第46話 それが罠だとわかっていても

 エネルゲイアの第二王子であるジュダが、実の父であるエネルゲイア国王に反旗を翻す。そんな王位簒奪さんだつ劇は、別に珍しくもなんともない。


 ただ、三盟約の守護もあり、今まで一度も反乱が起こったことのないオルガンティア王国出身であるグエスは、ジュダの決意に少しばかり驚いたようだった。


 グエスは工作員エージェント時代、アゼリアとともに、いくつかの組織の下克上を制御コントロールしたことがある。けれど、それはあくまでも末端の工作員エージェントとして、だ。


 だから、他国とはいえ王位転覆に手を貸すだなんて。なんて『あくのそしき』っぽいのかしら!? と、途中から思考が踊るアゼリアをよそに、グエスが真剣な顔でジュダに問う。


「……殿下。殿下の望みはなんですか?」

「僕の望みは、父上と兄上の解放だ。彼らはオクタヴィア様……いや、オクタヴィアに骨抜きにされている。おそらく、魔術を使って。……まだ救えるのなら、救いたい。せめて兄上だけでも」


 それを聞いたアゼリアは、踊る思考から秒で抜けだした。マクスウェルのことを思い出したからだ。


 兄の姿を、最後を思い出すと、まだ胸が痛い。チクチクと刺されるような、ジクジクといたむような、そんな感覚に襲われる。


 マクスウェルは救えなかった。アゼリアの腕の中で光となって消えてしまった。


 けれど、だ。


 けれどエネルゲイアの国王と王太子は、まだ、間に合うかもしれない。救えるかもしれない。


 悪女たちが国王や王太子を魅了し洗脳して、なにをしたいのか。やはり、王を操り権力を手にし、執着しているオルガンティア王国を手に入れるためか。


 それにしては、オルガン家の血を引くジュダに対する態度と、モルガン家である自分に対する態度がまるで違う。と、アゼリアは違和感で目をスゥ、と細めた。けれどすぐに首を振り、正面に座るジュダと真っ直ぐ向き合う。


「わかりました。可能な限り、叶えましょう」


 はじめに誘拐されたときにはジュダに手を貸すことになるなんて、思ってもみなかった。それが今では、グエスをも巻きこんで、エネルゲイア第二王子にくみする反乱共謀者だ。


「ありがとう、アゼリア嬢」

「お礼を言うのはまだ早いかと。お父上や兄上を救いたいのでしたら、ぐずぐずしている時間はありません。……すぐにでも動けますか?」

「それは、どういう……」


「悪女たちは囚われの人に魔術研究と称して、さまざまな魔術式を身体と魂に書きこむ実験をしています。それは呪いと同じ。書きこむ余地がなくなれば、あとは光になって消えてゆくだけ」


「その情報をどこで?」

「……命懸けで教えてくれたひとがいるの。彼の消失を無意味なものにしないためにも、早急に動く必要があります」

「わかった。……ジョルジオ、みんなに伝えてくれ。夜明けとともに後宮へ攻め入るぞ」

「承知しました、殿下。……では皆様、私は失礼します」


 ジュダのめいを受けたジョルジオが、商人らしくないキビキビとした一礼をして、部屋を去っていった。王族らしいジュダの態度に感化されたのだろう。ジョルジオの王城務めの癖がでたのだ。


 あとで、もう少し商人らしく振る舞いなさい、と言っておかなければ。そんなことを考えながら、アゼリアはジョルジオの背中を見送った。


 そうして部屋にはアゼリアとグエス、それからジュダの3人だけ。数秒の沈黙ののち、ジュダが背筋を伸ばしてアゼリアを呼んだ。


「アゼリア嬢」

「なんでしょう?」

「……攫って悪かった。けれど、今、ここに貴女がいてくれて、とても頼もしく思う」




 そうして夜明けとともに、それははじまった。


 エネルゲイア第二王子を指示し、反乱による王権の移譲に賛同する兵たちをともない、後宮へと向かう。


 民兵ばかりと思っていたけれど、反乱軍を構成する大多数がエネルゲイアの騎士たちだったことには、アゼリアもグエスも驚いた。騎士がいる、ということは、その後見となっている貴族がいる、ということだから。


 思った以上にジュダは、用意周到にこの反乱を計画していたのかもしれない。

 もしかして、わたしの手助けなんて不要なのでは? なんて思いながらも、アゼリアは緊張からか、厳しい表情を浮かべているジュダに声をかけた。


「先にエネルゲイアの国王と王太子様を探しましょう。手遅れになる前に。……殿下、心当たりは?」

「ある。西棟の最上階だ。そこにオクタヴィアの寝室がある」

「わかりました、まずはそこへ行きましょう。その前に……殿下、こちらをお持ちください」

「この宝玉は……?」

「ある方の症状を元にわたくしが構築した呪解デスペル魔術が封じられています」

「……! なるほど、わかった。アゼリア嬢、ありがとう」


 アゼリアはひとつコクリと頷いて、前を見据えた。前方には、つい数時間ほど前まで囚われていた後宮がそびえ立つ。


 兄の犠牲を無駄にはしない。アゼリアは儚く散ってしまったマクスウェルの最後の顔を、声を思い浮かべながら後宮を睨んだ。


 美しいドーム状の屋根、青や黄色といったタイル張りの壁面。白い壁は漆喰か、それとも白い岩を切りだした物だろうか。それは、なにかを象徴するように朝日を浴びて淡紅コーラル色に輝いていた。




 後宮への侵入は、思った以上に簡単だった。


 後宮の騎士の気配はすれど、姿は見えない。反乱軍に先行して後宮へ突入したアゼリアたちは、なんの障害もなく最上階までたどり着いてしまった。


 つまり、これは、罠だ。


 オクタヴィアはすでに第二王子の反乱を知っている、ということ。


 その証拠に、階下で騎士と反乱軍がぶつかり合って剣を交える音が、徐々にではあったけれど、聞こえだしたから。アゼリアたちと反乱軍を分断するかのような動きは、きっとオクタヴィアの指示だろう。


 それでもアゼリアたちが歩みを止めることはなかった。もとよりオクタヴィアの隙を突こうという計画ではなかった。後宮を武力制圧する、という計画でもない。狙いはただひとり、悪女オクタヴィアだけ。


 オクタヴィアは悪女である。けれど、魔王ではない。


 武力を持って後宮を支配しているのではなく、精神魅了系の魔術と本人の魅力によって支配している。だから、オクタヴィアさえおさえれば、その支配も解ける。はずだ。


「……ここまで騎士を退しりぞけて、悪女はなにを考えているんだ?」


 アゼリアの隣をゆくグエスが、人気ひとけのない廊下を警戒しながらそう言った。アゼリアはグエスの疑問に答えるように口を開く。


「オクタヴィアの考えはわからないけれど、迎え撃つ用意があるとか、返り討ちにできる自信があるとか、そういうことではないと思う」

「リア、それはどういう……?」

「上手く言えないけれど、オクタヴィアは……」


 アゼリアの言葉はそこで途切れた。先行するジュダがある部屋の扉を蹴破って入っていったから。


「オクタヴィア・エンテレケイア! 父上と兄上を返してもらいにきたぞ!」


 オクタヴィアの寝室は、暗く広かった。天蓋つきの大きなベッド、毛足の長い深紅の絨毯。


 その部屋の中央で、オクタヴィアはアゼリアたちが来るのを待ち構えていたかのように、両手を広げて出迎えた。羽織ったホワイトシルクのガウンが常夜灯の光を受けて妖しく輝いている。


「あら。騒々しいですね、こんな時間に何事ですか?」


 コトリ、と首をかしげる様が、実にわざとらしい。アゼリアはそんなオクタヴィアを鋭く睨みつけ、今にも爆発しそうな感情を抑えこんでいる。


 この女は。優しい顔で他人ひともてあそぶこの悪女は。マクスウェルの仇だ。


 今こうしてアゼリアが、瞬間沸騰湯沸かし器にならずにすんでいるのは、ひとえにグエスの存在のおかげだ。グエスがいなければ、後先考えずにオクタヴィアに斬りつけていただろう。……刃物はなにひとつとして持っていないけれど。


 そんなアゼリアの心を読んだのか。それとも単に意地が悪いのか。オクタヴィアは赤い口でニタリと笑って愉悦混じりの声で言う。


「あらら、アゼリア様。あなたがそちらにいらっしゃる、ということは、マクスウェル様を犠牲になさったのね。でも、最後に会えて、よかったでしょう? あたくしには、もう、アゼリア様がいらっしゃるから、マクスウェル様は解放して差し上げたのよ。……結局、無理をして消失してしまわれたけれど」

「黙りなさい。あなたがお兄様を語らないで」

「……あら。怒られてしまったわ。怒った顔も声も、素敵ですよアゼリア様。……それで、ジュダ。あなたは何用ですか?」


 おどけたように肩をすくめるオクタヴィア。その仕草にカッとなったのは、アゼリアだけではなかった。


「父上と兄上を返せ!」


 目のわったジュダがオクタヴィアに語気荒く要求する。オクタヴィアはクスリとひとつ笑うと、ベッドの端を指差した。


「ええ、どうぞ。その辺りに転がっていると思いますから、ご自由に。ふふ、王族だからと期待したのに、思ったよりも使えなかったわ」


 オクタヴィアが指差した方向には、悪女に魅入られしエネルゲイア国王と王太子。生気の薄れた青白い顔、うつろな目、ちからなく横たわる身体。彼らはもう用済みだといわんばかりに打ち捨てられていた。


 精神的にも肉体的にも危険な状態である、とひと目でわかる。

 そんな国王と王太子の姿を目の当たりにしたジュダが、無意識のうちに駆けだした。


「兄上ッ!」

「……ぁ……、……ぁ?」


 ジュダが声をかけても返ってくるのは意味のない音声だけ。以前ジョルジオから聞いていた症状より、悪化している。


 アゼリアは一度目を閉じて、ゆっくりと開けた。そして、力なく伏せる彼らの魔術痕色を視る。様々な魔術式が書きこまれた身体と魂。その色は、ほとんど白に近い。


「なんてこと……!」

「これは酷いな……」

「……グエスにも視えたの?」

「ああ、視た。もう余白がほとんど残っていない」

「クソ、もっと早く僕が気づいていれば……。兄上、父上……!」


 ジュダが兄である王太子の身体を抱き起こし、くちびるを噛み締めている。そんなジュダの後悔を踏みにじるかのように、オクタヴィアが嗤った。


 蔑むような冷たい目、そのくせ声はどろどろに甘くて転がる鈴のよう。オクタヴィアはまるで、どうでもいい、というかのような無関心さでジュダを追いつめる。


「ふふ、大丈夫ですよ。ジュダがもっと早く気づいていたとしても、彼らがあたくしにあらがうことはできなかったでしょうから」

「……ッ、……それでも、それでも僕が……」

「そうだとしても、なにも変わらないわ。ジュダが無力なのは、今にはじまったことではないでしょう?」

「あ、あなたねぇ……」


 思わずアゼリアが口出ししてしまうほど、オクタヴィアの言葉は酷かった。


 けれど、だ。アゼリアが口出しした途端、オクタヴィアの目に、声に、感情らしい感情が宿るのを感じた。


 驚きで見開く黒い目に光がともる。冷えた頬が薔薇色に染まる。まるで少女のようなはしゃぎようでオクタヴィアが手を叩いて喜んでいた。


「どうされたの、アゼリア様? だって、本当のことでしょう? だぁれもあたくしには敵わないの。敵うとしたら、それはモルガンだけよ、お嬢様」


 オクタヴィアは愉しそうに嬉しそうにそう言うと、花がほころぶように可憐に嗤った。


「だから早くはじめましょう。あたくしの用意はもう済んでいるわ」


 そうして、オクタヴィア・エンテケレイアとアゼリア・モルガンの魔術戦たたかいがはじまった。


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