理 由
善右衛門の話の
藩財政回復への貢献によって特別に褒美を賜ることになったとき、善右衛門の父は謹んでご辞退申し上げる……と言ったそうである。
相手は、中老の座に就く直前の
近江国には、加賀前田家、尾張徳川家などの
善右衛門の父が、たとえ一代限りとはいえ、
そのとき、かれは、
『……屋敷ではなく、できれば、
と、永沼太兵衛に言った。
一人息子、善右衛門の嫁に……という
当時、菊絵はまだ五つ、六つの頃であったろうか。
屋敷の件はすでに藩公の裁可を
ところが……
「……おれが元服する前に、
意外にも
おそらくは菊絵……のことではあるまいか。善右衛門は無婚
なんとなれば、善右衛門は『武士の意地……』と言ったはずである。
かりに、永沼太兵衛の娘を
「……菊絵どのは……」
しんみりとした表情を隠そうともしないで、善右衛門はぼそりと言った。
「……いまの……菊御前だよ」
「や……!」
口に近づけた盃を落としそうになって、総一朗は慌てて膳台に置いた。
「……菊御前……! では、殿様の……?」
予想だにしなかったことを告げられた総一朗は、そんな
けれど、菊絵が藩公の側室の一人であることを、今初めて総一朗は知って、
(ひゃあ……)
と、唇を噛み締めた。どうやら善右衛門がこの屋敷に居座る理由の一端が浮かび上がってきたからである。
「
善右衛門がつぶやく。
「は……? いま、なんと申された?」
総一朗はそう
「……たった一言でよい……永沼中老から、
「やはり、そこでございましたか」
「ん……?」
「善さん……いや、
「ん……?」
「いま、あなたのご様子、菊御前さまの
ようやく本来の総一朗の
相手の微妙な表情の変化、口調のとまどい、語調の高低強弱から、真理を紐解いていく……。これが総一朗流の極意というものであった。
「早合点とな?」
思わず
「……はい。察するところ、小此木さまは、
「な、なんと……! そのほうは……占いもやるのか?」
「いや、さすがにそのようなことは……。ただ
「ふうむ……」
両の腕を組み視線をおのが膝元に移し、しばし首を
おもむろに総一朗の隣に座ると、それを広げた。
「……わしは……三度、菊絵どのに
「・・・・・・・・」
「……まだ、七つ、八つの菊絵どのは、いつもケラケラと笑うてござったわ。どちらかといえば、お転婆娘だったな。三度目のとき、菊絵どのが、わしの顔をじっと見つめ、それから筆でこれを書いてな、手渡してくれた」
総一朗は半紙に描かれた似顔絵をみた。
どこから見ても、へのへのもへじ……の文字にしか見えないのだが、善右衛門にとってはそこには描かれていない
「ならば……」
と、顔を善右衛門に向けた。
「わたしが中老を説き伏せてみせましょう」
「な、なに、説き伏せる?」
「菊御前が……殿様から
「は……?」
「もっとも、菊絵さまのご意思が先……でしょうけれど」
「お、お
「小此木さま、お忘れか? この田原総一朗、だてに〈米寿侍〉の異名を
ギロリとあやしげな光を
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