第45話 ともに歩くということ

「ああ……お兄様……」


 アゼリアの嘆きが夜の街の片隅で渦を巻く。兄マクスウェルを二度も失ってしまった。アゼリアが6歳のときと、そして、今日。アゼリアは、ただ涙を流すことしかできない。


 マクスウェルはなにも残していかなかった。否、残していったのは、アゼリアの兄としての言葉だけ。今も昔も、形見の品を残していってはくれなかった。


 だからアゼリアには、すがる物がなにもない。胸に抱いてなげすべがない。胸の内で暴れる悲しみと無念とを、抱き締めながら慰めることができない。


 だから声も上げずに涙を流す。声を上げてしまったら、マクスウェルの暖かく優しい声を忘れてしまいそうだったから。


 そうやって何時間泣いただろう。いや、数分の出来事だったのかもしれない。あるいは数秒か。


「リア! リア、ようやく見つけた……!」


 アゼリアに駆け寄り、細い肩を抱き締める存在グエスに気づいても、アゼリアはどこか遠くの出来事のように放心したまま。


「……、…………」

「泣いているのか? リア、なにがあった?」


 グエスの呼びかけに答えたくても答えるのが億劫だ。アゼリアはもう少し、マクスウェルとの短い思い出に浸って泣いていたかった。


 なにも答えず反応もしないアゼリアに、グエスは奥歯をギリリと噛み締める。けれどなにも言わずにアゼリアの手を握り、背中を何度も大きく撫でた。


 その手の大きさと力強さに、アゼリアの気持ちが徐々に落ち着きはじめた。けれど、まだ、アゼリアはしょぼくれたままだ。顔を上げて背筋を伸ばすなんて、まだできない。


「グエス殿、勝手に動かれては困る……、ん? アゼリア嬢? なぜ、ここに?」


 グエスに遅れて数分後。今度はジュダがやってきた。いや、グエスにようやく追いついた、といったほうが正しいのかもしれない。


 息を切らせ、肩を上下させているジュダが、声もなく泣くアゼリアと、アゼリアの背中を撫でるグエスとを交互に見ている。

 やはりアゼリアは反応らしい反応を見せずに、滂沱の涙を流すだけ。


「…………、……」

「リア……」


 声は聞こえている。体温だって感じている。それなのに、心だけがつめたくえて動かない。決して無視をしているわけじゃないけれど、アゼリアはジュダやグエスの声になにも返せないでいる。

 一点を見つめて喋らないアゼリアに、ジュダが言う。


「アゼリア嬢、グエス殿。ひとまず安全な場所へ行こう。ここで話していても埒が開かない」

「……そうだな、そうしましょうジュダ殿下。安全な隠れ家がある、と言っていましたが」

「ああ。ともかく、行こう。アゼリア嬢がここにいる、ということは、今頃、後宮では大騒ぎになっているということだから」


 そうして人形のようになってしまったアゼリアは、グエスとジュダに連れられて隠れ家へと向かう。




 向かった先の隠れ家は、ガーランド商会が提供した屋敷であった。エネルゲイア王都の一角にある貴族区画と平民区画のあいだにあるその屋敷の内部は、あらゆるひとで賑わっていた。


 静観なる外観とは打って変わって、内側はひとで溢れている。慌ただしく行き交う商人、鎧を鳴らして駆ける兵士、そして、炊事をまかなう女性たち。


 そんな賑やかな屋敷にあっても、アゼリアはいまだ心を閉ざしたままだ。


 屋敷の奥の部屋に連れて行かれたアゼリアは、グエスに介助されながらソファへ座る。隣にはグエス、正面にはジュダだ。

 座り心地がいいとか、部屋が暖かいだとか、そんなどうでもいい感想を抱きながら、アゼリアは口を閉ざして目を伏せる。


 涙はもう枯れてしまった。けれど、落涙していないからといって、泣いていないわけじゃない。アゼリアはぼんやりする頭で、気遣ってくれているグエスの声を静かに聴いていた。


「リア、遅くなってすまない。国家間の紛争にしないための根回しに手間取ってしまった」


 グエスの言葉に、アゼリアはそっと安堵した。表情にはでないけれど、よかった、と思う。

 アゼリアが誘拐されてしまったことが理由で国家間の紛争にでも発展したら、目も当てられないからだ。それを回避するために根回ししてから来てくれたのだ。やはりグエスは優秀だわ、とアゼリアの心がわずかに揺れる。


 グエスからの手紙も偽装は完璧だったし、慣れない街でわたしを見つけてくれた。やっぱりグエスは素晴らしい、側にいてくれるだけで力が湧いてくる。


 そう思うアゼリアの瞳に、少しずつ光が戻る。けれど、だ。突然ジュダが立ち上がり、アゼリアの側までくると、今度は床に膝をついてこうべを垂れた。


「アゼリア嬢……君を守るつもりで閉じこめていたのに、オクタヴィア様に見つかるなんて……本当にすまない」


 ジュダの心からの謝罪にグエスが反応した。アゼリアをジュダから隠すように抱き寄せると、眉を吊り上げてジュダに怒鳴った。


「おい、リアを監禁していたのか!?」

「し、仕方ないだろ! ……非公式に連れてきてしまったのだから……」

「ああ、そうですね。殿下がリアを誘拐などしなければ、こんなことにはならなかったのです」

「ぐ……っ」

「そちらの事情はわかりませんが、こうしてリアも取り戻せましたから、我々は夜が明けたら出国させてもらう」

「おい、せめてアゼリア嬢が回復するまで待ったらどうだ?」

「駄目です。リアを利用しようとしていた人間の側になど、置いておきたくはない。本当は、今すぐにでも出ていきたいのに……」

「駄目よ!」


 ふたりの舌戦に割りこんだのはアゼリアだ。焦燥感で揺れる赤い眼でグエスに縋りつきながら、まだ帰れないと訴える。


「駄目よ、それは駄目。グエス、なにもしないまま帰れないわ」

「……リア? ああ、よかった……戻ってきてくれたのか……」


 グエスがホッとしたように頬を緩めて息を吐く。心配をかけすぎてしまったのかもしれない、と反省しながらも、アゼリアは首を振って言葉を続ける。


「グエス、ねえ、駄目よ。このまま戻るなんて、駄目!」

「リア、リア。どうしてそんなことを……もしかして、ジュダ殿下にほだされでもしたのか?」

「違うわ、ありえない」

「では、なぜ?」

「悪女を……オクタヴィアを倒す絶好の機会なの」

「…………」

「それに、わたし、殿下と約束したのよ。ともにエネルゲイアを立て直しましょう、と。約束を破るわけにはいかないでしょう?」

「リア……」

「グエス、大丈夫。ジュダ殿下と結婚する、という意味ではないから。それに……」

「それに?」

「……それ、に……」

「リア、言って欲しい。自分はリアの力になりたい。リアが進む道がいばらでも修羅でも、ともに歩いてゆくために」

「グエス……」


 兄の仇を取りたいのだ、と。復讐をしたいのだ、と。ストレートに言ってしまうのは躊躇ためらわれた。アゼリアは逡巡しながら視線をさまよわせる。


 グエスはいつも、なにも言わないアゼリアに寄り添おうとしてくらる。歩み寄ってくれる。


 呼吸を一秒、二秒。ゆっくり吐いて、そして吸う。背筋を伸ばして、顎を引く。真っ直ぐグエスの目を見つめてから、可憐な舌に報復の決意を乗せて告げる。


「わたし、お兄様のかたきを打ちたいの。お兄様をもてあそんだ悪女たちを、絶対に許せない」


 決して美しくはないアゼリアの言葉だったけれど、グエスは大きく肯定するように頷いた。頷いて、アゼリアの手をキュッと握りしめる。


 暖かく大きな手。その感触に、失われてしまったマクスウェルの冷たく儚い手を思い出した。アゼリアの涙腺が少しだけゆるんでしまう。


 けれど、目元に滲んだ涙をグエスが指でぬぐいながら言う。


「わかった、仇を打とう。自分はなにをすればいい?」

「隣にいて。もう、離れ離れにはならないで」


 アゼリアのくちびるが、切実さで震えた。グエスはアゼリアの想いに応えるように抱きしめて、そして「必ず守る」とだけ。それだけ囁くように小さく告げた。


「あー……すまん、アゼリア嬢が復活したのはいいんだが、僕の存在、忘れてるだろ?」


 そんなふたりのいい雰囲気を壊したのは、ジュダである。ふたりの会話に入っていけずに置き去りにされていたジュダは、これからの話をするためにも、アゼリアとグエスのいい雰囲気をぶち壊すしかなかったのである。


 気まずそうに首の後ろをガリガリと掻くジュダ。一瞬でもジュダの存在を忘れていたことに気づき赤面するアゼリア。そうしてグエスがアゼリアを我がもののように抱き寄せて、鼻で笑って言い返す。


「大丈夫だ、忘れていない。今のは見せつけたんだ」

「グエスったら……!」

「わかった、わかったから! もう見せつけるな! ……それで、話を進めても?」

「ええ、どうぞ」

「進めてください、殿下」


 アゼリアもグエスも、作戦会議となれば切り替えは早い。すぐに真面目な顔つきに変わって互いに離れ、ソファに座り直す。

 ジュダが膝の上で手を組んで、少し前のめりになりながら、声を落として話しだした。


「この屋敷は、ガーランド商会が所有する屋敷だ。ジョルジオに無理言って用意してもらった」

「別に無理ではありませんでしたよ。殿下は民から好かれていますから。彼らもこころよく屋敷と物資を提供してくれました」

「ジョルジオ!」

「はは。アゼリア嬢は本当にジョルジオが気に入ったようだね。でも彼は譲れないよ、僕の頭脳ブレインのひとりだからね」


 いつの間にこの部屋に入ったのか。それとも、はじめから控えていたのか。ジョルジオがジュダの斜め後ろ横に立っていた。


 そんなことよりも、である。いつの間にかジョルジオは、相当出世したらしい。あるいは、ジュダの心を真に捉えたか。やるわね、ジョルジオ! とアゼリアは胸の内で賞賛を送った。


 ジョルジオは、というと。ジュダに頭脳ブレインと言われてもおごることなく控えめにたたずみ、淡々と報告をする。


「民衆は殿下の味方です。ここ数年、顔も見せない国王よりも、街に降り、彼らの言葉に耳を傾けている殿下の味方である、と」


それを聞いてアゼリアは、自分が囚われているあいだにジュダがジョルジオと手を組んで反乱の準備を着々と進めていたことが、よくわかった。


 殿下は本気なのね。そう思ってアゼリアは、おへその辺りに力を入れる。ジュダが覚悟して計画を進めたのなら、アゼリアもその手伝いをしなければ。


 と、アゼリアが密かに決意に燃えていると、隣に座るグエスが不安そうに眉根を寄せて袖を引く。


「……リア、これはまさか」

「そうよ、グエス。わたし、ジュダ殿下による反乱のお手伝いをする、と約束したの。ここまで準備が整っているとは思わなかったけれど」


 アゼリアは美しくニコリと笑って、グエスに返した。

 ジュダの反乱計画を推し進めること。それは、兄マクスウェルのかたき、悪女オクタヴィアへの復讐にもなるのだ、と。


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