大団円:極大射程の狙撃者
■ 極大射程の狙撃者
船内時計の日付がじりじりと遡っていく。一か月、二か月、半年、加速度的に過去へ向かう。
グレイスは呼吸を整えて、その瞬間を静かに待った。
チャンスは一度しかない。
女性の判断力や忍耐力は男性より優れていて、戦略創造軍を女性が主導するのはまったく正当だという意見が支配的だ。
彼女は、スカートで大事に包んだ天体望遠鏡を舷窓に向け、その時を逃すまいと目を見開いた。
ペイストリーパレスはいい気になって、増速を続ける。
日付が、二年前の「今日」に近づいていく。
天空には飛び去った彗星が磁石で吸い寄せられるように戻って来た。
たなびく尾の中に、戦略創造軍が打ち上げた偵察衛星が見えた。
グレイスは、ゆっくりと望遠鏡を衛星に向け、術式を唱えた。
超戦闘純文学秘儀『ウィグナーの友人』を発動する時が来た。
溜めこまれた世界線が、か細い円筒から解き放たれた。それは赤い糸となって、偵察衛星に吸収された。
光学センサーは二年前のUSSペイストリーパレスに向いている。
船内では在りし日のドクターとブーケが、毎度おなじみの夫婦喧嘩を繰り返していることだろう。
しかし、今回は違う。アストラルグレイス・オーランティアカという第三者が、その事象を観測しているのだ。
開封した瞬間に猫の安否が決定するという「シュレディンガーの猫」の話には続きがある。
ウィグナーという観測者の友人がたまたま、その瞬間に訪ねてきたらどうなるのか?
観測者の立場は第三者に移る。
グレイスはウィグナーの立場を演じたのだ。彼女の意思によって、事態が大団円へ収束していく。
「何をしたの?!」 異変に気付いたブーケが重力アンカーをたぐり寄せる。
「お前は大きなミスを犯したわ! わたしが、戦闘純文学者が、観測者であることを、ウィグナーの友人になりえる事を知らなかった」
「ウィグナーの友人ですってぇ?」
「世界線から消え失せろ!」
グレイスが天体望遠鏡をバズーカ砲のごとく振り向けると、ペイストリーパレスは爆散した。
もっとも、事象があまりに大きすぎて、修復できない変化もある。
ライブシップ・クミ=ナギコの戦闘指揮所に赤い糸が侵入した。
「やはり、こうなる運命なのね」
クミが見送る中、凪子は穏やかな表情で糸に絡めとられていった。
彼女はミスター念力が残した翡翠のリングを眺めていた。やがて、トランジット家の令嬢として寿命をまっとうするのだろう。
「諸君! わが帝国はこのうえない伴侶を得た。新たな宇宙へ、いざ赴かん」
フランクマン帝国の近衛艦隊は、青く透明なガイアという名の惑星サイズの天使に抱かれていずこかへ飛び去った。
ライブシップ・クミの中にも赤い糸が降り注いだ。メグもサチもカムチャッカ・リリーのすべての構成員が蘇った。
彼女たちは宇宙が妄想した戦争の無い「暗黒宇宙」で理想郷を築くのだろう。
中央諸世界の母星、わし座知性極も例外ではなかった。
「何が霊長類だ。人間どもの勝手な理屈で世界もろとも滅ぼされるのはごめんこうむる!」
牛、豚、鶏を筆頭とする元家畜達は、賛同するライブシップに集い、ライブシップ・クミの跡を追った。
こうして、いくつかの派閥が宇宙から産まれ、旅立っていった。
フレイアスター家の人びと。
シアとコヨーテはメイドサーバントの姿を取り戻し、オーランティアカの姉妹たちも惑星ホールドミーの我が家で、以前と変わりない暮らし取り戻した。
メディア・クラインは執務室で観葉植物に水をやる生活を再開し、トランジット夫妻には凪子という娘が出来た。
カルバリー&モーリー婦妻はマリーを養女に迎え、狼男デスバレーは地球サイズの天使と帝国の再建に歩み始めた。
クミが率いるカムチャッカ・リリーはどうしたか? 復活したメグとその嫁もよろしくやっているのだろう。
物語の世界線はオメガポイントへ収斂した。
黒歴史は書き換えることが出来るだろうか? 出来る、断言する。
アストラルグレイス・オーランティアカという光が、鮮やかな未来を照らしてくれたのだから。
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