第三話 滑稽嬉々怪々雨太夫

降り続く雨

 そもそも田原総一朗は雨は大の苦手である。

 降るか降らないかといった、曇るか曇らまいかといった、そういうれったさの狭間はざまにある光景を、総一朗は好んだ。

 ここ、神坂こうさか藩は、三塞さんさいの国といわれる。

 ・・・・三辺を険しい山々が襲い、一辺を琵琶湖へ注ぐ川によって閉ざされている。川の向こう岸は幕領ばくりょう(幕府所有地、天領ともいった)で、公儀直参じきさんの旗本らの所領が多い。徳川家康の晩年にけられた大橋はとうにちかけていて、補修が必要なのだが工事の予定はない。

 いま、総一朗は、その川を臨む舟宿ふなやどに居る。

 中老ちゅうろう永沼ながぬま太平衛たへえの命を受け、堂々と陣屋(藩庁)に逗留とうりゅうしていた公儀隠密を追ってきたのだ。

 ともは、いつものごとく永沼の甥、真吾しんごである。

 永沼は五名の中老ちゅうろうの一人である。大藩たいさんならば城代家老と呼ぶべきだろうが、あいにく神坂藩は三万六千石の弱小大名にすぎない。

 まさに問題はそこにある。

 ……そんな小藩に、なにゆえ公儀の隠密が暗躍するのか、その理由を永沼は知りたいとおもい、

『総一朗よ、おまえので、見事、相手の胸の内を聴き届けて参れ』

と、命じたのだ。

 実は忍びの正体……は分かっていた。

 陣屋に長逗留していた俳諧師・長谷川雨太夫あまだゆうなのである。

『会う前から、正体はわかっていた。隣藩の重臣がしらせてくれたからな』

と、永沼は総一朗に言ったはずである。

 つまりは、接待する藩側は、雨太夫の正体を知った上で、最初から最後まで貞門派俳諧師と遇し、おそらく雨太夫もまた、俳諧師を演じ続けていたのであったろう。


「……それがまことならば、なぜ、そのような面倒なことをなさるのか」

と、真吾は舟宿への道々、そのことだけを繰り返し総一朗にたずねた。

 けれど、総一朗は総一朗で、別なことを夢想していた。このまま川を下り、琵琶湖へ出て、そこから産まれ故郷の彦根なり、あるいは湖畔に散在する諸国を経巡へめぐり学び、見識を広めたいと願ってもいたのである。

「ん……? なにか?」

「田原様は……ときおり、ここにって、ここにはらず、といった不思議な表情をなさいます」

 いささか不満気に真吾は言う。

「ははは……そうか……こうして国境に近づくたびに、このまま旅に出たいといった誘惑にかられるのだよ」

「旅に……? そのときは、ぜひとも、このわたしをおともにお加えくださいませ……」

「おいおい、滅多なことを言うもんじゃないぞ。そんなことが、ご中老の御耳にでも達すれば、大騒動になる」

「いえ、出かけたまま戻らなければ、それでいいのです」

 

 大胆なことを口のにのぼせた真吾の顔を振り返った総一朗は、

「それほど領外へ出たければ、ご中老に頼み込んで、京なり江戸なり好きなところへ遊学させてもらえばいいではないか?」

と、茶々を入れた。

 とはいえ、このところ自分になついている真吾が、たった独りで藩の外へ出かける姿など総一朗には想像だにできない。だからそんな軽口が叩けるのだ。

「ま、それはそれとして、雨脚あまあしがさらに強くなりそうだ。舟宿の屋根がみえた、とにかく急ごう」

 総一朗が言うと、真吾は無言のままこっくりとうなづいた。

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