消されかけた人々

美作為朝

消されかけた人々

 午後11時52分にその電車は駅に到着する。

 この電車は終電である。

 同僚との飲み会での酔いはもう半分ぐらい冷めている。

 相良卓二さがらたくじは降車後、ダラダラと駅舎を出る。

 月は薄雲に隠れぼんやりにぶい光放っている。

 まるで相良自身そのものの様だ。

 日中は春の陽気を感じられるが、依然夜は十分寒い。

 ここから、家まで更にダラダラ歩くことになる。

 同じ方向に歩くメンツも方角もほぼ一緒。

 向かう方角は駅から徒歩10分以内のニュータウンという名の貧困集合住宅地域。

 メンツはガテン系の職人さんから、若さだけが売りの男子大学生。そしてロングヘアーが素敵なOLさん。

 最終走者は相良である。

 職人さんが通りを右に折れ、消える。

 気がついたら大学生も居ない。

 あくび一発。

 眠いし、疲れた。

 ハード・デイならぬハード・ウィーク。

 明日は休みだ。イェーイ。酔ふより楽しい。


『もう少し、飲めばよかった』

 

 あくびを二発。

 刹那、前を歩いていたロングヘアーの素敵なOLさんがだーっと走り出した。


 よくあることだ。


 理由があるのかもしれないが、概ね、相良から痴漢行為かをされると思ったのだろう。

 相良は別に学生時代からルックスで売っていたわけでもない。

 モテた記憶もなし。

 素敵なOLさんは小走りのまま小学校の塀の角をぐるっと曲がって消えていった。

 相良もだらだらあるきながら後を追う。

 別に性的な理由ではない。

 ただ帰る方向が同じだからだ。

 小学校の塀の角を曲がって驚いた。


『えっ』

 

 素敵なOLさんが居ない。

 左手に小学校のそれほど高くはないが塀。右手は郊外によくある畑。

 隠れる場所など一切ない。

 

『まぁ、酔ってるしな見間違えたんだろう』


 平和な法治国家の日本でなにがおきるというのだ。

 相良はフラフラほろ酔いで小学校の塀沿いを歩きながら帰宅し風呂に入り寝た。


 数日後、相良は同時刻、同じ駅を午後11時52分到着の終電で降りる。

 今日は飲んでないが、残業の量がハンパじゃなかった。

 あの課長は自分自身のためにも移動になるべきだ。

 駅に向かってまたもやダラダラ歩く。

 今日は週の真ん中いつもの駅からニュータウンまでび徒競走のメンバーは少ない。

 相良と定年間際のヨレヨレコートの初老のサラリーマンだけ。

 丁度小学校の角に初老のサラリーマンがさしかかったときにスマホに電話がかかってきた。

 スマホに出るときに画面の時計を見た。


 0:00。

 真夜中。

 

 スマホはワンコールで切れた。

 番号は非通知。


『けっ、なんだこりゃ?同僚か地元の友人のいたずらか』


 相良は自然と小学校の角を曲がっていた。

 初老のサラリーマンが消えていた。

 相良は思わず足が止まった。

 小学校の角を曲がると200メートル近くは小学校の塀が続く。

 歩いていた初老のサラリーマンが歩き切れる距離ではない。

 相良は恐怖に駆られ黙々と家路を急ぐ。


 数日後、同時刻に駅に到着する終電で相良が降りる。

 今日は、旧友が都会に出てきたので示し合わせて繁華街で飲んだ。

 酔っている。

 地球の時点をコペルニクスやガリレオより強く感じる。

 月が揺れている。水面の映る月を掬おうとした李白の気持ちが痛いほどわかる。


 ふらふら。

 ゆらゆら。

 会社なんか潰れちまえ。

 日本なんか沈没しちまえ。

 無能な総理大臣に死を有能な俺に生を。

 それより、給料を上げてくれ。


 しかし週の頭、月曜日だ。

 ニュータウンまでの徒歩メンバーは少ない。

 もうわかっている。

 午後11時52分に到着してニュータウン目指して歩くと小学校の角付近で真夜中になるのだ。

 今日の区間新記録を目指すトップを独走中なのはパーマをあてた小太りのおばさんだ。

 酔った頭で色々考えながらおばさんの後ろ姿だけを見つめながら歩く。

 おばさんが小学校の角に差し掛かった。

 相良の急に鼓動が早まった。

 酔っているとよくあることだ。

 おばさんが角を曲がる。ニュータウンはその先だ。

 

『消えているんだろ』


 消えてても良い。今日は酔っている。酒のせいすれば済む。

 相良はできるだけ、きっちりした足取りで小学校の角を曲がり先を見た。 

 おばさんは居た。

 街灯だけがぼーっとよ弱く円形に照らす中おばさんは小さなローヒールの靴で小股でちょこちょこと歩いていた。


『えーっ』


 とっさにスマホで時間を確認する。

 

 0:04。


 真夜中じゃなかった。


 更に数日後。今日は深夜割の映画を見て午後11時52分着の電車で帰宅する。

 わざと終電に乗るために、くだらない映画を見て時間を潰したのだ。

 酒はなし。

 逆に恐怖に打ち勝つため、事実を見極めるため、カフェインを体にぶち込んだ。

 ショート缶の缶コーヒーを二本飲んだ。

 カフェインを静脈注射したいぐらいだ。

 さらに、国内で禁止されている成分が入っていると噂されているエナジードリンクも三本飲んだ。

 先頭集団でICカードを使い改札を出る。

 予備校でこんな成績のときもあったような気がする。

 今なら地方レースあたりの競走馬にも勝てそうだ。

 超速歩き。

 区間新どころか、大会記録、五輪記録を目指す。

 スマホをポケットの近くに、いや駄目だ。

 左手に持ちかえる。

 

 23:57


 急ぎすぎても駄目なんじゃないか?。


 後続グループは一切気にならない。

 今まで消えた連中、若いOL、初老のサラリーマン、おばさん、で後ろを振り返ったやつは一人も居ない。

 これも人生という名のレースの鉄則だ。


 23:59


 あと60秒以内で小学校の角に達しないといけない。

 余裕だ。

 

 真夜中にあの角に。

 一日と一日の境目にあの角に。

 真夜中にあの角に。

 一日と一日の境目にあの角に。

 

 こんなに物事に真剣に取り組んだのは大学受験以来だ。


 小学校の角がどんどん迫ってくる。

 角にはカーブミラーがみょーんと伸び、こちらを伺っている。


 0:00


『どりゃああああああああああああああああああ』


 相良は真夜中の心の中で叫んだ。

 本当は怖かった。

 死ぬほど怖かった。

 真夜中一日と一日の裂け目に小学校の角に差し掛かった。

 ここも位置として裂け目だ。着た道と曲がった後行く道との。


 相良は後頭部に恐ろしく鈍い衝撃と痛みを感じた。


 ごぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。 


 棍棒のようなもので殴られた。


 ヒットされた。脳震盪だ。コンカッション。


 酔ってもないものに頭がクラクラする。

 フラフラする。

 相良はフラフラしながら、今まで見たことのない方角を見た。

 小学校の中だ。

 今まで角を曲がった先ばかり見ていたのだ。

 学校内は人の背丈ほどの塀の中には小さな校舎が二棟。

 手前に一棟、向こう側に一棟。

 どちらもぼーっと赤い。

 校舎の中は赤い。

 赤い血の色で染め上げられている。

 知っている。

 あれは非常灯の明かりで血ではない。

 小学校の塀の上から太い手が伸びてきた。

 違う。グラウンドをならすとんぼだ。

 緑色のとんぼで首根っこをひっかけられて釣り上げられた。

 相良の体は宙を浮き、小学校の塀の中に引き込まれようとしていた。


『嫌だ。酒も飲めない小学生には帰りたくない』


 校舎の下駄箱のところには初老のサラリーマンが普通では出来ない角度で中空を見上げ座り込んでいた。

 素敵なOLさんは辛うじて体育館の入り口に足だけ残して放り込まれていた。

 大量の血が体育館から構内の浅い溝に向かって巨大な現代アートのように流れ込んでいた。

 首にひっかかったとんぼがさらに相良を小学校内に引き込む。

 そして、やっと気づいた。

 校舎の中赤い光は非常灯ではなかった。

 どす黒い血だった。

 校舎の中には大量の痛めつけられた死体が散乱しているのが外から見えた。

 

 今は、春休みなんだ。

 

 どこかで誰かが相良に頭の中だけで告げた。 

 相良は、ありったけの力を出して暴れた。

 自分を釣り上げているとんぼから逃れるのが先立った。 

 

「こいつ、まだ元気だよ」

「うん、もう一回殴っとく」

「もう一回」


 暴れると意外に容易にとんぼの縛めから逃れられた。

 声は相良の下の方からしていた。

 下には、口の周りを真っ赤にした青い目をした子供が丁度ひとクラス分ぐらい居た。

 相良はとんぼから逃れると小学校内のその子供たちの上に落ちた。


「痛て」

 

 とか、なんだよ、とか声が複数上がった。

 

「ガキどもぉおおお」


 相良は一晩中かけてその子供たちと戦った。

 生死をかけた大一番となったが、エナジードリンクとショート缶二本分のカフェインが相良を助け勝たせた。

 相良は病院へ、子供たちは児童相談所へ、街はSNSも含めて世界中のメディアに送られた。

 あまりにも大事おおごとであったがために、すべてが明かされることはなかった。

 あまりにも大事おおごとであったがために、すべてを明かすことは無理だった。

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