第43話 悪女のおもてなし

「うふふ、美しいわぁ……宝石みたいにキラキラしてる……」

「見て、この肌! モチモチでスベスベ。永遠に触っていられるわ。摩擦が肌の劣化を呼ぶから、もう触らないけど!」

「ねぇ、アゼリア様。果物は好き? 食べさせてあげるわ、なにがイイ?」

「そんなことより、こっちのドレスを着てよ! 絶対似合うわ!」


 オクタヴィアが支配する後宮のとある一室で、アゼリアはオクタヴィアによく似た女性たちに囲まれて、一方的に構われていた。


 彼女たちの問いかけに、アゼリアは答えられない。喋りたくても喋れない、声をだそうとしても声がでない。そういう魔道具を使われているからだ。


 アゼリアの声を封じた魔道具は、アゼリアの細い首に嵌められた首輪だ。アゼリアは、いろどり豊かな宝石が散りばめられた首輪を嵌められて、巨大な鳥籠に閉じこめられている。


 首輪はアゼリアの声だけを封じているわけじゃない。魔術式を編もうとすると、式が霧散してしまうような、術式構築阻害の効果もあるらしかった。


 その鳥籠の檻の外からアゼリアを囲み、珍しい愛玩動物ペットを可愛がるように彼女たちはアゼリアを構う。

 キラキラした眼で観察され、檻の隙間から手を取られて撫で回され、カットされた果物を口元に押しつけられ、煌びやかなドレスを差し入れられた。


 次はどんなことをされるのか、と精神的な疲労を感じながら、アゼリアはそっと目を伏せた。

 すると、そんな疲れたアゼリアを目敏めざとく見つけたオクタヴィアが、


「こら。アゼリア様が困惑しておられるわ。あなた達、少し遠慮なさいな」


 と。アゼリアの想いをみ取るような言動で、鳥籠に群がる彼女たちを追い払うような仕草を見せた。

 そうしてオクタヴィアは鳥籠に近づいてアゼリアの手に触れながら、優しい声で気遣うよなことを言う。


「こんなに大勢が一遍に話しかけたら困りますよね。ね、アゼリア様?」

「……あ……えっと、……はい」


 しばらく振りに声をだせたアゼリアは、オクタヴィアに同意することしかできなかった。オクタヴィアの手が、すぐにアゼリアから離れたからだ。


 アゼリアに嵌められた首輪は、嵌められた者の声を封じてしまうけれど、あるじであるオクタヴィアが肌に触れているときだけは声をだせる特殊な魔道具だ。


 そんな変態的で悪趣味な魔道具をつけられたアゼリアの疲弊度は、高い。自由に声をだせないことが、こんなにも辛いことだなんて。


 再び声を封じられてしまったアゼリアは、オクタヴィアと彼女たちのやり取りを黙って見ていることしかできなかった。


「ほら。あなた達、下がりなさい。アゼリア様のお世話はあたくしが行います」

「そんな、ズルいわ姉様! せっかく活きのいい新鮮フレッシュなモルガンなのに!」


 彼女たちの中のひとりが、不可解な悲鳴を上げた。


 待って。確かにわたくしは生きているから活きがいいけれど、新鮮フレッシュなモルガン、って、なに。


 彼女たちのひとりから飛びだした不穏な発言に、アゼリアは思わず眉をひそめてしまった。

 まさか、新鮮フレッシュではないモルガンが、モルガン家の人間が、ここにいるか、いたかしたということ?


 まさかまさか、それはお兄様なのでは?


 アゼリアの心臓が急にドクドクと動悸する。呼吸だって浅く早くなる。アゼリアは慎重に耳を澄ませて、オクタヴィアた彼女たちの会話を聞いた。


「姉様、新鮮フレッシュなのよ!?」

「そうよ、そうよ! 貴重なモルガンなのに!」

「姉様ばかりズルいわ! お世話したい、お世話したい!」

「ベタベタに可愛がってとろとろに甘やかして美しく磨くから! ね、お願い!」

「黙りなさい。新鮮で貴重だからこそ、あたくしが管理するのよ。あなた達には任せておけないわ。あなた達、せっかくのモルガンを台無しにしたばかりじゃない」


 オクタヴィアの酷く冷たい声が、彼女たちにピシャリと叩きつけられる。その声の冷たさと鋭さに、彼女たちはビクリと肩を跳ねさせた。


「……ッ、……はぁい。わかりました、姉様」

「……姉様がそう言うなら、仕方ないわ」

「……アゼリア様ぁ……」

「……またね、アゼリア様。お元気で」


 彼女たちはどうしてか悲しそうな顔をしてアゼリアに別れの言葉を贈ると、すごすごと引き下がり部屋を出ていった。


 扉がパタンと閉まる寸前、彼女たちのひとりが涙を流している様子がチラリと一瞬、アゼリアには見えた。


 なに、あれは、なに。どういう意味なの。アゼリアは、オクタヴィアとふたりきりという状況に、ここではじめて恐怖した。


 背筋をゾゾゾと這い上がる悪寒。真綿で首を絞められるような圧迫感。そういうものをアゼリアは感じて震えた。


 ジュダによれば、オクタヴィアはオルガンティア王国に、それもオルガン家の血筋に執着しているという。けれどこれでは、モルガン家の血に執着しているようではないか。


 もしかして我々モルガン家は、長年に渡ってとんでもない勘違いをしていたのでは?


 そう考えた途端、アゼリアの顔から血の気が失せた。青白く冷えたアゼリアの頬を、オクタヴィアの美しく細い指が撫でる。愛しいものに触れるように慎重に。けれど確かな感触を持って。


 そうしてオクタヴィアは嗤った。三日月のように目を細めてアゼリアを見つめる。その視線は、まるで値踏みしているかのようであり、ようやく望むものを手に入れたという充足感に満ちているようにも見えた。


「さあ、アゼリア様。うるさい邪魔者はいなくなりましたわ。さあ、あたくしの心ばかりのおもてなしをご堪能くださいませ」



 ニタリと嗤うオクタヴィアの眼に、アゼリアは囚われてしまった。



 そうしてはじまったのは、オクタヴィアによる身体接触をともなう接待だ。苦痛から快楽まで、バリエーション豊かなおもてなしを受けるアゼリアは、ベッドの上で身悶えていた。


 オクタヴィアの熱い指が、身体のあちこちを押し触る。その度にアゼリアの肩や腰がビクリと跳ねて、苦痛を示す声が漏れる。


「……うっ、……ぅあ、……ッふぅ……!」

「あら。耐えますね、アゼリア様。さすがはモルガンのお嬢様。普通の人間なら、あっという間に根を上げますのに」


 アゼリアに接待を施しているオクタヴィアは、涼しい顔だ。むしろ感心したようにアゼリアを見つめ、微笑んだ。


 アゼリアの声がでる、ということは、つまり、そういうことだ。


 オクタヴィアの手がアゼリアの白い素肌を撫で回し、触り倒し、そして揉み上げる。香り豊かな特殊なオイルを肌に擦りこまれ、ぬるぬるに滑りよくされた。

 アゼリアは今、靴下ストッキングを脱がされた素足を揉みほぐされていた。


「あっ、あ……や、やめ……やめて……ッ」


 震える喉から上がる声は、か細く弱い。オクタヴィアの手や指から逃げるようにアゼリアは身を捩らせる。けれど、逃げられない。オクタヴィアがそれを許さない。


 身悶えて苦痛に息するアゼリアをオクタヴィアは愉しそうに見つめている。そして、アゼリアの足を優しく優しく撫でてから、力をこめてググッと押した。


「ひっ……! ……ぅ、あァ……ッ!」


 痛い、なんて痛いのだろう。痛みを逃すために息を吐きだすばかりで、酸素を上手く吸えなくなっている。悲鳴のように上げた声もとうとうかすれてしまった。


「うふ。いい声。もう降参ですか? でも、こういうこともできるのですよ、あたくし」


 オクタヴィアはそう言うと、今まで脚や足裏に施していたツボ押しマッサージの手を止めて、筋肉のりをほぐすストレッチマッサージに路線変更してきたではないか。


 その突然の変化に対応が遅れてしまったアゼリアは、固まった筋肉が気持ちよく伸ばされてゆく快楽に抗うことができなかった。


「……ぁ、あッ!? ……ふ、ぁ……っ、……っく、ぅ……」


 思わず上げてしまった嬌声染みた自分の声に、アゼリアは赤面した。声を一度だしてしまったら、2度目、3度目を抑えることができなかった。


 だって、だって、仕方がない。と、自分に言い訳をしながら、アゼリアは悔しそうに奥歯を噛む。


 何日も何日も狭い部屋に閉じこめられて、鳥籠にだって入れられて、ろくな運動をしていなかったのだから。筋肉は動かさなければ固まるばかり。


 もしアゼリアが『あくのそしき』の構成員として訓練を受けていなかったら、今頃身も心も悪女の技術テクニックに陥落していたかもしれない。


 そんなことには、絶対にならないけれど。と思いながら、アゼリアはオクタヴィアを睨む。その赤い眼には涙がうっすら滲んでしまったから、威力はないだろうけれど。

 そんなアゼリアをオクタヴィアがジッと見ている。なんと、満面の笑みを浮かべて。


「ね、イイでしょう? 腕を磨いておいてよかったわ。モルガンのお嬢様の身体をこの手で堪能できるなんて、なんて最高なのかしら」


 言い方! と抗議したかったけれど、声は上げられなかった。オクタヴィアの手が意図的に離れていったから。返事は聞きたくない、といったところだろう。


 オクタヴィアは用意周到にアゼリアの身体にタオルをかけると、マッサージを再開した。声をだして苦痛と快楽を逃すことができなくなったアゼリアは、心身ともに疲弊していた。


 マッサージを受けているはずなのに、どうして疲れなければならないの。という抗議は、やはりオクタヴィアには届かない。

 そうして凝り固まった身体をもてあそばれたアゼリアに、オクタヴィアが問う。


「ねぇ、アゼリア様。あなたさえ頷いてくれれば、この苦痛と快楽はあなたのもの。この国での生活だって保証します。あたくしのものになりませんか?」


 オクタヴィアは切実そうな表情で、アゼリアの頬に触れた。なんてコロコロ変わる顔と感情だろう。アゼリアは畏怖を感じながらオクタヴィアを睨む。


「絶っっっ対に、嫌!」


 キッパリとハッキリ断ったアゼリアに、オクタヴィアはほんの一瞬、ポカンとした顔を晒した。けれどそれはすぐに深い笑みに変わり、アゼリアの闘志を逆撫でる。


 オクタヴィアはアゼリアの頬をひと撫でし、ふふ、と嗤った。


「あら、そう。そうね、そうこなくては。あなたはモルガンなのだから」


 そうしてアゼリアを鳥籠に戻して鍵をかけ、檻の外から声を封じられて睨むことしかできない姿を満足そうに眺めながらこう告げた。


「アゼリア様、一日でも早く折れてくださいね? ふふ、折れなくてもいいですよ。それはそれで、愉しいもの。——では、また明日」


 その甘い声は、魔術だったのか。アゼリアは急に睡魔に襲われて、崩れ落ちるように倒れ伏した。ベッドでもなんでもない鳥籠の底で、久し振りに熟睡してしまったのである。




 当然、ベッドではない硬い鳥籠で身体を伸ばせずに寝れば、解された筋肉は再び固まる。


 オクタヴィアに濃厚な接待マッサージを受けては、そのまま籠の底で寝てしまい、解された筋肉を台無しにしてしまう、ということを繰り返して3日目の夜。


 今夜こそは、それなりの寝床をこしらえてから寝よう。と決意したアゼリアは、襲いくる睡魔にあらがい、檻の近くに投げだされていたシーツや毛布などをどうにか鳥籠の中に引き入れて暖かい寝床を作っていた。


 熱心にシーツを折り畳み厚さを作り、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませていると、カタリ、と小さな音が鳴るのを聞いた。


 なにかしら、と声をだそうとして叶わないことに気がついて、アゼリアは顔を思い切り顰める。誰も見ていない(多分、見ていない)のだから、淑女がどうとか、そんなことは知ったことではないのである。


 そして今度は、キィ、と部屋の扉が開く音。レースカーテン越しに差しこむ月明かりが、侵入者の姿をぼんやりと浮かび上がらせる。


「……アゼリア、無事か?」


 背の高い影が、アゼリアの名前を呼んだ。聞き覚えのない声。そのはずなのに、どこか懐かしく胸が詰まる思いがした。


 それだけじゃない。暗くてもわかる鳶色の髪、青緑ターコイズ色の瞳。質素ではあるけれど、整った衣服を見に纏い、鳥籠に囚われたアゼリアに駆け寄ったのは。


 その人物は。


 悪女の策によって失われたはずの兄、マクスウェル・モルガンその人であった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る