第2話 怪談
駅前のごく一般的なアーケード街の中程あたりに地下への階段がある。そこがトークライブ中心に営業している小屋の入り口だ。ライブハウスによく見られるフライヤーがめちゃくちゃに何層も貼られた壁が出迎えてくれる。
大男なら思わずかがんでしまう小さなガラス扉を開けると、オレンジ色の照明の薄暗い空間が広がっている。丸テーブルに不揃いの椅子のセットが客席に散らばっており、演者のあがるステージも長机だけ。正面にぶら下がっているスクリーンはずっと粒子の粗い心霊写真を映し出している。
ライブはすでにはじまっており、俺は後方にあるバーカウンターにもたれてノーカロリーのコーラを啜っていた。
バーカウンターでくつろげるのは主催者側の人間の特権みたいなものだ。客がここに立つとステージがつまらないという意味になってしまうからだ。
幸いにして今日の客は次々と繰り出される怪談に夢中になっていた。
製作者側がいうと自画自賛になるが、怪談ってのは昨今じゃよくできたエンタメだ。トークライブは演者のパーソナリティを見せるものが多いが、それでは現実というネタが尽きてしまえばどうにもならない。そこが怪談では語りの中身が問題になる。とりあえず怖がったり驚いたりできれば一定の満足はあるというわけだ。演者のパーソナリティは語りの技能の次に位置する問題で、繰り返しライブを見にくるようになってはじめて注目することになる。怪談は落語みたいな話芸の一種なのだということだろう。
今日の演者はお笑い芸人からの転身で霊感を売りにしている小太りのトランスジェンダー男。凶悪猟奇事件を取材するライターでありテレビの心霊番組制作の裏話にも切り込める放送作家出身の強面。都市伝説研究で学位を取り怪談の著作を次々発表している妙齢の女性。そしてひきこもりから底辺アルバイターへと出世しひょんなことから怪談一つでタレントとなったアルジャーノン雪村。この業界ではかなり豪華なメンツである。
元放送作家が場を回し、次々と奇談怪談が披露される。休憩を挟んでも観客の熱気は冷めず、いよいよ我らが雪村の大トリの話となった。
「これはですね。現在進行系の話でして、まだ動画サイトではできないんです。ですから語りおろしの初だしとなりますね。取材者さんに許可はとっているんですが、いつ話せなくなるかわからないです。この場だけで他の人に公開したりしないで欲しいんです。録画も録音もしておりません。ネット中継の方もここで終了ということでご了承いただきたいんです。いらっしゃったみなさん、得をしましたね……」
雪村が飄々とした態度で注意事項を前置きした。
彼は雑談の延長のような語りをするスタイルだ。日常的に芝居がかった態度をしているので、ステージではこれがなかなか決まる。
そして、あの河本信彦氏の体験を語りはじめた。もちろん宗教団体名も信彦氏の名前も伏せてある。『くねくね』類似部分は「窓を通してだけ見える巨大な仏像に似たなにか」に変更された。「見えたものが神様じゃないことに気づいてしまったのではないか?」というニュアンスを持たせるために。
「弟さんは仏像かと思ったんですね。奈良とか牛久の大仏みたいな大きな。いや、観音像なのかも知れません。座っていたわけではないので。ですが、それがどうも表面がブレているんじゃないかって、ふと思った。それでじっと目を凝らして……」
そのとき、客席から鋭く短い悲鳴があがった。灰色のワンピースに白い薄手のカーディガンを羽織った若い女性がスクリーンを片手で指差し、口をおさえていた。
「どうしました?」
心得たもので、雪村は即座に語りを中断し、女性を指差す。ざわついた客席の中、女性はうまく言葉を発せずにいたが、隣の男性が彼女になにやら確認し、彼が代わりに声をあげる。
「写真の中に変な影がでたって」
女性が激しくうなずく。一部の「仕込みでないか?」とシラけた表情の数人をよそに、客席は不安と期待に盛り上がり、「俺も見た!」と手をあげるものまで現れた。
「いやさ! これは仕込みではございません! この雪村、断言いたします!」
雪村が立ち上がり、ばっと手を広げて、騒動の発端となった女性に目を向けた。ホール内の全員が彼女を見た。
「どんなものを見ました?」
「い、いえ……その……虫かも知れないです。人の形をしていたと思ったんですけど、蛍光灯に入った虫みたいにツッと動いて……それで見えなくなったので……」
それを聞いた俺の顔は傍から見たら滑稽だったろう。怪談で気分が盛り上がった女性の妄言か仕込みの小芝居としか思えぬものに目を見開いている。驚きは雪村も同じだった。それがコバエと感じられる動きをしたというのは、まだ語っていない部分だったからだ。
「スクリーンの! どこですか!」
雪村が大声をあげた。むしろ気圧されてしまった女性はスクリーンを指差し「そこ、そこ」とやった。
休憩前の目玉コーナーで使った心霊写真がそのまま映されていた。乗用車の運転席に座った若い男性を開いた窓の外から撮影した写真で、後部の閉じたままのガラスを通して後部座席に女性らしき影が見えるというものだ。
「助手席の窓の向こうから、ブレた影が近づいてきて……」
言葉で説明されてようやく全貌がわかった。雪村は熱くなって立ち上がった。
「実はですね! この窓から見えていたなにかというものの特徴が実に映写機に映るコバエみたいにブレて感じられたってことなんですよ! 嘘は吐いていません。この雪村、めちゃくちゃ驚きました! これは語り続けていい話なんでしょうか?」
声援を煽りつつ雪村は語りを続けた。
それからラストまで大変な盛り上がりようだった。予定時間をオーバーして怪談会は幕を閉じた。名残惜しくホールに残り続ける客の間を抜けて雪村はスクリーンに影を見たという女性に連絡先を聞き、快諾とはいかなかったがSNSのアカウントだけは入手することに成功していた。
俺たちスタッフと登壇者は、打ち上げ兼、電車始発待ちのために予約していたカラオケボックスのパーティルームに移った。喉を披露する者などおらず、でたらめに注文した大量のスナックを前に飲み放題の烏龍茶のピッチャーが次々と空になっていく。
「本物の霊の存在を感じます?」
霊能力がウリの元芸人に質問が飛ぶ。怪談師の間でも霊を信じるか信じないかは分かれているが、霊能力を持っていると主張している人に失礼なことをいう者はいない。もっとも霊感は嘘で表に出しているキャラクターのひとつと楽屋裏では公言しているタイプもいるのだが、この元芸人は霊が見えるというところは曲げたことがない。
「いやぁ、ステージでもいいましたけど、ヤバいと思いますね。死霊とか生霊とかでなく、神仙とか精霊の類じゃないですかね。大きく見える霊ってそんなに実例がなくて、怪談というよりは神話とかのレベルでしか聞かないですね」
「でもいいネタ拾ったよね雪村くん、あれって仕込みじゃないんでしょ?」
元事件記者の強面が霊感主導の話を嫌ったのか、やっかみと疑いの含みはあるものの素直なリスペクトを示した。
「仕込みじゃないんですよ。偶然かもしれないけど、コバエみたいな震えって言い出したときは正直怖かったまであります。ねぇ樋口さん」
雪村が俺に話を振った。この場ででしゃばるべきでない裏方の立場ではあるが、ヤラセの疑いは否定しておく必要はある。
「仕込んでない仕込んでない。実際、驚いたよね。スクリーンに映してたのはプロジェクターだったから虫がレンズの前を横切ったってのも十分にあり得るけど、だとしたら虫のファインプレイだ」
一同が笑う。
「長編になるね。派生も作れる展開にまで広まったらいいな」
元事件記者は柔軟なスタンスで怪談をやっているが、商売っ気の方がやや強い。彼が言っている“長編”とは、登場する事象に関係した怪異が様々起こり、多数の関係者も巻き込んで複数の怪談語りへと繋がっていく、というものだ。高名な現代怪談の始祖が語りあげた『生き人形』以外には成功した長編はほぼない。
「成功したら快挙ですがね。雪村、嘘は入れたくないので、残念ながらこれからの取材次第なんですよ」
かなりの熱意と野心はあるはずだが、すっとぼけた顔で雪村はチキンとフライドポテトをいっぺんに口に入れた。
「取材は俺も行くよ。顔出しなしでカメラも回せるといいな」
それからある者は怪談技法についての語りをはじめ、ある者は酔いつぶれ、大半は業界のうわさ話を続けた。深夜をとうに過ぎて空が白みはじめる頃にパーティルームを引き払い、動き出した電車に乗り込んで三々五々帰宅したのだが、俺の脳裏からは蠢く虫のような影が消えなかった。それは恐怖ではなく、それこそ虫が視界にちらつくように苛立ちを感じさせた。普段は意識の外にあるものが、なんとかして存在を主張しようとしているかのようだった。
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