涙の交換日記

丸子稔

第1話

 これから書く内容は、私の中学時代の話です。


 私には、当時好きな子がいました。名前は西野和美にしのかずみ(仮名)。


 同じクラスだった彼女は美人で頭も良く、私たち男子生徒のあこがれの的でした。


 ルックスも頭の出来も人並みだった私は、当然告白する勇気などなく、彼女のことを遠くから見ているだけで満足していました。


 



 ある日のこと、そんな私を見かねた友人の田中が、「そんな遠くから見てるだけじゃ、いつまで経っても距離は縮まらないぞ。直接言うのが恥ずかしかったら、電話でもしたらどうだ?」と提案してきました。


「電話? 家だと誰に聞かれるかわからないから、するとしたら公衆電話からだな」


 当時はスマホはおろか、ガラケーさえなかった時代なので、電話するとしたら家の電話を使うか、公衆電話から掛けるしかなかったのです。


「でもさ、もし父親が電話に出た時は、どう対処したらいいんだ?」


 田中には彼女がいたので、私はその対処法を訊いてみました。


「その時は堂々としてたらいいんだよ。変にかしこまったり、卑屈になったりしたら、逆に怪しまれるからな」


 私は彼のアドバイスを頼りに、早速それを実践しようと、夜になると近所の電話ボックスが設置してある場所へ出掛けました。


 電話ボックスに入り、いざダイヤルを回そうとすると、頭の中に彼女の顔がちらついて、私はなかなか電話を掛けることができませんでした。


──何やってるんだ、俺は。ここまで来て、ビビってる場合じゃないだろ。


 私は自分に喝を入れ、震える手でダイヤルを回しました。そしたら……





「はい、西野ですが」


『ガチャ!』


 父親らしき野太い声に、私は瞬間的に電話を切ってしまいました。


 昼間、田中にアドバイスされていたにもかかわらず、私はすっかりビビッてしまったのです。


 結局、その日は電話を掛けるのを断念し、そのまま家に帰りました。


 翌日、そのことを田中に言うと、「お前、ビビり過ぎだよ。別に取って食うわけじゃないんだからさ」と、呆れられました。


「でも、いざ父親の声を聞いたら、頭の中が真っ白になって、気が付いた時は電話を切ってたんだよな」


「じゃあ、今度は父親がまだ家に帰っていない時間帯に掛けてみろよ」


 そうアドバイスされた私は、その日の夕方5時くらいに電話を掛けました。


「はい、西野ですが」


 今度は大人の女性の声でした。多分彼女の母親だったのだと思います。


「僕、和美さんと同じクラスの丸子という者ですけど、和美さんはご在宅でしょうか?」


 私はあらかじめ用意していた文言を、なんとか言い切ることができました。


 すると、「はい。じゃあ、代わりますね」という声とともに、私の耳に『エリーゼのために』が流れてきました。


 当時は、電話の保留音に、この曲を使っていた家庭が多かったような気がします。


「はい、西野ですけど」


 彼女の声を聞いた瞬間、私はまたも頭が真っ白になりかけましたが、なんとか堪えながら「俺、丸子だけど、急に電話してごめん」と言いました。


「別にいいけど。それで、何か用?」


「実は俺、西野さんのことが前から気になってて……もし良かったら、俺と付き合ってくれないかな?」


 私は事前に決めていた言葉を、途中つっかえそうになりながらも、なんとか絞り出しました。


 すると、彼女は「わたし、丸子君のことよく知らないから、とりあえず交換日記から始めない?」と提案してきました。


 ほぼ100%の割合で振られることを想定していた私にとって、その提案はまさに願ったり叶ったりでした。


「もちろん、それでいいよ! じゃあ俺、早速今からノートを買いに行くよ」


 私はそう返事し、帰りに文房具屋に寄って、大学ノートを買いました。


 家に着き、早速何か書こうと思ったのですが、私の筆は一向に進みませんでした。


 日頃、日記を書く習慣がなかった私は、何を書いていいかさっぱりわからなかったのです。


 散々悩んだ挙句、私は以下のような文を書きました。


『西野さんへ 昨日はいきなり告白なんかしてごめん。ビックリしたよね? でも、一番ビックリしたのは、実は俺だったりして(笑)。

 まさか西野さんが、俺なんかに交換日記を提案するなんて思ってなかったから。

 えーと、交換日記なんて初めてのことだから、何書いていいのかよくわからないけど、とりあえず趣味と好きな食べ物を書いておきます。


【趣味】音楽番組やバラエティ番組を観ること。〈音楽番組は、ザ・ベストテンとか歌のトップテン等。バラエティ番組は、欽ドンとかオレたちひょうきん族等〉。


【好きな食べ物】カレー、ハンバーグ、ラーメン。あと、ケーキやチョコレート等の甘いもの。


 まあ、とりあえずこういったところです。最初から長々と書くのもあれなんで、今日はこの辺でやめておきます』




 30数年前のことを、なんでこんなに詳しく憶えているかというと、このエッセイを書くにあたって、クローゼットを漁ったところ、当時のノートが見つかったから。


 ノートの最初の部分に書かれていることを丸写ししただけなのです。


 翌朝、私は登校するなり、ドキドキしながら、西野さんにノートを渡しました。


 すると、彼女は少しハニカミながら「ありがとう」と言って、ノートを受け取ってくれました。


 その様子を観ていた田中が、「お前、西野と交換日記してるのか?」と訊いてきました。


 私が軽くうなずくと、彼は「よかったな!」と、まるで自分のことのように喜んでくれました。


 私は照れくさくてお礼は言えませんでしたが、本当に彼には感謝していました。


 翌朝、西野さんは照れくさそうにしながら、私にノートを渡してきました。


 私は今すぐ読みたい心を堪えながら授業を受けていましたが、当然のことながら、その日の授業はまったく頭に入らなかったことを記憶しています。


 家に帰ると、私は胸の高鳴りを押さえながら、ノートを開きました。


『丸子君へ 音楽が好きなんですね。わたしも歌が好きで、ベストテンとかトップテンはよく観ています。ちなみに、わたしはトシちゃんとマッチのファンです。それと、最近デビューしたシブがき隊(特にモッくん)もいいなって思っています。

 ところで、丸子君は誰のファンですか?』


──トシちゃんにマッチにモッくん? 西野さんて、意外とミーハーなんだな。


 それまで真面目なイメージしかなかったので、私は意外に感じるとともに、彼女の別の一面を知ることができて、少し得した気分になりました。

 読み終えると、私はすぐに西野さんの質問に返事を書きました。


『俺は断然、松田聖子です。周りの友達は「あんなぶりっ子のどこがいいんだよ」とか言う者もいますが、そういうところも全部ひっくるめて、俺は聖子ちゃんのことが大好きです』


 その後、このようなたわいのないやり取りが一ヶ月続きました。




 そんなある日、田中がニヤニヤしながら近づいてきて、私にこう言いました。


「お前、甘いものが好きなんだってな。知らなかったよ」


 私は最初、田中が何を言ってるのか、さっぱりわかりませんでした。


 しかし、次の一言で、鈍感な私もようやく気付きました。


「お前、松田聖子のファンなのはいいとしても、ちゃん付けで呼ぶのはやめろよ。西野が気持ち悪がってたぞ。ぎゃははっ!」


 私と西野さんの交換日記は、彼に筒抜けだったのです。


 田中を問いただしたところ、彼と西野さんは、初めから私をだますために組んでいたのです。


 そして、私の書いたものを見て、二人で大笑いしていたそうです。


 純情な恋心を踏みにじられた私は、その時点で日記をやめると同時に、その後二人とは絶交しました。


 以上、私の甘くて苦い青春の一コマでした。


  了


 


 




  





 


 


 

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涙の交換日記 丸子稔 @kyuukomu

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