがどうなるの?」

「大丈夫、ママ。双子よ。両方とも男の子。元気に育っているわ」

 母子の会話が一通り終わると、ケイが正春の腕を取った。

「ママ、あたしの夫になる正春よ。エアボーンブリゲードのサージャントなの」

 正春が使い慣れない英語であいさつしようとすると、それまで娘と英語で話していたケイの母は、口から日本語を送り出し始めた。

「日本語で大丈夫よ、正春さん。私も十年以上日本にいたことがあって、まだ少しはしゃべれます。ケイの母よ。娘をよろしくね」

「初めまして……小松正春といいます」

 赤くなって正春は挨拶を返した。

「パラトルーパーだそうね。私の弟も、陸軍の空挺師団にいて、アフガンで戦ったのよ。今は退役していますけどね」

 話が思わぬ方向へ動き始めようとした時、背後で咳払いが聞こえた。正春が向き直ると、そこにケイの父親がいた。

「恵子の父です」

 と、慇懃な口調で告げたが、その顔には見えない文字で、

「わいか? おいが娘ば、嫁入り前に傷物にしたんは」

 と書かれている。正春としては、「オレは罠にかかったんだ!」とはいえず、はなはだばつが悪かった。

 だが、状況は思わぬところで好転した。その日の両家の夕食会においてである。小松の側の参加者は弟・夏樹と「両親」であった。といっても、実の父母ではない。以前の里親である。実の両親に育児放棄された正春と夏樹は、幼少時に栃木県内の児童養護施設に保護されていていたが、子供のいない陸曹の家庭の里子となったのである。「父親」の薫陶を受けて、高校卒業後の正春は武山の第百十七教育大隊に教育入隊した。一方夏樹は、高校では栃木県随一の進学校に進み、里親夫妻は十八歳で養育義務が終わるにも関わらず、大学の学費を出して都内の国立大学に進ませた。経済学を修めて卒業した夏樹は、都市銀行に採用され、現在都心の本行勤務である。若手でもホープの一人に数えられ、四十代で支店長の椅子を確実視されていた。夏樹の職務は融資の審査であって、毎日のように融資を希望する企業の財務諸表と向き合っている。経営コンサルタント会社に勤務しているケイの両親と仕事の中身が共通しており、大いに話が合った。

「この男の兄なら、大丈夫だろう」

 こうして、ケイの父親も初めて正春を信用する気になったのだった。

結婚式の締めくくりでは、中島みゆきの「麦の唄」が流された。

 ――

 不本意な形で始まった結婚生活だったが、かといって正春が不幸なわけではなかった。生まれた双子の息子たちには、ケイは愛情を惜しまない母親だったし、家事にも一切手を抜かなかった。炊事、洗濯、掃除、そして夫の世話まで毎日かいがいしく動き回り、毎朝、服といい靴といい、パーフェクトな状態で夫を送り出した。小松は元々情報科職種だったので、結婚に前後して空挺団から立川駐屯地の地理情報隊に転属し、駐屯地の近くの宿舎に入っていた。環境はよく、生活にも便利だった。産後休暇が明けたら、ケイは通勤圏内にある入間基地で勤務することになっている。双子をベビーカーに乗せ、近くのスーパーで、一見外国人の妻を連れて買い物をする正春は、普通に見れば幸福な状況にあった。ただ、不満があるとすれば、

 ――ああ、漏れのもえのたん、姫々ききたん、凛音りおんたん……

 それは、オタク趣味を禁じられてしまったことである。ご執心だったキャンパスアイドルの名前と顔が、頭から離れない。辛うじてレンタルルームを借りて、そこにグッズを預けることはケイから認められたが、普段はなにも手に取ることができない。なお、ケイはあらかじめ極太の五寸釘を夫に打ち込むことを忘れなかった。

「子どもたちに趣味、感染させたら許さないからね」

 こうして、成長後の息子たちを自分の趣味に引き入れて、家庭内の勢力圏を塗り替えようという企みは、事前に粉砕された。

「三年くらいしたら、三人目ね。女の子がいいな。家は、横田か入間の近くに建てよう。子ども一人に一部屋だから、最低でも4LDKね。そうしたら、子どもたちの遊び相手に、大きな犬を飼おうよ」

 ケイから楽し気な将来構想を聞かされると、趣味を楽しむ機会がますます減りそうだという予感がして、正春の気分は滅入ってしまうのである。

 ケイは、双子を出産して帰宅すると、早速息子たちの写メを星華に送った。

「一枚目が長男の東一。二枚目が次男の武夫。両方ともハンサムでしょ」、「東一はパイロットか空挺レンジャーにする。武夫はお世話になった鹿児島の伯父さんちに養子に出すつもり。そう伝えたら、伯父さん、とても喜んでいた。もちろん、大きくなるまではあたしが育てるけどね」、「うちの子のどっちかと、星来ちゃんを将来結婚させようか? あたしのママ、実はパパより三つ年上なんだ」

 実は、飛田省悟から、一度だけメールが届いていた。離別から五年後、航空大学校を卒業してエアラインに就職したという内容だった。

「おめでとう。これからも頑張って」

 とだけ、ケイは返事していた。それっきりとなった。


     Scene#3 入間基地・航空祭


 当日の空は秋晴れそのもので、澄んだ蒼空となっていた。

「さぁ、星来せいらちゃん、次はママの飛行機よ」

 祖母は、二歳の孫娘に語りかけた。美魔女の祖母は、知らない者の目には、あるいは母親に映るかも知れなかった。

「ママのひこうき?」

 星華と治の長女、天辺星来は小首をかしげた。

「そう。ママの飛行機が飛んでくるの」

「わあい、ママのひこうきぃ」

 はしゃぎ出す孫から視線を移し、次に真由里は婿に顔を向けた。

「星来ちゃんは、本当に飛行機が好きなのね。――治さん、カメラの準備はいい?」

 天辺治は、デジタルビデオカメラを取り出して、機体の進入方向に向けていた。

「バッチリです、お義母さん」

 星華は一人娘だったし、治は次男だったので、治が天辺の姓を名乗ることにしたのだった。そう答えつつ、治は思った。

「自分は、娘にとって非常に印象の薄い存在なんじゃないか」と。

 普段は小松基地に単身赴任中の星華が育てているし、たまの休みに合流できると、多くの場合は鎌倉に帰る。そこでは二組のジジババが待ち構えているのである。勢い、家族三人になれる時間は少なかった。

「大丈夫かなぁ」

 相変わらず、心配性が治らない父親は、そう口に出していった。アナウンスが聞こえて来た。

『F―15Jが進入します。パイロットは編隊長・三等空佐小田桐真人、広島県出身。二番機・二等空尉天辺星華、神奈川県出身』

 ――

 新婚旅行で二人が授かったのが、星来だった。妊娠が分かった時、星華はある考えを抱いた。そして自分も生まれた産院で出産し、看護師から、

「元気な女の赤ちゃんですよ」

 と聞かされた時、それは揺るぎなき信念に変わった。産前休暇と、それに続く産後休暇で、習志野の官舎で治と同居するようになっていたが、退院して娘を連れて帰宅すると、真っ先に星華はリビングのPC端末に向かい、ファイルをプリントアウトして夫の前に差し出した。

「なんだ、これ?」

 ベビーベッドに娘を寝かしつけてから、星華はいった。

「星来のライフプランです。産前休暇中に、元一佐のファイナンシャルプランナーにお願いして、作っていただきました」

 治は目を走らせたが、徐々に不同意を覚えるようになっていった。

 ――5歳から英会話とバレエかピアノ。中学からは湘南鎌倉女子学園、大学は……四年以内に二人目で、女だったら、長女と同じ。

「冗談じゃないぞ。おれは、お前のお父さんと違うんだ。下っ端公務員なんだぞ。こんなん無理に決まっているじゃないか!」

「大丈文。計算しました。あなたとわたしで、毎月これだけ定積預金すれば間に合います。実家も助けてはくれるかも知れませんけど、まずは、わたしたちでできるところまでやります」

 ライフプランに記された数字では、確かに足りるが、それは同時に治の毎月の小遣いが微々たる額になることを意味していた。考えただけで、頭がクラクラしてくる。ライフプランの末尾には、「大学卒業後、空自入隊」とまで書かれているのを見て、

「空自なら、普通の学校でいいじゃないか」

 と食い下がると、星華は平然として、

「この子には、特別輸送航空隊の空中輸送員を目指させます。そのためです」

 と答えた。千歳基地に配置されている特別輸送航空隊は、治も知っているが政府専用機を運用する部隊である。これに乗務する空中輸送員は、空自に所属はするが本物のCAなのだった。エアラインに派遣されて研修を受け、しかもアテンドするのは、皇室や総理以下の閣僚、つまり一般のファーストクラスを遥かに上回る超VIPなのである。星華は、その存在を知った時、最初からこちらを目指せばよかったと後悔したくらいだった。

 星華は、自分が果たせなかったCAの夢を娘に託すつもりらしいと、治は悟った。そのとおりだった。

 ――この子はわたしの分身。この子には、わたしの夢を追わせよう。

 と、妊娠中から星華は決めていたのである。

「あなたは父親です! 子どもの人生に責任がおありなの。分かっていらして?」

 妥協を完全に排した妻のセリフに、夫は不覚を悟った。

 ――忘れていた。こいつは、筋金入りのお嬢様だったんだ。自衛官になったからといって、本性が変わったわけじゃなかった。

「なにがあっても、このとおりにやりますから、よろしくお願いします」

 ダメ押しの言葉を聞かされた治は、これからの人生に小さな暗雲の発生を感じていた。そしてそれは、予感では済まなかったのである。テッポウユリの娘は、テッポウユリなのであった。

 ――

 双発ジェットエンジンの放つ轟音を残して、二機編隊のイーグルは飛び去った。

「ママぁ」

 大はしゃぎする孫娘を見て、四人の祖父母のなかでは孫娘に対するダントツの溺愛ぶりを示す祖父は気が気ではなかった。

 ――冗談じゃないぞ。この上、孫までパイロットになるなんていい出したらどうするんだ! ダメだダメだ。孫こそは、必ず会計の道に進ませてやる!

 祖父は祖父で、勝手な考えを固めていた。


 玲子、ケイ、そして星華は、それぞれ空を飛び続けている。これからも飛ぶ。三人の気持ちは、ある一点で共通していた。

「わたしたちは、今日も大空にいる」

 祖国日本の空を守るために。


                                  完

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Wing Ladies--わたしたちは、今日も大空にいる。 土門康平 @chirusonia

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