戦闘描写

たつおか

テスト


 その強情さを語るエピソードのひとつにこんなものがある。


 学校の性質上、日常の訓練においては体力の有無を問われるものが多々ある。

 曰く、走る・登る・押す・引く・組み合う……生徒同士で体力を競う訓練は数多あるが、その中においてもレンヤの成績は下から数えた方が早いかという劣等生ぶりであった。


 貧弱な体躯は見た目そのままに腕力にも持久力にも恵まれなかった。

 当然の如くに学校あるいは教官としてもそれを鍛えるべくにシゴキ、生徒達はその拷問にも近い訓練の中において心身を鍛えられていく訳ではあるのだがしかし、その中においてもレンヤは一度として弱音を吐いたことは無かった。


 それどころか斯様なシゴキの鉄火場においてもレンヤは眉ひとつとして仏頂面の表情を崩さない。

 一切の弱音を吐かず弱みも見せずに訓練へ挑み、そして突如として倒れるのだ。


 衰弱のあまりに昏倒し救急搬送されることもざらで、そんなレンヤには時代遅れの根性論を振りかざす教官でさえもが舌を巻いた。

 しかしながら斯様なレンヤの行動が、けっして『根性』などといった浮ついた精神論に根差したものではないことに一同はすぐに気付くこととなる。


 ある時、逮捕術の訓練後に班の一人がレンヤをからかったことがあった。

空手の有段者であるというその男子訓練生は、体育会系特有の高慢さを振りかざしながら、自称『レンヤの訓練』を申し出てきたのである。


 相手は25歳、鍛え盛りの肉体は発達した両肩の筋肉が首を埋めてしまうほどに頑強で、常人ならば一目で分かるその強面に委縮してしまうところなのだろうが……そんな見た目の暴力を前にしても、レンヤは表情ひとつ変えずに頷いた。


 スパーリング形式で行われた自称『訓練』は一方的なもので、ルール無用に相手から繰り出される拳足に翻弄されて、瞬く間にレンヤは出血した。

 止めどなく鼻腔から出血するその姿に見守っていた周囲からも嘲笑が上がる中、レンヤだけが始まる前と変わらぬ冷徹な視線を相手に向け続けていた。


 その後も数度のダウンを受け、もはや相手にこの凌辱への飽きが見え始めた頃に事件は起きた。

 不意にレンヤの繰り出した拳が相手の目に当たった。


 無防備な水晶体への衝撃に瞬間、相手も鋭い痛みを覚えては背を仰け反らせる。

 しかしダメージ以上に衝撃であったのは、実力的には天地ほどの差がある素人から一本を取られてしまったという事実であった。


 そのことに周囲からも笑いが上がり、「しっかりしろ」などといったヤジが飛ぶと対戦相手の羞恥はことさらに昂らされる。

 そしてそんな屈辱を晴らす手段はといえば、今以上にレンヤを痛めつけて屈服させようという歪んだ解決法に他ならなかった。


 前屈みに右半身へ体重移動をさせ再度の右ストレートを繰り出すもしかし、その瞬間再びレンヤの左拳が相手の左眼を突いた。

 クロスカウンターである。そしてこの一撃には思わず相手も痛みを滲ませたうめきを上げた。


 先のレンヤの細腕から放たれた一撃とは違い、今のこれには攻撃に移行していた自分自身の速度と体重とがかかってしまっている。

 さらには細いレンヤの拳とあってそれは、針の如き鋭さを持って相手の眼を貫いたのであった。


 皮肉な話ではあるが、強者であるほど痛みへの反応やそれへの精神的動揺は顕著であったりする。

 現にこの対戦相手も左眼の中で炸裂する痛みを持て余しては、ひたすら瞼越しに被弾した眼球を両手で覆っては右往左往するばかり。


 言わずもがなの『レンヤが一本を制した』状況に、本来であるならばこのスパーリングも終わりを迎えるはずであった。……しかしながらその『はず』は、レンヤの都合ではない。

 再び突き出されたレンヤの右拳が今度は残る右眼を突いた──スパーリングは続行された。


 思わぬ試合の続行に今度は撃たれた右眼を押さえて身を仰け反らせる対戦相手ではあるが、この段に至り逆上した。

 格下に見ていた者に翻弄されていることと、さらには公衆の面前で醜態を晒されているということへの怒りがこの対戦者を動かした。


 もはや原型すら分からぬほどに罵倒の言葉をわめき散らしてはレンヤの胸倉をワシ掴む相手に、今度こそレンヤの命運も尽きたかと思われたその時、突如として対戦者は天に顎を上げた。

 まさに皿のよう両眼を見開くその顔面は蒼白で、陸へ上げられた魚さながらに窄めた口唇でか細く息をするその姿に何事が起きたのかと見守る中、相手は内股に身を縮ませては両手で股間を覆いくずおれた。


 見れば依然として立ち尽くすレンヤは鋭く右膝を突き上げた姿勢で、両膝を地に着く対戦者を見下ろしている。

 金的──あの密着の瞬間にレンヤの膝が対戦者の股間を撃ち上げたのだと、この時になって皆が理解した。


 体格に物を言わせた組み合いという状況は一見したならば痩躯のレンヤにとって不利と映る。が、その実のレンヤはそんな状況を冷静に判断していた。

 密着状態においては、支点に近い腰から最短距離で打ち出される膝打ちとあれば最小限度の力を持って最大限の効果が得られる。ましてはその攻撃箇所は、どんな達人であっても鍛えようのない急所である。


 斯様な場所を強撃され、膝をついたまま呻くばかりの対戦者の姿に誰もがこの試合の終わりを確信していた。

 しかしながらそれもまた観戦者達の思い込みであり、レンヤの都合ではない。


 程よい位置に鼻先を晒すよう蹲る相手の顔面へと、さらにレンヤは再び膝蹴りを放ったのだった。

 打ち込まれた膝はこともあろうか先ほどに強打した左眼を再度捉えた。


 この一撃に今度は、もはや声を上げることすらなく対戦者は倒れた。

 大きく弧を描き、背から倒れ込んでは大の字に両手を広げ完全に沈黙する。

 撃たれた左眼からは出血が始まり、見守る一同はただ啞然にとられては一連の惨劇を傍観するばかりであった。


 暫しして、

『び……病院だ! 救急車! 救急車だよ早く!』


 その一時の静寂を見守っていた訓練生の動揺した叫びが打ち破った。

 それからは蜂の巣を突いたような騒ぎとなる。


 対戦者の元に屈みこんでは惨状を嘆く者、はたまたレンヤに責任を問うかのよう怒号を浴びせる者、さらにはそこへ呼び出された教官を始めとする学校関係者達も加わると、訓練場はまさに事件現場さながらの混乱ぶりとなった。


 しかしそんな中、レンヤだけがいつもと変わらずにいた。

 自身もまた鼻腔から夥しく出血しては顎から下を赤く染めているというのに、一連の出来事を見守るその眼はどこか眠たげで、そして顔面は青白かった。

 平素と変わらぬ仏頂面でただ一人、レンヤだけが変わらぬ平常心で騒動の中心にいた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

戦闘描写 たつおか @tatuoka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ