明るい世界で手を引いて

イルカ尾

明るい世界で手を引いて

 最近の病院のあわただしさに紛れて私は病室を一人で抜け出した。

 しかしほんの少しするとすぐ後ろから看護師さんがとんでくる。そして私をひょいっと持ち上げられたかと思うとすぐに自分の病室に戻される。そして病室の椅子に座らせられていつもの説教が始まってしまう。


「一人で病室を出るのはやめてくださいって何度も言ったじゃないですか!これで今日四回ですよ!」

「四回目なら昨日と比べて少ないからまだいいでしょう?」

「昨日は昨日!それにまだ朝の十時なんですよ!ほんの十分前にもいいましたよね!?」


 看護師さんの怒りが私をぎゅっと締め付けてくる。

 ヤバいやり過ぎた。


「誰かとなら外に出てもいいと言っているでしょう?その病気は特殊なんです。いつ何が起こるかわからないし、それに……」


 看護師さんは一瞬言葉に詰まったように続けて言った。


「咲希さん、あなたは目が見えてないんですから」



 看護師さんの言うように私は目が見えていない。それも生まれつきの病気によって。この病気が見つかったのは十五年前。私が世界で最初の罹患者だった。いまだに原因も治療法も分っていない。私が罹ってから同じ病気が世界を探しても一人もいないらしい。いや、いなかったと言ったほうが正しい。ほんの一週間前に見つかった。私が病室を抜け出したのはその人に会いに行くため、それが理由。だって友達と会いに行くだけなのに、親がついてくるなんて嫌でしょ。それとおんなじなのに最近は特に厳しく注意してくるから——


「咲希さん!聞いているの!?」


 ふいに名前を呼ばれてビクッとなる。まずいまだ説教が続いていたんだった。


「はっ、はい!聞いてます聞いてます!」


 看護師さんはあきらめたようにもうっと一呼吸おいてから話を切り替えた。


「とりあえずっ、勝手に一人では出ないでくださいよ。コールしてくれれば私が来ますから一緒に外に出てくださいよ。もしまた一人で出たりしたら外出禁止にしますからね!」


 さすがにそれは困る。私は首を大きく縦に振って反省の意を示した。


「それで、今日も昨日と同じところですか?」

「そうですよ、お願いします」


 分かりましたと看護師さんは私の左手を握り右肩に手をまわして私を抱きかかえるようにして歩き出した。



 昨日のところ。私と同じ病気であるもう一人がいる病室。私の病室とは一つ階が上で階段かエレベーターを使わないといけない。しかもその両方が私の病室とは離れたところにあるから結局誰かに助けてもらわないといけない。頑張れば一人でも行けるけど看護師さんは許してくれない。



「蕾さんとは仲良くなれましたか?」「いえ、まだ分かりません」


 蕾。それは彼女の名前。彼女の口からは聞けなかった。一週間前、彼女のことを知って、もしかしたら仲良くなれるかもしれないと思ったけど現実はそううまくはいかなかった。私と違って生まれつきではなくある時突然症状が現れたらしい。


 最初の二、三日は話なんてできなかった。錯乱して。暴れて。先生や看護師さんに押さえつけられていたらしい。それから少し落ち着いてお話しができるようになったと聞いて行ってみたけど次は私が耐え切れなかった。


彼女の中のどす黒く、今まで経験したことのないような絶望や恐怖に。


 話ができたのは二日前。一週間前と比べてだいぶ暗さが薄くなった感じ。それでもまだ残っている心を抉るような深い絶望に我慢しながら私は彼女に話しかけることができ、そして今日もまた彼女の病室を訪ねる。


 彼女の病室につくと少しドア付近で待たされた。中にいた彼女の担当の看護師と話をしているらしい。その後二人一緒に出てきて私に言った。


「あなたといるほうが彼女も落ち着くみたいだから、私たちは入り口にいますね。何かあったら言ってください」


 ありがとうございますとだけ言って私はすぐに彼女の病室に入り、扉を閉めた。


 彼女がいるのはベッドの上。彼女のいる位置は目が見えなくても何となくわかる。部屋に立ち込めた煙のような重苦しさを感じる。その発生源に彼女はいる。


「……今日も来たんだ」

「おはようございます。今日は訓練していたんですか?蕾さん」

「ああ、少しずつだけど現実にも目を向けようと思ったから。まだ慣れないよ。……立ったままじゃ大変でしょ。座って」


 そういうと私の後ろで何かを引きずる音が響く。この感じは椅子だ。それは私の横を通りかけて一度止まり私がそれにつかまるとまた動き出し彼女のベットの横で彼女に対して向かい合う形になった。そこに私は座った。


「椅子も動かせるようになったんですね」

「まだ不思議な感覚で慣れないし疲れる。ほんとに不便だよ」

「だけどきっとそれは手のように動かせるようになるはずですよ」

「そうだといいけどね」


 彼女は私を座らせるために椅子を運んだ。自分はベッドから一歩も動かず。入り口近くに置いてあった大きめの椅子を自分のベッドの横まで。



 私がそれを知った唖然とした。彼女は私と同じ病気だと聞いていたから。彼女も目が見えないものだと思っていた。


 でもそれは違った。思いもしない方向に。最初彼女と初めて言葉を交わしたとき彼女はこう言った。


「私と……同じ色?」


 彼女は私の姿をしっかりと見ていた。この病気の共通点。それは髪が白くなること。それも真っ白に。私と彼女の共通点はそれだけだった。彼女は病気によって視力を失ったのではなかった。彼女には腕を失くした、無くなった。それも両腕。ある時突然肩から先が溶けたように無くなったらしい。


 私たちは人に欠かせない要素を、機能を病気によって失った。


 でもそれだけではなかった。この病気が特殊である一番の理由。病気と括るのもおかしく聞こえるオカルトのような謎の現象。失った機能を補うかのように、科学的に説明できない超能力のようなものに目覚める。


 何が原因でなぜ超能力を得たのか、彼女は腕の代わりに念動力を。私は視力の代わりに他人の感情を感じ取る力を得た。怒りや感動は熱く、悲しみや絶望は冷たくのしかかるように私は感じれる。


 小さい頃は相手の感情に影響を受けすぎて自分の感情が分からなくなるほどだった。どんな人でも心に負の感情を抱くし、私の前では隠すことはできない。だからこそ、どんな人も私の前では本心でいてくれていると割り切って慣れるしかなかった。


 彼女も同じだ。彼女の念動力は失った腕を補うかのように目覚めた。自分から離れたところにも手が届き、普通は女の人が一人で持ち上げられないような重いものでも念動力によって持ち上げることができる。だがそれはかなり調整が難しいらしい。そのため今も彼女はここでボールを使って力加減の訓練をしている。


「二十一にもなってボール遊びなんかでこんなに苦労するなんて思いもしなかった」


 蕾さんは言った。念動力を使うのはかなり神経を使うらしい。宙に浮いていたボールが落ちる音がした。


「少し休憩にしますか?お水とかいらないですか?」


「……そうだな。ふう、ほんと疲れるなあ。私の看護師さん、呼んでくれる?」


 一番近くにいた私を頼ってくれなかった。当たり前か。私は病室の外にいた看護師さんを呼んだ。



「ある程度慣れてきたら字を書く練習をしませんか?」


 看護師さんはコップの水を彼女に飲ませた後そう言った。病室の空気が急に重くなったのを感じた。


「……もう必要ない。私は普通には書けないんだから」


 昨日看護師さんから聞いた話だと彼女は家族と離れて暮らしていて家族に手紙を送るのが趣味だったらしく病気の症状が出た日もポストに手紙を投函しようとしていたらしい。私は手紙にも字にも縁もゆかりもなかったからその時はあまり気にしていなかったけど、看護師さんが話に出した瞬間彼女は明らかに落ち込んだ。彼女にとってどれだけのものだったのか、それこそ人生の一部のようなものだったのだろう。


「こんなになってまだ書けるとでも?超能力だかでペンを持つことができても前みたいに自由にはかけないんだよ!ならもう私は、書かない。」


 さらに部屋の空気が重くなった。


 看護師さんはごめんなさいと言って、部屋を出て行った。私には分かる。まだ彼女はあきらめきれていない。彼女の心は違った。もうできないと暗い感情の中に小さなそれでも熱い想いをかすかに感じる。少しでもまだ書きたいと思っているなら自分に、嘘をついてほしくない。


「それでほんとにいいんですか」

「えっ」

「手紙は思いを伝えることのできるもの。でしたよね」

「……そうだよ。それがなに?」

「私も手伝わせてください」

「はあ?……私はもうあきらめたの。もう……書けないんだから」

「蕾さんは噓をついてます。自分の心に。心の奥底にある手紙に対する熱い想いは本物のはずです」

「……」

「私に嘘はつけませんよ」


 今まで暗く重かった部屋の空気が揺らぎだした。


「あなたにはわからないでしょ!私にとって手紙がどれだけ大切だったか。それにあなたは関係のない赤の他人。なんでそこまで踏み込んでくるの!?」

「赤の他人が助けちゃいけない理由なんてどこにもないですよ」

「でも、だからって、なんでそこまで……」

「あなたは私にとって掛け替えのない、世界でたった一人しかいない唯一同じ病気の友達です。友達なら頼ってくれますよね」

「……っ」

「こうゆうとき目を背けてはいけない、と言うんですよね。私には背ける目が見えないので分かりませんが。」


 彼女のすすり泣く音が聞こえる。


「一つ方法がなくなったくらいでそれそのものができなくなったわけじゃないんです。あなたには探すことができるじゃないですか。どうしても手が足りないと言うなら、私のを使ってください」


 部屋の空気が揺れているようだ。これは怒りでも絶望でもない。分かる、これはそんな暗い感情からから抜け出すときに人が抱くものだ。


「……そんな告白みたいなことを言って」

 蕾さんはすすり泣く声を抑えながら言った。……え?告白?

「私よりもずっと病気に苦しんできた子に、それも年下にそれだけ励まされちゃ、大人げないな」

 蕾さんは大きく深呼吸をして言った。

「わかった、もう悩まない。私は手紙を書きたい。手伝って貰ってでも。手伝ってくれるんだよね、咲希」

 うんうんと私は大きく頷いた。


 私たちは約束した。今日は少し疲れたし訓練の時間は終わっていたから、また明日。明日から手紙を書く練習をしようと。その日は自分の病室に戻った。


 次の日、目が覚めるといつものあわただしさに一層拍車のかかったようにバタバタしていた。なぜか嫌な予感がした。でもそれは違うと自分に言い聞かせながら看護師さんを呼んだ。すぐに飛んできた看護師さんは焦りと不安がひしひしと伝わってくる。そして看護師さんは落ち着いて聞いてくださいと続けた。


「蕾さんの体調が悪化しました。」


 予感が当たってしまった。なんで。どうして。昨日今日で急すぎるよ。すぐに私は病室に向かった。蕾さんは苦しそうにしている。私でもこんな症状になったことがない。


 診療をしていた先生と病気を研究している先生が同じ病室にいた。そして蕾さんは大変危険な状態であると聞かされた。そしてもう一つ、二人目の罹患者が現れたことで、病気の研究が進み、理論上は治療できることが分かったらしい。だがその治療薬の完成は最低でも八年後になるため蕾さんにはこれ以上悪化する前にコールドスリープをしてもらうことを蕾さんに提案したが咲希さんは、


「そんなことしなくても私は大丈夫だから」


 蕾さんは息も途切れ途切れに、しかし自分の意志でそう答えたらしい。


「それに」「また咲希を一人にしてしまう」


 蕾さんは私の事を気遣ってくれた。正直うれしかった。それでも死んでしまったら、そっちのほうが辛いに決まってる。


「蕾さん。」

「……ごほっ。なに、咲希」

「私はあなたに生きてほしい。この病気は治せるんですよ。なら一緒に治しましょうよ」

「で、でもそれじゃあまた……」

「私は一度手にしたものは決して離さないんですよ。それがましてや世界でたった一つのものなら、余計に離せませんよ。蕾さんは違ったんですか?」

「……いや、私だって離さない。腕が、手がなくたって噛みついてでも離さないよ」

「私はいつまでも待つつもりです」

「咲希には敵わないな。それなら目が覚めたら死ぬまで付き合ってもらうよ」

「望むところです」


 その後カプセルに入り蕾さんはゆっくりと眠った。

 その時彼女にはそれまでのどす黒い雰囲気はなくなり、代わりに暖かな心地よさを感じた。



 ——夢を見ている。二人の女の子が手をつないでお花畑を歩いているようだ。とても明るく心地の良いお日様の光が二人を照らしている。


 すると突然ぼふっ、とお腹に衝撃が走る。食べすぎとかのお腹の痛みではなく何かが上に乗ってきたような。


「……きて……う………だよ」

「さ……おき……て」

「咲希、もう朝だよ」


 眠い目をこすりながら体を起こすそしてお腹に乗っているものを見る。


「咲希、おはよう」

「……おはようございます、蕾さん」


 コールドスリープから六年と一か月。治療薬の研究は急ピッチで進められ予定よりも二年早い六年で完成した。そこから一か月経過観察を受け今日無事に退院することになり。蕾さんは朝から一人で私の病室に来るくらい元気になった。精神的にももう大丈夫らしい。しかし、溶けたように失った腕はもとには戻らなかった。


 私はというと完全に目が見えるようになった。朝起きた時、目が見えるようになった瞬間の感動は絶対に忘れない。そして蕾さんの衝撃も。あの人すごく凛々しくてかっこいい女性で、イメージとだいぶ違うから最初は全然わかんなくて……


 とまあこんな感じで再発もなく完治となり、めでたく退院となった。

 入り口にはほとんどの先生や看護師さんが見送りに来ていた。顔を見ただけで涙が出た。そして見送りが済むと私たちは二人で病院を後にした。


「大丈夫ですか蕾さん。重くないですか。半分持ちますよ」

「いいよいいよ、私のこれならいくらでも物持てるしさ」


 病気の特殊部分。白髪と超能力は結局二人とも残ったままだった。


「それにしても、もう六年も経ったのか。私にとっては一瞬だったけど咲希は大変だったろ?」


 六年は長かった。本当に長かったがその間に文字を勉強できたので良かったと思う。


「六年は長いよなあ。だってあんな小さい子がまさかの同級生になるだなんて」


 蕾さんは快闊に笑ういながら言う。

 そう、コールドスリープによって私と蕾さんは同じ年齢になっている。


「それにしても、何年も病院生活だったとはいえ全快祝いでコテージを用意するなんて、あの病院は太っ腹だなあ」

「私たちの治療と研究が認められて国が私たちのことを補助してくれたって聞きました。それもあるんでしょうね」


 そうだったのかと蕾さんは言った。


「しばらくは二人で生活できるって聞いたんで、約束のあれやりましょうね」

「そんじゃあ、ついたらさっそくやろう。六年分のたまったものを全部手紙にぶち込むぐらいの気持ちでさ」

「ぶち込むって……とゆうか誰に向けて書くんです?」

「あー。そうだなあ。……てか、もう敬語じゃなくて良くない?もう同じ歳なんだしさ、呼び捨てでいいから」


 そうか同じ歳で敬語って距離あるみたいだからね。


「じゃあ……蕾」「なあに、咲希」


 なんか恥ずかしい。


「……あっ、見えてきたよコテージ」

「おお、結構新しめのやつなんだな。はやく行こ!」

 蕾は私の手を掴みコテージに向かって走り出した。急に子どもっぽくなってほんとにどっちが年上だったか分かんなくなっちゃうな。


 世界はとても明るい。これは太陽だけじゃなくて今、私の目の前にいる彼女の心が照らしてくれているからかもしれない。

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