従兄弟の日記【KAC202211:日記】
冬野ゆな
第1話 従兄弟の日記
「それじゃあマサト君。ここの部屋は自由に使っていいから」
「ありがとうございます」
俺は叔母さんたちに頭を下げると、さっそく持ってきた荷物を広げることにした。
部屋は六畳くらいのこじんまりとした和室で、隅には主のいなくなった勉強机がぽつんとおかれている。机の上に、持ってきた受験用の参考書を次々においていく。
俺が叔母さんたちの家に泊めてもらったのは、受験のためだ。一ヶ月ほどお世話になる予定でいる。実家からは遠い、この近くの大学を受けると言ったら、もし良かったら使っていいと言ってくれたのだ。実は俺の部屋は弟と同部屋だったので、少し困っていたのだ。高校も三年生の三学期は自由登校なので問題ない。
叔母さんたちは五年前に息子を――つまり俺の従兄弟を亡くしている。ちょうど俺と同じ、高校三年生の時だった。詳しい事情は教えてもらえなかったが、自殺じゃないかというのは想像がついた。まあ叔母さんたちからすれば、息子がなしえなかったことをやってもらいたい、という気持ちはわかる。
部屋の中は片付いてはいたが、前の持ち主の片鱗があった。布団はさすがに新しいものだったが、勉強机もタンスも、従兄弟のものだ。机にもタンスにも、さすがに何も入っていない。けれど、まだここには従兄弟の、他人のにおいが残っている。
なんとも言えない気分を払拭するように、さっそく机を借りて参考書に手を伸ばした。ゲームも置いてきたし、ちょうど良かった。弟も、そろそろ俺といるのも居心地が悪かっただろう。いまごろのびのびやっているかもしれない。
しばらく数学とにらめっこしていると、下から食事に呼ぶ声が聞こえた。食卓にはいつの間にか帰ってきた叔父さんもいて、俺は挨拶をすませてから食事にした。
「どうだ、集中できそうかい」
「はい、ありがとうございます」
「そうかそうか、なら良かった」
俺たちは和やかな食事を終えた。それから風呂の順番や、冷蔵庫の中のものに関するルールなどを教えてもらい、俺はまた部屋に戻った。
着替えをタンスに入れてしまうと、さすがに鞄を出しっぱなしというのもどうかと思った。押し入れなら入るだろうかと開けてみると、下の段に真新しい段ボールがひとつだけ置かれていた。
なんだこれ、と思って引きずってみると、開いたままの蓋の下にはノートや制服が入っていた。従兄弟のものだった。見てはいけないものを見てしまった気がしたが、やや興味をひかれた。何しろ従兄弟も同じ大学を目指していたらしいから、もしかしたら何か参考になるようなものがあるかもと思ったのだ。
そっと、ノートらしきものを見つけて取り出す。使った形跡があった。
ぱらぱらとめくると、文字がびっしりと書かれていた。
従兄弟の日記だった。
日付は、死の直前くらいだった。どきりとする。
俺はなんだかぞっとしてしまって、急いでノートをしまい、段ボールを元あったようにしまいこんだ。
翌日から、俺は叔母さんたちのごやっかいになりながら勉強にうちこんだ。他人の部屋という意識は拭えなかったが、叔母さんはときどきジュースやお菓子を持ってきてくれて、いい気分転換になった。あと一ヶ月というのが焦りに変わっているのだと思う。
なんだかここにいると、ずっと見られているような気がしてくるのだ。
思えば人の死んだ部屋なのだと、いやというほど思い知らされる。
ふっと誰かに見られている気がして、振り返ることもよくあった。そのたびの俺の集中はとぎれてしまう。でも、誰もいない。
――たぶん、あれの事が気になるんだろうな……。
俺は、押し入れの中の日記にあたりをつけていた。
従兄弟が残した最後の日記。
自分でも醜悪な好奇心だと思う。死んだやつの最後の思いを知ろうなんて、そもそもが趣味が悪いとしか言いようがない。だけれど、遅々として進まない参考書に対して、刺激を求めていたのだと思う。
――やめやめ! 死んだやつの日記なんか読んで、どうなるっていうんだ。
けれども、妙な引っかかりはとれなかった。
翌日、叔母さんと一緒に昼食をとっていると、叔母さんはにこにこしながら話しかけてきた。
「調子はどう?」
「あ、はい。おかげさまで」
「私たちも楽しみにしてるからね」
「はい。きっと受かってみせますよ」
「そうね。あなたなら大丈夫。ずっと見てきた私が言うんだから、間違いないわ」
ありがとうございます、とは言ったものの、やはり不安は拭えなかった。
「……」
じっとベッドの上で寝転んで、いまだに見慣れない天井を見る。
――参考書が無いか探しただけだから。
そんな言い訳をしながら、俺は叔母さんたちが寝静まったあと、従兄弟の日記を取り出した。従兄弟の日記は、短いものばかりだった。日によっては、天気だけで済まされているものもある。受験直前だから、こんなものだろう。
それは、受験までの――正確には従兄弟が死ぬまでの一年間が、こと細かに記録されていた。
そこには受験に対する不安があった。あの大学を受けることになったのも、叔父さんのすすめで受けることにしただけで、本当は何をしたいのかわからないということが書いてあった。そんなものじゃないかと思う。けれど、自分の事を言われているようでちくりとした。
日記の主は、焦りを感じていたようだった。
『まったく勉強が手につかない』
『母さんと会いたくない……』
『このままじゃ僕は駄目になる』
ネガティブなことばかりが書かれている。けれど、俺はいつの間にか、そのどれもに共感していた。ここに書いたのは俺自身だったのではないか。
昼間になると、確かに叔母さんは褒めてくれる。けれどもその期待が、重圧に感じるのだ。叔母さんなのだから自分の母親とは違う。それがわかっていてもなお、冷や汗が流れていくのを感じる。
「あなたはいい子だから」
「はい」
「ちゃんと勉強してね」
「はい」
「きっと大丈夫だから」
「はい」
まるで機械的な返事しか出来ない。
俺はますます集中できず、日記にのめりこんでいった。最後の日、従兄弟は何を感じていたのだろう。何を思って、自分でその首を吊ったのだろう。天井に不自然にめり込んでいる小さなフックに、ロープをつないだのだろうか。
……どうして俺は、従兄弟が首を吊ったと知っているのだろう?
その疑問の答えを見つける前に、俺は最後の日記にたどり着いた。
日付は、今年の受験日と同じだった。
震える手で、目を通す。
俺はその言葉を頭の中に入れるまえに、すぐさま日記を段ボールの中にしまいこんだ。そうして電気を消して、ベッドの中にもぐりこんだ。
翌朝、俺と、叔母さんと叔父さんとで朝食をとった。
二人とも俺に期待している。頑張らなければならない。
「頑張ってね、カズヤ」
カズヤは従兄弟の名前だ。
叔母さんはにこにこしていた。
「はい」
俺も返事をして、にこにこと笑った。
従兄弟の日記【KAC202211:日記】 冬野ゆな @unknown_winter
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