ひいじいちゃんの日記帳

寺音

ひいじいちゃんの日記帳

『俺はひいじいちゃんに愛されてなかった! って友達が嘆いてるんで、なんとかして欲しいんだけど』

「どうして俺に!?」

 唐突すぎる従兄弟からの電話に、銀之園哲ぎんのそのさとるは開口一番全力で突っ込みを入れる羽目になった。



『いや、だって、なんだかんだいつも解決してくれるからさ。つい』

「『つい』じゃねぇよ。別に俺は便利屋でも探偵でも何でもない、ふつーの、男子高校生だからな!」




 彼の従兄弟、その名を金田一太郎かねだいちたろう。よく哲は彼から“相談”を受ける。

 一太郎の電話はトラブルを呼ぶと言うのが、専ら哲の常識だったのだが。


 就寝前のリラックスタイム。自室にて読書に勤しんでいた彼は、鳴った電話をほぼ反射的に受けてしまったのである。


「しまった……。気が緩んでたから、つい! ちゃんと相手を確認してから電話に出るべきだった」

『え、何か言った?』

 咄嗟に何でもないと否定する。言ってやってもいいが、恐らく口論の分だけ長電話になるだけで何の解決にもならない。


「とにかく、経緯をちゃんと説明しろ!」

 何がどうなってそう言う状況になったのか。それが分からなければ解決のしようがない。

「そうだよな、分かった!」




 一太郎の話によれば、何でも一太郎の友人、角野四朗かどのしろう君は家族で曾祖父の遺品整理をしていたそうだ。

 それが昨日の日曜日。

『筆まめな人だったらしくて、書きためた日記が大量に出てきたんだって』

 その日記は曾祖父が十代の頃から、四朗が生まれて小学校入学に至るまで続いていた。

 ところが、である。


『四朗が、俺の兄貴は生まれた時からちゃんと日記に書かれているくせに、俺にはそれがないって言うんだよ。ひいじいちゃんの日記に登場するのは三歳頃から。約三年分の四朗に関する記述がなかったんだってさ!』

 それで件の発言になったようだ。



「いやいや。人間なんだし、一時書けない時期があったっておかしくないだろ? 体調不良とかもあるだろうし、それが偶々角野君の産まれた頃にあたっただけじゃないか?」

 哲は眉を潜めて一太郎にそう問いかけた。彼は珍しく弱々しい声で、だよなと呟く。



『俺もそう思ってたんだけど、四朗のひいじいちゃん、怪我で入院した時も書かさず書いてたんだって。もうクセになってたらしい。だから、俺の時だけ書けなかったって言うのも変だって言うんだよな』

 付け加えると四朗君の幼少期、彼の曾祖父は特に大きな怪我や病気もしてなかったらしい。


「だからって愛されてなかったって言うのは、乱暴だな」

『俺も面倒で、色々言ってやったんだよ! とりあえずお母さんでも良いから、ひいじいちゃんとのこと確認してみろってさ! そしたら』


 何でも角野君のお母様曰く、『ひいおじいさんおおらかな人だったからねぇ。四朗、アンタ小さい頃相当ヤンチャしてたけど、笑って許して可愛がってもらってたわよ』とのこと。



「――それ、何にも問題なしじゃないか?」

『うん、俺もそう思う。思うんだけど、そしたらヤツが、益々日記の謎が深まってモヤモヤするって』

 だからお前に相談してみたんだよ、と一太郎はため息混じりに言った。



『なー、俺、どうすれば良い? 四朗の自己肯定感上げてやれば良い? アイツを神様のように褒め称えてやれば良い?』

「落ち着け」

 一太郎も相当困惑している様だ。いつもは一太郎が面倒を起こす側であるのに、今日は面倒に巻き込まれている。

 珍しい、と哲は内心呟く。


 しかし、いつも騒がしい従兄弟が大人しいのは調子が狂う。

 哲は髪の毛を乱暴にかいた。


「あー、じゃあとりあえず、角野君に例の日記の写真でも送ってもらうか。言っとくがくれぐれも期待はするなよ!?」

 はあっと感嘆のような声が耳元で聞こえる。明るくなった従兄弟の表情が見えるようだ。


『マジで!? サンキュー、哲!! 実は俺が問答無用で送りつけられた写真が既にここにあるんだよ! 早速送るなー』

 漫画であれば音符でもついていそうな声に続き、耳元でスマートフォンが短く震える。

 通話をスピーカーに切り替え、哲は届いた画像をチェックした。



 まず一枚目は大量に積み上げられた本、というか紙の山。これが角野君の曽祖父の日記だと言う。

 日記だと言うのできちんと製本された本をイメージしていたが、哲達が学校で使うノートのような物から付箋くらいのメモ用紙をまとめた物まで形状は様々だ。


『日記って言っても、ちゃんと文章で書いてる時もあれば、一言日記……その日あったことをメモするみたいな? そんな感じの時も多かったらしい』


 なるほど、クセになっていたとは言った物である。

 哲は二枚目の画像を表示した。

 それは半透明のファイルが映った画像で、表紙に繊細な文字で西暦と『ひ孫四朗』と書いてある。


 そして最後の画像は、そのファイルの中身を写したものらしい。ルーズリーフは細かな文字でビッシリと埋め尽くされている。



「ルーズリーフだったら、肝心の部分だけ抜け落ちたって考えるのが自然じゃないか?」

『そうなんだよなー。ただな、他は全部揃ってて都合良くそこだけっていうのが引っかかるんだって、めんどくさ!』

 面倒臭いのは俺の方だ、と思いつつ、哲は届いた画像をボンヤリと眺める。

 ふと、最後の画像に違和感を覚え、それを拡大した。



「なんだ、これ……黒い点、が四つ?」

『え? 何が?』

「ほら、三枚目の画像のルーズリーフの端の所。何かのシミ、みたいな。インクが飛んでできたのか?」


 電話口からゴソゴソ音が聞こえた後、少し間があって一太郎が声を上げる。彼も画像を確認したらしい。


『あー、確かにあるな。そう言えば、四朗のひいじいちゃん万年筆も好きだったみたいだし、そのインクが飛んじゃったのかもな——待てよ』

 一太郎は突如含みのある笑い声を上げた。

『ふっふっふ。分かったぞ、これは……暗号だな!?』

「はい?」


『この不自然な四つの点が指し示す場所に、四郎のひいじいちゃんの莫大な遺産が!? 四つの点を合わせると、四角!? つまり、四朗の事か!? まさか、ここにひ孫へのメッセージが……』

「ドラマの見過ぎだ、一人でやってくれ」


 盛り上がる一太郎は置いておいて、哲はもう一度その黒い点を凝視した。書いている時に散ったにしては、大きさが合わない気がする。


 加えて哲は何故か、それに既視感を覚えていた。



 哲は何となく自室に視線を巡らす。

 本棚、クローゼット、ベッド、壁掛け時計、そして目の前の勉強机に視線は移動し、そこ置かれたある物で止まった。

 卓上のカレンダーである。

 彼の目は更にその中の一点に注がれた。

 次の日曜日。大きな黒い丸で囲まれ『両親不在』と注釈がしてある。哲がマジックで書き込んだ物だ。


 そう言えばそうだった。その日の食事は自分で調達しなければ、と哲の思考が一瞬逸れた。



 そこで彼は、ある事に気づいたのである。

「——なあ、一太郎」

 未だブツブツ言っている従兄弟の言葉を遮って、ニヤリと笑った。

「多分、角野君を褒め称えなくても良くなったぞ」



****



『え、本当か哲!?』

「ああ。ただ、あくまで俺の推測だけどな」

 それでも落ち込む角野君を納得させるくらいはできるだろう。

 哲は一太郎にこう告げた。


「角野君の事を書いた日記は元々はちゃんとあったんだろう。でも、それは無くなってしまったんだ。恐らく、角野君自身のせいで」


『どう言う事だ?』

「ラクガキだよ。きっと三歳頃の角野君がひいお爺さんの日記にラクガキをして、ちょうどその部分がなくなってしまったんだ」

 一太郎の大声が響き、哲は思わずスマートフォンを耳から遠ざける。


「急に大声出す癖、いい加減止めろよ!」

『ご、ごめん。えっと、でもなんでそう思ったんだ?』

 哲は送られてきた三枚目の画像をもう一度表示する。


「このルーズリーフの黒い点だよ。これどっかで見たことあるなと思ったんだけど——黒い油性マジックが裏写りした時、ちょうどこんな感じじゃないか?」

『ああ、言われて見れば!』

 聞けば角野君、小さい頃ヤンチャしていたそうである。


「幼い角野君が日記にマジックでラクガキをしてしまって、ひいお爺さんが仕方なくその部分だけを抜いたとすれば……角野君の日記が不自然に抜けてることの説明はつくだろ。言い方には要注意だけど」

 勝手に落ち込んで、その原因が幼い頃の自分だなんて。逆にショックを受けそうだ。

『分かった、哲、ありがとう!! とりあえずこれで面倒臭い四朗を励まして——じゃないか、説得して? まあ、そんな感じで話してみる!』

 そう言って、一太郎は嵐のように電話を切った。


 このように突然“相談”され、突然電話を切られるのは慣れている。慣れているのだが。

「何度やられても、解せない……!!」

 また今度会った時に、アイスでも奢らせよう。

 そう心に決めて、哲は再び本の中の世界へ戻っていった。





 後日、一太郎から再度連絡がきた。

 一太郎の話を聞いた角野君が、自身の母親に確認した所、本当にあったらしい。

 通称、『日記帳黒塗り事件』が。

 幼い自分の犯行と今回の騒動について、角野君から深い謝罪の言葉があったそうである。



『でもさ、びっくりなんだけど。その黒塗りの日記の一部が別の場所から出てきたんだってさ! ひいじいちゃん、これも思い出だと思って残してたのかなぁ』

「かもな」

『でさ、それが面白いことになってたんだって! 哲も見てみろよ』

 一太郎に言われて、哲は彼から送られてきた画像を開く。

 そして、思わず声を上げた。


「――おお。これは愛されてないなんて、言えないな」

 下の文字が分からない程黒く塗り潰された紙。

 更にその上から赤い色で大きく太く、その言葉は書かれていた。


『元気があって、大変宜しい!!』


 大きな花丸と共に。







 

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