日記という、伝言メモ

れん

単話 夫の残した日記

夫が死んだ。

本当に急で、心構えなんて出来ていないのに、私を残して逝ってしまった。


手続きや葬儀の手配。埋葬準備。

あれやこれやと追われ、一息つくとあの人がいない現実を突きつけられる。


「この家、こんなに広くて静かだったかしら……」


いつものように食事を作れば多く作りすぎる……あの人、私が作るご飯、たくさん食べてくれたな。


美味しいって、言ってくれたな。いつも多く作っても完食して、健康診断で数値が引っかかってたっけ。


あの人の作るご飯、美味しかったな。

もう食べられないんだな。

美味しいって、言ってもらえない。


一緒に食べてくれる人もいない。一人の寂しい食卓。作りすぎた料理が冷えていく。


洗濯物、少ない……そっか。あの人の服、もう洗うこと、無いんだった。


洗濯物、いつも畳んでくれたっけ。

結婚してすぐは畳み方の違いで喧嘩して、結局あの人が折れて私の畳み方に合わせてくれた。


たまには自分で畳めって怒られたけど、手伝ってくれるのが嬉しくて、わざと畳まず置いてたのだけど……それをバラすことも、もうできない。


お風呂、静かだな。


いつも一緒に入ってた。狭い浴槽に向かい合って、足を隙間に入れてその日にあったことを言い合ったっけ。


あの人と一緒に入ると少ないお湯でも丁度良い水位まで上がって、同時に入れば追い炊きしなくて良いからエコだとか……たまには一人でゆっくり入ってくださいといったら、拗ねてブツクサ言いながら入ってたっけ。


結局、次の日には一緒に入るまで入らないとか言って……可愛かった。


テレビを見ても、あの人の好きなタレントだとか、好きな番組だったなとか、この番組好きそうだなとか……そんなことばかり考えてしまう。


「はぁ……遺品、片付けなきゃ」


あの人のものを処分する。

あの人がいた痕跡が消えていく。

いつまでも残して置くわけにはいかない、けど……。


「あなた、なんで……」


視界が滲む。

あなたがいないだけで、私はこんなにも弱いんだなと思い知らされた。


「あら、これは……」


表紙に日記と書かれた革張りの本。


あの人、日記を付けるような性格でもないし、書いているところなんて見たこと無いのに……。


ページをめくる。

そこには、


『どうせ俺が死んだらこの日記も読まれるだろうから、読まれる前提で書く』


と、癖のある字で書かれていた。


ーーーー


これは日記帳だけど、日記なんてこまめにつけるのは柄じゃない。それでもその日に思ったことを記すんだから、まぁ、日記で良いよな。


たぶん俺は普通の死に方はしないと思う。


急にポックリか、事故か。

老衰じゃ死なないだろう。


夜勤に長時間勤務ばかりだったからな。


お前にも色々迷惑をかけたけど、『お帰り。お疲れさま』って迎えてくれて、支えてくれたこと、ほんとに感謝してる。できるかぎりその時その場でお礼は言うようにしてきたが、それでも足りないくらい感謝してる。


お前の作る食事、いつも美味かった。

つい食べ過ぎて、腹が出たって笑われたけどな……美味すぎるのが悪い。


俺が居なくなったからって、作りすぎるなよ? お前は食が細いからな。俺の食う量食べきるとあっという間に太っちまうぞ。


肥満は体に悪いからな。


お前には長生きしてほしい。先に死んだ俺が言うなって言われそうだけど。


お前は俺の初めて本気で好きになった女で、初めての恋人で、唯一無二の伴侶だ。


愛した女には長生きしてほしい。

俺の分も長生きして、こっちにきたら俺の知らない話をたくさんしてくれ。


できれば、俺以外の男は作ってほしくないけど……お前は寂しがりだからな。良い相手が居たら仲良くやってくれ。


お前が惚れた相手なら、俺とも馬が合うだろう。


お前に惚れた男なら、悪い奴じゃないだろうし。安心して任せられる……お前を愛する気持ちは誰にも負けないけどな!


遺品とか、俺の痕跡がなくなるとかいってため込むなよ? かさばらない、これくらいなら残しても良いかなってくらいにしとけ。


この日記も、かさばらないだろうと思って残してる。


ここからは、俺が覚えている範囲でお前との出会いとか、その時思っていたこと。思い出とかを書いていこうと思う。


もし違ってたら、訂正しといてくれ。

俺のいない時間、暇を持て余しそうだから、お前も日記を書いてみたら面白いかもな。


ーーーー


……もう。あの人ったら。


こそこそ何か書いていると思ったら、こんなもの……こんなもの、残すくらいなら、なんでもっと、一緒にいてくれなかったのよ。


早死にするって思ってたなら、長生きする努力をしてよ。


独りって、ツラいのよ? 二人で居たから幸せだったのに……一人欠けたら、辛いの。


それはそっちも一緒でしょ?


もう、あなたなんて知りません! 私のありがたさを、そちらで噛みしめていなさい!!


私は、あなたの残した物の処理をしたり、あなたよりも素敵な人を見つけてやるんだから。


「あなたより、素敵な男性なんていないでしょうけど……」


さて、せっかく日記帳のページも残っていることだし……空白の目立つ日記帳なんて、ナンセンスね。


仕方ない。私の思い出で、あなたの日記を補完してあげましょう。


出会ったのは、たしか……。

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