異世界.1 吸血鬼と飛竜討伐と
舞衣や桜が居る世界と、あちらの世界――俺が剣神と呼ばれている世界を往復できると知ったのは、いつの事だったか。
初めは確か、これが皆の言う夢なんだと思った。眠った時に見る不思議な光景。しかしいつしか、俺が見ている『夢』は皆の見ているモノと決定的に異なっていることが分かった。
俺が見ている『夢』は、余りにも整合性が取れていた。場面が飛ぶわけでも、突拍子もない事が立て続けに起こる訳でもなく、それはまさしくもう一つの世界として、俺の目の前に広がっていた。そして決定的だったのが――俺は『夢』の中で得た能力を、現実の世界でも使えるということだった。
例えば、『夢』の世界で肉体的な鍛錬を積めば、現実でも身体能力が向上していた。『夢』の中で剣術を習うと――剣を握る機会がないので、剣術そのものの技能で検証することはできなかったが――現実では動体視力や反射神経が成長していた。
そして俺は知ることになる。
俺は、眠る度に異世界と現実を行き来しているのだと。
十三歳の夏。唐突に、眠らなくても世界間の移動が出来るようになった。
俺は自由に二つの世界を行き来することが出来る。
が――今のところ、眠る前にだけ移動することにしている。此方の世界で一日を過ごし、彼方の世界で一日を過ごす。その後は、またこちらの世界で一日を過ごす。一方の世界に留まっている間、他方の世界の時間は止まっていることも判明した。
そういう風にして、俺は生活している。
○
目を覚ますと布が視界を埋め尽くしていた。どこで何をしていたのか考えずとも分かり、上半身を起こす。
テントを抜け出すと、焚火の明かりが夜の欠片を仄かに照らしているのが見えた。その明かりの傍に座っている少女に、軽く手を挙げて挨拶をする。
「……そろそろ交代かな?」
「あ、ユメ!眠たかったらまだ寝てていいのに」
「いや、大丈夫だよ。俺はそれほど長い時間寝なくても疲れ抜けるから」
淡い光の中で映える赤色の長髪を持つ少女が、「そっか」と微笑んだ。こちらの世界での幼馴染の一人――リリー=ラヴィングファイ。
彼女は霊樹に勇者として選ばれた魔術師で、世界でもトップレベルの強化魔法の使い手。その腕を見込まれて――魔王の暗殺を成し遂げるための、この部隊に招かれた。
二世界間の往復が関係しているのか――俺はそれほど睡眠時間を長くとらなくても普通に過ごせる。だからこうした野営の時は、寝ずの番を長い時間引き受けることにしている。
まあ――皆が神経を詰めている間に、俺は向こうの世界で一日休んでいるみたいなものだし……それに対する罪滅ぼしの意味もある。
「……じゃあ、交代でも、いい?」
「うん。しっかり休んでくれ」
「ありがとう……」
言葉の端々から微かな眠気が感じられる。女の子に無理をさせるもんじゃないって陛下にも言われたしな……。次からはもっと担当時間を伸ばすか。
そんなことを思っていると、リリーが何か言いづらそうにしているのが見えた。
「……どうした?」
「……その……ちょっと、もらってもいい?」
「ん、ああ。もちろん」
答えると、リリーはしずしずと俺に近寄ってくる。そのまま俺の背後に回って、首筋にそっと口づけた。囁きが聞こえ、小さく頷くと、首筋にささやかな――しかし確かな痛みが走る。常よりも乱れ、熱を持った吐息が夜の空気に溶けていく。
十数秒ほど待つと、リリーはそっと口を離した。彼女の頬には朱が差していて、何かを噛み締めるように伏せられた睫毛に視線が吸い寄せられる。
「…………いつも、ありがとうね」
そう言って、リリーは足早にテントへと向かった。その後姿から焚火へと視線を移す。
リリーは吸血鬼のクォーターだ。吸血鬼と言えばの尖った牙や蝙蝠のそれに似た羽はなく、外見上は純粋な人間と見分けがつかないが、時折他人の血液が必要になる。
吸血鬼は吸血行為を行うことによって眷属を増やしていく。そのため、どれだけ吸血行為を行えるかが繁栄の是非と直結する。よって――生存条件に吸血行為が含まれる個体だけが現代まで生き残った。死に物狂いで吸血の対象を見つけようと奔走した個体の子孫が繁栄をつかみ取ったわけだ。
具体的に言えば――現代に生きる吸血鬼の体内では不可思議なことが起こっていることが判明している。それは、彼らが体内で生み出す魔力よりも、消費する魔力の方が多いという事実だ。これが示すのはつまり、吸血行為を行わなければ死が訪れるという事。
そっと首筋に右手を当てる。牙ではなく、風魔法の応用で僅かに傷をつけ、血液を摂取した後に、回復魔法で治す。その工程が踏まれているために、首筋に傷は残らない。
ただそこには、彼女の熱が残っているだけだ。
夜を焦がすような熱だけが。
○
夜が明けて、部隊のみんなが次々にテントから出てくる。この部隊は四人編成であり、男女比は一対三。つまり男は俺一人だ。しかしメンバーは皆幼い頃からの顔なじみなので、居心地が悪いというような事はない。
「おはよう、ユメ」
一番最初に姿を見せたのは、エルフの少女――マリア。大規模魔法の扱いに熟達し、賢者に選定された才媛だ。淡い緑色のショートヘアで、灰色がかった瞳には神秘的な引力を持っている。
「おはよ……よく眠れた?」
「うん。結構よく寝れたよ」
「それはよかった」
次に姿を見せたのは、初雪のような澄んだ輝きを持つ銀の長髪を持つ少女――ミーシェ。凪いだ海のような青色の瞳に陽光が浮かんでいる。彼女は聖女に選ばれ、高度な回復魔法を扱えるこの国唯一の魔術師だ。
「二人とも早いね……いや、ユメはずっと起きてたの?」
「いや、途中で一度寝た。そしたら眠気が吹っ飛んだからそれから起きてたけど」
「うーん、ユメは昔からショートスリーパー気味だよね」
「そうだな」
最後にリリーがテントから出てきて、部隊のメンバーが勢ぞろいしたことになる。
「……あと三十分くらいしたら出発しようか」
「朝食は?」
「んー。まあ、飛竜の討伐なんてそう時間はかからないだろうし、その後でいいんじゃないか?」
「……まあ、そうね」
今回の目的は計画の準備でも実行でもなく、王都近くの森の奥に出現した飛竜を討伐することだ。
さくっと終わらせよう。
早く帰りたいし。
○
「……俺一人で行くよ。これくらいだったら四秒もかからない」
「バフは要るよね?」
「頼む」
「私たちは手出ししなくていいってこと?」
「うん」
強化魔法によって身体能力が増強され、体が軽くなる感覚が生じる。
勇者や賢者、聖女に選ばれた他のメンバーとは異なり、俺には公的な称号が存在しない。
ただ剣の潜在能力を引き出すのが得意で、ちょっと身体能力が優れているだけ。どちらも努力で手が届く範疇だと思っている。
それでも――俺は、この少女達の横に並ぶことに決めたのだ。
世界を支配し、人類を根絶やしにしようと画策する魔王を討つために。
あいつを――せめてこの手で殺すために。
俺の存在に気付いた飛竜がこちらを睨み、それでもなお前進を止めない俺に炎のブレスを吐く。俺は剣の柄に手をかけて、無造作に振った。
それだけで、力の奔流は折れ曲がって消失した。地面を蹴って跳び上がる。地上からなら見上げるほどの巨体を、空中高くから見下ろす。一つ息を吐き、未だに俺の動きに反応できていない飛竜の頭部に剣を振り下ろす。音の消えた世界で、竜の頭部がゆっくりと左右に分かれていくのを、冷めた思考と視線で眺めている。
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