真夜中のパウンドケーキ

yori

真夜中のパウンドケーキ

 眠れない夜に限って、冷蔵庫がイビキみたいな唸りを上げるのは何故だろう?

 長年連れ添っているというのに、無情な奴だ。

 もう一度目を閉じても、眠気が戻ってくる気配はない、そんな夜。

 小生はパウンドケーキを焼くことにしている。


 パウンドケーキを諸兄達はご存知だろうか?

 コーヒーショップのレジカウンターの脇によくある二センチほどの厚みでスライスされた四角いバターケーキだ。

 材料は、バター、卵、砂糖、ひと匙のベーキングパウダーを混ぜた小麦粉。各々を同じ分量、すなわち一対一対一対一用意するのだ。イギリスでは一ポンドずつ材料を用意することから、パウンドケーキという名になったらしい。作り手の好みが現れるのは、上記の材料以外に何を入れるか、だ。ラムレーズンを入れたり、クルミやアーモンドといったナッツを入れる者や、絶対に何も追加しないというプレーン派もいる。

 小生の場合は『喜怒哀楽』を入れる。

 ちょっと君、そんな気の毒な人を見る目で見ないでくれたまえ。

 自分を見つめ直す真夜中にぴったりのパウンドケーキなんだ。レシピを教えるから君も一度試してみるといい。


 まず、バターに『喜』を混ぜる。

 なに、簡単だよ。最近で一番嬉しかったことを思い浮かべるんだ。そして、思い浮かべながら、ひたすらバターを泡立て器で練り混ぜる。

 バターの色が白っぽくなったら、これで『喜』は十分に混ざった。

 次の工程にいこう。


 砂糖を一気に加えて、『怒』を混ぜる。

 これは最近、一番腹立たしかったことだな。けっこう力が必要だが、怒りの力があればどうにかなる。なに、腹立たしいことがない? 馬鹿な! 真夜中に眠れないという現実だけで小生は怒りを感じるぞ。睡眠に優る幸福などないだろう?


 次は、卵を茶碗に割り入れてくれ。そしたら卵を溶きほぐして、先程のバターのボウルにちょっとだけ入れて混ぜる。ここで『哀』の出番だ。もう言わなくてもわかるだろう、悲しい気持ちをーーちょっとだけいい、そう、卵を垂らす、『哀』もちょっとだけ入れて混ぜる。これを繰り返して、卵が無くなったらオーケーだ。『哀』は入れ過ぎるな、生地が分離する原因になるし、味がしょっぱくなる。


 最後は、粉をふるって入れる。小生は粉ふるいもザルも持ってないから、ビニール袋を使うんだ。粉と空気を入れてシャカシャカ振りながら、楽しみにしていることを思い浮かべる。そう、これが『楽』だ。気の済むまで『楽』を振り込んだら、生地に混ぜて、型に入れてオーブンで焼く。


 以上だ、簡単だろう?


 あとはホットミルクでも飲みながら、パウンドケーキが焼けるのを待つんだ。

 バターと砂糖と卵と小麦が焼ける匂いはいいぞ。

 小生はあの匂いを嗅ぐと、なんだか夢見心地で眠くなるな。

 そして、焼き上がったパウンドケーキを一切れ食べれば、自分のことがわかる。

 甘くてふわふわだったら、幸福の証だ。

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