第47話 決戦はすなわち舌戦
遠くのほうから剣戟の音や怒号が微かに聞こえてくる。ジュダに命を受けてジョルジオが煽動した反乱軍が、後宮の騎士たちと戦い続けている。
名前も顔も知らぬ彼らが戦う音を遠くに聞きながら、アゼリアはグエスとともにオクタヴィアと相対した。ジュダはぐったりと伏せるエネルゲイアの国王と王太子を介抱している。事前にアゼリアが渡した宝玉で、彼らの身体や魂に書きこまれた魔術式を中和しているところである。
王族ならば洗脳や魅了の魔術に対抗する精神防壁魔術を常時展開しているものだ。けれど、オクタヴィアの魔術は、彼女たちが作った魔道具は、王族固有の精神防壁魔術を遥かに凌駕して
だから、まだ無知であった頃のノアベルトも、エネルゲイアの国王と王太子も、洗脳されておかしくなってしまったのだ。
だとしても、王族は腐っても王族である。手遅れでなければ、きっかけを与えることさえできれば、本来の自我を取り戻すことができるだろう。
うまく、効きますように。と、アゼリアが心の中で静かに祈る。
マクスウェルに書きこまれていた魔術式をもとに構築した特別な
だからアゼリアは、オクタヴィアと向かい合う。自分の役割を果たすために。背筋を伸ばして顎を引く。けれど、淑女の微笑みは浮かべなかった。アゼリアは、自分の感情を剥きだしにした顔と声とでオクタヴィアに立ち向かう。
「オクタヴィア、あなたの狙いは、一体、なんなの!?」
声に乗せた怒りの感情に魔力を乗せる。それは魔術となって、オクタヴィアに向かってゆく。アゼリアは、自分の声が魔術となってレッドカラーの光を放ちながら空間を走ってゆくのを視た。
この世界の魔術には、種類分野別で色がある。
オレンジカラーは便利で生活を豊かにする魔術。類似魔術として、
対人、対生物の
洗脳や魅了などの精神操作系はピンクカラーで、古の魔術や血統魔術系はパープルカラー。
魔術に色はあるけれど、固有の名称や共通の名前はない。名前がなく、魔術式の詠唱も必要としないからこそ、指向性を持つ声や感情に魔力を乗せて魔術とすることができる。
それは美しいとは言えない不完全な魔術だ。精密な式を編むのではない、もっと原始的な魔術。
アゼリアの怒りに任せた魔術は、けれどオクタヴィアの
「あら。あたくし達の目的を理解されていないなんて……ああ、だからマクスウェル様はあんなにも抵抗なさったのね。知っていれば、抗うこともなかったでしょうに。これはあたくしの失敗です、申し訳ありません」
否、オクタヴィアはレッドカラーの魔術を使って相殺したのだ。柔らかい声のどこに、攻撃の意思が宿っていたのか。アゼリアは背筋をゾゾゾと凍らせながら、奥歯を噛んだ。
「そんなことよりも! あたくしの名前をようやく呼んでくださいましたね! ああ……このような夢心地なのね……素晴らしいわ……ふふ、歴代のオクタヴィアが成し遂げられなかったことを、ついに、あたくしが……!」
歓喜に浮かれるオクタヴィア。今にもクルクルと踊りだしそうな気配。夢見心地なその声は、ピンクカラーの魔術を放ってアゼリアを襲う。
「目的を話しなさい、オクタヴィア!」
アゼリアは抵抗心を言葉に乗せてブルーカラーの魔術とし、這い寄るピンクカラーの魔術を防ぐ。
「あたくしの目的に価値などありませんよ。もっとも価値ある存在は、アゼリア様。あなたでしょう?」
「……っ、……!?」
「ふふ、アゼリア様。もう一度あたくしを名前でお呼びになってくださいな。そうしたら、あたくしが歴代唯一のオクタヴィアになれるわ!」
オクタヴィアが恍惚とした表情で、高らかに嗤う。アゼリアの額にはジトリとした汗が滲む。
こんなにも話が通じないなんて、思わなかった。オクタヴィアはアゼリアの言葉に返しているようで、実のところ返してはいない。自分が喋りたいことを喋りたいだけ話しているだけ。
会話のコントロールがまるで効かない。アゼリアが聞きたいことを話すように差し向けても、すぐに会話を盗んで自分のものにしてしまう。
どうしたものか、とアゼリアが攻めあぐねていると、アゼリア同様に戸惑うグエスが耳打ちしてきた。
「リ、リア……悪女がおかしい……のか? いや、これは……どういう状況なんだ?」
「グエス……わたしにも、よくわからないの。けれど……」
アゼリアは一瞬、言い淀んだ。確信が持てないことをグエスに告げていいのか、と。けれどすぐに思い直して自分の推測を言う。
「けれど、我々モルガン家が考えていたことと、実際のところは、もしかしたら、まるで違うのかもしれない」
そう、オクタヴィアの狙いは、もしかしたらオルガンティア王国などではない、と。今までモルガン家がそうだと予測して対策を立ててはいたけれど、それは、全然まったくこれっぽっちも擦りはしないのではないか、と。アゼリアは震える声でグエスに告げた。
グエスは「まさか、そんな……」と短く呟き、正面のオクタヴィアと、隣に立ち並ぶアゼリアとのあいだで視線を行き交わせる。
すると、だ。
「アゼリア様、そんな男とお喋りしていないで、あたくしとお話ししましょう。アゼリア様に隠すようなことは、なにひとつとしてありませんから。あたくしに聞いてくださればいいのよ。上手な質問にはきちんと答えます」
と。アゼリアがグエスと話しているのが気に入らないらしいオクタヴィアが、
きっと、オクタヴィアは答え合わせを待ち望んでいる。モルガン家の人間である自分に、オクタヴィアの狙いを読み解いて欲しいのだ。アゼリアは、そう直感した。
だからアゼリアは、呼吸を整えた。自分の考えを口に出すのが、少し、怖い。怖くて仕方がないから、グエスの手をぎゅっと握って勇気をもらう。
「……オクタヴィア。あなたの狙いは、モルガン家……でしょう?」
「ようやくお気づきになられましたね、アゼリア様。そうです、あたくし達はモルガン家が欲しいのです。モルガン家のアゼリア様を手に入れたいのです。ああ、少しも寂しくはありませんよ。モルガン家の皆さますべてを手にいたしますから」
「モルガン家……ね。それなら、わたくしのお母様は、どうなるの?」
「あら、もう理解されているでしょう? 当然、モルガン家の血を引かぬ方には用はありませんので、消えていただくしかありませんね」
オクタヴィアはうっすらと魔術痕色ピンクの精神操作系魔術を垂れ流しながら、アゼリアの問いに答えてゆく。
早く、早く言葉を紡いで防がなければ。焦るアゼリアの代わりに、ブルーカラーの魔術を言葉に乗せたグエスがオクタヴィアへ疑問を投げる。
「なぜ、モルガン家なんだ?」
「ふふ。モルガン家ではない男の話に答えるつもりはありません」
「なんだと!?」
「……オクタヴィア、なぜ、我々を狙うの?」
「ああ、アゼリア様ッ! あたくし達は、オルガンティア王国に縛られているモルガン家を解放して差し上げたいのです。だって、不自由でしょ? あなた方は尊い存在なのに、どうしてオルガン家に使われなければならないの?」
グエスには塩対応であったオクタヴィアが、アゼリアの問いには嬉々として返した。ここまでわかりやすいと、返ってオクタヴィアが怖くなる。
なんてこと、これはいわゆる、箱推しというものでは? なんて考える一方で、アゼリアのこめかみから汗が一筋流れ落ちた。
けれどアゼリアは冷静に言葉と魔術を紡ぎながら、毅然とした態度で立ち向かう。
「我々は
「アゼリア様は知らないだけです。オルガン家に使われていないのならば、どうしてマクスウェル様がたかが侯爵子息の尻拭いのために派遣されなければならなかったのでしょうか?」
「……っ、……それは……」
「ほら、答えられないでしょう? だからあたくしが、あたくし達がマクスウェル様を保護して差し上げたのよ」
オクタヴィアがニコリと深く嗤ってアゼリアを追い詰める。アゼリアはもう、防戦一方だ。悪女の言葉を完全否定できない曖昧な反論は、防御魔術として効果を成さない。
甘い甘いオクタヴィアの声と言葉が魔力を帯びて、アゼリアの耳から染みこんでくる。
「それに、オルガンティア王国の始祖は、モルガン家のほうではありませんか。オルガン家は元々、モルガン家の家臣でしかなかった。それを、建国時の最初の婚姻で、モルガン家の長女様をオルガン家が娶ったから……」
「それは……そう、ですが……」
アゼリアはもう、オクタヴィアの言葉が正しい、と思いかけている。だって、オクタヴィアの話はほとんど正しい事実だから。
そもそもの話。
モルガン家とオルガン家は、最初の一代限りの婚姻をしているのだ。いわゆる二重婚姻で、モルガン家とオルガン家の兄妹同士で婚姻した。それ以降は、三盟約を結んだこともあって、モルガン家とオルガン家のあいだに婚姻は、ない。
けれど、モルガン家にとって王家とは、物凄く遠い親戚なのである。かなり薄過ぎるのだけれど、両家には同じ血が流れている。
そうして、薄いとはいえ同じ血が流れているから、三盟約のような魔術契約が可能となっている。
それに加えて、オクタヴィアの言う通り、元々は、モルガン家が主家でオルガン家は従家であった。けれどモルガン家の人間は、人の上に立つことはできても、国を治めることには向いていない。オルガン家のほうが統治の才能があって、それゆえに王家となった。
こんなこと、もうモルガン家の人間か優秀な歴史家くらいしか知らない話だ。オクタヴィアはそれを引っ張りだしてきて、自分の悪行を正当化しようとしている。
「ほら、やっぱり。モルガン家はオルガン気に使われて、幾人もの犠牲を払い、国に縛られ、自由などないのです」
「……そ、んなこと、は……」
オクタヴィアの口車に乗せられそうになっている。それがわかっているのに、アゼリアの心は石のように固まってしまって動かない。
悪女が常時垂れ流す洗脳魅了魔術に呑まれて、舌戦でだって惑わされ、アゼリアはもう、どうすることもできなかった。
けれど、である。
「リア、リア! 駄目だ。あの女の言葉を聞いてはいけない。呑まれていいのは、
アゼリアの肩を揺さぶりながら叫ぶグエスの声に救われた。
いつだって、そう。グエスの声は、その存在は、アゼリアを正気に戻し、敵に立ち向かう気力を与えてくれる。
「ありがとう、グエス」
アゼリアは短くお礼を言うと、ひとつ深呼吸をした。大きく吐いて、それから吸う。吐いた呼気とともにオクタヴィアの魅了魔術を祓い、吸った息を肺に満たして目を覚ます。
思考はクリア、魔力は充分。曇っていた頭も心も、それから目も、今は真っ直ぐオクタヴィアを睨みつけている。
「あなたの提案は、到底受け入れられないわ。我々は
アゼリアの叫びは魔術となって、一直線にオクタヴィアへ向かう。迷いのない拒絶は、とうとうオクタヴィアに届き、貫いた。
黒い目をパチクリと
「ああ……アゼリア様、それならあたくしを早く殺してくださいな。そうしてあなたのモノにして」
「わたくしが欲しいと思うのは、グエスと『あくのそしき』のボスの座だけよ!」
苛烈な叫びは、再びオクタヴィアを貫いた。何度も何度も血を吐いて、口元から胸まで深紅に染めたオクタヴィアは、それでも尚、諦めなかった。
よろめきながらも膝を突くことなくアゼリアに向かって一歩踏みだし、手を伸ばす。
「……そう。殺してくださらないなら、あたくしがアゼリア様を殺して、あたくしのモノにするわ!」
オクタヴィアの執着が、妄念となって魔術を構築してゆく。ピンクとレッドの魔術痕色が混ざり合い、濃厚なマジェンタカラーの魔術式がアゼリアを襲う。
けれどアゼリアは
「そんなもの、当然、お断りよ!」
そうしてアゼリアの力強い拒絶に貫かれたオクタヴィアは、その衝撃によってマジェンタカラーの魔術式を展開する前に霧散させた。散りゆく光がハラハラと宙空に溶けてゆく。
なにが起きたのか理解できずに茫然と
魔力や魔術の痕跡を視るアゼリアの眼は、オクタヴィアの周りに、意味のある魔術式が存在しないことを視た。そして、アゼリアが放ち貫いた魔術が楔となってオクタヴィアの魂に刻まれ、もう、まともな魔術式を編めないことも。
「もう終わりよ、観念なさい」
「いや……いやよ……、せっかく、手を伸ばせば届く距離に、モルガンがいるのに……。ああ……アゼリア様……どうか、どうか……あたくしを奪って、あなたのモノに……」
そこへ、タイミングをはかったかのようにジュダがあらわれた。
「お前の行く末を決めるのはアゼリア嬢ではない。エネルゲイアの新たなる王だ」
国王と王太子の解呪が終わったジュダが、アゼリアに集中していたオクタヴィアの背後を取っていた。
オクタヴィアとの戦いは、すべて、このときのため。時間稼ぎだった。
はじめからアゼリアは、オクタヴィアにとどめを刺すつもりはなかった。アゼリアの目的は、オクタヴィアを無力化すること、それだけだ。
アゼリアにはオクタヴィアを処刑する権利はなかったし、その権利を持つジュダは国王と王太子を救うことを優先したかったから。
それに『あくのそしき』の構成員にとって、殺しは最終手段なのである。たとえ、それが、愛する兄の仇であったとしても。憎き悪女であっても、だ。
よかった、間に合ったのだ。と安堵しながら、アゼリアはジュダに目配せをする。解呪が間に合ってよかった、という純粋な思いと、オクタヴィアを殺してしまう前に来てくれてよかった、という不純な思いが混じり合ってはいたけれど。
ホッとして力が抜けたせいか、アゼリアがたたらを踏む。そんなよろめくアゼリアを支えたのは、当然、アゼリアの婚約者であり、ともに生き支えると誓ってくれたグエスであった。
グエスもホッとしたように、アゼリアの背中を抱えこむように抱きしめる。その指が、腕が、震えていた。アゼリアはその震えを抑えるように、グエスの腕に自分の手をそっと添えた。
そうして。
「オクタヴィア・エンテケレイア。国家侵略罪並びに王族を害した罪で即刻処刑とする」
ジュダが淡々とそう告げて、引き抜いた腰の剣で朱に染まるオクタヴィアの胸を刺し貫いたのだった。
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