真剣勝負

 小此木おこのぎ善右衛門の構えをた総一朗は戸惑いを隠しきれないでいた。

 あろうことか両足ともつま先立ちになって、双方のかかとは浮いている……。

 善右衛門は剣を頭上に振りかざすのではなく、おのが体幹の一部であるかのごとく右肩と並行に天をくようにして刃をこちら側に見せている。おそらく、総一朗が動けば、迅速に走り込んでくるにちがいなかった。

 それだけに、総一朗も次の動作を相手に予測させない虚無の構えをとるしかない。


 ……総一朗は抜刀と同時に、つばに添えるようにして左手を上、右手を下にしてつかを握り変えた。そのまま柄頭つかがしらを右手のてのひらのなかに包み込むようにして、刀身を下げ、切っ先を地につけた。

 奥山一刀流に総一朗なりの工夫を加えあみだした、

 田原流 朝待あさま生手なまて麗美れびの構え

……である。

 朝の船出を見送る麗美人を、おのが生手なまてでつかまえ、待て待て……と名残りを惜しむ風情ふぜいに見立てている。

 それはまた、船をのごとく、土を掘り返す鉄槌てっついのごとく、はたまた自在に綿布を縫う針のごとく、対手あいてを、海、地面、あるいは布地として認識することで、おのれの殺気をも、幻の麗美人の姿のなかに埋没させてしまうのである。

 ところが……。

 総一朗のこの風変わりな構えをみた善右衛門は、ふいに浮かしていたかかとを地につけた。総一朗に向かって突進することを避けたのである……。


「や」


 息を吐きながらつぶやいたのは、総一朗のほうであった。

 こんどは善右衛門が構えを変えた。

 かかとを地に着けると腰をやや低めに落とし、総一朗の出方を見守る戦法に切り替えたようである。

 それはそれで、臨機応変の妙というもので、小此木善右衛門が面子めんつやその場の勢いにこだわらず、相手の動きを的確に見極め、体勢を一から立て直すことをいとわない、したたかさを兼ね備えていることを物語ってもいた。

むべなるかな」

 つぶやいたのは、総一朗である。

 構えを元に戻し、息を吐いたのち、刀をゆっくりと鞘に納めた。

「小此木様……わたしの負けです」

 あっさりと総一朗は退しりぞいた。

 すると、総一朗の動きに合わせ、

「ふぅほぉ」

と、善右衛門がつぶやいた。

 同じように鞘に納めると、じっと総一朗の顔を睨んだ。とはいえ眼光にはやわらいだ気配が漂っていた。


「……いや、これは、相討あいうちじゃな」

「は……?」

「いや、このまま仕合しあっておれば、こちらが、おぬし剣法に破れておったであろう」

「いえ……さようなことは……決して」

「なんという太刀技たちわざかの?」

朝待あさま生手なまて麗美れび……の……」

「は……?」

「いえ……なんでもありません」

「おぬし……立つのは口だけだと思うておったが、剣の腕も凄い。ひとは世評だけで判断してはならぬ……という教訓を得たぞ」


 言ったあとで善右衛門は突然破顔した。童子のようなあどけない笑いである。


「ふうむ……どうしてもここからねばならぬのか」

「あ……居座るのには、なにか深いご事情でも……?」

 

 率直に総一朗はたずねる。どうやら善右衛門は、屋敷を手放すことを惜しんでいるような人物ではないと総一朗は見てとった。


「武士の意地……とでも申さば、理解してもらえようか」


 善右衛門は真顔まがおになって総一朗に言った。それから一度真吾を振り返ると、顎をしゃくった。おそらく、酒膳の仕度したくでもせよ……との合図であったろう。慌ただしく奥へ消えた真吾の姿を目で認めてから、総一朗がき返した。


「……意地とは、また、重たい響きでありますな」

「ま、そのあたり、いまとなっては愚痴ぐちにすぎぬかも知れぬが、寿よ、聴いてくれるか」

「はい……わたしでよければ」


 素直に総一朗はうなづいた。善右衛門が口にした〈米寿さん〉という呼びかけに含まれている敬意を感じとったからである。


「ま、せっかく来たんだ、酒でもわしながら、どうだ」

「ええ、よろこんで……」


 意外な展開に総一朗はむしろ心躍る心持ちになりかけていた。久方ぶりに抜いた刀の手応えがこころの芯奥しんおうに灯り続けていたせいかもしれなかった……。

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