上峰加奈子の歩く道中 その1

卯月白華

あめのあとのやみはじめ

 暗い部屋の中、不思議と時計がよく見える。

 確認すれば午前1時45分と正に真夜中。

 もうそろそろ草木も眠る丑三つ時だ。


 馴染みのお猫様を撫でているからか、上峰うえみね加奈子かなこは少しばかり落ち着けた。

 だからこそ、余裕がなくて今まで無視をせざるを得なかった、全身で感じる嫌な悪寒が気になって仕方がない。

 明かりをつけようとしたと同時に、部屋のドアが、破滅へと誘うように優しくノックされた。


「は、はい。起きています」


 条件反射で思わず答えてから、はたと気がつく。

 こんな時間に一体誰が……?

 間違いなくここは前世の自宅で、自分の部屋。

 だとしても――――


 彼女の思考がようやく働いた頃、何の躊躇も無くドアが開かれた。

 地獄が手招きをするように。


「良かった。カナ、起きてたんだな。皆応接間に集まってる。着替えてると間に合わないから、寝間着に何か羽織ってすぐ来てくれ」


 見覚えの無い、成人しているかどうかな青年が、懐中電灯と共に扉を開けながら告げて、あっという間に去って行く。

 もう手遅れだと、何処かで声が聞こえた気がしたけれど、彼女は暗闇でも何故か視界明瞭なことに首を傾げることにし、急遽思考を逃がす。


 深呼吸後、とりあえずカーディガンをはおりながら一階の応接間へと向かう。

 お猫様はいつの間にか、それこそいつも通りに姿を影に溶け込ませていた。


『ノイ、影の中! 任せる!』


 元気なお猫様の声には緊張感が微塵もないことから、危険は無いと判断してしまった彼女は、先程の青年へと注意を戻す。

 とても整った理知的な相貌に誰かの面影が重なった。

 背の高さからも何か既知感が。

 風貌と合わせて、自分の名前を"カナ"というカタカナ風の呼び方をするところからも、父方の親戚だろうかと当たりをつけたが、本気で誰なのかが彼女には分からない。

 あの名前の呼び方は間違いなく父方の誰かなのだが。


 加えて、何故か電気が点かない。

 だから先程の青年も懐中電灯を点けていたのだと納得しつつ、静まり返った廊下を急ぐ。

 灯り一つ無い真っ暗な廊下を歩いても、厚い絨毯のおかげか、スリッパの音を見事に吸収して物音一つしない。


 思考は混乱が加速中。

 こんな夜中に一体何事なのだろう。

 前世の記憶を探ってみても、彼女には皆目検討がつかない。

 有り体に言えば、こんな出来事は記憶に無かった。

 本当に無い。

 まるで無い。


 外が不気味なほどの静寂なことと、暗闇でも不思議と困らない視界にもやはり目を瞬きながら、兎に角皆がいるという応接間を目指し続ける。

 ……長く広い廊下に点々と飾られた、今にも動き出しそうな首から上の動物の剥製や、全身剥製から、出来得る限り目を背けながら。

 真夜中だからだろうか?

 暗い中で、どの剥製も息を殺して熱心に彼女を見つめている気がする。

 闇の中で更に影になり、余計暗くなっているところからは、得体の知れない何かが伺っている気配も。

 背筋を強ばらせながら、それでも可能な限り急いで彼女は歩く。

 ……意識的に無視しているが、いつの間にか息が白い。

 部屋を出てから、温度が急激に下がっているらしいと考えたくはないのに。


(とある映画を思い出して笑えない)


 そう独り言ちていると、両開きの扉前に到着。

 奈落への入り口に見えるのを無視し、意を決して開け、応接間へと足を踏み入れる。


 瞬時に懐中電灯がいくつか彼女を明々と照らすから、思わず目を細めた。


「お、カナか」

「カナちゃん、大丈夫だった?」

「義父さん、やっぱり一緒にカナと来た方が良かったんじゃ」

「すまん。他の部屋を見てもらうのは後で良かったな」

政司せいじ征司郎せいしろうも落ち着け。これで皆揃ったな」

「良かった。カナちゃん、何か飲むかい?」

「姉さん、遅い」

「だよね。お姉ちゃん遅い」

「カナ姉さんだ!」

「こっち、こっち!」

「カナお姉ちゃんはこっちだよ!」

「違うもん。こっちだから!」

「それじゃ、テレビ点けるか」

「さっきは何も映らなかったわよね」

「Jアラートでは午前2時って書いてあったな」

「そうそう。だからその時間にならないと映らないんじゃないかしら」


 軽く見積もっても両手以上の様々な声が、高い天井で広い部屋なのも相まってこれでもかと響き渡る。

 幸いなことに大きな暖炉からの炎で、部屋は人の顔をどうにか判別が出来る明るさだった。

 各々が沢山ある革張りの広く大きなソファに座っていたり、立ち上がろうとしているのが目に入る。

 天井から吊られたシックなシャンデリアはやはり沈黙しているらしい。

 けれど、所狭しと飾られた剥製達は、しじまの中でやはり彼女に視線を集めているようだった。


 懐かしい顔触れのいつも通りに笑顔を浮かべながら、いそいそと暖炉近くの一人用の大きなソファへと腰掛ける。

 暖炉のおかげなのか、それとも大切な人が沢山居るからか、部屋は暖かくて息苦しいながらもほっとした。

 ……母の顔が見えないことにも。


「カナ、ミルクティー。甘いぞ」


 カップを手渡してくれたのは、彼女を呼びに来た青年。

 恐る恐る受け取り、様子を伺う。

 彼女の父方は基本的にコーヒー派。

 紅茶党は曽祖母と祖母、叔母と彼女だけ。

 一族が100人規模で集まっても、本当に少数派閥。

 その中でも彼女が甘いミルクティーを愛飲するのを知っているのだから、やはり父方の誰かだと確信を深めるが、分からないものは分からない。


「義母さんは自室に居るって言ってたよ」


 彼女にカップを手渡した後も、傍らで感情の読み難い不可思議な眼差しで見つめながら、件の青年が親しげに告げる。


「え!? はい」


 反射的に答えてから、身体が硬直した。

 皆が一斉に話し出した時の言葉が、脳裏をぐるぐると凄い勢いで駆け巡る。


(お祖父ちゃんは、なんて言ってた? 政司のあと、征司郎。そう言って……)


 心は放置し震える身体だけでも温めたくて、カタカタとなりながらもカップに口をつけた。

 このままでは自分という存在を赦せず、彼女は消してしまいそうだったから、ミルクティーに救いを求めたのだ。


「カナ、大丈夫か? 寒かったかな」


 心配そうに彼女の顔を覗き込む青年に、息がますます止まる。

 ミルクティーの心を解す甘さも匂いも、瞬時に立ち消えた。


 ……"政司"というのは、上峰加奈子にとっては実の父親の名前だ。

 父の名前を呼んだのは祖父。

 部屋に入って一番初めに"カナ"と呼んだのは曾祖父。

 ――――"征司郎"は、兄の名。


 上峰加奈子の、記憶も朧な幼い頃に死んだ義理の兄。

 彼女の、おそらくは一番最初の

 それが"征司郎"という存在だった。


 薄暗闇に包まれる中、暖炉の炎の陰影が凶々しさを濃縮し、彼を鮮やかなまでに彩っている。

 瞳が、赤く染まって見えたのは、幻想だ。

 真夜中の、丑三つ時の幻。

 そうに違いない。

 剥製達が、そろって愉しげにうっそり嗤った気がするのも、気のせいだから。


 彼女の逃げの一手を助けるように、今までの沈黙を破って、テレビが煌々と光を映し出した。

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