俳諧の極意

 乱暴なまでにいきなり開かれたふすまから現れた人物をて、真吾は幽霊とでも遭遇したかのようにからだをくねらせた。熟視しなければ、総一朗と分からないほど、かれは全身から怒りを感情を放っている。

 この半年の間、つかず離れずで総一朗をみてきた真吾には、信じられない形相ぎょうそうをみて、これは一大事いちだいじだと気を引き締めた。

 脇差のつばを左の手のひらで触った真吾は、総一朗が雨太夫の前にどっかと座ったのをみた。


「おや、お部屋を間違われたのかな」


 悠然として言ったのは、長谷川雨太夫である。

 宗匠頭巾そうしょうずきんをかぶり、僧衣に似た羽織をはおり、つばのない小刀を前腹に扇子せんすを納める要領でさしている。

 ややしゃくれ気味のあごに白髭をたくわえているのは、それが俳諧師のはやりかどうかは総一朗にはどうでもいいことである。雨太夫の隣には、同じような衣装の男がいたが、かなり若い。

 それもいまの総一朗には絵空事えそらごとのようにおもえてきて、目礼もせず、視線も合わせず、ただ雨太夫に突き刺さすほどの眼光を注いでいた。

「おや、ご浪人さまとばかりおもうておりましたが、そうでもなさそうですな。なるほど、先ほどお伝えいただいた、田原氏たはらうじでございましょう」

「いかにも」

 短く総一朗は答えた。

 ことさら総一朗は横柄さを装おっているようにも真吾にはみえた。

神坂こうさかの方々はいかにも礼儀正しい方ばかりかと存じましたが、なかには、例外もある……というところでしょうかな」

「さよう」

 あくまでも総一朗の返答は短く、そうしてつっけんどんである。

「おやおや、なにかこちらに意趣いしゅあり、とお見受けいたしましたが、はて、初めてお顔をみたそちら様にはなんとも怨みをいだかれるような覚えはございませぬが……」

「いや、ある」

「は……なんと申された?」

「返していただきたい」

 と、総一朗は言った。

 あくまでも短く、ことさら横柄な口調である。

「なにを……? で、ございましょうかな?」

脇差わきざし一振ひとふり」

「はて、まったくなにを申されておるのか、とんと合点がいきませぬが」

「近江八幡!」

 突然、総一朗が地名を口に出すと、雨太夫のそばにいた若い俳諧師のからだが揺れた。

「そちらの配下らしき者らが、おれの脇差を持ったまま、逃げた」

「配下の者?……そのような言いがかりを……」

「ならば、尾張柳生おわりやぎゅうと言えばどうかな」

 総一朗はあくまでも強気でしていく。尾張柳生の名を耳にした真吾は、

「ひゃあ」

と、思わず口に出していた。

 と、いきなり若い俳諧師が立ち上がりざま、隠し持っていた大刀の一閃いっせんを総一朗の頭上からあびせた……。

「や」

 誰が叫んだ声であったろうか……。

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