【KAC20228】雑草系魔法使いの英雄!(お題:私だけのヒーロー)

 私が魔法薬調合室でくるみパンを焼いていると、窓の外から威勢のいい声が聞こえてきた。私の婚約者ナリクと、守衛のニルダさんの声だ。

 カーテンを開けて外を覗くと、敷地の裏手にある鍛錬場でナリクが剣を握っていた。


「もう一回お願いします!」

「おう、いつでも来い坊ちゃん!」

「行きます!」

「宣言するバカは真っ先に死ぬぞ!」


 ニルダさんがつきっきりで指導をしているけれど、お世辞にも上達しているとは言えそうにない。上級貴族のウィラー家に「魔力持ち」として生まれ、選択の余地もなく「魔法使い」の道へ進んだナリクは、おそらく本格的な剣術を学んだことなどなかったんだろう。

 私たちが通っていた「魔法使い養成所」でも模擬戦をすることはあったのだけど、大半の人は魔法のテクニックだけでやり過ごしてしまっていたし、ナリクも例外ではなかった。お互いに「魔法使い」同士として競うのならともかく、こと剣術に関しては、私の方がはるかにマシだ。

 私は辺境生まれの元平民で、そして現在の養父であるファリアッソ辺境伯は「辺境に住む民は村を守って戦える程度の技術が無いといけない」という考えをお持ちの方だ。領民たちは幼い頃から剣術の基礎を習っていて、それは「魔力持ち」の私も例外ではなかった。

 一方ナリクは、お世辞にも戦闘能力に長けているとは言い難い。魔法を使う際の勘も技術も優れているから、決して「弱い」わけではないのだけれど……何かで魔法を封じられ、体力や腕力の勝負になってしまうと、辺境の村人にも勝てなくなるだろう。

 それが気になる何かがあったのか、ナリクは三日前から剣術の鍛錬を始めた。何故かわざわざファリアッソ邸にやって来て、連日ニルダさんを独占し続けている。

 理由を聞いても「ちょっとね」と笑うばかりで、何にも教えてくれなかった。


 ナリクは二週間ほど剣術の稽古を続けて、突然ピタリと来なくなった。

 その代わりに、何故かウィラー邸からの使いが来た。それはナリクのお兄様、ディリーク様からの呼び出しだった。

 ディリーク様と言葉を交わしたのは、私がファリアッソ家の養女になった際、お披露目の会でご挨拶をしたぐらいだ。あとは曽祖父ヒズールク様の葬儀で顔を合わせた程度で、特に交流があるわけではない。それがこのように急な呼び出しなんて、とても好意的な態度とは思えなかった。

 見下されているのが丸わかりで、嫌な気持ちになるけれど、仕方のないことだとも思う。私は社交界で「雑草娘」と揶揄される存在だ。それが上級貴族の次男を婿にするというのだから、反対する人も少なくはないだろう。ましてやディリーク様にとっては、血の繋がった弟のことなのだ。

 たとえ何が待っていようと、呼び出しには応じるしかなかった。


 失礼の無いように身なりを整え、ウィラー邸を訪ねると、何故か鍛錬場へ通された。

 雑然とした鍛錬場の中心に、革鎧に身を包んだディリーク様が立っていた。ひとつに結われた長い金髪が肩口をさらりと流れて、この美しさに見惚れる女性は多いのだろうけれど、私はとてもそれどころではなかった。

 まさか、私に戦えと言い出すのではないだろうか? 急にそんなことを言われても、外套ローブ魔法杖ロッドも持って来ていない。強引なことはしないだろうけど、意図がわからず困惑してしまう。


「フィアナ君、急に呼びつけて悪かったね」

「いえ……あの、手合わせですか? 私、何の支度も――」

「君と手合わせをするわけじゃないよ。だって君の実力はもう、周知の事実となっているじゃないか?」


 ディリーク様はそう言って、冷たい微笑みを浮かべた。ナリクそっくりの顔をしているのに、こんなにも意地悪な表情が作れるのか……お日様みたいなナリクとは、まるっきり正反対な人だ。

 ぱちぱちぱち、とディリーク様は手を叩いた。


「いや、君は結構な実力者だよ。ナリクをたぶらかし、辺境伯を誑かし、難なく貴族の仲間入りだ。あげくにヒズールク様まで誑かし、我がウィラー家での立場まで手に入れた。さて、今度は誰を誑かすんだい?」

「そんな、誑かすだなんて……!」

「ああ、君は魔力持ちだから、色仕掛けは使わないんだったね。なおのこと素晴らしいじゃないか、生まれついての貴族も顔負けだよ。財も美貌もない君が、いったいどんな手練手管てれんてくだろうしたんだい?」


 わなわなと震える唇が、止められなかった。いくらなんでも侮辱がすぎる。しかし感情に任せて怒ったところで、きっと相手の思う壺だ。私をわざと怒らせて、何かを誘おうとしているのに違いない。

 たとえば。

 野蛮な娘に魔法で攻撃された、とか。

 正当な理由も無く魔法で他人を攻撃すれば、それは立派な犯罪になる。口論程度でディリーク様へ魔法を撃てば、ナリクとの婚約は間違いなくご破算だ。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。私はわざと微笑んで、誤解ですわ、と声を出した。


「わたくしはただ、ナリク様をお慕いしているだけなのです。たとえナリク様が平民であったとしても、その気持ちに変わりはございません」

「はっ、馬鹿馬鹿しい。言葉だけなら何とでも言える」


 ディリーク様は結っていた髪をほどき、手櫛で流れを整えながら、出口に向かって歩き出す。


「ウィラー家の家名に傷が付くような結婚を、私は断じて認めない。父が許そうと、ヒズールク様が許そうと、私だけは決して認めることはない」

「そんな……何故です?」

「何故? 決まっているだろう、君が『雑草娘』だからだ。私はこの家を護らねばならぬ。その為ならば、たとえ我が弟であろうと――」


 そこでディリーク様は立ち止まり、私の方へと振り返った。

 その表情は、なんだか悲しそうにも見えた。


「……そんな調子で、兄弟喧嘩が行き過ぎてしまった。よければナリクを診てやって貰えないか」

「えっ?」

「君は、光属性の魔法が得意なのだと聞いている。領民の診療もしているのだろう?」

「そうですが……」

「今回の喧嘩が公になると、私だけでなくナリクも処罰の対象なのだ。先に手を出してきたのが、あの愚弟だったものでな……さあ、一刻も早くあいつのところへ行くといい! 私の用件は以上だ!」


 苦虫を噛んだような顔をして、ディリーク様は鍛錬場を出て行った。

 事情は掴みきれないままだけれど……ナリクを心配していることだけは、伝わってきた。


 急いでナリクの部屋を訪ねると、いつものように従者のランデルさんが出てきた。本来ならいるはずのない私を見て、とても驚いた顔をしたけれど、すぐに室内へ招き入れてくれた。


「今日はどうして?」

「ディリーク様に呼ばれて……ナリクを、診てくれって」

「そうでしたか。フィアナ様、どうか驚かないで下さいね」


 ランデルさんは、辛そうな顔でそう言った。

 ナリクはベッドで眠っていた。顔も体も、全身がくまなく傷だらけだ。肩口の切り傷は出血が止まらないようで、包帯の外側まで血が滲んでいる。

 ひどい、と思わず声が出た。兄弟喧嘩なんて言葉でおさまるような怪我じゃない。少しでも早く癒してあげないと、ナリクは体力を消耗していくばかりだ。

 部屋の片隅に立てかけてあった魔法杖ロッドを借りて、私は治癒魔法ヒーリング・スペルを試みることにした。


「精霊賛歌第二番、治癒魔法ヒーリング・スペル


 魔法杖ロッドを構え、深呼吸をする。治癒魔法ヒーリング・スペルは私が最も得意な魔法なのに、目の前にいるのがナリクというだけで、胸の奥がざわついてたまらない。しっかり集中しなくては、魔法の効果が薄れてしまうというのに――そう考えれば考えるほど、杖を握る手が汗ばんでくる。


「光の精霊よ、フィアナ・ファリアッソが請う。祝福の光を降らせく、傷を病を癒すが為に」


 歌うように呪文を詠唱しながら、魔法杖ロッドで魔法陣を描いていくうち、精霊の気配が寄り添うように訪れた。この気配を感じ取れるかどうかで、魔法の威力は大きく変わる。大丈夫だと言われている気がして、ざわつく心は次第に落ち着いていった。


「祈りは賛歌となりて。願いは咆哮ほうこうとなりて。生命いのちの力を満たしたまえ――治癒魔法ヒーリング・スペル!」


 私が魔力を放った途端、ナリクの体が発光して、全身の傷が薄れていく。全ての傷が完璧に消えたわけではないけれど、これなら大成功だと言っていい。包帯の中の深い傷も、これで出血は止まったはずだ。


「フィアナ様、本当にありがとうございました」


 隣で見ていたランデルさんが、そっと安堵の溜息を漏らす。目を覚ます気配のないナリクに向かって、この馬鹿、と軽い口調で呟いた。ランデルさんはナリクの乳兄弟で、幼い頃からずっと一緒にいる人なのだ。

 ここだけの話ですと呟きながら、ランデルさんが私の方を見た。


「あなたの悪口を繰り返すディリーク様へ、ナリクは決闘を挑んだんですよ」

「決闘……?」

「ええ。自分が勝ったらフィアナを認めろと、鍛錬中のディリーク様へ切りかかっていきました」

「な、なんてことしたの!」


 あまりのことに、思わず叫ぶ。その為にわざわざうちへ来て、剣術の稽古をしていたのか――動機を教えてくれない理由も、これで全てが繋がってしまった。


「魔法を使えばよかったのに……私闘でも、防御魔法なら許されるでしょう?」

「ディリーク様は魔力を持たないので、魔法を使うのはフェアではないと」

「だったら最初から、こんな無茶をしなければいいのに!」

「あなたを侮辱されたことが、許せなかったのでしょうね」


 ランデルさんは私の肩を軽く叩いて、隣室に控えてます、と部屋を出て行った。


 血塗れになった包帯を外して、薄く残った傷跡を撫でると、彼はくすぐったそうに身じろぎをした。

 とんでもない大馬鹿だけど、結局ボロボロに負けちゃったけど……それでもナリクは私にとって、たった一人の英雄ヒーローだ。

 だって、ナリクの思いは通じたに違いないのだ。口の堅い医師なんていくらもいるのに、ディリーク様はあえて私を呼んだのだから。


「お兄さんが、私を呼んでくれたんだよ……だから、きっと、大丈夫だよ」


 その声が聞こえたのか、私だけの英雄ヒーローは、幸せそうな笑みを浮かべた。


(了)

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