第9話 黙示
留置所で目覚めたが、罪は犯していないので堂々と自前の道具で洗面と歯磨きを行う。それから俺にやるべきことはほとんどなかった。待っているうち、連絡先と取材先に警察から電話が行き、身元確認とA県への来訪理由が確認され、俺は完全に無罪放免となった。
「特高警察のネタか。警官が言うと信用されないだろうけど、それを取材するのはやめたほうがいいよ」
俺をゴリゴリの政治運動家ではないと知った警官が忠告してくれた。なんでも地元で密告したのされたのという人間関係が今も尾を引いており、厄介なことになるらしい。その危険さと俺が直面している危険とは違うが、お人好しの警官によるせっかくの忠告なので「やめときます」と答えておいた。
轢いた男は無罪というわけにいかなかったが、どうやら高橋とは縁もゆかりもないらしい。
「宗教団体とかそういうのに関わってなかったですかね?」
警官に聞いてみる。
「調べるのはこれからだよ。まだわかんないねぇ」
親切にそう答えてくれた。後で調べればわかることだろう。
昨晩の決意通り飛行機で東京に戻る。
事務所に戻ってみると、やるべきことは山と積まれていた。
雪村はタイムリミットが近づき、いよいよ身近に三角帽子が迫ってきたとレポートしてきていた。電話して返信が数日開いたことを詫び、怪談会の日取りを完全決定とする。
「いよいよですね。命賭けると言ってはみたものの、本当に命を賭けるのは、この雪村もはじめてです」
雪村は俺が考えているよりは冷静だった。彼からの提案を検討した結果、霊が来るその日に怪談ライブ開催となったのだ。当日は撮影した映像を公開し、経緯を語るとともに、0時のカウントダウンを行うということだった。
「死ぬか、消えるか」
怪談会のキャッチフレーズを雪村は口走った。
「そりゃあ死んで欲しくはないけどさ」
怪談師としての晴れ舞台を潰すわけにはいかない。
それでも俺のほうの不安が増大している。嫌な予感はさらに膨らんでいる。
雪村との電話を切ってから、すぐに伊月に連絡した。今回の新資料は直接見てもらうのが早い。向こうも暇というわけではないが、さすがにここまで核心に迫った情報に時間を空けてくれた。
「ああ、これはいいね。とてもいい……」
しばらく資料に目を通した後、ワインを品評しているわけでもあるまい、という口調て伊月は言った。“本物”を感じているという意味では完全に俺も同意見だ。
「仮にムカイ・マヤと呼ぶとして、彼の霊であるというのも考慮しないと」
夢海麻邦と白い紙に書いた。それを中心にS村での人物相関図を作っていく。
「大事なのは、KとO。他は犠牲者だね」
Kと記述されたのは、地主にして政治団体を作り夢海を呼び寄せた当人。日記を補足するために高橋が作ってくれた資料によれば崑という名字だ。
「崑と夢海は殺された……いや、本当に行方不明もあるか」
「田連が斬ったと言っているだけのようだからね。血を見たくない村人が殺害現場にいたとは思えないよね」
「生身の夢海が霊を装って混乱させ、村人を毒殺した?」
そういう推測もできる。
「田連が狂ったのがわからないね。罪悪感というのとは無縁のような男だと感じる」
すでに田連の著書を読んでいた伊月は言った。
「あの本は田連でなく、夢海が書いたということはないかな?」
『義経秘術奥伝』は俺が読んでもくだらないとしか思えぬものだった。それでも伊月ならなにかを見出してくれる可能性はあった。
「これは夢海が文章表現をしたのだろうとは思うね。だけど宗教的な部分は表面的にしか解釈していないな。漢文を引用している部分は『神塔の会』の神話に相当する内容になっているけどね。完全に田連の意見が主体で書かれたものだよ。田連からグノーシス書を手に入れたが、それを自分のものにするために公言を控えた気配はある。宗教的には希少な資料に違いないから水野先生には送っておくといいよ」
「本当のグノーシス書とは結局どんなものなんだ?」
「神話体系を著したものは聖書の注釈になる。それより特徴的なのは黙示録だね。黙示録は一般に信じられているような終末予言でなく、個人が神より秘密裏に伝えられたビジョンを記したものだ。記述者は見たビジョンを詳細に記録するだけでなく、文学として詩として意味が理解できるようにも心を砕いている」
「結局どんなものかわからないように書いたもの、ということか」
「記述者はビジョンの解釈をしていない、あるいはできないとも考えているからね。言葉としても神から直接受け取っているわけだよ」
「魔導書ってのはどうなるんだ?」
「魔術としての書物は、実は黙示録がいちばんそれに近いんだよ。呪文を唱えればいいというものでなく、逆向きに使う」
伊月は指をくるりと回した。
「逆?」
「祈り、瞑想してビジョンを見る。そのビジョンが黙示録に照らして同じであるかどうかを後に冷静に調べる。さらに同ビジョンを見た者がいないかを調査したり、ビジョンを伝えた文章を読んだ者に変化が出ないか見るわけだ」
「それじゃあ妄想でもわからない」
「ビジョンが共有されることが大事になる。前にも説明した呪いと同じだね。だが、同一のビジョンを申し合わせのない者同士が見た場合、それは真正のものと言える。ただ人間は似た夢を見がちであるということかもしれない。それでも、人間の特性を捉えたという意味で真正なんだよ」
とはいえ黙示録が魔術書的に働くことにはならない気がする。微妙な顔をしていると、伊月が逆に質問を投げてきた。
「ビジョンを強制的に共有させることができるとしたら、どうなる?」
「できるのか?」
「できるのか、じゃないね。できているんだよ。前に宇宙を観測している窓は個人のものひとつだけで、しかもその瞬間にしか開いていないという話をしたね。だが、他人が同じ窓を持っていないとは誰も思わない。繰り返すけれど、哲学的ゾンビも世界五分前仮説もスワンプマンも、“なぜそれが間違っていると直感的にわかるのか?”を問うべきなんだ。一般的に使い方が理解されていないようだけれどね」
「相手に自我があるかどうかは見ていればわかるな。つまり、その働き自体が魔術だと?」
「そうだね。それが愛というものだよ。神の愛だろうと、親愛だろうと、相手に自我があると理解できることが最初だ。その理解さえあれば、ビジョンの共有まであと一歩だけさ」
「そうすると、基本的には念じるだけでイメージが伝わるという意味合いになってしまうぜ……いや、呪いのときにそんな話をしたな。そこに戻るのか」
反射的に反駁してから、以前の話を思い出す。
「愛と呪いは同じだよ。古来からそうだし、神の愛とて変わらない」
「ってことは、ビジョンの共有が可能であれば、超常的なことは起こり得る」
そう納得するしかなかった。
すると、伊月は俺にしかわからぬほど薄く微笑んだ。
「もちろんビジョンの共有は事後的にしかわからない。それでもビジョンを見ることが現実に影響を与える。それが魔術、あるいは宗教における真正の奇跡だよ」
真正の奇跡。
その言葉は俺たちにとって軽々に口にすべきではない意味があった。
俺は次の言葉を口にすべきか迷った。もちろん、その逡巡の意味は伊月に伝わった。
「わかっているよ。陽鞠の件は現実に起きた。あれはビジョンじゃない。現実の奇跡だ」
陽鞠。伊月の妹の名だ。
「奇跡……うん。だが『神塔の会』の一連のことが奇跡だったら?」
「本当の奇跡なら陽鞠と関係があるに決まっている。そうでなければ、邪教の魔術というところだ」
それこそ宗教的な物言いなのだが、俺はそれを肯定することしかできない。本心では同じ意見なのだ。
「奇跡なら一回で充分だと思いたい」
冗談めかして言うと、伊月は今度こそはっきりと微笑んだ。
「だとしたら『神塔の会』が潰れれば、それでいいのさ。真正の奇跡でないなら、それは奇術に過ぎない。それを信じるのは冒涜の一種だ」
それをきっかけに実務的な事項に話が移った。
伊月の方からこれまでの活動報告があった。工作員に仕立て上げていた影山寛貴が、見事な働きを見せてくれたらしい。
「影山さんが佐原健二のパワハラ、セクハラの証拠を掴んでくれてね。現在、動画化して信者の間で回覧されている。佐原健二は司会者に過ぎない印象を持たれているので、失脚は近いだろうね」
「そうなれば、有楽への連絡が可能になるというわけか」
「実に平和的に連絡を取れるようになるね。影山さんの出版について相談する形にできる」 大方、隠しカメラの類を影山に与えたのだろう。佐原が本当に傍若無人に振る舞っていたのが悪いのだが、これで影山が先頭に立つようなことがあれば、特に伊月が手を下すこともなく教団は自然消滅していくだろう。真の『神塔の会』については別だが。
その時、伊月の電話が鳴った。それは魔術的タイミングというか、シンクロニシティと呼ぶべきか、影山からの衝撃的な電話だった。
伊月は画面に表示されている影山の名を俺に示し、黙っていてくれとジェスチャーで伝えてから電話に出た。
内容を後で聞く必要はなかった。影山の声はスピーカー越しでも『MOST』の会議室に大きく響いた。
「佐原さんが自殺しました!」
俺は驚きに目を見開いたが、伊月は予測していたかのように冷静だった。
「はい……警察には……? 電話した。はい。それでしたら、警察に対処してもらうに任せるのが良いでしょう。告発が自殺の引き金になったことは正直に警察に話すべきです。それで影山さんが罪悪感を持つことはありませんよ。佐原さんの内面の問題です。恥じる行いをしたわけではありませんから」
動揺している影山をしばらく宥めてから伊月は電話を切り、俺にうなずいて見せた。
「結果的に潰すに値する教団になったね」
「嬉しかぁないけどな」
「やはり『神塔の会』で表に出ている部分は、少なくとも教祖の有楽にとっては切り捨てても痛くない対象だったってことさ。佐原の権力の源泉は有楽なのだから、弁解の通話くらいはしただろうからね」
「そこで自殺するように指示した?」
「そこまではないだろうけれど、佐原とて有楽の信者だったには違いない。見捨てるとしただけで衝撃は大きい」
伊月が資料を片付けはじめた。
「さて、事態が進んだ。これで僕は警察の捜査に協力するという形でに証言するという形で有楽に連絡することが可能になった。すまないが失礼して、公安警察の方に連絡させてもらう。根回しなしだと僕が疑われてしまう」
立ち去ろうとする伊月を呼び止め、俺は有楽とやり取りがあった場合、録音を残してもらうようにする。伊月は了承した。
「いよいよ教祖との対決か。うまくいくといいな」
別れ際、少し不安になって言う。伊月までなにかに巻き込まれてしまうのではないかと思えたのだ。
「うまくやるさ」
伊月は俺の心配に気づいていないかのように、こともなげに言った。
それからは俺も忙しくなった。雪村のXデーイベントの準備と、東京に居ながらできる限りではあるが、S村の調査がある。反撃に必要な情報が集まるといいと思っていたのだが、そもそも反撃とはなにかということがわかっていない。
不安は増大していく。それでも目前の作業はしなければならなかった。雪村のイベントは慣れた作業ではあるのだが、処理する動画の量が膨大だった。さらにS村の資料を集めていた男が死んだことを雪村が是非とも怪談に付け加えたいと言い出したので、高橋の死が掲載された地方新聞をデータ化する必要があった。不謹慎にも思えるが、これも怪談師なりの供養である。なにもない事故死よりは巨大ななにかに巻き込まれての死の方がセンセーショナルだったと考える人種だっているのだ。
もちろん俺がこの作業に注力しているのも、雪村になにかあったとしても、彼の望む派手な形であって欲しいと願ってのことだ。不謹慎というか諦めたようにも思えるが、死や悲劇や恐怖を野次馬的に楽しむ者の誠意みたいなところはある。
やがてその誠意が道を開いてくれたかのような出来事が起こる。雪村と俺に同時にメールが届いたのだ。
河本からのものだった。
「僕にも巨人が見えてしまいました」
俺は受け取ったメールを思わず声に出していた。即座に河本と雪村に同時通話をかけ、事情を聞く。
「見えてしまったんです。例の巨人です」
通話した河本の声は、意外にも落ち着いていて、俺と雪村の方が慌てているくらいだった。
「それは以前のように見えるんですか?」
雪村は以前よりも熱意を持って質問していた。自分の見ている霊と似たビジョンとなれば当然だろう。河本は肯定した。
「はい。あの映像のようなブレはあります。でも、前よりはっきり見えます。遠くにある巨大なものというのがわかります」
「それはどこからどの方角に見えますか?」
俺は聞いた。
「今の自宅はK県ですが、そこの窓から、いや、窓がなくても見えるようになっています。きっと姉さんもそうだったんだと思います。最初は窓だけで、やがて普通にも見えるようになったんでしょう。北の方です。北東、というのかな」
戸惑いつつ河本は言った。
「近づいてきている?」
「はい。そんな気がします。はっきりとはわからないけれど、大きくなっているような」
「どんな感じがします?」
「怖いですよ。ええ、もちろん怖い。自分が狂ってしまったんではないかとか、目の錯覚って感じはしません。あれが大きな人間だって感じがして怖いんです。僕を見ている、というか僕に気づいている気がします。双眼鏡では見えないんですが、もし見えたら目が合いそうで……こちらに気づいてニヤリとしそうな……」
それを聞いて身震いする思いがした。超常の巨人よりは意思が通じる巨人の方が恐ろしい。相手が意思を持っているかどうかわかるのが人間の不思議だとしたら、巨人が意思を持っていると理解できるのは恐怖以外のなにものでもない。
それを聞いた時、俺は一瞬で決意を固めていた。
「一緒にS村に行きましょう」
河本にまだ伝えていない高橋からの情報を明かす。
「……そんなことが」
話を聞き終えた河本は衝撃を受けたようだった。
「自分と同じように巨人が見えた人がいるなら……それより、もし姉さんがそこにいるなら」
そんな確証はもちろんないのだが、河本の言葉に俺も同意だった。いなくなった姫子さんがそこにいるような気がするのだ。
準備を含め河本と相談する。できる限り急ぎたかったが、雪村がここで口を挟んできた。
「それ、イベントの当日にしましょう。樋口さんがイベントにいらっしゃらなくても、もうスタッフで回せますし、そちらからの中継も入った方がいい」
どこまでも自分の意地を通すつもりのようだ。
俺はそれを了承した。
翌日には河本と会い、細かいところを詰めて必要なものを買い足す。社用車で移動するつもりだったが、長距離になるし、身長のこともあるので河本が自分のSUVを出してくれるということになった。
さらに忙しく時がすぎる。イベント三日前にまで迫った頃、伊月からメールで音声ファイルが送られてきた。文面にはこうある。
有楽と直接対面することになる。経緯はこのファイルを聞いてくれ。
用心するし悪いようにはならないだろう。居場所はしばらく言えない。
では。
さらに事態が展開したわけだ。伊月の方も心配ではあるが、こうなっては俺には手を出せない。はやる気持ちを抑えて音声ファイルを聞いてみる。警察からの聴取を終え、影山と伊月で有楽と通話したときのものらしい。警察でも有楽が疑われ、取り調べは受けたとのことだが、なにも出なかったという話だ。そもそも有楽は遠隔地に住んでおり、佐原と面会したことはないらしい。もっとも、これで有楽が実体を持った人間で、住所も知れたわけだ。
音声ファイルでも影山がそれを確認するところから会話ははじまっている。
有楽の声は『神塔の会』の動画でさんざん聞いた、どうという特徴のない中年女性のものだが、こうして会話しているところを聞くと、催眠術師のように幻惑的なものに思えてくる。
□ □ □ □ □
影山「佐原さんのことは残念でした」
有楽「そうですね。司会をしてくださっていた方ですし。なにより他の方に迷惑をかけていたことのほうがより残念です」
影山「自殺ですからねぇ」
有楽「いつか報いはあるはずだったのに、それから逃げたのですね。自殺しても逃げられはしないのに」
影山「有楽さんが警察に呼ばれたのも驚きました」
有楽「私は反体制というわけではありませんよ。疑われるのも仕方ないとは思います」
影山「いえ、表に出られたことを驚きました」
有楽「そうかもしれませんね。私は普通の生活をするために皆さんの前に姿を現していませんでしたからね」
影山「それでしたら、これを機会に有楽さんが講演を行うという形にできませんかぁ?」
有楽「いえいえ、私はそれほど大した者ではありませんよ。皆さんのご質問に答えることで私も成長していますし、むしろ質問がなければ成立しないこともわかっています」
影山「それでも有楽さんのお考えは広く識られるべきだと思っています。そこで本を書かせていただきたいというご相談なのですがぁ」
有楽「はい。そういうお話でしたね」
影山「編集者の方にも来ていただいていますぅ」
伊月「こんにちは。スズキと申します。よろしくお願いします」
有楽「よろしくお願いします。影山さんの本をお出しに?」
伊月「影山さんとお話させていただいております。以前に佐原さんが有楽さんの御本をお出しになったのを拝読いたしまして、それを発展させた本を出したいとご相談を」
影山「スズキさんからお声がけいただきました」
有楽「はい。私と影山さんの対談形式になるのかしら?」
影山「そう考えています」
有楽「良い本になるといいですね」
影山「それは有楽さんがお話くだされば悪くなるはずがありませんよぉ」
有楽「影山さんの質問しだいですね、ふふふ。それで、発展させるというのはどのようなものをお考えでしょう?」
影山「有楽さんのルーツに迫りたいと思っていますぅ」
有楽「私は普通の生まれですよ」
影山「でもぉ、どのようにワンネスに至られたのかとかぁ、そういうことを語ることでぇ、一般の方も有楽さんの境地に到れるかもしれませんからぁ」
有楽「宗教的なルーツということですか?」
影山「実際ぃ、有楽さんですから勉強はされていると思うんですぅ。そこを公開していただくというのが眼目になりますぅ」
有楽「宗教学はやっていないんですよ」
影山「いえ、宗教学に限らずぅ、文学でも哲学でもぉ」
有楽「そうですねぇ、それは単に読んできた本のリストになってしまうような」
影山「では宗教的なぁ、ええと……体験的なぁ……」
伊月「至高体験があったかどうかという話だと思います」
有楽「ああ、至高体験。なるほど。そういうのでしたらありますし、お話できると思います。子供の時に神を感じたとか、人生の節目で起きた奇跡的なこととかですね。影山さんに質問をまとめていただければ用意しておきます」
影山「ああ、良かったぁ……うまく質問できるようにしておきますぅ」
伊月「こちらからも質問よろしいですか?」
有楽「どうぞ」
伊月「至高体験をまとめるのにあたって、神とそれ以外の見分け方について記述してあると良いと思うのですが、どうやってそれを判断されているのですか?」
影山「そ、それはぁ、有楽さんをぅ、疑うことになるのでぇ……」
有楽「いえ、いいんですよ。瞑想における魔境みたいなことをご心配しておられる」
伊月「それに近いです。疑っているとか心配しているというよりは、霊障を抱えて有楽さんにたどり着く方もいらっしゃるので、悪霊が人間を騙す危険があるかと」
有楽「そういえば、悪霊が人間を騙すということは、私がお話ししたことがありましたね。私が最初に神を感じた時、それが悪霊だったかもしれないというのは面白いです」
影山「ちょ、ちょっとスズキさん……」
有楽「大丈夫ですよ。基本的なことです」
伊月「失礼な意図ではありませんでしたが、ご不快でしたら……」
有楽「いいえ、不快ではありませんよ。そうですね、神は他人ではないという感覚です」
伊月「他人ではないというと?」
有楽「悪霊というか、霊は他人なんですよ。あ、いるな、という感じですよね。こちらに関わってくるのでも、話しかけてくる他人という感じです。これは当たり前ですよね?」
伊月「そう感じます。いや、他人でないなら自然現象ということもあるかもしれません」
有楽「ええ。自然現象ではないという意味もありますね。その意味で他人です。悪意は当然として、善意でも他人です。強い善意の霊でも他人であれば神ではありませんね」
伊月「自然現象のようなものが神だと?」
有楽「いいえ。神とは私なんです。ふふふ、いいえ、いきなり傲慢になってしまったんではありませんよ。足をぶつけたら痛いですよね? でも他人がぶつけているのを見て、痛いと思っても、それは共感しただけです」
伊月「それは理解できます」
有楽「遠くにいる人が神様だったなら、その人が足をぶつけたら私が痛いんです」
伊月「なるほど」
影山「……深いなぁ」
有楽「いえ、深いのでなく、本当にそうなんですよ」
伊月「神様は遠くにいるのに、私だと」
有楽「それとも少し違いますね。私の欲望、つまり生きていたいということまで含んで、大きく欲望です。水を飲みたいとか、食べたいとか単純なものも。それらをすべて捨ててしまうと、神が私の体に入ってくるんです。私が欲望する代わりに神様が欲望してくださるんです。自分を捨ててしまうと、神様が代わりに生きてくださる」
伊月「有楽さんはどのくらいその状態でおられるのですか?」
有楽「私でも滅多にありませんね。でも神様といはそういうものです」
伊月「それはエックハルトですね。すると神は無でもあるのでしょうか?」
有楽「あら? おわかりになるのかしら」
影山「スズキさん、なにを言ってるんですぅ?」
伊月「わかります。私は瞑想者ではありませんが、有楽さんはご自分の言葉で語っておられない」
有楽「あらあら。少しはできる方がおられると思ったら。お互い様じゃないかしら?」
影山「スズキさん、やめてくださいぃ!」
有楽「いいえ、影山さん、いいんですよ。この方、いろいろお分かりのようです」
影山「なんなんですかぁ、いったいぜんたいぃ……」
伊月「神は被造物を愛するか? 貴方はどうお考えです?」
有楽「そうねぇ実感としては愛していないんじゃないかしら? 愛することしかできないなら完全にキリスト教的になっちゃうでしょう?
伊月「神は光でも無でもない?」
有楽「あら? そうね、質問に答えてもいいのだけれども、あなたが自分を隠している限りは無理じゃあないかしら?」
伊月「そうですね。フェアじゃなかった。真意としては、貴方が本物かどうか知りたい」
有楽「そう言うあなたは本物なの?」
伊月「それも知りたいですね」
有楽「私が感じる限り、あなたは本物なのだけれど」
伊月「貴方が本物なのは貴方の神が保証してくれるとして、貴方の神が本物かは誰も保証してくれない」
有楽「ふふ、わかりました。探り合いなんてやめてお会いしましょう」
影山「ちょっとぉ……やめてくださいよぉ……」
有楽「いいんですよ、影山さん。この方が只者じゃないって最初から感じていましたし」
影山「でもぉ……」
有楽「真面目に探求しても、奇跡を感じられるかどうかに才能ってあるんですよ。私はこの方とお話をしますね」
伊月「光栄とは思わないな。奇跡はひとつでいい」
有楽「貴方“も”奇跡を見たんでしょう?」
伊月「ひとつでいいと言いましたよ」
有楽「話し合った結果、お互いの神様が同じだったら?」
伊月「それはなさそうな気がしますが、そうとしか思えなかったら認めますよ」
有楽「そうではなかったら?」
伊月「どちらかの神が神じゃない。そうなれば邪教だ。報いを受けてもらう」
有楽「その判断は貴方がなさるの?」
伊月「論理は万人に共通ですよ」
有楽「そうね、論理的に考えれば、被造物を自動的に愛さなくてはならないなんてあり得ない。せいぜいが見分けることができるだけ」
伊月「もう少し新興宗教の教祖らしく狂ってくれていれば良かったのに。貴方は論理を理解している」
有楽「お褒めくださりありがとうございます。待っていればいいのかしら?」
伊月「失礼ながら自宅を把握していますので」
有楽「警察の呼びかけに答えましたものね。そちら関係かしら? お待ちしていますね。それでは、通話は終了でいいのかしら……?」
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