第2話 【会議】

 (1)訪問者 


【コンバット・ゾーン】での仮想空間テストから2週間が経過した。今日は、今後のVRTS(ヴァーチャル・リアリティ・トレーニング・システムの)方向性を決める会議が開催される。


 〈308〉室長の八児啓介やちご けいすけは、各チームに、顕在化した問題点と、その対策を報告するように指示を出していた。

 平直樹たいら なおきは〈308〉の〈仮想空間総合〉ブースで、石田茂樹いしだ しげきと会議の詳細を詰めていた。


「平さん」


 ドアのないブースの入り口で、〈資材〉の長田文枝おさだ ふみえが呼んでいる。


「中島さんから電話がありました。平さんに代ろうかって聞いたら、必要ないって」

「あの人はいつもそうです。それで? なんと言っていましたか?」

「もうすぐ着くからゲートまで迎えに来いって」

「ははは」


 直樹は笑う以外になかった。


 中島健司なかじま けんじは、直樹の候補生学校の同期であった。仮想空間テストに参加した加藤正一かとう しょういち水野絵里みずの えりの上官として、今日の会議に出席する。彼はとにかく短気だった。1尉にまで階級が上がったのだから、少しは改善されているかと思っていたが、中島は中島のままであった。


「石田君、会議の準備をしておいてください。多分戻れません」

「……分かりました。だけど、会議は私達が主催者なのですから、ほどほどにお願いしますよ」


 ため息交じりに石田は言った。頼りになる存在だ。彼がいるからこそ、自分は自由に動ける。


「努力します」

「……」


 石田は眼鏡をいじり、不満そうに直樹を見ている。ここは逃げるしかない。



 直樹がゲートに到着した時点で、中島は入所手続きを終えていた。


「遅いぞ! 平」

「すみません。と言うか、中島さんが早すぎるのでは?」

「馬鹿言っちゃいけねえよ、俺は駅から電話したんだぜ、距離的な優位性はそっちにある」


 中島は、笑いながら抗議した。ガラの悪さは相変わらずであった。


「今日はスーツなんですね?」


 短髪で眉毛が太く、日に焼けて浅黒い顔の中島が、高級そうなスーツを着ている。彼は中肉中背ではあるが、腕周りや胸周りがやたらと太いので、既製品のスーツではサイズが合わない、オーダーメイドするしかないのだ。


「あたりめえだぜ。電車できたからな、バッジが付いた制服じゃあまずいだろうが」

「スーツが似合うなんて思っていませんよね?」

「おおきなお世話だよ、早く案内しろ」


 直樹は、候補生学校の同窓会を、あれこれと言い訳してさぼっていた。そのため、中島とは4年ぶりの再会になる。


「なんだよ、〈308〉じゃあねぇのか?」


 直樹は疑問を感じた。中島はここに来るのは初めてのはずであった。ところが彼は道が違うと言っている。


「中島さん、以前にもここに?」

 と聞かずにはいられなかった。

「ねぇよ。だが、地形は頭に入れてある」

「……ここは敵地ではありませんよ」

「俺は用心深いんだよ。お前の職場はゲートの右側のはずだぜ」

「〈308〉は、中島1尉殿でも入ることはできません」

「……お前は変わらんな。そのセリフ遣い、いちいち気にさわる」


 それはお互い様だと直樹は思った。しかし、その変わらなさが、直樹にとって貴重な宝物であった。


「機密性の高い会議なので、防音壁の専用棟を使用します。〈308〉の逆側ですね」

「今日はあんまりしゃべらねぇからな」

「それは困ります。現場の意見は大事ですから」

「加藤と水野から報告書は預かっている。そいつは、そのままお前に渡す」

「……」

「俺はこのVRTSには全面的に賛成なんだよ。昔からそう言っているだろうが」


 中島は、学生時代に直樹と志を同じくする者であった。伝統的な訓練に疑問を抱き、二人で教官に意見を繰り返した。


「そんなことを言うと、また私と同罪になりますよ」

「とっくに同罪だぜ、俺は人間の罪悪感は厄介やっかいなものだと思っているからな」

「VRTSはそれを取り除く……敵は人間ではない、洗脳に近い訓練になりますが?」

「俺たちが想定する戦場は市街地だ。敵との距離が近い、洗脳でもしなければ、殺人者の罪悪感で心がやられちまう」


 戦場での殺人の要因は様々だ。恐怖や憎悪、嫌悪、または、イデオロギーや集団の同調圧力もあるだろう。兵士はそのような理由付けで、その行為を必然的なものと扱うしかない。直樹たちもそう教育された。だが、それだけでは戦場で引き金を引けない。


 残念ながら、自衛隊は米軍に50年は遅れている。それは装備面ではなく、兵士個人の認識の問題だ。米軍は敵に対して迷わず引き金が引ける。なせなら、彼らは実戦を経験している。【戦場のリアリティ】を知っているのだ。


「中島さんの部隊は災害派遣に?」

「……ああ、何度もな。自己犠牲の精神で活動しているが、精神不調を訴える隊員も多い」

「死と向かい合ってですか?」


 その質問に答え辛いのか、中島は視線を逸らした。


「大規模災害は、容赦がない。そこにはあらゆる死が凝縮されている。俺は隊員の気持ちがよく分かる」

「……」

「お前の言いてぇことは分かるぜ。戦場はそれ以上だ。だからだよ、だから俺はVRTSに賛成する」

「それは過大評価過ぎます。けっきょくは同じ、戦場で心理障害を受けるか、VRTSで受けるか……嫌な2択ですよ」

「まあな……」


 とはいえ、後者では発生比率も下げられ、受けるダメージも軽減できるはずであった。そのための仮想空間なのだ。夢だと分かれば、心の傷は癒えやすい。


(しかし、記憶は違う。本物そっくりの夢と現実を、記憶は識別できない)


 それは、直樹のVRTS構想における最大の懸念事項であった。



 (2)会議


 喫煙者の中島に付き合っていたので、会議室のへの到着が遅れた。すでに全員集まっており、皆、遅刻者へ非難の目を向けていた。


「だから、ほどほどにって言ったじゃないですか」

「すみません。始められますか?」


 石田は頷いて、プロジェクターのスイッチを入れた。直樹は、上座に座っている八児に会議開始の許可を求める。


「室長、初めてもよろしいですか?」

「良いでしょう。時間を守ってもらえたら、尚良かったのだがね」

「……申し訳ございません」


 会議は、【コンバット・ゾーン】での仮想空間テストの詳細説明から始めた。その場にいた新井保あらい たもつ阿部光男あべ みつお古川明夫ふるかわ あきおは退屈そうにしていたが、不参加であった〈高機動パワードスーツ〉の服部純一はっとり じゅんいちと〈資材〉の長田は興味深そうに眺めていた。もちろん、八児と中島も同じだ。


「中島1尉」

「はい」


 直樹は議論の口火を中島に切らせることにした。


「加藤1士と水野1士のご意見をお聞かせください」

「二人からは、信じられない量の指摘事項を預かっている。ここで話すと、煙草タバコ焼けした私の喉が潰れてしまいそうだ。あとで書面を渡すので確認して頂きたい」


 中島は詫びるように礼をする。場の雰囲気が一気に和んだ。


「平君は気が付いたと思うが、あの二人は両極端だよ、私はそういう人選をした」


 戦闘に積極的な加藤正一と、消極的な水野絵里ということだろう。中島の狙いは、二人の中間点を見つけ出すことだ。


「二人の報告から、私はVRTSの有効性を認める。ただ、真の目的は明確にしてほしい。表の目的である優れた戦闘訓練施設、裏の目的である殺人者の製造システム。VRTSの最終目的はどちらに重点が置かれているのか?」


 それは中島自身のジレンマなのか、声が大きくなっていた。もしも自分の部下を戦場に送り込むことになったら、一人も失いたくないと考えるのは当然だ。だがそのためには、隊員を非情な戦闘マシーンに育成する必要がある。彼は、それを決めかねていた。


「極端な分け方ですが、間違いではありません。中島1尉、あなたはうちの平君の同期生と聞いています。ならば分かっているはずです」


 八児の発する言葉は柔らかい。しかし、その意味するものは非情極まりない。


「あくまでも確認ですよ。私には部下を切り捨てるという選択肢がありませんから」


 やはり人間は変わってしまうのだなと、直樹は思った。

 あの中島健司ですらも、普通科中隊195名のトップとしての立場が変えてしまう。候補生学校時代、中道的な訓練に食って掛かった中島が、ある意味VRTSの中道を探っていた。


「残念です。VRTSは徹底したリアリティを追究しています。脱落者の発生は想定内です」

「日本社会は戦闘での自衛隊員の死を認めない。だからですか?」

「そうではありません。私達の考えは、もっとシンプルです」

「……」

「不足しているものを補う、それだけです」


 中島が直樹を見ている。その表情は、どこか諦観のようなものを感じさせた。


「【戦場のリアリティ】ですか……」

「ええ、首尾一貫しています。そうですよね、平君」


 八児の問い掛けに直樹は答えなかった。わざわざ声に出す必要はない。八児も、中島も、〈308〉のメンバーも、ここにいる全員が知っている。VRTSとはそのために存在する。



 会議のテーマは技術論に移った。先鋒は言うまでもなく〈仮想空間システム〉の新井保であった。

 新井は【コンバット・ゾーン】でのテストから浮かび上がった問題点の解決策を交えて、丁寧に説明していった。その質疑応答もひと段落し、本題のVRTSのフィールドシステムをプロジェクターで投影する。正方形で一辺が250mのあり、巨大としか言いようがなかった。


「【コンバット・ゾーン】の実績から、プランDで進めます。あとは用地の問題ですが……中島1尉、何か情報はありますか?」


 VRTSの建設予定地は朝霞駐屯地内であった。あまりにも機密事項が多すぎて、そうする以外にないのだ。


「用地は確保してある。しかしな、そんなバカでかい建物は無理だよ。陸地で船でも造るつもりか?」

「これは仮想空間内での想定距離です」

「どういうことだい?」


 中島は右眉を上げて怪訝けげんそうにしている。無理もない、彼はプランDを知らないのだから。

 フィールドデザインはAからDの4種類が立案されていた。プランAは、【コンバット・ゾーン】の拡大バージョンで、100mの正方形をしていた。プランBは、50mスクエアの床面が動くタイプ。要は巨大なルームランナーだ。プランCは、円形フィールドで当然床はハムスターのホイールのように回転する。

 最も作り易いのは、構造が単純なプランAだが、大きさに不満があった。本格的な訓練には、250m四方の面積が必要とされた。ただ、中島が指摘したとおり、そんな巨大な建築物を駐屯地内に作るわけにはいかない。その対策案がBとCなのだが、複数の人間がバラバラに行動した場合の対応に苦慮くりょし、実質的に頓挫とんざしていた。


「幅15mの倉庫なら、多数あっても不自然ではありません」


 クリック音と共に画面が切り替わる。表示されたのは12個の小型フィールドであった。

 中島が顎に手を当てて、「うーむ」とうなり声を上げた。映し出されている12個のフィールドが何を意味するのか、それに気が付いたのだろう。

 再度のクリックで一つのフィールドが拡大される。トレイニー(被訓練者)はほぼ中心にいて、床面が動く仕組みが説明された。


「これで行動範囲の問題点は解決します」

「床が動くのかい? 違和感ありありだと思うぜ」

「モーションセンサーとAIの進歩は著しいものがあります。ご心配は杞憂きゆうに終わると思います。それに――」

「それに?」

「人間の感覚は、結構鈍感ですから」


 中島は「これはなんの冗談だ?」とばかりに、直樹を見ている。

 直樹は落ち着くように、手で合図する。


「この案は問題点も多数ありました。それはクリアできましたか?」

「クリアできない問題点から報告します」


 新井がまた画面を切り替える、仮想空間で視覚的には存在するが実体がないものがラインアップされていた。


「格闘戦は不可能です。それと死体を動かすこともできません」

「格闘戦は止むを得ませんが、仲間の遺体搬送いたいはんそうの除外は認められません」


 たまらず八児が意見をていする。戦場の指揮を担う中島が来ているのだ。不穏当な発言は許されない。


「それにつきましては、妥協案があります」


 新井は中島に向きを変えた。


「中島さん、分隊に架空の隊員を編入してほしいのですが」

「架空の隊員?」

「負傷兵や遺体の搬送を専門に行う隊員で、戦闘には参加しません。仮想空間で皆さんが死傷したら、【彼】が駆けつけて後方に搬送します。ただし、【彼】も撃たれたら死にます」

「なるほど、我々は【彼】を守る義務がある。確かに妥協案だな……今は他に手がないんだろ?」

「遺憾ながら」


 中島が軽く手を上げて了承の意思表示をした。新井は気が楽になったのか、わずかに笑みを浮かべている。


「次に、障害物の案件です。現状、重力運動の再現は無理と判断します。つまりは落下や階段などです。高低差は緩やかな坂かエレベーターで表現するしかありません」

「新井さん……それ以外は表現できるのですか?」


 思わず口を挟んでしまった。

 〈仮想空間総合〉責任者である直樹は、プランDが障害物表現に大きな問題を抱えていることを知っていた。なにしろ床面が動く空間なので、障害物の連動が不可欠だ。新井が悩みまくっていた案件であった。


「条件付きだがね。服部さんのパワードスーツを使う。仮想空間内の地形に合わせてパワードスーツが動きを制御する」


 それはビックサプライズであった。障害物の表現はかなりの妥協を容認しようと思っていた。【コンバット・ゾーン】でその限界が見えてしまったからだ。

 新井がマウスを操作して障害物の基本である壁の説明を始めた。

 仮想空間で壁にぶつかったとする。当然それ以上前には進めないが、実際は装着しているスーツが視覚に連動して止まるだけであった。寄りかかったり、傾いたりする動作も可能だ。〈308〉のパワードスーツは天井から吊り下げてあるので、そこを支点にして制御したらいい。


「スーツが動かないのか障害物で動かないのか、仮想空間では人間は区別できません」


 そこからの説明は驚きに満ちていた。ドア、果ては自動車運転までパワードスーツの姿勢制御で表現できると新井は言った。


「通常の装備で訓練したい場合はどうする?」


 中島の質問だ。現場の人間としては当然の質問であった。 強力な複合火器やヘッドアップディスプレイを備えたパワードスーツは歩兵の最終到達点であるといえた。しかし、実物の開発がおぼつかない現状では意味のない訓練でもある。


「少々複雑になりますので、担当の服部が説明します」


 新井に指名された〈高機動パワードスーツ〉担当の服部純一が不機嫌な面持おももちで立ち上がる。


「そんなに複雑でもないが……」


 服部は〈308〉の最年長で八児より年上の50歳であった。世代的には、あのロボットアニメの影響をダイレクトに受けた世代だ。パワードスーツへのこだわりは尋常じんじょうではなかった。


「〈308〉のパワードスーツは、正式版の開発チームに言わせると反則だそうです。彼らが頭を悩ませているプロテクターのリキッドアーマー(磁性流体)の問題や、重いバッテリーの問題も無視できるからです」


 服部の合図で新井が画面を変える。

 弓型に天井から吊り下げられたパワードスーツが映し出された。それは確かに正式版とはまるで違っていた。着るというよりは人型の型に入るといった方が妥当であった。


「確かにそうかもしれません。このスーツの材質は安いABS樹脂で、油圧アクチュエータもむき出しで良く、電源も有線接続なのですから」


 よく見るパワードスーツの説明がされる。体にフィットしたセンサー服を着たトレイニーの動きを、外部動力でパワーアシストする。大型重量化した複合火器を標準化するのならば、並行して開発を進めなければならないものだ。


「うちのパワードスーツは、正式版の動作を仮想空間でトレースすることが目的なので、本来の役割の逆作用をします。つまりは、スーツを着ていないのに着ているように思わせる」

「そうか……逆も可能か。着ているけど着ていないように思わせる」


 そこまでの説明で中島は理解したようだ。服部の不機嫌な顔も和ぎ、良い生徒を見る先生のように笑みをこぼす。


「最初は違和感を覚えると思いますが、人間は慣れるものですから」


 服部が着席し、新井がそのあとを引き継いだ。


「あらゆるシチュエーションのトレーニングはパワードスーツを介して実施されます。障害物表現や体性感覚再現。古川君のHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)と同様に、VRTSの肝になる部分です」


(素晴らしい……これでVRTSはオーパーツにならずに済む)


 直樹は、新井保の力量の凄まじさを再認識した。プランDは最もVRTS構想に適合したフィールドではあったが、実現への課題も他のプランの倍以上あった。新井は、個々の問題点に正面から向かい合い、最善の対処をほどこし、プランDを実用レベルに仕上げたのだ。

 新井の説明が続いている。会議の性質上〈308〉から資料を出せない。この説明だけで、現場サイドである中島を納得させる必要があった。


「駐屯地毎に作って殺し合えってか? 物騒なことを考えやがる」 


 中島の言葉が江戸弁になった。新井のVRTSの長期展望の話が、彼に不快感を持たせたようだ。

「今は分隊規模だが、いずれは小隊規模まで拡張し、朝霞以外の駐屯地にも設置してリンクする。戦闘能力の切磋琢磨せっさたくまには人間同士の競争意識が欠かせない」

 という発言に反発していた。


「中島さん、視覚的には何でもできます。自衛隊員同士の戦いに抵抗があるのなら、相手側を敵兵の姿に変えたらいい、それでも不足ならゾンビにでも宇宙人にでもできる」


 新井はムキになるタイプだ。口の悪い中島に、堪忍袋かんにんぶくろが切れたのか強い口調で反論した。

 会議が荒れてきたので、少し整える必要があった。直樹は、中島の反論をさえぎり、新井の弱い部分への質問をした。


「新井さん、プランDは金食い虫と言われていました。暫定で結構です。建設費用の見積を提示してください」


 やはり痛いところなのであろう、新井の表情が曇った。マウスを操作して別のファイルをクリックした。――数字のたくさん並んだ表が映された。


「装置の複雑化とAIの強化で予算が膨らみました。これは〈仮想空間システム〉で試算した見積です」

「……ゼロが一桁多いですね。これは解決可能なのですか?」


 室長の八児が、不快そうに説明を求めた。


「素人試算ですから……〈資材〉の長田さんに再試算をして頂きたい」


 名前を指名された長田が、新井の苦し紛れの要望に苦笑している。彼女は金にはうるさかった。プロジェクト開始前に、全チーム対して追加予算はほぼゼロだと警告していた。


(相当予算を削らないと、室長は許可しませんよ。これからが本当の【地獄】ですね……)


 直樹はもう一つの重要な質問を新井にしようと考えていた。それは、彼に【地獄】を経験させた案件であった。


「ゴア表現はどうですか?」

「ああ……ひどいよ」

「……」

「平君、中島さん。私はこのVRTSが完成しても、絶対に仮想空間には入らない。おそらく正気を保てない……」


(そうですか……ならば完璧ですね新井さん)


 新井は軍人ではなく技術者だ。普通なら死と向き合う必要などなかった。だが、彼は〈仮想空間システム〉の責任者として、死のリアリティを仮想空間に再現しなければならない。腕はどのようにもげるのか、頭はどう破裂するのか、出血の仕方は、死の表情はどうか。ありとあらゆる死のデータを収集し、その再現に没頭ぼっとうしていた。


「俺のやっていることは鬼畜きちくの所業だよ……」


 3年ほど前、新井が焦点の合わない眼でつぶやき、直樹にヘルプ信号を出してきたことがあった。

『もう限界だから外してくれ』

 それが新井の心の声だと判断し。ゴア表現プロジェクトの外部委託を八児と検討していた。


「そんなことしたらすべてから手を引くぞ!」


 どのような経緯かは不明だが、それが新井の耳に入り、鬼気迫る形相で抗議された。それは完璧主義者ならではの、視野の狭い考え方であったが、直樹も新井に譲歩するしかなかった。

 ――その成果が画面に映し出されて入る。容赦のない人体破壊のサンプル。あまりの残虐さに、長田などは目を背けていた。


「中島さん、戦場とはこれほどむごたらしいものなのですか?」


 新井がつぶやくように質問した。


「勘違いしてもらっちゃあ困る。俺だって実戦経験はないんだからな」

「……」

「きっと新井さんは俺以上に戦場を知っている。だから、あんたがそう思うのなら、間違いはないよ」


 リスペクトすべきものはリスペクトする。それが中島のスタンスだった。彼のリーダーシップは強引さと謙虚さを柔軟に使い分けることで発揮されていた。大集団の長が持つべき資質、直樹がうらやむ中島の魅力の一つだ。

 新井は中島の言葉に、口を引き結んでうなずいた。【地獄】から解放されたわけではないが、心の葛藤にひとまず決着した様子であった。



 直樹は会議に休憩を挟み、以後は場所の変更を提案した。〈OICG(次世代個人戦闘火器)〉、〈IHIS(統合型ヘルメット・アセンブリー)〉、〈高機動パワードスーツ〉の報告は同時に実施しようと考えた。三つの研究は目的が共通している。個人の戦闘力とサバイバビリティーの向上だ。〈308〉試作室には、その研究成果である先進歩兵システムがあり、それを運用側である中島に評価してもらえば良い。


「いいでしょう、休憩は15分とします。遅刻は社会人としてマナー違反ですからね。分かっているとは思いますが」


 温和な表情、温和な声質で八児が言った。仏の顔もなんとやらだ。直樹は、新井を誘って煙草を吸いに行こうとしている中島に、目でサインを送った。

『ガキじゃあるまいし』

 中島がそんな顔をしている。


(分かっちゃいませんね。あなたはそういう点では、ガキそのものですよ)


 それは、直樹の嫌う中島の欠点の一つであった。



 (3)プロトタイプ


 〈308〉試作室は他の研究部門とは別の場所にあった。それは機密性云々の理由ではなく、ただ単に紛らわしいからだった。ほぼ同じ名前の正式研究部門があるのだ。資材の搬入搬出で揉め事を起こすよりは、キッパリと場所を分けた方が良いと八児は判断した。最も、〈資材〉の長田にしてみれば、すべてを自分たちで管理することになり、ひどく八児を恨んだという。


 その倉庫も兼ねた試作室は、陸上装備研究所の外れにある使われなくなった試作特殊車両の車庫であった。広さには文句なかったが、強烈に残るオイルや排気ガスの臭いには閉口してしまう。


 所せましと並べられている資材の片隅に、申し訳なさそうにVRTSの試作ブースが設置されている。大きさは、ユニットバスを二つ並べた程度だが、プランDのプロトタイプと呼べるほどに仕上がっている。数年前までは、いかさま最強FPSファイター【ドクター・シュワルツ】の入力システムだった場所に、〈308〉の研究成果のすべてが注ぎ込まれている。


 ブースの中には最新のVRTS装備を着用した中島が入っている。彼は歩兵の最終形態を体験していた。高度に情報化された高機動パワードスーツを着用し、市街戦の真っ只中に置かれていた。


 正規の研究では姿も形もないパワードスーツだが、服部は仮想空間内にそれを完成させていた。動力外骨格により、5㎏を超える阿部の複合火器を難なく振り回し、60㎏の荷物を背負い時速15キロで走ることができる。全身はケブラーとリキッドアーマーで覆われ、小銃弾や対人地雷で致命傷を受けることはない。無論それは仮想空間内での話で、実際は人型のABS樹脂のかたまりに、シリンダーやモーターがデコボコと突起をつくっている不格好な代物であった。正に仮想空間内だけに存在する装備であり、正式版チームが反則と言うのもうなずける話だが、そこはこだわりが強い服部らしく、正式版を凌駕りょうがしている点もあった。故障が大問題になる自衛隊装備なので、不必要な故障要因は排除しなければならない。パワードスーツでは関節の動きがそれに該当する。四肢、首、腰関節のトレースに限定した正式版は、実際の装着には長期のトレーニングが必要となる。だが、服部の作り上げたものは100以上の関節があり、初めての人間でも違和感なく装着できるのだ。その証拠というべきか、現在仮想空間内にいる中島からは、なんの抗議の声も上がっていない。


 彼の状態を確認するのは四つのモニターだ。二つはブース内360度のライブ映像で、残りの二つはバイタルサイン(心拍数、血圧、体温等)モニターとVR空間の映像であった。


「心拍数と血圧がかなり上がってるな」


 服部が心配そうに言った。自衛隊の中隊長とはいえ、こんな経験は初体験のはずだ。なにしろ彼は、廃墟と化した市街で複数の敵に包囲されているのだから。

 直樹は笑顔でうなずき、中島が体験しているだろう映像に目を向ける。


(中島さん……楽しんでもらってなによりです)


 バイタルサインの数値は、VRTSが正常に機能していることを意味していた。中島はパニック状態ではなかった。彼はこれをゲームとして楽しんでいるのだ。


「まあ、見ていてください」


 VR空間のモニターに動きがあった。中島が強行突破を試みる。パワードスーツの性能を試すように、最も包囲の厚い部分に足を進めた。

 すかさず胸や頭に何発か命中した。敵はAK47を所持している。弾は7.62×39㎜なのでNATO弾(SS109)よりも威力がある。服部のパワードスーツはそれを難なく受け止めていた。


「中隊長はだてではないな」


 一緒に煙草を吸って意気投合したのか、新井保が少し嬉しそうに感想を述べる。

 直樹も同感であった。中島は冷静に正面にいる5名を、照準制御されたスマートライフルで一人ずつ排除していった。突破後、彼は走って物陰に隠れる。今度は彼が待ち伏せするターンだ。追って来る3名の敵を個別に仕留めて全滅させる。理想どおりのワンサイドゲームだ。


「これで終わりか?」


 高揚感が漂う声質で中島から呼びかけがあった。直樹は少しクールダウンの必要があるなと思った。


「ソフトはまだ試作の試作ですから……通常バージョンもありますが試しますか?」

「ならいい。大体は分かったからな」


 ブースのドアが開けられた。狭い室内に阿部、古川、服部が入り、中島から装備を丁寧ていねいに剥がしていく。やがて、ほぼ裸体に近いセンサースーツだけをまとった中島が姿を現した。女性の長田もいるので紺色こんいろのバスローブを羽織ってブースから出てくる。がっしりした体型のせいか、まるで浴衣に見える。


「たいしたものだな……」


 紅潮した顔で中島が言う。タオルで拭いたはずであるが、顔には再び汗が噴き出していた。


「使えますか?」

「この汗を見ろ。まったく……とんでもねえものを作りやがる」


 と言って、中島は拳で直樹の胸を軽くたたいた。機嫌が良いのか、学生時代のような屈託くったくのない笑顔も浮かべていた。


「いくつか意見があるが……まずはシャワーだな」


 センサースーツは現状通気性が悪い。そのため、トレイニーは例外なく汗まみれになる。ブースの横には簡易的なシャワールームが併設されており、中島がそこに入った。


「平君、場所を戻しましょう。レビューと検証はセンシティブな内容がありますので」


 〈308〉室長の八児も手ごたえを得た様子だ。実験段階から実用段階への移行は、現場の責任者である中島の評価が決めるといってもよかった。


「承知ました」


 直樹は石田を呼び、会議室のスタンバイを指示する。ブース内で調整点検をしている三人にも、作業を部下に引き継ぐように伝達した。

 試験のレビューと検証は、八児により20分後に設定された。これでVRTSが具体的に動き出すはずだ。直樹は中島とは付き合いが長い、彼は計画進行を了承するだろう。十年に近い努力が実を結ぶのだ。直樹も気が昂っていた。

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コードネーム〈サクリファイス〉 Mt.ブコウ @SIRENSIRO

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