第40話 カップ一杯分のお茶会

 カップ一杯分のお茶会は、大抵、昼食を終えてから3時間後に開かれる。

 開催時間は、とても短い。なにせ、カップ一杯分の時間でしかないからだ。


 ジュダと打ち解ける、という目的はあれど、滞在している部屋から一歩も出ることを許されず、なによりアゼリアは誘拐被害者であるから、弾む話もない。


 だからいつも、15分程度で終わってしまう。けれど、今日は珍しく15分を超えていた。アゼリアがジュダに、こんなことを聞いたからだ。


「殿下。この国で、わたくしの扱いはどのようになっていますか?」


 前振りもなく直球を投げたからか、ジュダはしばらく難しい顔をして黙ってしまった。アゼリアは注がれた香り豊かな紅茶を楽しみながら、ジュダが話はじめるのをただ待った。


 アゼリアが心配しているのは、囚われたまま婚姻が進められてしまわないか、ということ。誘拐されたのだから、アゼリアがエネルゲイアに滞在している状況は、非公式なものだ。

 けれど、目の前でお茶を飲む男は、エネルゲイアの第二王子である。多少の無理を通せるだけの権力を持っている。


 わたくしとの婚姻を進めているのか、いないのか。それが問題だわ。と、内心ソワソワしながらも、アゼリアは淑女の微笑みを浮かべてジュダを見つめる。


 その視線が、熱かったのか。それとも、痛かったのか。黙っていたジュダが、ばつが悪そうな顔でようやく口を開いた。


「……外にだしてあげられなくて、すまないね。アゼリア嬢さえ折れてくれれば、いつだって外へ行けるけれど」


 待たされた挙句に誤魔化されては、アゼリアだって黙っていない。今後のためにジュダと距離を詰めるだとか、打ち解けるだとか。そんな目的があることを、アゼリアは一時的に綺麗さっぱり忘れてやった。


 それまで浮かべていた淑女の微笑みを解き、キリリと眉と目とを吊り上げて、言葉も鋭く突き刺した。


「誤魔化さないでください! わたくしは人質なのですか? それとも、あなたの婚約者候補? あるいは、……本来ならここにはいないはずの透明人間?」


 いくらアゼリアでも長時間ひとつの部屋に監禁されていては、気も高ぶる。暇潰しはジョルジオから買い取った本しかないのだから。高度な教育を受けた公爵令嬢であっても、他国で味方もなく、ひとりきり。心細さが、言葉の棘となってあらわれている。


 と、いう印象を植えつけるために、アゼリアはあえて苛立ち焦る令嬢を演じた。


 実際のアゼリアの心情は、婚姻がどこまで進んでいるのかさえ知れれば、それ以外は余裕なのだ。味方だって、頻繁に会えはしないけれど、ジョルジオがいるのだし。


 とにもかくにも、アゼリアは気が立って、気丈な振る舞いに綻びがでたっぽさを演出しながら、ジュダの反応を待つ。


「……心配しなくとも、君を傷つけるようなことはしないよ。この部屋で大人しくしてくれれば、ね」


 けれどジュダは、アゼリアが望むような答えを、なにひとつとして与えることなくお茶を飲み干して、気まずそうに部屋をでていったのである。


 なんなのよ、ハッキリしなさいよ! という叫びが、アゼリアの胸の内だけで虚しく響いていた。




 そしてまた次の日のお茶会では。

 前回、気まずそうに出ていったとは思えない穏やかさで、ジュダはあらわれた。


 アゼリアの問いをなかったことにして、上手く気持ちを切り替えたのかもしれない。何事もなかったかのように振る舞うジュダにじりじりしながらも、アゼリアもジュダ同様に、何も聞かなかったかのように出迎えた。

 すると、だ。


「アゼリア嬢。君に手紙が届いているよ」

「え? なんですって?」


 ジュダが一通の手紙をアゼリアに差しだした。


 手紙、手紙? いったい、誰からの?


 心当たりのないアゼリアは、差しだされた手紙を受け取ろうとはせずに、ジッと睨みつけて警戒する。

 そんなアゼリアの様子にジュダは、ふは、と短く笑った。


「だから手紙だよ、手紙。君の家族と婚約者から。ジョルジオが君に深く同情したみたいで、君の家族たちからの手紙が届くように手配したらしい。悪いけれど、先に中身は確認させてもらったよ」


 それを聞いたアゼリアは、はしたないとは思いながらも、ジュダから手紙を奪い取るように手に取った。


 手紙はジュダが申告したように開封済みであったけれど、そんなことはどうでもいい。そう、どうでもいいのだ。


「ああ……グエス様……!」


 アゼリアは手紙を抱き締めると、嬉しくて嬉しくて、立ち上がって踊りたい気分になった。実行しないのは、ジュダという他人の目があるからだ。


 アゼリアは抱き締めた手紙をくるくると回したり、ひっくり返したりして、よく確かめた。差しだされたときには裏になって気づかなかったけれど、確かにグエスの字で、リアへ、と書かれている。


 リア。リアと書いてくれたのだわ! と、まだ中身を読んでもいないのに、ただそれだけで涙がジワリと滲みだす。


「……そんなに嬉しいかい?」

「ええ、嬉しいです。嬉しいに決まっているわ。ああ、殿下! ジョルジオ氏に直接、お礼を言いたいのですが」

「呼びだして礼を言いたいほど、嬉しいの? ……そう、そうなんだ」

「グエス様……この美しい筆跡……整った文字の並び……ああ、ここ。少し跳ね上がっているのは、手が震えていたのかしら? ああ、グエス様……」


 アゼリアはそう呟いて、リアへ、と書かれた文字を指でなぞった。ジュダの言葉、声など、もう聞いていない。耳にも入らない。


「アゼリア嬢……」


 ジュダが嫉妬混じりの視線をアゼリアに送っても、当然アゼリアは気づかない。グエスの筆跡に夢中だからだ。だから、仕方がない。


 アゼリアは宛て書きを充分に堪能してから手紙を裏返し、今度は封蝋とインクの色に注視した。


 オレンジの色味が強い赤い蝋、深い夜のような藍色のインク。アゼリアは封の凹凸の感触を楽しむように指先でなぞり、グエスのサインの端の乾いたインク溜まりを、うっとりと眺める。


「ふふ、グエス様……几帳面に押された封蝋も素敵……インクの色も、普段の業務用ではなく特別に用意された私的プライベートなものかしら……」


 なお、アゼリアはこの時点でまだ封筒の中身に手をだしていない。ただの封筒を恍惚とした表情で堪能しているだけである。


 あまりにも長いあいだ、グエス成分を摂取していなかったからか、アゼリアは飢えていたのだ。渇いた身体と心には、ほんの少しであっても効く。それはもう、よく効くのだ。


「……あ、アゼリア嬢? まだ中身を読んでないけれど、大丈夫かい?」

「え? なにをおっしゃられているのか、よくわかりません。久しぶりのグエス様の文字なんですよ? それも、わたくしのために書かれた手紙! なんてこと! わたくし、グエス様から手紙をもらうのは、これが初めてでは!?」


 完全にナニカがキマってしまった眼でアゼリアは言った。真紅の瞳はなにやらグルグルしているようにも見える。


 歓喜で興奮しているアゼリアに、ジュダはもう、呆然とするしかない。頭、大丈夫? と言いたそうな目で、けれどジュダは紳士だった。アゼリアを刺激しないよう言葉を慎重に選んで声をかけた。


「……アゼリア嬢は、その……婚約者をかなり慕っているみたいだね」

「かなり、ではありません。全面的に、です!」

「そ、そう……」


 アゼリアが放った覇気ある言葉に、あわれなジュダは気圧けおされた。


 そして、いまだ封筒の中身をだそうとはせずに、手紙の香りを嗅いだり、胸に抱いたりしているアゼリアの姿にため息をひとつ吐くと、ジュダはぐったり疲れた様子で帰っていった。




 ジュダが部屋をでていったのを確認したアゼリアは、自分の奇行を速やかにやめた。まあ、アゼリアにもジュダの前での振る舞いが奇行であった自覚くらい、ある。


 実際、グエスからの手紙(モルガン家からの手紙もあったけど)という希少物品レアアイテムを前にして、想いを抑えられなかった、というのは事実だ。けれどアゼリアは、みずから進んで奇矯な振る舞いをしていた。


 別にあれは素じゃない。演技である。演技であるとアゼリアがいっているのだから、演技なのである。


 とにもかくにも、ジュダを退出させることに成功したアゼリアは、封筒から手紙を取りだした。

 すでに開封され、中身を検閲されてはいるけれど、そんなことは関係ない。大事なのは手紙の本文ではないから。


 だから手紙は後でじっくり堪能するとして、脇へ置く。そしてアゼリアは中身を取りだした封筒に手をかざした。手のひらには魔術式。熱を発する簡単な魔術で封筒を暖めた。


 すると。


 ぺり、ぺり。と、封筒を封筒たらしめていたのりが剥がれて分離した。二重封筒である。


 隠された封筒から取りだした小さなメモのような手紙には、アゼリアを必ず助けることと、『鷺』と協力関係を築いたこと、近いうちに作戦を開始することなどが簡潔に書かれていた。

 そして。


「グエス……わたしもよ」


 アゼリアは、返事を書けないもどかしさと、頼もしい伴侶が最後に綴った愛の言葉に身悶えて、その手紙に染みついたグエスの香りを思い切り吸いこんだのであった。



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