とある契約婚の記録

fujimiya(藤宮彩貴)

神様のギフト

『私の妻が、苦しいほどかわいい』


 ……などと、大きな声で他人に言えるものではない。ゆえに、私は日記をつけることにした。

 これは私の心の声だ。叫びだ。もとより、誰にも見せるつもりも読ませるつもりもない。私の胸の内に隠して置けないものを、そっと吐露する秘密の日記。

 あの世に旅立つときは、持って行こう。


 妻を悲しませてしまうが、その日は、たぶん近い。


 ***


 私は、スティルフィア公爵家の嫡男として生まれた。

 将来は当主となるべく、勉学に励んで教養を身につけた。武芸の心得も忘れなかった。十歳になるころには王宮のパーティーでは堂々と振る舞い、武芸大会でも好成績を残すほど、有望な子どもに育った。


 なのに。

 私は、魔女の呪いにかかった。


 成人の式を間近に控えた十五の冬。


 正体不明の高熱にうなされて快癒を求めていたところ、母の縁者が連れてきた占い師……実は魔術師……に、おかしな術をかけられてしまい、私は五年ほど前の姿に戻ってしまった。つまり、十歳当時の身体に。


 あやしげな魔術師の術のせいか、高熱は下がったものの、私の身体はいつまでも十歳のまま。いくら食べても寝ても背が伸びないし、筋肉もつかないどころか、日に日に小さくなってゆく。

 棒のような手足が胴にくっついているだけで、頭の中身だけはおとなになってゆく。


 十歳の姿から成長しないどころか、一年ずつ幼児に戻るという。

 そして、あと五年後。二十の誕生日に死ぬ。術ではなく、呪いだった。

 母の縁者は消えてしまい、魔術師の行方も知れず。呪い解く方法もなかった。


 母は嘆いたが、私は受け入れた。

 あやしき術に縋った、運命である。


 これは私の日記なので、本心を書いてしまおう。

 さいわい、私には健やかな弟がいる。これに跡を継いでもらおうと考えている。この、十歳の姿で人前に出るのは難しい。表舞台に出ることを控えることに決めた。そう考えると、気持ちがラクになった。


 しかし、十六歳を迎えたあたりから周囲の様子がおかしくなってきた。


『何故、嫡男さまは公の場に出ていらっしゃらないのだ』

『そろそろ成人。そうだ、ご結婚の準備か』

『嫡男さまにふさわしい妻を!』


 冗談ではない。

 魔術師と、二十歳で命を落とす契約を交わしているのに、私のところに輿入れするなんて不幸になるだけ。


 ゆえに、私はくじ引きで妻を選んだ。

 できるだけ不幸にしないよう、遠い遠い、縁のない女性を妻に求めた。


 その結果、選ばれたのは妻・エレノアだった。


 エレノアは、宮都の片隅に住む靴職人の娘。庶民も庶民、ド庶民である。

 最初、庶民が当たったことに私は安心した。次女だというし、『そのとき』が来たら多額の慰労金をつけて実家に帰せばいい。そう軽く考えていた。


 けれど私は、エレノアに対面して冷や汗をかくことになった。


「は、初めまして、ラインクリフ様」


 頬を紅く染め、恭しく頭を下げるエレノア。顔を上げさせると、美少女だったのだ。

 動きはとてもぎこちない。宮廷の礼儀作法を覚えている途中の幼い子どものよう。ドレスも初めて着ましたと言わんばかり。笑ったらさぞかし愛らしいだろうに、緊張からか頬が引きつっている。それに、御年十六といわれた嫡男がお子さまの姿をしていたら、誰だって驚く。


 金色の豊かで長い髪。あどけなさを残しつつも整った顔つき。背は高すぎず低すぎず、今年十五というのでもう少し伸びるかもしれない。質素倹約の家に生まれ、贅沢を知らない無垢な娘。


 当たりなのか……いや、ハズレかもしれない。


 これだけの素朴な愛らしさ。もしかしたら約束している男が既にいたかもしれない。そうだ、私は婚約者がいる女性はくじ引きから外せという命令をしなかった。なんという失態。

 私は数年後に死ぬ予定なのに、美少女を宮廷の奥深くに閉じ込めておくなんてもったいない。花開くだろう美しさを封印してはいけないとさえ感じた。


 とはいえ、正直なところを書くと、うれしかった。


 背中の曲がった老婦が来てもおかしくなかった。くじ引きに手心を加えた輩がいたのではないかとさえ疑った。


 普通に考えてこの結論はおかしい。


 人前に出ない夫に、出さない妻。お飾りの夫婦なのに。


 エレノアに対し、私は指一本触れないと誓った。

 さらに、いいことを思いついた。自分で言うのもアレだが、とても素晴らしいひらめきゆえ、笑みが漏れそうになったのは秘密だ。この日記だけに残しておく。


 ――私の死後は、エレノアを弟の妻にしよう。


 兄の死後、兄の妻を弟が娶ることはよくある。

 自分が死ぬまでに、エレノアをこの国で最高で最強の淑女に育てようと決心した。弟は現在十二歳なので、エレノアのほうがいくらか年上になってしまうものの、目の前の美少女を逃す手はない。


 この日から、私はエレノアを仮の妻に迎えた。


 ***


 まず、お互いのことを知っておく必要がある。

 それよりも教養教養マナーマナーとうるさい侍女頭を無視し、私はエレノアをそばに呼び寄せた。


「今後は、ここがあなたの家。ゆっくりしてくださいね」


 二度と帰すものか。私は腹の中で笑った。


 当然、戸惑うエレノア。我が公爵家は国内で、もっとも格の高い家柄。いくら無教育でもそれぐらい知っているはずだった。宮都に学校や教会を建て、多額の寄付も行っている。


「ほんとうに、あたしなんかでいいんですか?」


 下町訛りの喋りさえ愛らしい! 淑女のエレノアも見たいが、今のままのエレノアも保存できないものだろうか。


「あなたは選ばれたのです。将来の『公爵家の妻』よ」


 あえて、『私の妻』と呼ばなかった。エレノアはきょとんとして、私を凝視している。


「すみません、あたしったら全然なんにも分からなくって。お父ちゃん……じゃない、父がお城からお迎えが来たって言うんで、パンを焼いている途中だったんですけど」


 思ったよりも庶民派だった。くっそ、もっと早くに妻探しをしておくべきだった。十五で教育をはじめるとなると、教える側も教わる側もしんどい。『妻選びは早めに』、日記いやこれは公式の記録に書こう。


 でもまあ、公爵家の嫡男相手でも目を見て話ができることが分かった。私と面向かった瞬間、恐れ多くて卒倒してしまう者も見てきたのだ、それに比べたら。


「急なことで申し訳なかったね。あなたの実家には追々、詳しく話そう。それより、エレノア。結婚を約束した人は、いたかな。正直に教えてほしい」

「けっこん? 無理ですってあたしなんか。ねえさんだって支度金が用意できなくて、結婚が先延ばしになってるぐらいです」

「では、結婚とまではいかなくても、誘われたり……しただろうに」

「あ! 身売りの話ですか。さすがにそれは、おとうちゃ……父が断ってくれました。でも、一家で食い詰めるぐらいなら、ねえさんをお嫁に出せるなら娼館で働いてもいいかなって思ってたところ。あたし、パンを焼くぐらいしか取り柄なくって」


 なんと。

 この娘、売り飛ばされる寸前だったとは。運命とは分からないもの。

 神に感謝したい。神はいらっしゃる。神は確かにいらっしゃる! これは私の日記。心打たれた事柄については繰り返して日記に書き留めておこう。神はいらっしゃる!!


 私が涙ぐんでいると、エレノアは心配になったようだった。


「あのぅ……パン、焼きましょうか。近所じゃ、おいしいって評判なんですよ。わざわざ買いに来てくれる人もいて。それぐらいのことしかできません」

「あなたは公爵家の妻です。パンを焼く必要はありません」


「え? さっきの、冗談じゃなかったんですか?? あたし、ここで使用人として雇われたんじゃないんですか??? 高貴な御方は下女のことを妻って呼ぶのかな、とか考えたんですけど」


 私の妻は、かわいい。失笑しそうになるほど、かわいい。


「冗談ではありませんよ。私はエレノアを正式な妻に迎えようとしています。ただ、こちらも事情があるので話を聞いていただけませんか」


 ***


 私は、エレノアにも分かるよう、ゆっくりと丁寧に自分の境遇を話して聞かせた。


「じゃあ、ラインクリフ様はどんどん若返って、もうすぐ死んじゃうの?」


 目に涙を浮かべ、悲しんでくれているのはよく分かるけれど、エレノアには語彙がなかった。極端に乏しかった。直接的すぎることばが、私の心を抉る。


「まあ、そうですね。このままでは」

「かわいそう、ラインクリフ様。すっごくかわいそう。あたし、協力したい。呪いを解いてもらえるよう、魔術師を探そうよ」


 小躍りしたくなるような反応だった。心の底から私を案じていた。この少女を選んでよかった。公爵家まで、なかば強引に連れてきたのに。

 反面、胸がちくりと痛む。

 私はこれからエレノアを騙し続ける。私の妻になるよう命じながら、弟の妻に仕立て上げるのだ。

 次期当主として、ひとりの少女を裏切るなんて簡単だと思う自分に嫌気が差す。


「ありがとう、エレノア。魔術師の行方は探させています。残された時間で私にできることは、あなたを淑女に育てることです。どうでしょう、私と契約結婚しませんか。これから数年の間、表向きは私の妻ということになりますが、私が死んだらあなたは自由です。その日まで、どうか」


 手離すつもりはないのに、甘いことばで誘う。エレノアの目には不安が浮かんだものの、ひどく私に同情している。もう一押しだ。


「そのときが来たら、実家に帰るもよし。この屋敷に残るのもよし。選べますよ」


 ぎゅっと、エレノアが拳を握るのが見えた。


「……やる。やらせて。くじで選ばれたけど、ランドクリフ様のお嫁さんはすっごく素敵って、思われたい。きれいなドレスも着たい。おいしいごはんも食べたい」

「叶えましょう。あなたが望むならば」


 私たちは握手を交わした。


 少女の手にしては、かさついた、固い、手のひらだった。

 これをほぐすのは、私。

 そして、どんなにかわいくても、絶対に少女を愛さないと誓う。


***


 この日記は、私の苦悩に満ちた契約婚の記録である。



(了)


















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