自慢の旦那様

千賀春里

第1話 自慢の旦那様

 ギリっ―――ギリギリ


 何かが軋むような音で文月は目を覚ました。

 スマホの時計は午前二時の真夜中。

 チラリとカーテンを少しだけめくると月は明るく、アパートの駐車場の灯りが夜中の静けさを感じさせた。


 起床時間まではまだまだたっぷり寝ていられる時間だ。


 ギリっギギ


(大丈夫かな、この人。そのうち歯、割れるな)


 文月は横で眠る夫を見つめた。

 

 横で眠る夫の夏樹が険しい顔で歯ぎしりを繰り返している。

 

(疲れてるんだろうな……ストレスだよな)


 文月は歯ぎしりを止めない夫の頭を撫でる。

 少し硬めの髪質は量が増え、目に掛かるほど伸びている。

 最近は得に忙しく、美容院に行く余裕もない。


 額が出るように髪を掻き上げて眠る夫を撫でまわした。

 自然に歯ぎしりが小さくなり、強張りが消える頃には音も止んだ。


 夏樹の転勤を機会に二人は結婚した。

 付き合って四年、なかなか結婚に踏み切らない夏樹の転勤は良い機会だった。

 忙しく、休みも仕事をしている彼を前にすると、心底付いて来て良かったと思う。

 

 夏樹とは高校の同級生だ。

 社会人になり、仕事や恋愛で上手くいかず、好きなことすら忘れかけていた文月の頭にふと浮かんだのは同じクラスで委員会で一緒だった夏樹だった。


 彼は学生の頃から優しい人だった。運動が出来て、頭も良くて、オタク男子のグループに属していた。

  

 文月もアニメや漫画、少女向けのライトノベルが大好きだった。

 しかし、それをオープンにする勇気はなく、隠しながら学生生活をおくっていたので人目を気にすることなく、好きなアニメや漫画の話に興じている彼らのことがとても羨ましかった。


 夏樹は女子からちょっと遠巻きにされていたけど、話せばとっても親切でいい人だったのを思い出したのだ。


 自分を慰めたかったのだと思う。

 もしかしたら、会えるかもしれない。昔話を楽しくできるかも。

 

 そんな軽い気持ちでメールの送信ボタンを押した。


 再会は驚くほどすんなりと叶った。


 食事をしながら昔話や今夢中になっているゲームやアニメ、仕事や近況について語ればあっという間に時間が過ぎ、分かれを惜しむ時間になる。

 

 二回目は居酒屋で。

 文月は生まれて初めてネット小説を書いていること、少女小説作家として食べていけるようになりたいと酔った勢いで語った。


(引かれたかな……現実的じゃないって)


 そう思った文月だが、夏樹は文月が予想しなかった一言をぶつけてきた。


『じゃあ、俺が養うよ! だから好きなだけ書いて、煮詰まったら気分転換に旅行して、書くのに飽きたら働けば良いよ!』


(まさか本当に養ってもらうことになるとは)


 書籍化はされていないし、仕事も辞めてないけども。


 初めて打ち明けた、叶えることが難しい夢。

 夏樹は否定せず、キラキラした目で文月を褒めた。

 

 夏樹との時間は仕事で苦しんだ文月の心を癒し、文月の心を強くした。

 この人と色々な景色を見たい。同じ景色も二人で見る景色は色が違う。

  

 同級生に話しても彼の良さはイマイチ伝わらない。

 オタクのグループというだけで評価が何故かマイナスになる。


(まぁ、見る目のない女の子達のおかげで私は彼をゲットできたんだけど)


 文月は夏樹の凛々しい眉を指手でそっとなぞる。


 長身で手足は長いし、部活はバド部でめっちゃ運動できるし、バリバリ理数系で頭も良い。物持ちは良くて物欲もないし、好き嫌いはワサビとマヨネーズだけだし、稼ぎは良いし、最高だよ?


 何より、素直で面倒見がいい。争い事を好まず、物事を頭から否定しない。

 最高では?


 どうも彼の魅力が伝わらない。

 全世界に彼の良さを発信したいぐらいだ。


(そして趣味への理解が深い! オタク万歳!)

 

 そんな彼が自分と一緒になってくれたのだ。

 感謝しかない。


「君は私で良かったのか分からないけどな」


 それでも、自分が一番苦しくて辛かった時、彼が支えてくれたから乗り越えられた。

 次は自分が彼を支えるのだ。


(家でのことは私に任せておけ)



 露わになった形の良い額にそっと口付ける。

 


「ん―――」


 

 小さく声を漏らした夏樹が大きく寝返りをして文月の方へと転がってくる。

 

「ぐえっ」


 ずんっと身体が重くなった。

 

 夏樹が文月を抱き締めるように腕が動く。


(重い……)


 抱き締めるというか、夏樹の身体が乗り上げてきている。

 これでは身動きが取れない。


 しかし、温もりがやってきて、瞼が自然と重くなる。


 規則正しい呼吸音と、穏やかに上下する胸に抱かれて文月は瞼を閉じる。

 睡魔に導かれるように意識が闇へと溶けていく。


「君で良かったに決まってる」


 瞼が降りた頃、小さく呟かれた心地良い声に安堵する。

 柔らかい感触を唇に感じながら、夢の中へ落ちて行った。

 

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