第41話 互いの本心

 アゼリアがあんなにも婚約者グエスに狂っている、という現実を突きつけた日の翌日。それでもジュダは、アゼリアを諦めなかった。


「アゼリア嬢、今日こそは折れてくれないかな?」


 お茶をひと口飲むなりそう言ったジュダに、アゼリアは淑女の微笑みを外して嫌そうに睨みつけた。


「前回、折れそうになったのは殿下の心のほうだったのでは? なかなか立ち直りが早いですね、もう少し引き摺っていただけるものとばかり思っておりました」

「僕には目的があるからね。そのためには簡単に折れてなどいられない」


 ジュダは手にしていたカップとソーサーを低机ローテーブルにそっと置いて、王子の顔をしてニヤリと笑った。


 ひと晩時間を置いたことで、昨日のダメージがいくらか回復したのだろうか。であれば、もっと徹底的に惚気たほうがよいのでは? と考えたアゼリアは、ソファに座ったまま腰を伸ばして背筋を正す。ジュダを真っ直ぐ見つめて本心を簡潔に告げる。


「わたくしには、愛する婚約者がいる、殿下との婚姻はできない、と申しておりますが?」

「それでも、だよ。それに……僕は君の好みと合致する部分も多いのではないかな?」

「……え?」

「知っているよ、君が選んだ婚約者は、条件ありきで選んだ者だと」


 ジュダに言われて、アゼリアは少しドキリとした。ジュダが切り札のように言った話は、別にアゼリアの弱みではない。ジョルジオに流させたアゼリアの偽りの情報だから。


 けれど、である。アゼリアはすでにグエスを深く愛しているから、今となっては嘘情報だけれど、それが真実だった瞬間は、確かにあった。


「僕はただの第二王子だ。次の王になるのは兄だと、もう決まっている。そして優秀な頭脳と行動力を持っている。君が希望する条件に当てはまってるのでは?」


 自信満々にアゼリアを口説くジュダ。けれどジュダは、肝心なところをわかっていない。


 ジュダも結局はオルガン家の血を引く人間なので、その時点でアゼリアの選択肢には存在していられないのである。でも、その事実は今、言えない。


 オルガンティア王国の三盟約を、エネルゲイアの王子に話すわけにはいかないからだ。悪女とかかわりがあるとかないとか、そんなことは関係ない。単に、国防の問題だ。

 だからアゼリアは毅然とした態度で言葉を返す。


「そうだとしても、ジュダ殿下は王位継承権をお持ちではないですか」

「それが? 持っていたとしても、僕は王太子ではない。国を継ぐのは兄だ」

「いけません。わたくしに選ばれたいのなら、継承権を捨ててから出直してください」

「……かたくなだね。どうしても駄目なのか?」

「ええ、いけません。わたくし、継承権を持っている殿方が、どうしても苦手なのです。友人として話す分には問題ありませんが、伴侶として選ぶなど、もってのほか」

「理由を聞いても?」


 理由を問われたアゼリアは、言葉を詰まらせた。正直に話すか、否か。

 別にアゼリアが継承権を持つ人間を好ましく思えない理由を話しても、グエスの作戦やアゼリアの思惑に、なんら抵触することはない。


 けれど、けれどだ。グエスにも話したことがない理由を、今、ここで話す?


 アゼリアは迷った。迷ったけれど、それはひと呼吸にも満たない時間だけ。ここでアゼリアの過去を嘆いてみせて、ジュダの心を揺さぶるのは、作戦的にアリだから。そうと決めれば、アゼリアは早い。


 だからアゼリアは、躊躇うフリをして、ポツリポツリと話しはじめた。


「……わたくしには兄がおりました。ある高位貴族の跡取り息子が、外交で訪れていた他国で問題を起こしたのです。その後始末として兄が現地に向かい、そして……」


 アゼリアは言葉を詰まらせ、口元を覆う。伏せた目がジュダの姿を見ることはなかったけれど、目の前に座るジュダが息を呑む気配は感じられた。


「……そして兄は、帰ってきませんでした。……自分でも執念深いと思っているのです。けれど、駄目なの。どうしても、駄目。あの跡取り息子が……あの貴族の後継者が問題を起こさなければ、兄は……兄は今頃……」


 兄マクスウェルが失われたきっかけは、悪女の手回しによるものである、と調べはついている。


 マクスウェルが後始末と調査を行うきっかけとなった高位貴族の後継者は、悪女の使いに、手柄を立てられる、モルガン家の長男を見返せる、とそそのかされたのだ、と白状した。


 当時、それを知らなかったモルガン家は、問題を起こした国との関係を回復するため、家の代表としてマクスウェルを派遣し、そして行方は途絶えた。しばらく経って帰ってきたのは、派遣先とは異なるエネルゲイアからの封書だけ。


 その封書に、マクスウェルがもう失われてしまったことや、オルガンティアとエネルゲイアの戦争に発展させたくなければ、おとなしく葬儀を上げたほうがよい、という最悪のアドバイスが、悪女オクタヴィアの署名とともに記載されていた。


 結局のところ、アゼリアの継承権を持つ人間——つまり、後継者が苦手な理由は、執念深い恨みによるものだ。


 あのとき、高位貴族の坊ちゃんがやらかさなければ、今頃マクスウェルはアゼリアの隣で笑っていただろうから。そういうねじれた恨みが、アゼリアを潔癖なまでの後継者嫌いにさせていた。


「……それ以来、なんらかの継承権を持つ方を受けつけなくなったのです」


 スカートをぎゅっと握り締めて告白するアゼリアには、胸を締めつけるような悲しみや悔しさが、演技なのか本心の吐露なのか、もはや区別がついていなかった。


 そうしてアゼリアの頬にひと筋の涙が伝うのを静かに見守っていたジュダは、


「……そうか」


 としか返せずに、カップに注がれたお茶を飲み干しもせず、その日は退出していったのである。



 その翌日は、ギクシャクとしたお茶会が開催された。

 けれどその次の日には、観念したらしいジュダがアゼリアに弱音を吐く台詞からお茶会がはじまった。


「アゼリア嬢、あなたが折れてくれない、ということはよく理解したよ。あなたを利用しようとしても、無理だということも」

「ようやくわかっていただけましたか、ジュダ殿下」

「ああ……。ジョルジオにも言われたんだ。助けを望むなら、素直に真意を伝えるべきだ、と。回りくどい方法を取るのは、悪手だと」


 どうやらジョルジオはジョルジオで隠密に動き回っていたらしい。娘のクリスティアナの身柄を人質にされているとはいえ、これまでの働きには目を見張るものがある。


 わたくしの人的資源アセットになったのだから、ジョルジオにはいつか必ず報いなければ。と密かに決意しながら、アゼリアは柔らかい声でジュダに確認を取る。


「殿下はわたくしに助力を求めたいのですね?」

「ああ」


 ジュダは短く答えて頷くと、覚悟を決めたのかアゼリアを真っ直ぐ見つめて、その重い口を開いた。


「アゼリア嬢は知っているだろうか。エネルゲイアの影の女王を。この国の政治は、いまや影の女王に牛耳られていることを」

「……ええ、知っています」

「そうか。……君を攫ったのは、僕の単独での決定だ。オルガンティア王国の公爵令嬢と婚姻を結べば、影の女王に気に入られると思ったんだ。気に入られれば……手柄を立てれば、僕を王太子に推薦してくれるだろう、と」


「そこでなぜ、わたくしがでてくるのです?」

「影の女王は、隣国オルガンティアに執着している。……僕には弟が3人いた。すべて母は違うけれどね。けれどその3人は、影の女王に殺された。もちろん、証拠はない。女王はあくまでも計画犯で、実行犯は別にいた」

「なんて、こと……」


 アゼリアは思わず口元を押さえて呟いた。その声は驚愕と悲しみで震えていた。


 今代の悪女はエネルゲイアでやりたい放題だった。オクタヴィアを悪女と呼ぶのは、悪女の系譜と因縁があるモルガン家特有のものだと思っていた。けれど、王室の人財選抜まで行っていたなんて。


 でもそれと、これとに、なんの関係が? とアゼリアが不思議に思って首を傾げる。それに気づいたジュダが、苦く笑って話を続けた。


「僕が生き残ったのは、僕の母方の血筋に関係している。……僕はオルガンティア王国の王家の遠縁なんだ。だから、あの国オルガンティアに執着する女王は、僕を生かした……と、僕は考えている」

「殿下……知ってらしたの……。それで、ジュダ殿下はどうされたいのです?」


「今のままでは、父も兄も、もう駄目だ。彼らは女王に骨抜きにされている。最近では政治の場に顔もださない。このままでは、エネルゲイアは内側から腐って崩壊するだろう。今は、優秀な内政官たちが内政を回し、僕も協力して外交をしているから、なんとか持ってはいるが……」


 ジュダはそこで一旦、言葉を区切った。そして、深呼吸を2回ほど。息を吐いて、吸って、深く吐いて、そして吸う。


「だから、どんな手段を使っても、僕が王にならなければならない。たとえ、影の女王の力を利用したとしても、だ。そして、女王を利用するための切り札として、アゼリア嬢。君を攫ってきたのです。僕が王太子になるために」


 決意と真意をアゼリアに伝えたジュダの目は、不安と苦悩で揺れていた。王になるという高潔だったはずの決意を、アゼリアを誘拐することで汚してしまったからだろう。


「……気がはやりすぎたのです。強引に連れてきてしまって、すまない……。ただ、君を切り札とすると決めていたから、アゼリア嬢を攫ってきたことまでは、女王に報告していないから安心して欲しい」


 ジュダはそう言ったけれど、簡単に安心はできない。悪女は間者スパイを幾人か抱え、あちこちに配置しているのだから。


 けれど、アゼリアの拉致を悔やみ、本心を伝えてくれたことに変わりない。アゼリアはジュダを安心させるように、柔らかくまぁるい声で告げた。


「話してくれてありがとうございます、殿下。やはり殿下との結婚は、どうしてもできませんね」

「やはり、無理か……」

「ええ。エネルゲイアの王になる覚悟をされている方との婚姻はできません。だって、それって、エネルゲイアの王権を継承するってことでしょう?」

「……あっ、ああそうか、それもそうだな」


 アゼリアがクスリと笑うと、それまで沈痛な面持ちでいたジュダの顔から、緊張と不安がほどけて消えた。まだぎこちなくはあったけれど、笑みも浮かび上がってくる。


 だからアゼリアは、そこに切りこんだ。ジュダの気が緩んだ瞬間に、こう告げた。


「でも、殿下との結婚は無理でも、同志にはなれるわ」


 ハッと息を呑んだのは、ジュダだ。ジュダの鮮やかな緑色の瞳が、希望の光でキラキラと輝きだす。いきいきと光る目と、緩んで柔らかくなった表情を見ながら、アゼリアは言葉を続けた。


「わたくしと結婚しなくても王太子に……いえ、国王になる方法はあります。ジュダ殿下は、影の女王——オクタヴィア・エンテレケイアに剣を向ける覚悟はありますか?」


 そう問うと、ジュダは迷いなく頷いた。


「いずれ、女王を打ち倒さなければ、と思っていた。その時期が早まるだけだ」

「よろしい。では、この瞬間よりわたくしは殿下の味方です。ともにエネルゲイアを立て直しましょう」


 アゼリアはそう告げて、ジュダに片手を差しだした。その手はすぐに握り返されて、固い握手を交わして互いに微笑みあう。


 浮かべられた笑みは、もう仕事ビジネス用の笑みじゃない。心を許した者同士で交わす笑みだ。


 自分を誘拐したエネルゲイアの王子に謀反むほんそそのかしてその参謀に立候補するなんて。グエスが聞いたらあきれるかしら。いえ、グエスなら、わたしらしいと言って支えてくれるわね。『あくのそしき』の人間らしい、と言って。


 アゼリアがそんなことを思って、胸の内でクスクスと笑っていると、唐突に部屋の扉をノックする音が4回ほど鳴り響いた。


 コン、コン、コン、コン。と、勿体もったいぶるようにゆっくりと扉は叩かれた。

 誰か、と問う前に扉が開く。このときに限って、蝶番がギギギときしんだ音をだす。


 そうしてあらわれたのは、エネルゲイアの悪女、あるいは影の女王であるオクタヴィア・エンテレケイア。


 オクタヴィアは隙なく真っ赤に塗ったくちびるで弧を描き、彼女の姿を見るなり震えだしたジュダをジッと見つめる。


 そして、甘く優しいくせにジュダを突き放すような、あるいは責めるような不快と不安を感じさせる声で、こう言った。


「悪い子ね、ジュダ。あたくしに隠しごとなんて。しても無駄なことなのに、どうしてあなたはやめられないの?」


 と。

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