第38話 ある商人の助言

「ご機嫌麗しゅう、奥さま。本日はどのような品をお望みでしょうか?」


 翌日。ジュダは有言実行のひとだった。前日に宣言した通り、ひとりの商人を連れてアゼリアの部屋を訪れた。


 窓のない部屋に通された商人は、侍女もメイドもいない豪奢な部屋の異常さに臆することなく、にこやかに挨拶をしてみせた。


 その挨拶を応接用のソファに腰掛けて受けたアゼリアは、淑女の微笑みビジネススマイルを顔に貼りつけ、浮かべた笑顔の裏に動揺を隠して対面に座る商人に向けて頷いた。否、無言で頷くことしかできなかった、というほうが正しい。


 そんなアゼリアの様子に、ジュダが気遣うように努めて明るく商人との会話を受け持った。


「はは、ジョルジオ。まだ彼女は僕の妻ではないよ。まったく、君は本当に口が上手いな」

「恐れ入ります」

「今日は彼女の話し相手になってやってくれ。ジョルジオの話は、とても面白いからね。いい気分転換になるだろう」

「おや。お入り用なのは、私の口だけでしたか?」

「もちろん、彼女が気に入ったものがあれば渡してやってくれ」

「承知いたしました」

「じゃあ、アゼリア嬢。楽しんでくれたまえ」


 ジュダは短くそう告げるとソファから立ち上がり、そそくさと部屋を出ていった。その後ろ姿をともに見送っていた商人が、呆然としたままのアゼリアに笑いかける。


「王子殿下はまだ政務が山積みなのだそうですよ。お忙しい方だ。ですが、これで、ゆっくりと商品を選べますね」


 まるで本物の商人のような台詞を、目の前の男が商人の微笑みビジネススマイルを浮かべて言う。

 そう、この男は商人では、ない。偽物の商人だ。だからアゼリアは、その男の名を呼んだ。


「……ジョルジオ」


 ジョルジオ・ダンソル元伯爵。アゼリアとグエスの働きによって爵位を奪われ、貴族牢に捕われた元儀典官。そして今は、アゼリアの忠実なる『鷺』。


 ジョルジオは戸惑いを見せるアゼリアを気遣うように、低く柔らかい声で尋ねた。


「アゼリア様、ご無事な様子でなによりです。体調などお変わりありませんか?」

「ええ、それは大丈夫。……ところで、なぜ、あなたが? ごめんなさい、あまりにも突然すぎて、まだ理解が及んでいないの。今日は商人を呼ぶ、とジュダ殿下がおっしゃっていましたが……」

「その商人が私なのです。料理人と迷ったのですが、私に料理の腕はありませんでしたから、必然的に」


 困惑を隠せない、否、隠す必要がなくなったから表にだしたアゼリアの言葉に、ジョルジオがユーモアを交えてそう返した。その返しに、アゼリアが思わず笑う。


「ふ、ふふ。なあに、それ。面白い冗談ね。でも、会えて嬉しいわ。それから、わたくしの情報を上手く流してくれたのね。ジュダ殿下が喰いついたみたいなの」

「ですが、そのせいでアゼリア様は今、ここに……」

「いいのよ、すべて承知の上です。ただ、タイミングがとても悪かっただけで」

「そうですか……」

「とりあえず、お茶にしましょう。いろいろ話を聞かせてちょうだい」



 そういうわけでアゼリアは、ジュダの宮殿奥深くにある監禁部屋でジョルジオの話を聞いていた。


 アゼリアに『鷺』として送りこまれたジョルジオは、流れの商人としてエネルゲイアの首都へ入り、王室と取引がある商会へ入りこんだという。


 アゼリアから持たされた情報をいくつか使って短期間で出世して、ジュダに近づくことに成功し、気に入られたのだ。そして、アゼリアに支持された通りに、嘘混じりのアゼリアの情報をいくつか流した。というわけだった。


 話を聞き終えたアゼリアは、その頃にはもう落ち着きを取り戻していた。


「……そうですか。予想以上の働きです、ジョルジオ」

「ありがとうございます。ただ……第二王子であるジュダ殿下とは頻繁に会って話せるようになりましたが、この国の国王陛下や王太子殿下は……」


 ジョルジオに課した1番の目標は、第二王子とお近づきになること、ではない。エネルゲイアの王族ならば誰でもよかった、というわけではないのだ。


 真の目標は、この国のかなめ。エネルゲイア国王や次代の王である王太子であった。ジョルジオに指令をだす際、悪女の優先順位を下げたのには、理由がある。


 悪女の優先順位を下げて直接目標にしなかったのは、アゼリアの目的がエネルゲイアから悪女を排除することだから。だから、排除できる権限を持つ者と渡りをつけたかったのだ。


 ジョルジオは、そんな命を受けてエネルゲイアで商人として活動し、第二王子であるジュダまで辿たどり着いた。けれど、その先までゆくには、なにか気がかりなことがあるらしい。

 アゼリアは、首を傾げて眉をひそめた。


「なにか気になることでもあるのですか?」

「はい。ジュダ殿下に呼びだされた王宮で、彼らを一度だけ見かけたことがあるのですが……その、なんと申しますか……」

「言いにくいことですか?」

「いえ……。……アゼリア様は、ノアベルト殿下が私に洗脳されていたときの様子を、覚えておられますか?」


 アゼリアにそう聞いたジョルジオの顔は、暗く落ちこんでいた。

 伏せられた目は、なにを見ているのか。少なくとも、備えつけられた低机ローテーブルではないことは確かだ。


 アゼリアは、洗脳されたノアベルトの異様な様子を思い出しながら、ジョルジオの問いに答えるように頷き、そして気づいた。


「ええ、覚えております。……まさか!?」

「はい。一度見かけただけですが、国王陛下と王太子殿下の振る舞いが、洗脳された人間の振る舞いと同じ様子だったのです」

「それは確かですか? 見間違えなのでは? 一度きりだったのでしょう?」

「見間違えるはずがない! 何度も何度もノアベルト殿下に洗脳を施したのは私だ! その私が言ってるのだから、見間違いなどない!」

「……ジョルジオ」

「失礼しました、アゼリア様」


 取り乱したおのれを恥じるように、ジョルジオは、ふう、とひとつ、息を吐く。そうすることで気を取り直したのか、ジョルジオは話を続けた。


「ジュダ殿下には洗脳された形跡がありません。むしろ、洗脳されるのを避けるように、王宮へはほとんど行かれない」


 そこで一旦、話を区切ったジョルジオが、アゼリアの目を真っ直ぐ見つめる。その目は真剣そのもので、年若いアゼリアに助言する年長者の目をしていた。


「ですから、アゼリア様。ジュダ殿下の真意を探ったほうがよろしいかと」

「殿下の、真意……」


 アゼリアの呟きは、続く言葉を生みださなかった。時間切れを告げるように、部屋の扉がノックされ、開いたからだ。


 顔を見せたのは、礼儀正しい礼をするメイドだ。彼女の名前は知らないけれど、アゼリアの身の回りの世話をしてくれている。


「ジョルジオ様、お時間です」

「——……わかりました。アゼリア様、この度はお買い上げ、誠にありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」


 ジョルジオはそう言って立ち上がり、芝居がかった大仰なお辞儀をするとメイドとともに部屋をでていった。


 ジョルジオの後ろ姿を眺めながら、アゼリアは思う。

 例えば、悪女オクタヴィアがエネルゲイアの国王や王太子を洗脳しているのなら、確かにジュダがやっている悪いことは、可愛いものなのかもしれない、と。



 ジョルジオが商人として訪問した日の翌日。

 アゼリアが閉じこめられている部屋に、大量の本が届けられた。そこではじめてアゼリアは、自分が適当な本をいくつか買ったことになっていたことを知った。


 ありがとう、ジョルジオ。気が利く商人だわ。と胸の内で感謝しながら、アゼリアはジョルジオに助言された通り、ジュダに接する態度を改めてもいいかもしれない、と考えはじめた。


 それは決して、この部屋で過ごす暇な時間を持て余したからではないし、ジョルジオが暇つぶし用に本を届けてくれたからでもない。ないったら、ない。


 とにもかくにもそういうわけで、今日のアゼリアは部屋に来訪したジュダを歓迎した。例えて言うなら、ツンツンツンツンが、ツンツンツンニコくらいに改善された程度の変化だけれど。


 それでもジュダはアゼリアの態度の軟化が嬉しかったらしく、大量の本が入った本棚を部屋に搬入したあとで、アゼリアとお茶を飲むことを提案してきた。


 だから、そういうわけで、アゼリアは今、ジュダとお茶を飲んでいる。


「アゼリア嬢、本を選んだんだって? 勉強家なんだな。我が宮殿の図書室へ案内することはできないが、図書目録を持ってきた。気になる本があれば、いつでもメイドに言いつけるといい」


 ジュダはそう言うと、低机ローテーブルの上に冊子を置いて、アゼリアの方へと滑らせた。冊子を受け止めたアゼリアは、それを手に取り、パラパラとめくる。


 確かにこれは、図書目録だった。パッと見ただけでも、エネルゲイアの古代文書から流行りの小説まで網羅されていることがよくわかる。


「それは……破格の待遇ですね。どのような心境ですか?」

「いずれ伴侶となるアゼリア嬢に辛く冷たく当たっていても、意味はないだろう? 僕のふところが深いところを見せて、懐柔しようかと思ってね」


 ジュダはそう言って片目をつむり、おどけてみせた。その率直すぎる告白に、アゼリアは思わず笑ってしまう。


「ふ、ふふ。わたくしを懐柔しようとしているのですか? それを本人の目の前で言ってしまうなんて。面白いひと」


 アゼリアがジュダと話してみて、わかったことが、ひとつある。それは、ジョルジオが彼の肩を持ってしまった理由だ。


 ジュダはきちんと相手を見て話をする。そして、意外にも素直だ。裏は当然あるのだけれど、隠したはずの裏側をチラチラと見せてくるから、いけない。

 それが王族が持つ人たらしの才能と相まって、ある種の人間を惹きつけるのだ。


 わたしはグエス一筋だから、なびきませんけど。と思いながら、アゼリアは澄ました顔でお茶を飲む。お茶をひと口飲んで、また話す。アゼリアとジュダの会話はなんの核心に迫ることなく、緩やかなまま流れていった。


 そうして、なにがジュダの琴線に触れたのか。カップ一杯分のお茶会はこの日を境に、毎日開催されることになるのであった。



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