異世界.2 王女とワイン

 行きは飛竜に気づかれないように出来るだけ隠密行動を心がけていたため、移動速度が遅かったが――討伐した今となってはそんな配慮は要らないので、日を跨ぐ前に王都へ帰ることが出来た。


 王城に到着し、陛下に討伐を報告する。ちなみにこの場に居るのは俺一人で、他のメンバーには各自の部屋で休んでもらっている。


 飛竜は俺一人で対処したが、道中で細々とした脅威に都度対応してもらっていたから、気疲れがあるだろうと思っての事だ。


 ……陛下だってぞろぞろと四人で報告に来られても居心地悪いだろうし。


「――このように、飛竜を討伐いたしました。死体は指示通り森に残して参りました」


「誠に大義であった……して、ユメ」


「はい」


「短い付き合いではないのだし、もっと砕けた調子で話してくれても良いのだが……」


「いえ……陛下は国王であらせられ、私は一介の平民でございますから」


 あと俺は基本的にコミュ障だから事務的な喋り口調の方が会話しやすいという理由もある。


「……そうか。その実直さがそなたの美徳とも言えるのだろうが……」


「もったいなきお言葉です」


「……まあ、未来に望みを託すとしよう。では――すまないが、娘の相手をしてやってくれないか。そなたが討伐に向かってからと言うもの、ずっと寂しがっておったようだからな」


「……レナ王女殿下が、ですか?」


「ああ。理由は言わずとも分かるだろう?」


「……いえ、見識の狭い私には見当もつきませんが……」


「……本気で言っておるのか?」


「……はい」


「そ、そうか。娘も苦労しそうだな……」


「出来るだけ殿下にご迷惑はおかけすまいと思って行動しているつもりなのですが……」


「……よい。理由なんか気にせず、とりあえず娘に挨拶をしてきてもらえぬか」


「はい。承知いたしました」


「剣神としての活躍を、これからも期待している。だが、無理はするなよ」


「……はい」


 ○


 レナ王女殿下とは、五年前からの付き合いだ。身分や種族の差を気にせず、分け隔てなく民と接する方で、王国民からは絶大な支持を集めている。


 王女殿下は自室にてお待ちだとのことで、それこそ五年前から行き慣れた道を進む。


 いやしかし――深夜のこのような時間に、男と部屋で二人きりという状況は怖いのではないかと思うのだが。ドアは開けっ放しにした方が良いのかな……少なくとも、彼女には入り口に近いところに居てもらおう。


「……失礼します。ユメで――」


 俺の言葉が終わる前に、扉が開いた。内側に見えるのは、目を焼くように鮮烈で――しかしその上品さを損なうことなく美しく輝く、金色の髪を持つ少女。手を優しく引かれて、部屋の中へと招かれた。


 ……ちなみにその際、殿下は自分で扉を閉めた。


 いや、大丈夫だ。俺が冷静さを失わなければいいだけの話。


「……お疲れですか?」


「いえ……私はそれほど緊張しない性質でして。それに、危険を感じるようなこともありませんでしたし」


「そうでしたか……やはり、お強いのですね」


「……ただ剣を振るのが得意なだけです」


「剣神様、ですものね」


 殿下はそう言って、ころころと涼し気に笑った。鈴の鳴るような心地いい声だった。


「それで……その、これ、気に入ってもらえるかなと思ったのですけど」


 殿下が両手でそっと持ち上げたのは、ワインのボトルだった。日本と違って、この世界では酒類を飲めるのが十五歳からだから――俺の年齢、ついでに容姿は向こうの世界と共通しているので――法律的にはなんら問題はない。ちなみに殿下は俺より一歳年上だ。


「……じゃあ、頂きます」


「はい」


 俺が自分で注ぐと言い出す前に、殿下は俺のグラスを赤色の液体で満たした。軽く一礼して(俺クラスのコミュ障になると、お礼を言葉にすることすら恥ずかしい)、グラスをゆらゆらと揺らし、その香りを味わってから、口をつける。


 それほどきつくない、上品でフルーティーな味わいだった。俺は重くないワインの方が好きで――そして殿下はそれを考えてこのワインを選んでくれたのだろう。


「……美味しいです」


「よかった」


 殿下は暗がりに美しく咲く白い花のように笑う。その美は儚く、どこまでも優しいものだった。


 ○


「……ユメ。こちらに来てくれませんか?」


「いえその……それはまずいかと」


「何がまずいのですか?ベッドに並んでお話ししましょうよ」


 いや、それは無理だろ。


「……えっと、そうですね……無理ではないかと」


「どうして?」


「……殿下、もう少し王女として――いえ、美しい女性としての自覚を持ってください。そのような事は……」


「私はただお話ししたいだけです。それなら……大丈夫ですよね?」


「大丈夫ではありません」


 殿下は酔うと――まあ、精神年齢が少し幼くなってしまう。平常時は慎み深い女性なのだが……。


「もう。じゃあ……」


 殿下が近づいてくる。猛烈に嫌な予感がする。扉の方まで後ずさりすると、彼女は妖艶に笑った。


「抱き締めてください」


「……は、はい?」


「どちらか選んでください。三秒以内」


 え?


 ちょ――どうやって回避したらいいんだ?どちらをとってもまずいことに変わりはないが、それでもやはりどちらかをとれと言われたら――。


「はーい。制限時間はもう過ぎました。解答権剝奪です。大人しくこちらへ来てください」


 殿下が再び俺の腕を引いて、今度はベッドの方へと導いていく。


 腰を下ろすように言われ、殿下と密着するほどの至近距離で並んで座る。


「殿下……」


「……ん、じゃあ、お話ししましょうか」


「……え、ええ」


 もう一度思い出す。


 俺が冷静でいればいいだけの話。


 それだけの話だ。


 ○


 俺が部屋に入ってから二時間ほどして、殿下は寝落ちしてしまった。


 勿論俺は理性を保ち続けていた。当たり前だ。前後不覚になった相手をどうにかしようと思うなんて――人間としてあり得ない。


 起こさないようにそっと立ち上がり、扉へと向かう。


 自室へ戻って、すぐに電気を消す。ベッドに横たわる。


 深呼吸を数回繰り返して心を落ち着ける。


 左手を持ち上げると、欠けた月の紋章が目に入った。そっと目を閉じ、彼方の世界で目覚めるのを待った。

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異世界で剣神と称えられる陰キャ高校生くんは、現代日本で幼馴染たちとの距離感を測りかねています~最恐の魔王暗殺計画の裏で美少女と学園ラブコメ~ 古澄典雪 @sumidanoriyuki

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