第4話 目撃
「怪談ってのは場所を調べることが重要だって、雪村、つくづく思うんですよ」
社用ハイエースの座り心地の悪い助手席であるのに雪村は上機嫌だった。免許のない彼に代わって俺が運転し、取材費までこちらで出しているのだから当然だろう。
高速を北に走りS県の某所に向かっている。河本と姉が住んでいた家の住所は聞いていた。証拠として保全する目的で外観を撮影した写真も受け取っている。現地で迷うことはないだろう。
「呪いっていうのは場所にかかっていることもありますからね」
とりあえず現場に行ってみようという雪村の意見に俺も賛成だった。
怪談の定番で、幽霊が出る部屋の過去を調べてみたら殺人現場だった、とか昔の墓場だった、というオチがある。逆にそれを知っていたから不安になってしまい幽霊という幻覚を見たという考察もできる。
「少し科学的に考えれば、電磁波とか可聴域を越えた高音や低音ですよね」
送電線の真下などの強い電磁波であればだが、電磁波によって不安になったり幻覚を見たりする現象を確認した実験もある。同様に可聴域を越えた音でも不安や不快感を感じることはあるらしい。こちらは電磁波よりも納得しやすい。聞こえるか聞こえないかギリギリの音がずっと鳴っていれば気が狂うということはありそうだ。
今回の件にはかなり不気味な符号もあり、俺自身強い予感のようなものもある。だが超常現象や呪いであるという結論にすぐさま飛びつくわけにはいかなかった。
「信者がなにか工作をしていたってこともあるかもしれません」
雪村はさらに続けた。
『神塔の会』のチャンネルに書き込んでいる信者のうち、個人情報がネットにあがっている者のリストは作成中だった。かなりの人数にのぼっているし順次取材していくことになっているが、今の所ではS県の該当住所近くに住んでいる信者は見つかっていない。
「河本さんのことをお世話していた信者も見つけたいですよねぇ」
旧住所は東京で、その周辺在住の信者数も多い。河本姉弟がS県に逃げてからあれを見てしまうまで数年は開きがある。信者の同定はまだ難しかった。ずっと家にいたおばさんのことは名前と顔くらいは覚えているが、それ以外の出入りしていた信者は顔を見ればわかるだろうというくらいと河本は言っていた。
信者が個人情報をひたすら隠していたというより、彼らには個人としての生活がなかったと考えた方が自然なのが不気味なところだ。動画にちらりと映ったり自分のサイトにアップしていたりする信者の写真を入手次第、河本に見せてもいたが、その中には見覚えのある者はいないとのことだった。
高速を降りてしばらく走り、目的地近くのコインパーキングに車を停めた。外に出るとどんよりとした曇り空が広がっており、湿度の高い風が顔にあたる。住宅地の外れの昼下がりで、歩行者の姿はちらほらとしかなかった。買い物に出たらしきビニール袋をさげた老人と、子供を迎えに幼稚園にでも行くのであろう若い主婦が俺たちの姿を気にもとめずに歩きすぎてゆく。俺と雪村の二人組だと不審者呼ばわりされる資格が十分にある見た目なのだが、この近辺ではあまり警戒されないようだった。
「あまり高い建物はないな」
低い場所にいてもわかる。見通しのよい平野がずっと広がっている土地だ。
「これなら遥か彼方の巨人は景色に溶け込んで見えるでしょうね」
雪村が妙に感心したように言った。
地域の取材許可は得ていないので、ショルダーバッグに隠しカメラを仕込んだ。以前にも使ったことがあるので、これで体を向けた方向の景色が自然に撮影できることはわかっていた。後で映像が役に立つことがあるかもしれないし、なにより記録は必要だ。
下部が歪んだカーブミラーの脇を過ぎて、円形に整えられていたのだろうがいまでは放射状に乱れ放題の植木の角を曲がる。広い駐車場のあるアパートを横目にさらに先に進むと、目的の一戸建ての借家が見えてきた。
薄いオレンジの壁に黒い瓦屋根。左右を白壁の家に挟まれており、その家だけが周囲から浮き上がって見えた。とはいえ特殊な建物である印象はない。古くもなければ、敷地が妙な形をしているわけでもない。ただその家の背後で住宅街が終わり、向こう側には広大な畑が広がっている。
「おそらく畑側の窓ですよねぇ」
家の周囲を確認して雪村が畑の側から二階を指差した。白いカーテンのかかった出窓があり、見通しのよい平野のこの地域にあっても特に遠くまで見通せるのがそこだった。
「東向きの窓か」
方角を確認する。窓はほぼ正確に東向きだが、左右にも遮る物がないため、そこからなら北から南まで百八十度を見渡せるだろうと思われた。この風景のどこに巨人が見えたのかは詳しく聞かないとわかりそうもない。
後で話を聞くため風景の写真を何枚か撮影しておき、家の正面に回った。河本が退去してから別の誰かが住んでいるらしい。住人に取材すれば、なにかわかることがあるかもしれなかった。
どうせ怪しい見た目の二人なので、正体を隠すことはしないと決めていた。ネットのジャーナリストが取材しているのだと名乗るつもりである。
呼び鈴を押す。カメラ付きのインターホンと一体化されていたので、すぐに玄関が開けられるということはなかった。焦げ茶色のドアの向こうに誰かがやってくる気配もなく、インターホンから「はい?」と中年女性らしき声が返ってきた。
「すいません我々ネット記事の取材をしておりまして。怪しいと思ったらドアは開けなくて結構です。お話だけ聞きたいと思いまして」
怪訝そうに「はぁ」と言う中年女性に『MOST』のサイト名と我々の名前を告げ、さらに怪しまれて話を打ち切られてしまう前に本題を告げる。
「実は、この家に数ヶ月前まで住まれていた方が行方不明になるという事件がありまして、その取材をしております。行方不明事件についてはご存知だったでしょうか?」
「いえ……しらないです。そんなことがあったのですか?」
「はい。前の住人の方を狙った誘拐だろうと思われますので、現在のこの家にはご心配ないのですが、なにか変わったことがあったとか、気になることがあったとかございませんでしょうか?」
「いやー、まったくそんなことはないですね」
中年女性の声のトーンが変わった。我々の用件がわかり、こちらへの疑念が消えたらしいのはいいのだが、声に面倒くさそうな気配が漂っていた。
「そうですか、でしたら……」
「いま忙しいですし、雑誌とかに載りたくないので」
こちらの言葉を遮られた。あまりよい傾向ではない。
「ちょっと待ってください。誘拐された方が、二階の窓から犯人に繋がるなにかを見ていたという証言がありまして。二階の窓からなにかを見た、見えたことがないですか?」
慌てて最低限聞いておきたいことを質問する。
「おうでもあるまいし、見えるはずないじゃないですか」
その言葉を最後にインターホンが接続されていることを示すノイズ音がぷっつりと途絶えてしまった。
「駄目でしたか」
雪村がうめくように言った。
「ああ。まぁ風景が見れただけでもいいとするしか……」
そう応じて、中年女性がなにを言っていたか考える。ふと気にかかることがあった。
「最後、なんでもあるまいし、って言ってた? そう? こう? もう?」
「おうでもあるまいし、って聞こえましたけどね。あれ? なんだろう? そもそも、おう、でも意味が通じないですよね」
喉に小骨が刺さったみたいに顔をしかめて「あれ? あれ?」と雪村が首を動かす。
「応じる、の応か、王様の王か……おうおう、て凄んだだけ……いや、なんだ?」
俺も混乱してきた。だが正解は見つかりそうになかった。
念の為にもう一度インターホンを押す。
「帰ってくれませんか。警察呼びますよ」
即座にそう言われた。これはもうだめだ。
「怪しい者じゃないです。帰りますが、名刺、置いておきますね」
それだけ言って郵便受けに本物の名刺を入れた。これ以上長居すると本当に警察を呼ばれかねない。
「遠くまできた理由はこれだけじゃないですから、まだ元気だして行きましょう」
車に戻りながら雪村が言った。
ここの写真を撮影するだけでも成果ではあったが、怪談関係と『神塔の会』の動画チャンネルに重複登録している信者に、幸い雪村のファンがいたのだ。ここからさらに東北方向に向かった先の都市に住んでおり、取材する約束をしていた。
再び高速に乗り、サービスエリアで食事をすることにした。途上、雪村に隠しカメラで撮影した動画のデータをノートパソコンにコピーしてもらい、気になっていたインターホンの音声部分を再生してもらう。
「うーん、やっぱり、おうでも、ですねぇ」
雪村がノートパソコンを車内スピーカーに接続し、音量を大きくして何度も同じ箇所を再生した。
おうでもあるまいし、見えるはずないじゃないですか……おうでもあるまいし、おうでもあるまい、おうでも、おうでも……。
『魂を遣わせる王』という言葉を教祖が使っていたのを思い出す。
やはり“王”と言っているのか……?
いや、そもそもあの家に後に住んだ人が信者である可能性の方が少ないだろう。
運転の疲労が気になるくらいになってきたが、幸い、目的地のインターはすぐそこまで近づいていた。信者から話を聞いた後は、その町のビジネスホテルで泊まるつもりだった。
「泊まりたいホテルあるんで、そこに行ってもらっていいですか?」
まだ取材の約束時間までは間がある。駐車場確保のためにもチェックインしてしまうので異論はなかったが、雪村が示したのはなんの変哲もない安ホテルだ。
「そりゃまたどういう理由で?」
「めちゃくちゃ出るっ! って評判なんですよ。雪村、あえてヤバい部屋がいいです」
いつでも心霊のことを忘れない姿勢には感心させられる。
「それじゃ、なにか起きても今回の件と判別つかないじゃないか」
俺は笑った。それ以外に特に反対する必要もなかったので指定のホテルに車を停めた。
フロントで雪村が「霊が出る部屋がいい」と注文した。てっきり誤魔化されると思ったが、ホテルマンは「そういう噂のある部屋はあるんですが、その後のことはなにも保証できません。またお決めになった後、お部屋の変更も受け付けませんが、よろしいですか?」と返してきた。要望する客は俺たちの他にもいるらしい。
部屋はなんの変哲もないツインで、不気味な空気が漂っているかどうかすら判別できなかった。きちんと掃除もされていて、頻繁に宿泊客が使っていることがわかる。
「もうちょっと不気味な方がいいんですけどねぇ」
雪村が部屋を写真に撮りはじめた。
「お楽しみは今晩にしようや」
俺は本線の取材を促した。雪村がSNSで信者との連絡を取りはじめ、俺はカメラの準備を進めた。支度を終え、据え付けの電気ケトルで粉末の紅茶をいれた頃、先方の指定場所と時刻が決まった。市内の個室居酒屋で夕食を取りながらということだ。
信者とはいえ、そちらの線から取材されていることを向こうは知らない。SNSを見た雪村が体験談を詳しく聞きたいと連絡したことになっている。この信者も霊を見て『神塔の会』の教祖である有楽に救われたと主張しているのだ。
予約した個室では時間まで十分あるというのに、先方はすでに待っていた。髪を後ろでまとめたOL風の若い女性で、黒い薄手のカットソー姿。快活そうで、一見すると宗教団体はおろか、怪談にも興味はなさそうに思える。
しかし、雪村が現れると彼女は目を輝かせて両手を顔の前で合わせた。
「うわーっ、雪村さんだ!」
どうやら本当に雪村のファンらしい。
「そうです! あなたの雪村です!」
手を広げて歩み出たのはファンサービスというところ。怪談タレントでなければ浮浪者みたいな見た目と生活態度の普通以下の男だ。ファンを大切にすることを大事にしている。俺は一歩引いてスタッフに徹することにする。
録音の許可をもらってから料理と飲物の希望を聞き、しばらくは雪村とのファントークを自由にしてもらう。彼女の名前は藤原で、元々怪談好きだったが、霊体験があってますますのめり込んだという。
□ □ □ □ □
信じてなかったですよ。でも、見ちゃったので、うわ、ホントにあるんだ! みたいになったんです。見たときはすごい怖かったです、もちろん。ギャー! 死んじゃう! 死んじゃう! みたいな。
はじめから落ち着いて聞きたい? そうですよね。
えっと、一昨年くらいです。夏でした。
会社に勤めてるんですけど、幸い割と暇なんですよ。今でも同じ会社です。そのとき彼氏がいなくて、一人飲みってアレじゃないですか? あんまり飲み屋で他人に見られたくないっていうか。それでベランダビールですよ。おっさんぽいですね。
家は三階なんで、景色はそこまでよくないなんですよ。近所の学校とか、見えるくらいですね。それで問題は、その学校だったんですよ。小学校。
夜の校庭って誰もいないじゃないですか。わたしのベランダからだと道路にボールが転がるのを防ぐネットの向こうなんです。そこにブランコとかジャングルジムとか遊具があって。そこのさらに向こうに立っていたんですよ。校庭の真ん中。
じっとこっちを見てるんです。
ネット越しなのに目が合って。
満面の笑顔なんですよ。こっちに手を振るんじゃないかって顔をしていて……。
怖かったですよ。普通の人だったとしても、そんなことされたら怖いじゃないですか。
でも霊だってすぐにわかりましたよ。
ブレてたんです。映像のノイズみたいにガクッガクッって。
蛍光灯に入り込んだ虫? ええ、そういう風にも見えました。遠くから見たらそうなるんじゃないかなぁ。他に見た人も知り合いにいっぱいいるんですけど、みんなそういうことを言っていましたね。
ああ、言い忘れてた。お婆さんですよ。もちろんボケちゃってうろついてるっていうのあると思うんですけど、今の時代学校には鍵かかってますよ。入ったら気づかないわけないんです。
ええと、それで、私にしか見えていないって感じがしたんですよ。通行人はいなかったけど、車は通ってて、誰も気づいてないみたいな。その後も徘徊老人がいるって騒ぎになってたらよかったのに、そんなこともなくて。
自分だけを見ているってわかったら、もうすごい怖くて。幽霊の怖さって、そういうことなんだなって。向こうは確実に私を見ているんだけど、理由がまったくわからないんですよ。
それに、お婆さんが普通の格好をしていたらまだよかったんですけど、変な格好をしていて……。きっちりしたバーのバーテンかホテルのウェイターしか着ていないような立て襟のワイシャツに蝶ネクタイ。でもボトムスはベルボトムのパンタロン。シャツを外に出していたけど、それも短くてピッチピチになっていて。
サイズが合ってないんです。全部。
髪型もお婆さんなのに若いコのするエアリーなロングパーマで。
いい加減に雑誌のページをめくって着せかえ人形にしたらそうなるかも。
幽霊は当時の服で現れるっていうのが常識でしたけど、そうじゃないみたいなんですよ。知り合いもおんなじような幽霊を見ていますよ。そういう新しい幽霊なのか雪村さんには調べてほしくて。ええ、着ているものがバラバラで、すぐにその場にいるべきじゃない格好ってわかるんです。髪がきっちりセットしてあるのにパジャマとか。
もちろんあれを見た私はベランダから部屋に逃げ帰って、明かりをつけてテレビもつけて寝ちゃいましたね。眠れたのは夜が明けてからでしたけど。
昼間に小学校の校庭近くに行って確認しましたよ。もちろんなにもなかったです。
でも、夜になったら気になるじゃないですか。またいるのかって。
ビールを飲まないで、ベランダに出て。
そうしたらまだいるんです。しかも前の日よりちょっと近づいてる。ネットの直前くらいまで来てるんです。悲鳴あげて逃げましたよ。簡単に荷物をまとめて一人暮らしの友達にすぐ電話して、泊めてもらうことにして。
事情を話したら笑ってて腹がたったんですけど、さらに怖いのがこの後だったんです。
友達と一緒に食べ物の買い出しにコンビニに行ったら、いるんですよ。
追いかけてきたんです。もうわけわかんなくなって、ギャー! って指差した。あれあれあれ! って。
でも友達はそんな人見えないって。これでお婆さんが自分にしか見えていないって確定しちゃったんです。その時は通行人もいたけど、誰も気にしてなかったこともはっきりして。
いきなり霊感に目覚めちゃったって思うじゃないですか。でも、祓い方はわかんない。どうしようもないですよね。パニックになっちゃったけど、友達は私がおかしくなっちゃったって思うし、お婆さんの格好を説明したら、余計におかしくなったと思われて。
おかしくなったと思われるの嫌だなって思ったら少し落ち着いたんだけど、そうしたらまた嫌なことに気づいちゃって。
お婆さんの見え方が同じだったんですよね。つまり自分の家で見たときと、今向こうに見えている距離が同じだったんです。
そうしたら逃げられないじゃないですか。
今は笑ってるけど、そのときは死ぬかと思いました。
誰にも頼れないってわかって、それからはネットカフェとか一人カラオケとかで夜にいる場所を変えたんですけど、なにかの拍子に遠くを見ると、お婆さんがさらに近づいている。もうお祓いしかないじゃないですか。
仕事を休んでお寺とか神社とか行きまくりですよ。でも意外とやってくれないんですよね。霊能者とかもあたってみて、なかなか本物に会えなくて。
そうです。本物が有楽さんだったんですよね。霊能者の間でも噂だったんですよ。相談したら、ご本人の鑑定は無理だけど、印章を押した紙をあげるからお守りにしろって言われて。有料でしたよ。そんなに高くなかったですけど。
そうしたら驚き。お婆さんが遠ざかって行ったんです。日に日に遠くなって。
さらに不思議ですよね、印章がどんどん薄くなっていったんです。朱肉が。
お婆さんが見えなくなった日に、完全に消えちゃった。
もうこれは本物だ。助かったって。
宗教? そうかもしれないですね。でもお金も印章を買うだけだし、あ、本は買いますけど。他にはサイトで勉強するくらいですからねぇ。ここからはセミナーにも行けないですし。
それだけであれを見なくなったんだから、いいって思ってますけど。
ええ、そうです。そのサイトでの知り合いにも同じ体験をした人がいます。同じような霊で、やっぱり印章をもらって近づいてくるのが祓われたって。
その人たちも紹介できますよ。
え? 信者を増やすために教団が霊を取り憑かせた可能性?
考えましたよ。でも、利益が少ないんですよね。それなら信者になった人にも、もっとバンバン霊を取り憑かせるべきでしょ。絶対にすごい金額払いますよ。あれって二度と体験したくないくらい怖いですから……。
□ □ □ □ □
霊体験を披露してくれた藤原女史と連絡先を交換し、他にも同様の体験をした信者のリストを送ってもらえることになった。雪村の話術にも救われた。藤原女史には悪印象を与えることなく、今後の協力を約束できた。
「教団の話が河本さんから聞いていたのとずいぶん違いますよねぇ」
ホテルに戻ってシャワーを浴び休んでいると雪村がふと思いついたように言った。
「末端の信者と中央の信者の反応が違うのはよくある話だよ。もう少し中心に近い信者と接触しないと河本さんの情報は得られそうにないな」
「でもその場にそぐわない服を来ている霊ってのは使えますよ。きっちり怪談に仕上げたいですよねぇ。オチが祓われましたってのが弱いんですよ。接近してきたらどうなるかがわからないといけないんじゃないかなぁ」
雪村にとっても収穫はあったようだ。
「それこそ狂ったり死んだりするんだろう」
「取材の結果そうだったんなら諦めもつきますがね。うーん、どうにかして上手く語れないかなぁ」
ベッドで怪談をひねりはじめ独り言をブツブツ言いはじめたので、俺は眠ることにした。ひどく素直に眠気がやってきて、俺は意識が消えていく快感に身を任せた。
と、体感では間もなく、俺は雪村に体を揺り動かされた。
「樋口さん! 起きて! 起きて!」
俺は声の調子で異変を察し、できるかぎり速く体を起こした。
「霊! 霊です! 見ました!」
俺が起きたのを確認すると、雪村が窓辺に近づいていった。ホテルの浴衣が乱れたまま後を追い、ベッドヘッドの時計を確認する。時刻は三時少し前。正確には二時五十七分。
ベランダはないので、窓に顔を押し付ける。
「ああっ! まだいる!」
雪村は歓喜の叫びにも似た声をあげた。
俺は窓から見える夜景の中に人影を探した。
近辺ではホテルは高い建物の部類だ。見えているのは不揃いな雑居ビルの屋上群。近くには銀行の看板、ライトの下にクリニックの電話番号。やや遠くに都市河川の柳を照らす街頭があり、その向こうにこちらよりも高い煉瓦色のマンション。
俺には通行人も見えない。
その様子に気づいた雪村が、興奮してふはっと息を吐いた。
「やっぱり樋口さんには見えないんですか? 遠くです。マンションのここと同じくらいの高さ!」
説明された箇所に目を凝らす。そもそもマンションまでけっこうな距離がある。こちらに通路側を向けて建っており、ドアと小窓が並んでいるが、それも上半分しか見えていない。とはいえ人が通路に立っていればわからないはずがない。
「マンションってのがあれのことなら、俺には人間は見えない」
表示されているマンション名を読み上げた。雪村は「それですそれです!」と声をあげた。
「ライダースーツに三角帽子の美女です! でも、顔が怖い!」
表情がどう怖いのかはわからなかったが、ライダースーツに三角帽子とはこの時間に限らず外を出歩いているものじゃない。
「睨まれてるのか?」
「そうです。こっちを見ています。確実にこの雪村に気づいています!」
「実体というより、映像みたいに見えるのか?」
「はい。時々、ツッツッと動きます! ああ、見てしまった!」
恐怖よりは喜びが大きい声で雪村は言い、ここでようやくカメラを持ち出してきた。ホテルの窓は全部は開かないので、窓を開け放つのはあきらめ、ガラス越しにレンズを押し付けた。
「あっ! 写らない!」
俺も背面の液晶画面を横から見た。明るさを修正された画面には拡大された夜のマンションの廊下しか表示されていない。白い蛍光灯の明かりが画面を白濁させているだけ。
「いやぁ、これはきましたねぇ。気になってることがはっきりしそうです」
雪村が満足気にうなずく。
「おい、そりゃあまさか……」
「もちろん雪村、一世一代の怪奇体験です。放置して霊に接近を許します。誰でも受け入れる。それが雪村ですから。リアルタイムで体験を語って映像を残しますからね。樋口さん、データを全部送りますからきっちり公開してくださいよ!」
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