午前2時の電話

平 遊

午前2時の電話

したたかに酔った挙げ句、酔いに任せて日頃の鬱憤を吐き散らした俺は、盛大な平手打ちと共に彼女から別れを告げられた。

まぁ、潮時だったのだろうとは思う。

長すぎた春、ってやつなのか。

鬱憤が溜まっていたのは、あちらさんも同じようだったから。

盛大なる平手打ちを食らった俺は、よろけた拍子に尻餅をついてしまったのだが、そのせいだろう。

ケツポケットに入れていたスマホに俺の全体重が掛かってしまったらしく、取り出したスマホはバッキリ折れていた。

今の時代、スマホが無いと何かと不便だ。

俺は翌日を待ち、早々に新たなスマホを手に入れた。

ついでに、電話番号も変えることにした。

彼女との繋がりを、何もかも断ち切るために。


Rrrrr…


まだ親にしか教えてないはずの俺の新スマホが鳴り響いたのは、午前2時。


誰だよ…俺の安眠妨害しやがって…


スマホ画面を確認するも、登録済みの親からの電話では無い。

友人知人の番号など覚えているはずもないが、俺の周りにはこんな夜更けに電話をかけてくるような奴はいないはず。

おまけに、今の俺の番号を知っている奴は、まだひとりもいないのだ。

間違い電話に違いないとしばらく放置していると一旦鳴り止んだが、新スマホはまたすぐに鳴りわめき始める。

こうなったら我慢比べだと暫く我慢してみたものの、一向に鳴り止む気配の無い着信音にどうにも我慢できず。


「あーもぅっ!」


とうとう俺は新スマホを掴んで応答をタップした。


「誰だか知らんが今いったい何時だと」

“タカノリ?”


聞こえてきたのは、か細い女の声。

俺ではない他の男の名前を呼んでいる。


「あー、俺タカノリじゃないっす。じゃ」


これでもう鳴り止むだろうとスマホを枕元に置いたとたん。

予想に反して秒でまた鳴り始める。


「だからっ、俺はタカノリじゃ」

“どうして?”

「はっ?」

“どうして私を捨てたの…”


女は泣き声で俺に訴えかけてくる。

いや、俺ではなく、タカノリって奴に。

少し可哀想だとは思ったものの、それでも俺は自分の睡眠時間を確保すべく


「知らねーけど、そーゆーとこじゃね?午前2時の電話とかさ。頼むからもう勘弁してくれ」


その後やっと、俺は安眠を貪ることができたのだった。


だが、翌日。

再び午前2時の電話に、俺の睡眠は妨害された。


“タカノリ?”

「だから、俺はタカノリじゃ」

“どうしたら戻ってきてくれるの?”


やはり女は泣き声で俺に訴えかけてくる。

いや、俺ではなく、タカノリって奴に。


“私、何でもするから、だから…”


眠たい頭に、女の言葉がグルグル回る。

別に俺に言われている訳でも無いのに、女の言葉はヤケに胸に刺さった。


「やめなよ、そーゆーの。何でもするとか、重いだけだし」


スマホの向こうからは、泣きじゃくる女の声。


「それからさ、俺タカノリじゃねーから」


通話を切り、俺は再び眠りにつく。

いったい誰が、こんな毎日が3か月も続くと思うだろうか。

最初こそいい加減にしてくれと思っていたものの、ひと月もすると、人ってのは異常事態にも慣れてしまうものらしい。

午前2時の電話は、いつのまにか俺にとっての日常になっていて。


.“ねぇタカノリ、聞いて。今日はすごくいいことがあったの”

「聞いてもいいけど、俺タカノリじゃねぇから」


女とは、こんな他愛のない会話もするようになっていた。


どんな奴なんだろう?


俺がそんな風に思い始めたのは、ごく自然な事だったんじゃないかと思う。

午前2時っていう時間には正直参るものの、女と話すこと自体は嫌ではない。

嫌どころか、いつの間にか楽しみにすらなっている。


どうかしてるな、俺。


本気でそう思ったのは、午前2時の電話が鳴らなかった日のことだ。

午前2時を過ぎても鳴らないスマホと、俺は小1時間ほど向き合っていた。

結局その日は、


そんな日も、たまにはあるだろ。


と自分を納得させて眠りについたものの。

翌日も。

そのまた翌日も鳴らないスマホに、次第に不安が募り始める。

結局俺は、午前2時の電話が鳴らなくなってから4日後、我慢できずに女に電話をかけていた。


“…はい”


数コールの後、電話に出た女の声はひどく掠れていた。


「風邪か?」

“…うん”

「そうか。だいぶ酷いのか?」

“…うん”


ゴホゴホと、咳こむような音。


“心配、してくれたの?”

「ん?おぅ、まぁな」

“ありがと、タカノリ”


その、女の言葉。

正確には、イントネーション。


「待ってろ。今行く」


通話を切り、俺は急いで家を出た。

元カノの家に向かって。



なんの事はない。

午前2時の女の正体は、元カノだったのだ。

ヨリを戻した今では、俺の妻だけど。

妻の『ありがと』には特徴的なイントネーションがあって、『と』だけが他の音よりもかなり強調されている。

妻の他にそんな『ありがと』を言う女を、俺は知らない。だから分かったのだ。

しかし、いったいなんでこんなことをしたのかと問うと、妻曰く


『最初はちょっとした嫌がらせだったの。ほんと、ムカついたから。午前2時の電話なんて、ちょっと怖いでしょ。しかも、訳わからない女からの電話なんて。でも、なんかちゃんと答えてくれるし聞いてくれるから、やめられなくなっちゃって…』


とのこと。

ちなみに、【タカノリ】とは、俺も良く聴いている、妻の好きな某有名アーティストの名前だ。

変えたばかりの電話番号を妻にバラしたのは、もちろん俺の親。

ケンカをしたら番号を変えられて連絡が取れない、謝りたいから教えてほしいと、妻が俺の親に泣きついたらしい。

付き合いが長かった妻は、俺の知らない内にいつの間にか、俺の親とも連絡を取り合う仲になっていた。


してやられた感は否めないが。

ご丁寧に声色を変えて、時には迫真の泣き真似までして、毎日午前2時に俺に電話をかけ続けてきた妻には、俺は一生敵わないんじゃないかと思ってる。

既に、お互いに溜まっていた鬱憤も晴らし合った仲だし。


俺たちもう、この先別れることなんて無いんだろうな、きっと。


隣で【タカノリ】のライブ映像を観てノリノリで歌っている妻を見ながら、俺はそんなことを思った。


でもまたケンカをしたら。

…午前2時に電話がかかってきたりして。


【終】

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