第14話 棄教

 後始末にはしばらくかかった。

 行方不明だった河本姫子が救出され、犯人が有楽を名乗っていた教祖を中心とした『神塔の会』だと報道されることになった。中心人物となっていた村の住人たちはそれぞれ長い裁判の後に刑を定められることになるだろう。今となっては自分でもなにをしていたのかろくに思い出せないだろうが。公安警察の案件になったため、報道も控えめになる模様で、それは有り難かった。詳細を掘られたら信じられないことが世に出る。

 雪村と彼を主役にした配信は評判となった。だがアーカイブを見返してもなにも映っていないと誰もが口にしていた。配信時に霊を見た者たちももう見えないとのことだ。さらには記憶の改変までも起こっていたらしい。配信で霊や巨人を見た際の印象を誰も覚えていないのだ。結果として、俺と雪村が『神塔の会』の犯罪を察知し、突撃取材でこれを潰したということになっていた。わけのわからないことを言っているシーンが多いが、雪村も霊能力によって洗脳され、それを乱入した俺が救ったという印象になっているようだった。雪村の人気は上がり、長田とのコンビは名物になった。しばらくはこれで稼げると社長の晴海ちゃんもご満悦だった。

 それでも謎は残った。

 もちろんまずは夢海のことだ。捨て台詞を残した夢海の映像は視聴者には見えていなかったようで、『神塔の会』にはさらに黒幕がいるという噂になっていた。それ自体間違っていないので、訂正の必要はないだろう。だが、政府と共産主義者を恨んで日本崩壊を願う怪人が存在するといっても信じてはもらえないだろう。

 そして、夢海がなにも公開しなかったことで、ヤルダバオートが顕現していた間のことは推測するしかなくなった。おそらくは夢海はS村で本当に魔術に目覚め、村人たちをヤルダバオートに捧げて東北で逃げ延び、視界を捧げるという手法が完成するまで潜伏していたのだ。河本姉弟以前にも何人かが狂ったものとして放棄されたのだろう。あのように呼び寄せられて。

「霊が見える条件はわからないけど、相性なんじゃない?」

 こともなげに水野先生が言っていた。お礼と夢海の残した写本の翻訳を届けてから二回ほど会ったのだ。『神塔の会』についてまともな人間からの論評も必要だった。

「ただ、気になることはあるわね」

 水野先生は写本を読んで、その内容に触れた。

「ヤルダバオートが世界創造の第一の神であるかどうかには異論あるんだけど、この写本だと一段落ちている可能性があるの。神よりは大天使に近いっていうか」

 そういえば最後に巨人は天使に見えた。俺はもちろんそれを水野先生には伏せておいた。

「でも、この写本から伺える教義は天使の属性を決定していないのね。天使とも悪魔ともつかない風に見てる。裏返る可能性があるってことね。面白い考え方かも」

 確かに面白い。だがそれは伊月と水野先生で話し合えばいいことだ。

 そういえば伊月はやはり水野先生の前には出ていかなかった。顔くらい出すべきだと言ったのだが、「いずれ」と答えたのみだ。


               □ □ □ □ □


 伊月との落ち着いた時間は事件からしばらくして作ることができた。伊月が結局俺だけを現場に送る羽目になったことを詫びて、高い食事をおごってもらえることになったのだ。

 伊月は炭酸水を飲み、俺はシャンパンを傾けている。ホテルの上階のレストランだが色気のないことおびただしい。

「そういえば、君、少し変わったか?」

 伊月が赤身肉にナイフを入れながら言いにくそうにそう口にした。

「変わった?」

 俺は首をひねった。自覚はない。まして伊月が言いにくそうにするなど珍しい。彼が触れにくいほどの変化?

「どこか変わったかな? 後始末は忙しかったが、別にどうってことないしな」

 視線を伊月に返した。

 伊月はしばらく考え込むようにしたが、意を決したように言った。

「僕が言えた義理じゃないが、君はもっと狂信者だった。今は落ち着いている」

「おい、悪口じゃねぇか」

 軽く笑ったが、伊月は真面目な顔をしていた。

「ん? なんだよ、おかしいぜ」

 狂信的。俺はもちろん陽鞠を信じている。もちろん伊月も。

 陽鞠の声、その笑顔……。

 思い出せない。

「あ……あ……」

 理解してしまった。

 陽鞠の記憶はある。彼女が言ったことも空に消えたことも知っている。

 知っているだけだ。

 歴史上の人物の伝記を知っているように。

 まるで小説の登場人物を知っているように。

 いや、それほどの感情移入もない。

 ただ白っ茶けた薄っすらとした記憶が断片ですら無い残滓として残っているだけだ。

「僕はそれが嫌だった。だが、君の選択だ。それでいい。これからも君は君だ」

「いや、いいのかよ、それで」

 俺は立ち上がり、怒ろうとした。

 なにに?

 怒るだけの理由がない。ガキの頃の初恋の相手が死んでいて、その記憶が薄れたからなんだっていうんだ? そう心がはっきりと答えを出している。

 だが俺はなにかを失った。

 失った?

 なにを?

「水野先輩とは電話した。それで理解したんだよ。ヤルダバオートは天使として無垢だったが、その無垢を失った」

 伊月が寂しそうに言った。

「天使が堕ちた」

 俺はそうはっきりと意識した。

 肩に皮膚が引っ釣れるような痛みがあった。シャツのボタンを上だけ外して肩を出した。

 シャンパングラスに肩の皮膚が写っている。

 獣のような爪痕がある。

 悪魔との契約の印。

「僕は君と歩くよ。信じるものが違っても」

 寂しそうに伊月は言った。炭酸水のグラスを掲げている。

 俺は震える手でシャンパンのグラスをそれに合わせた。

 軽やかだが乾いた音がした。

「後悔はしていない。いや、違うな。どうして後悔したいと思うんだろう?」

 伊月から答えはなかった。

 神も悪魔も近くにいるのに沈黙していた。

 俺は信仰を失った。

 陽鞠への愛を失った。

 なにか答えてくれ。

 すべてに答えてくれ。

 愛していない者にも愛をくれ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

邪宗狩り 水城正太郎/金澤慎太郎 @S_Mizuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ