エピローグ:陽が昇れば、明日になれば

 ■ エピローグ


 惑星ホールドミー・スライトリー


 水銀柱は摂氏四十℃を楽々と突破した。


 早朝の薄明りのなか、幅の広い緑がかったドアを引き、磯の香りを浴びた。

 裏口はコンクリートの踊り場で錆びついた手すりに蔦が絡まっている。つづら折りの階段は崖下の私設宇宙港へつながっている。


 惑星ホールドミー・スライトリー。わたしを緩く抱いて……とは息苦しさを嫌う彼女らしい命名だ。


「あら、シアさん?」


 キンモクセイの梢に腰かけていたコヨーテが呼ぶ。見上げると、彼女はせっせと朝露に濡れた翼を櫛でとかしていた。手慣れたしぐさが柔らかく色っぽい。


「さんづけ、だなんて。あなたもすっかりしおらしくなって」 シアが苦笑しながら答える。


「何がおかしいの? オンナノコらしいでしょ?」

「あははっは! だから、『さん』付けはやめてってば〜」


 笑い転げるシアにコヨーテは紅潮する。つい、一週間前までは自分は女の姿ティーエスをしてぶっきら棒な口を利いていたのに、ギャップがありすぎる。



「まぁっ! もとはと言えば、あなたのせいじゃないの。私は魂レベルで♀になったんじゃない!」


 戦後、シアは八方手を尽くしたが、夫の魂に適合する肉体を得るためには、性別の変更を譲歩せざるを得なかった。


「だって、らしくないもの〜」


 気の毒だと思うが、シアとしても往生特急オリエントエクスプレスに乗った際に、「女になって何の不都合がある? 女性を馬鹿にするな」と啖呵を切った手前、彼を表面上、憐れむわけにはいかない。


「とにかく、俺……私はもうあんな剛毛ジャングルでギャランドゥな肉体、というか男の身体はもうコリゴリよ」

「やーい。マクラザキテクス〜」

「ひどいわ! あなた。 妻はもっと夫を立てなきゃだわ!」

「夫じゃなくてよめでしょ?」

「好きにして下さい」


 ぷいっと幼顔の少女はシアに背中を向けた。その間に、妻はさぁっと港へ羽ばたいていった。つかの間の静寂の後、小言の雨が降るだろう。


「あなた! 駐機場にハトの糞がいっぱい! 掃除しといてって言ったじゃない! 使えないひと」 


 ほら、来た。目を吊り上げた天使が頭上を舞っている。本当に口うるさいやつだ。なぜに、女はキレやすいのか。


「うっさいわね! 私は昨日、三時間もかけて大掃除したのよ」 

「隅々までやったの?」

「あなたが、国連の仕事で出稼ぎにいってるあいだ、必死でやったわ」

「どうだか? あなたの年金より、わたしのモビックハンターの稼ぎが多いんですからねっ!」


 せわしい羽ばたき音がして、二階のベランダから娘達が降りて来た。


「また、おか〜さんたち喧嘩してる」


 長女グレイスが腰に手を当ててシアを睨む。


「ママもママよ。軍神の座にあぐらをかいて、ちっとも前線に出てこないじゃない」


 責め苛む視線をコヨーテの方にスライドさせる。収入面と家事分担で協力しているというのに、まったく、女と言うイキモノは追及の手を緩めない。


「そうよ、そうよ。ママは、おか〜さんの苦労もわかってあげて」


 小走りで森の奥に逃げようとするコヨーテの前に、次女ソニアがひょいっと割り込む。


 オーランティアカの姉妹に締め上げられて、コヨーテ・枕崎は涙目になった。


「元男はつらいよ……」


 クンクン、と庭をなわばりにしているイヌ科の小動物コヨーテたちが心配そうに群れつどう。

 そうだった。この星は狼より弱い者達の楽園だった。わたしには慕ってくれる家族がいる。彼女は笑顔を取り戻した。


「わぁっ! キミたち。おね〜さんは大丈夫よぉ〜」


 傷が無いのにかかわらず、プリーツスカートからむき出しになった膝小僧をぺろぺろと丁寧に舐めてくれる「家族」たち。


 彼女が耳元を撫でてやると、小動物は目を細め、口を半ば開けたまま、舌をふるわせる。 


 家族はいいものだ。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 フレイアスター家の雌鶏たちがさえずっていたころ、銀河の反対側では、新婚カップルがしあわせな午後のひと時を過ごしていた。


 惑星わし座知性極。積乱雲を貫いて上下にのびる軌道エレベータが、窓越しに見える。行きかう大型リフトには今日のシフトを早々と終えた救難艦ライブシップたちが翼を休めている。


 すっかり冷めたアップルパイをアツアツのダージリン紅茶でいただく。生地のサクサク感は失われているが、具材の味はいい。カルバリーはふぅっと安堵した。

 量子共鳴ネットワークが戦業主婦メイドサーバント向けのニュース解説を流している。懲罰艦隊を辞した彼女にとって、世界情勢は些末事ではなかった。救星軍の長たるもの、救うべき命があれば身体を張って宇宙のどこへでも飛んでいく。

 番組は戦後の顛末を駆け足で総括している。



 淘汰圧戦争、ワイドスクリーン・バロック・ショー戦争、彗星紛争、中央諸世界政府側では対人戦争、抗狼事変などと呼ばれた争いは、公式的には三日間戦争スリーデーマーチ 3DMと命名された。


 異世界━━彼女の側から見て、だ━━からやって来た狂科学者トランジット夫妻が巻き起こした戦乱は、アストラルグレイス・オーランティアカが行った「ウィグナーの友人」作戦によって終結した。


 人類圏と中央諸世界は互いの蛮行を揶揄しながらも、戦勝国として戦災者の治療や生活援助、行方不明者の捜索、復興支援に尽力した。


 世界線が混乱をリセットしたとはいえ、すべてが戦前に復したわけではない。マスコミが煽動したヒトとライブシップの対立は戦後に禍根を残した。


 戦闘純文学者やライブシップの徴兵忌避が認められたとはいえ、彼らを「念力使い」とか「宇宙怪獣」と呼んで遠ざける民間人は多い。


 カップルの話題はニュースの内容に沿って、長女マリーを差別からどう守るかというテーマになった。



「……だってわたしが隊長を必要としている以上に、マリーはわたしを必要としているんですよ。一人じゃ面倒見きれないわ」

「隊長と呼ぶのはやめてくれない?」

「じゃあ、同性婚カップルの所帯主を何と呼べばいいのかしら」

「確かにそうね」


 糊の利いた膝上四十センチの白衣から小麦色に日焼した脚を大胆にみせつけながら、マリーが入って来た。


 段々フリルのついたショーツをちらつかせながら、ソファーにドンと腰をおろす。


「ママたち、何の話をしてたの?」

 プチトマトとマッシュルームが乗ったチーズピザをコーラで飲み下す。

「明日は朝早くからハイフォンの難民キャンプへ出向かなきゃ。今日は翼を洗って寝なさい」

「はぁい」



 歴史は勝利者が編纂する伝統に沿って、フランクマン・ロムルス帝国がやり玉に祀り上げられた。戦犯はもちろん、総統デスバレー・フランクマンである。


 決定的証拠は異世界砲の存在だ。二つの世界のパワーバランスを故意に崩し、確率変動の圧搾によるチート的な世界征服を企んだとして、主犯たる総統不在のまま、帝国の関係者が裁かれた。


 そのうえ、オプファー(opfer:ドイツ語で生贄)つまり、ライブシップ大粛清の汚名まで着せられ、踏んだり蹴ったりだ。公式にはフランクマンは死んだことにされているが、亡霊を追いかけている者もいる。


 そして、戦争は悪いことばかりではない。

 ドクタートランジットのモーダルシフターが計り知れない恩恵をもたらした。



 ※モーダルシフト社会はみっつのテクノロジーをてにいれた!


「世界線航行技術」  かこの世界やパラレルワールドへじゆうに出入りできるぞ

「ロールバック技術」 MMOでおなじみの「巻き戻し」だ

「モーダルシフター」 えいきゅうきかんだ! 機械にチート能力をあたえることもかのうだ。



「嫁が前線に出ろというから、でますヨ」

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【コヨーテ・枕崎(♀)】

「軍神、無茶しおって……」


≪エンドロール≫



「恋してもいいじゃない!」 作詞:藤田あやこ 作曲・歌 ドットエル


 黒歴史なんて、誰もが抱えているものだから

 寒色系は君に似合わないと言われたんだ! わたし


 何度目かのお祈りメールに凹んでいたカフェテラス

 ありえない澄んだ視線に一目ぼれ


 だから、恋はやめられない 懲りてないよね! 

 わたし、恋をしてもいいよね フワフワしてる


 だから、恋はやめられない 結果オーライだよね 

 わたし、恋をしてもいいよね 



 あなたの囁きで異世界の扉をあけたんだ! わたし

 ハーレムなんてラノベのページに埋もれてる


 人には三度、モテ期が来るっていうじゃない


 だから、恋はやめられない 危険な刺激

 わたし、恋をしてもいいよね ご飯がお美味い





 最後までお読みくださってありがとうございました。


 まだ夏を忘れない那覇港沖 モビーディック号船上にて。2014/11/01



 本稿の執筆にあたり、取材に協力してくださった沖縄平和運動センター、ハワイの戦艦アリゾナ記念ミュージアムの方々

「恋してもいいじゃない!」を歌ってくださったドットエル嬢に感謝します。



 千野 美穗(リーフレット)

 Miho Chino (leaflet) 2014

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カノコイ3~彼女だって恋をしたい。燥華婦人(ミセス・ドライフ 水原麻以 @maimizuhara

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