【KAC20225】雑草系魔法使いの約束!(お題:88歳)
お客様ですよ、とメイドのマリエラさんが魔法薬調合室を覗いてきた時、私は
ウィラー公爵の次男ナリクと婚約するために、平民だった私はファリアッソ辺境伯の養女となった。そんな私を珍しがって、珍獣見物のように訪ねて来る貴族はたまにいる。しかし約束も何もなく、いきなり本人突撃のパターンは珍しい。
「どなたがいらしたんですか?」
「それが……取り次いでくれればわかると、そう仰るんですのよ。かなりご高齢の殿方ですから、魔法使いのお知り合いかと思いまして」
マリエラさんがそう考えたのは自然なことで、古い感覚の魔法使いは、自分の名を知られることを極端に嫌う。しかし、高齢の魔法使いは知り合いにいない。私は養成所で魔法使いの資格を取ったので、養成所の教官が師匠にあたる。
ふと、魔法使いが変身している可能性を思いつく。ひとり心当たりがいるのだ――ナリクの幼馴染、セルヴァーン第三王子の顔が浮かぶ。あの人だったら、いちいちドレスへ着替えなくても問題はないだろう。
広間にいたのは、一目見ただけで品格のある老人だった。身に纏った白い
すっかり困惑する私を見て、老人は「庭に出ましょう」と言った。人払いだ。
二人きりで庭園に出ると、老人は愉快そうに笑い、驚かせたね、と私の頭を撫でた。触れられた瞬間に感じた魔力は、お日様のような匂いがした。
「私はヒズールク。お会いするのは初めてですね、フィアナさん」
「ヒズールク様……!」
ヒズールク様は、ナリクの曽祖父だ。初孫が生まれた途端に長男へ家督を譲り、私費で「魔法学研究所」を設立なさった御方。この国の魔法学の権威。
知識の速やかな共有のため、魔法使い同士は常に対等であるべき――それがこの人の教えだけれど、彼は私たちにとって、神様みたいな人なのだ。何も知らない田舎娘だった頃ならまだしも、まがりなりにも魔法学を修めた私は、今すぐここでひれ伏してしまいたかった。
「あの、ひ、ヒズールク様っ。なぜお名前を隠されたのです?」
「名乗れば屋敷中が大騒ぎでしょうからね」
「で、ですがっ」
「いけませんね、私たちは魔法使い同士ですよ。どうか対等に接して下さい。堅苦しいお作法に囲まれるのは、老人にはどうにも堪えていけない。寿命が縮んでいく思いなのです、今日はのびのびと過ごさせてくれませんか?」
その要求がナリクを思わせて、思わずフフッと笑ってしまう。二人きりになると平民みたいな口調で喋る、私が誰より大好きな人……彼と血のつながったヒズールク様も、やっぱり気さくな方なのだ。
庭園のベンチに並んで座ると、おじいちゃんとひなたぼっこでもしているような気分だった。空は晴れ渡り、色とりどりの花に囲まれて、ほのぼのとした時間が流れていく。しかしヒズールク様が、私とそんな時間を過ごしに来たとは思えなかった。
「ところでヒズールク様。本日のご用件は?」
「そうですね。いつもナリクがお世話になっていますから、そのお礼が言いたかったのと……ひとつ、話しておきたいことがありました」
「何でしょう」
「あなたとナリクの、未来について」
ヒズールク様は空を見上げて、ふう、と軽く息を吐いた。
「ナリクが婚約するのだと、あれの父親から報告を受けた時、私は強く反対しました」
「えっ……わ、私が『雑草娘』だから、ですか?」
「いいえ、そのような
穏やかな口調のままだからこそ、反対という言葉が突き刺さる。
ヒズールク様は微笑んで、ゆっくりと次の言葉を続けた。
「あなたはナリクを婿に迎えるそうですね。それはおそらく、辺境伯の起死回生の一手だったのでしょう。跡取りのいない彼にとって、領地剥奪は時間の問題でしたからね。遠からず辺境伯は隠居を迫られ、この領地は他の貴族のものになったはずです」
その状況は私も理解していた。いくらお父様がお人よしだからって、何の利もなく平民を養女へ迎えたりはしない。私はファリアッソ家の存続のため、お父様がこの地に骨を埋めるための駒なのだ。
「あなたたちがこのまま結婚すれば、ナリクはいずれファリアッソの当主となる。そしてあなたはその
もちろんです、と私は答えた。魔法使いなら誰でも知っている。
魔力持ちの女性が妊娠すると、魔力を胎児に吸われてしまう可能性がある。胎児が母親を超える大きさの「魔力の器」を持っていた場合だ。そして万が一、すべての魔力を吸い取られてしまったら――母親は、二度と魔力を使えなくなる。
そのリスクを知っているから、魔法使いの女性は性行為を嫌う。魔法使い同士の愛情表現として、互いの魔力を繋げる習慣も、望まぬ妊娠を避けるためだ。
魔力は確実に遺伝するわけではないけれど、両親ともに魔力持ちである場合、子供が大きな「魔力の器」を持っている可能性は決して低くない。
ナリクとの間に子供ができたら、私は魔力を失うかもしれないのだ。
「ナリクと、そのことについて話したことは?」
「いいえ……私、子供を持つなんて、考えたこともなかったので」
「そうでしょうね。ナリクもおそらく、子は持たぬと決めているのでしょう。ですが、ナリクは相当苦しい立場になるはずです。今の辺境伯と同じ境遇に置かれることを、あなたは良しとできるでしょうか」
「……いいえ。それなら私、彼の子供を」
「いけません、そんなに軽い話ではないのです。いざ魔法使いでなくなった時、あなたはナリクを恨むかもしれない。愛する人を恨むのは、己が身を切るよりも辛いことです」
ヒズールク様は、私を見つめた。
それは、とても優しいまなざしだった。
ああ、婚約に反対しているのは、私のためを思ってのことでもあるのだ。
「フィアナさん、私はもう八十八になります。八つのときに精霊の加護を受けましたから、そろそろ効力が切れる頃合です……精霊の声も、遠ざかり始めました」
穏やかな陽気の中、ヒズールク様はいま、自分の死期を語っている。
この国で魔力を持って生まれた人は、精霊の加護を受ける習慣がある。病気や怪我に強くなり、大幅に寿命が延びるため、法律で加護の延長は禁じられている。
精霊の加護が切れるということ。それは精霊が遠ざかり、死期が迫ってくるということなのだ。
「私はもう、さほど長くは生きられません。できることなら旅立つ前に、ナリクの幸せを見届けておきたいのです」
そう言い残して、ヒズールク様は帰って行った。
誠実に届けられた言葉は、いつまでも私の中に残っていた。
それから数日が経ち、モヤモヤした気持ちのままくるみパンを焼いていると、血相を変えたナリクが私を訪ねてきた。マリエラさんの制止も振り切り、すさまじい勢いで魔法薬調合室へ飛び込んできた彼は、私の肩をグッと掴んだ。
「今すぐ一緒に来てくれないか!」
「ど、どうしたの?」
「……ヒズールク様が、危篤だ。フィアナを呼んでる、一緒に来てくれ!」
早すぎる、そう思った。私に会いに来た時には、とっくに加護は切れてしまっていたのだろう。
私はあえて
ウィラー家の人たちが勢揃いする中、私とナリクはヒズールク様が横たわるベッドへ近付いて行った。誰もそれを咎めはしない、ただ黙って全てを見守っている。
フィアナさん、とヒズールク様が声を絞り出した。
傍について手を取ると、魔力は微かにしか感じ取れない。だけどそれは温かく、泣きたくなるほど優しかった。
「あなたは、輪廻、というものを、ご存知ですか……?」
「いいえ」
「細い紙を、八の字に捻ると……裏表のない、連続した輪に。あの輪の、ように、いのちは、巡る……そういう、異国の、教えです」
息も切れ切れに、だけどしっかりと私を見据えて、ヒズールク様は語り続ける。
「八十八で、輪が二つ。私はきっと、すぐに、巡ってくるでしょう」
「そうですね、きっとすぐです」
「……いつか、ナリクが、子を望んだら。私をそこへ――」
「ヒズールク様!」
ナリクが私を庇うように、言葉を遮ろうとした。けれどこれは、ヒズールク様の最期の言葉なのだ。
私は応えなければならない。
でなければ、ヒズールク様は安心して巡りの輪に入ることができない。
「お約束致します。いつか必ず、私がナリク様の子を産みます。それまでの間、ほんの少しだけ……お休み下さい、ヒズールク様」
「ああ……ありがとう、フィアナさん……」
満足そうにそう告げて、ふう、と大きく息を吐き、ヒズールク様は目覚めぬ眠りについた。
その場にいた大人たちは、悲しみもそこそこに「貴族の会話」を始め、そして私とナリクは蚊帳の外となった。
まっすぐ帰る気にはなれず、ナリクの部屋でベッドに腰掛けた。使用人もみんな出払っていて、私たちは完全に二人きりだ。
とんでもない約束しちゃったな、と隣に座ったナリクが苦笑している。
「俺の子を産むだなんて言っちゃって、魔力が枯渇したらどうする気なの?」
「魔力がなくても、パンは焼けるもん」
「そりゃそうだけどさ」
「それに、ヒズールク様を安心させてあげたかった」
「そっか……そうだな」
ナリクは小さく息を吐き、ありがとう、と私の手を握った。
ゆっくりと魔力を繋いでいく。
今は悲しみの色が強いから、さっき貰った温かさを分けてあげたかった。
「ヒズールク様がついてるから、きっとナリクは幸せになれるね」
「……フィアナも、一緒だよ。俺たちは、一緒に幸せになるんだよ」
ぎゅっと抱きしめ合った時、なぜか、お日様のいい匂いがした。
(了)
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