第39話 一方その頃、王国では

 一方そのころ、オルガンティア王国では王城の応接室でアゼリア誘拐事件についての対策会議が開かれていた。


 アゼリアが隣国エネルゲイアへ連れ去られたことは、もう、わかっている。犯人だって、そう。

 アゼリアが行方不明になったのと同時期に、エネルゲイアの第二王子であるジュダがオルガンティア王国側になにも告げずに帰国したから。


 王国オルガンティア側も、なにもしなかったわけではない。エネルゲイアへ通ずる国境は検問を設けたし、追跡隊も編成して逃走するジュダを追わせた。


 けれどジュダはその網をくぐり抜けて出国、エネルゲイアにたどり着いてしまったのである。


 王国オルガンティア内であれば、まだアゼリアを奪還できただろう。けれど隣国に逃げられてしまっては、そう簡単に手も足もだせない。


 だからグエスは毎晩毎夜、悔しさと怒りを呑みこんで眠れぬ時間を過ごすことしかできなかったのだ。


 そして。

 ジュダからバディス国王へ向けた書状が届いた、という知らせを受けて、グエスは王城へ駆けつけた。場所はもちろん、内政交渉用のいつもの応接室である。


「それで、エネルゲイアはなんと言ってきたのです、陛下」


 会議がはじまるなり、グエスは立ち上がってバディス国王を問い詰めた。送られてきた書状になにが書かれていたのか、アゼリアは無事なのか、と矢継ぎ早に聞いてしまいそうになる口を、奥歯をギリギリと噛み締めることでこらえながら。


 問われたバディス国王は、王者の態度でグエスの無礼を受け流すと、ゆったりとした落ち着いた口調で話しはじめた。


「アゼリア嬢に正式に求婚する、婚約式の日取りを決めたい、と」

「送られてきたのは、婚姻請求書だった、ということですか」

「それはそうなのだが……第二王子であるジュダ殿のサインはあるが、国王のサインがないのだ。使われている紙もインクも、入っている透かしも、すべてエネルゲイア王室の公式な物ではあるが、国王のサインだけがない」


 国王がやけに落ち着いて見えたのは、これが理由か。と、グエスは思う。思いながら頭を回し、可能性が高い推測を口にだす。


「では、今回のアゼリア嬢の誘拐事件は、第二王子ジュダ・エネルゲイア単独の犯行で、エネルゲイアの王室は関わっていない、と?」

「ああ、そう読み取っていいだろう」

「ということは、悪女オクタヴィアの指示……ではない、のか」


 グエスと国王の話に入ってきたのは、アゼリアの父、ダライアスだ。ダライアスは少しホッと頬を緩めながらも、その表情は優れない。


 正式に結ばれていないとはいえ婚約者を攫われた自分が、こうも参っているのだ。アゼリアの父であるモルガン公爵の心中は察するに余りある。


 隣国の悪女オクタヴィアは、オルガンティア王国を狙っている。その悪女の手にアゼリアが渡ったのではないのなら、まだ救いはある、とダライアスは考えたのかもしれない。


 けれど、とグエスは思う。宰相補佐官であるグエスには、エネルゲイア国王のサインがされていない婚姻請求書に思うところがあった。


「それはつまり、国として抗議する手段を封じられた、ということでは?」

「……そういう見方もありますね」


 グエスの問いを肯定したのはルイユ宰相だった。宰相の顔にも疲労と悔しさが色濃く浮かんでいる。国内の政策をまわしながら、グエスとともにアゼリア誘拐事件の捜査や手回しに奔走しているからだ。


 とにもかくにも、ジュダが送りつけてきた婚姻請求書に国王のサインがされていない、ということは、つまり非公式である、ということ。この状態でエネルゲイアに抗議したとしても、ジュダの暴走あるいは悪戯いたずらとして扱われ、真面目に取り合ってもらえないだろう。


 それはつまり、アゼリアの返還要請をしても笑って誤魔化されてしまう、ということ。


 このアゼリア誘拐事件は、国同士の話し合いに乗せることができず、けれど交渉相手は隣国の第二王子だから国として対応しなければならない、というややこしくて、ねじれた状況になってしまった。


「アゼリア嬢……」


 グエスは立ちはだかる壁の高さに目眩を感じながら、愛しいひとの名前を呟いた。舌に乗るのは甘くて苦い音。切なさと愛しさで喉が震える。


 どうすればアゼリアを取り戻せるだろう。


 単身乗りこんだところで、なにもできずに右往左往するだけ。では、工作員エージェントとして乗りこんだなら? 相手は第二王子だ。なんの用意もせず行ったところで、時間ばかりが過ぎるだろう。


 やはり、表の顔——宰相補佐官としての力を使うべきだろうか。いや、それとも、モルガン家の私設諜報機関と連携すれば、あるいは……。


 と、グエスが思考の渦に囚われていたところに、応接室の扉を激しくノックする音が響いた。


「どうしました、今は大事な会議を……」

「隣国のガーランド商会を名乗る商人が手紙を持ってきたのですが、重要な手紙なので至急確認を、と」


 宰相が応接室の扉を開けると、仕官服を着た若者がキビキビとした口調でそう言った。彼は続けて「商人は、すぐに返事をいただきたい、と申しています」と、敬礼をしながら告げる。


 耳馴染みのない商会名にグエスが眉を寄せていると、バディス国王が顎を撫でながらボソリと言った。


「ガーランド商会……? 名前とその活躍は知っているが、我らと付き合いはないはずだが……」

「至急、内容を確認して返事が欲しい、とのことです」


 仕官の若者は宰相の許可を得て応接室へ入ると、持ってきた手紙をトレイに乗せてバディス国王へと差しだした。

 国王はいぶかしげに表情を歪めながら手紙を受け取り、サッと目を通しながら首をかしげる。


「至急? なんだ、一体……。…………、…………これは……!」

「陛下、どうされましたか?」

「ガフ補佐官、モルガン公爵。こちらへ。この手紙は、そなたらが読むのが相応しい」


 その手紙になにが書かれてあったのか。国王はグエスとダライアスを呼ぶと、ガーランド商会の商人が持ってきたという手紙をグエスへと手渡した。


 そしてグエスは、受け取った手紙をダライアスとともにあらためる。


「……失礼します」

「……、……これは! ……グエス君、これは!」


 手紙を先に最後まで読んだらしいダライアスが、喜びで声を跳ねさせてグエスの名を呼ぶ。


 手紙の差出人は、なんとジョルジオだった。今はエネルゲイアに籍を置くガーランド商会に属し、商人としてやっているらしい。


 そして、エネルゲイアでアゼリアと会い、話したこと。自分の立場もあるから詳しくは書けないが、アゼリアはある宮殿に保護という名の監禁をされているが無事で、健康に問題なく、丁重にもてなされていること。

 使いに返事を渡してくれたら、自分が責任を持ってアゼリア嬢まで届ける。ただし手紙はジュダに検閲されると思って書いた方がいい、ということが書かれていた。


 手紙を読み終えたグエスは、なかば放心状態だ。けれど、アゼリアのとりあえずの無事を知れたことで安堵した頭は、グルグルと勢いよく回りだしてくれた。


 少し前に、貴族牢で脱走騒ぎがあったけれど、それはジョルジオがモルガン家の手引きによって行った脱走だったのだ。ジョルジオによるルイユ宰相への引き継ぎ教育が前倒しで終了したことも、ジョルジオの脱走と出国に関係していた。

 それらがグエスの頭の中で明確な形となって浮かび上がる。


「……アゼリア嬢の『鷺』は、ジョルジオ氏だったのですね」


 小さく呟かれた言葉は、安堵と嫉妬が入り混じって複雑な音色を奏でていた。

 自分のほうが、もっと上手くアゼリアに使われて差し上げることができるのに。だなんて、意味のない闘争心が湧きだした。


 いけない、いけない。アゼリアに使われるのは大歓迎なのだけれど、それは昔の話。今のグエスは、アゼリアの隣に立って彼女を支えともに歩いてゆきたいのだから。


「……アゼリア嬢、必ず迎えにいきます」


 そういうわけで、ボソリと呟いて決意したグエスは、急ぎ返事をしたためるのであった。


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