第37話 誘拐と駆け引き

 連れ去られたアゼリアが目を覚ましたのは、見覚えのない部屋だった。

 調度品はすべて赤色と金色で揃えられ、まるでアゼリアのために用意したかのような部屋だった。


 アゼリアが今、横になっているベッド、簡単なソファセット、化粧のための鏡台、書き物をするための簡易机と椅子。扉はふたつで、ひとつはバスルームの扉だろう。もうひとつがこの部屋の出入り用。


 料理や水、お茶が外部から提供されれば、この部屋ひとつで生活できるくらいの家具や機能が備わっている。


 けれど、ただひとつ。窓だけがない。


 窓がないから、カーテンもない。その代わり、白地に金で細かい模様が描かれた壁紙には、風景や植物の絵画が豪奢ごうしゃな額縁に入れられて飾られていた。


「ここは、どこ?」


 アゼリアは、いまだベッドの中で小さく呟いた。アゼリアの呟きは、柔らかい布団とシーツとに吸収されてゆく。

 すぐに起きださなかったのは、アゼリアが現在進行形で魔術を使っているから。部屋全体を走査スキャンした結果、わかったのは数えるほどしかない。


 先ほどの部屋の造りと、この部屋には王城の応接室のような録音映像記録用の魔道具はない、ということ。それから、監視はされていないけれど、部屋の扉に強力なロックがかけられている、ということだけ。


 扉にかけられた魔術の魔術痕色は、イエローとブルー。登録された人間しか出入りできない魔術がかけられているのだろう。


 アゼリアは、部屋のそういう状況を把握してから、ゆっくりと起き上がった。すると、タイミングよくノックされ、数秒後に扉が開いた。


「起きたかな、アゼリア嬢。突然すまないね」


 そんなことを言いながら、紳士の微笑みビジネススマイルを浮かべたジュダ第二王子が部屋に入ってきた。ジュダは書き物用の椅子を持つと、そのままアゼリアのベッド近くまで行き、持ってきた椅子に腰掛けた。


 そして、ニコリと貼りつけたような笑顔でアゼリアに話しかける。


「でも君にはどうしても僕の国に来て欲しかったから、少し強引な手段を取らせてもらったよ」

「……少し? これのどこが少しなのですか?」


 アゼリアは、ジュダの物言いに少しムッとして、感情的に言葉を返した。ジュダは、そんなアゼリアに急に真顔になって淡々と告げてゆく。


「君の身体は傷ひとつ、ついていない。心だって縛っていないし、手足も口も自由だ。君ができないのは、この部屋から出ることだけ。これのどこが『少し』ではない、と?」

「……なんてひと。ひとを誘拐をしておいて、なんて言い様なのかしら」


「誘拐ではないよ、アゼリア嬢。君を僕の婚約者としてエネルゲイアに連れ帰っただけのこと。オルガンティアの国王にも、君の父親宛にも、手紙をだしておいた。君がここにいるのは、つまり、まあ、事後承諾というだけさ」


 ジュダはそう言って、再びニコリと作り物の顔で笑った。アゼリアは、紳士的な態度をとる誘拐犯に警戒心を強く持ちながら、キッパリと言った。


「わたくし、あなたとは絶対に結婚いたしませんよ」

「はっきり言うなぁ……でも、それくらいでないと後宮に呑まれてしまうから、大目に見よう」


 カラカラと笑ってアゼリアを許すジュダは、はじめてアゼリアを興味関心のある眼差しでジッと見つめた。鮮やかな緑色に見つめられると、どうしてかアゼリアの呼吸が苦しくなってゆく。


 これは緊張か。それとも、アゼリアに対して好意的に振る舞うジュダに対する警戒か。


 思えば、洗脳されたノアベルトも、野心に溺れたグレンロイも、アゼリアに対する態度は、無礼で不躾で傲慢な者だった。


 けれど、このジュダは違う。


 誘拐、という強引な手段を取られたものの、アゼリアには丁寧に接してくれるし、アゼリア自身を尊重してくれているようにも思えた。確かに、身も心も自由で拘束されていない。あら、なんて紳士的なおもてなし。と、そこまで考えて、アゼリアは、いけない、と自重する。


 丁寧に扱ってくれているからって、なんなの。わたしは、わたくしは誘拐されたのだから。そう強く思い直して、アゼリアは毅然とした態度でジュダを鋭く見つめた。


「……ここはどこですか? 窓がないのはなぜ?」

「話が飛ぶね、後宮とか、自分がこれからどうなるだとか、気にならないの?」

「ここはどこ? 窓がないのは地下だから?」

「ふは。いいね、いいよ。君はそうでなくては。いいよ、答えてあげる。ここは僕の宮殿。僕の配下の者たちしかいない、僕のための城だ。そして、窓がないのは察しの通り、地下だから。君にはここでしばらく暮らしてもらう」


 ジュダはそう言うと、アゼリアの反応など不要だというようにすぐさま立ち上がり、持ちだした椅子を片づけた。そして、もう用は済んだのだろう。部屋の扉まで歩いてゆくジュダの背中を、アゼリアはジッと見つめて見送った。

 そして、扉前でクルリと振り返ったジュダは、


「1日でも早く観念するといい。そうすれば、窓つきの眺めのいい部屋に移してやれる」


 と。急に尊大な態度で告げて、アゼリアを監禁する部屋から出ていったのであった。



 それから数日が経過したけれど、アゼリアの状況に進展はなかった。


 初日にわかった情報以上のことは、なにひとつとしてわからないまま。

 ジュダは毎日のようにアゼリアと面会をしている。けれどアゼリアは、ジュダから情報らしい情報を引きだすことができていない。


 どうしよう、このままでは……。


 今はまだ、強引な手段を取られていないだけ。相手はエネルゲイアの第二王子だ。王家の力を使ってアゼリアに結婚を迫ることだって、このまま拒み続ければあり得る未来だ。


 もし、そうなったなら。三盟約が破約されたと見做みなされて、オルガンティア王国が滅んでしまう。

 王国を滅ぼしたくはない。けれど、今のアゼリアは無力だ。無力なただの少女でしかない。


 窓のない部屋で監禁されているアゼリアに、グエスやモルガン家と連絡する手段はない。だから、『あくのそしき』の組織力も使えない。そして、武器らしい武器をなにひとつとして持っていない状況も、アゼリアの不安を加速させる要因のひとつであった。


 常に備えを怠らないモルガン家ではあるけれど、攫われたあの日は、武装らしい武装をしていなかった。馬車まで戻れたなら話は違ったのだろうけれど、戻る前にアゼリアは誘拐されたから。


 だから今のアゼリアには、武器となるドレスも膝上丈靴ブーツもない。今回の求婚および誘拐事件は、物理力ではなく交渉力で解決するしかない。ということだ。


 グエスに会いたい。きっと、心配しているだろう。あるいは、怒り狂っているかもしれない。


 ジュダは先日、バディス国王や父公爵宛に手紙をだした、と言っていた。おそらくその手紙は、婚姻請求を含むだろうから。きっとグエスは、力を尽くして婚姻を阻止しようと動いてくれるはずだ。


 そう思うことで、アゼリアは折れそうな心を何度も補強した。心細さを知られないように、強気な態度でジュダとの面会に臨んだ。


 そして今日も、ジュダがやってきた。


 応接用の簡易ソファに座るジュダは、従者や侍女も連れずにアゼリアの監禁部屋を訪ね、アゼリアとふたりきりで話している。


「アゼリア嬢、僕と結婚する決心はついたかな?」

「決心もなにも、わたくしがあなたと結婚する理由がありませんので」

「たいした理由なんてなくても、結婚はできるでしょう? 例えば、恋愛結婚……とか?」


 アゼリアのツンケンとした態度にもめげず、逆に面白がって笑いながらジュダが返す。


 初日に比べると、ジュダの態度が幾分か柔らかくなったような気がしていた。もしかしたら今日こそは、なにか少しでも外の情報が得られるかも。アゼリアはそんな期待をこめて、けれど、それを表には決してださずに言葉を吐いた。


「それこそあり得ない。酷い冗談です。オルガンティアに愛する婚約者が待っておりますので」

「ああ……だから折れないのか。ふむ、高位貴族らしくないな。けれど……ふは。アゼリア嬢に愛するひとがいる、なんてね。僕が知らないとでも?」

「知っていて、わたくしをさらった挙句、婚姻を強制しようというのですね。なんて、悪いひと」


 知っているならやめてくれればよかったのに、と胸の内で憤慨しながら、アゼリアは澄まして言った。


 その言葉か、それともアゼリアの態度か。なにかに心をとどめたジュダがひと呼吸分、沈黙をした。そして、先ほどまでの朗らかな様子とは相反して、静かな口調でジュダは言った。


「アゼリア嬢。僕のやっている悪さなんて、可愛いものだよ」

「悪さに可愛いもなにもないわ」

「はは。……聞いていたとおりのひとだね、君は。気の強い、正義感に溢れる、けれど箱入りのお嬢様。社交界にもろくに参加させてもらえなかったんだって?」


 と。ジュダが吐いた言葉に、アゼリアは胸の内で拳を振り上げた。


 ひっかかった! 殿下はわたくしのいた餌に喰いついたんだわ! と、アゼリアは希望をひとつ見つけたのだ。


 ジュダが語ったアゼリア像は、本来のアゼリア像では、ない。アゼリアの性格云々うんぬんはともかくとして、アゼリアは箱入り娘ではないし、社交界には参加させてもらえなかったのではなく、参加必須の舞踏会や晩餐会、後継や家業の仕事のために必要な顔繋ぎや情報収集をするときにだけ、選んで参加していただけのこと。


 けれど、ジュダが語ったその話は。言葉は、情報は。アゼリアがエネルゲイアへ向けて放った『鷺』に持たせた餌、それと同じ内容だった。


 つまり、ジュダが持つアゼリアに関する情報源に、『鷺』が喰いこんでいる、ということ。そして、ジュダがアゼリアに目をつけたのも、結局のところ、アゼリアが撒いた餌に喰いついた、ということだ。


 ここは、味方がひとりもいない敵地だ。けれど、そうだ。そうだった。ここにはアゼリア手ずから調教した『鷺』がいるではないか。この状況だって、想定とはちょっと違うけれど、アゼリアが画策した範疇に過ぎない。


 グエスと連絡を取る方法はない。窓がないから『鴉』とも連絡がつかない。けれど、けれど、でも。希望がひとつ、キラリと見えたから。

 その喜びを、歓喜を、アゼリアは困惑と悲しみの声色に変えてジュダに返した。


「……っ、箱入りなんて、違います。……お願い、わたくしを家に帰して……」

「なんだい、図星だからって弱気になったのかい? でも、その願いは聞けない。僕にはね、アゼリア嬢。君という切り札が必要なんでね」

「そんな……」


 アゼリアは、悲嘆にくれた声で呟き、両手で顔を覆って涙をひと筋、ツツツと流した。もちろん、流した涙は悲しみから溢れたものではない。


 ジュダが漏らした、切り札、とは一体、なんだろうか。アゼリアが切り札になる、という状況がわからない。いつかそんな状況がくるのだろうか、と不信に思いながら、アゼリアは少ない情報の中で頭を回す。


 その様子を、どう思ったのか。もしかして、涙を流して嘆く姿を哀れに思ったのか。ジュダはアゼリアにこんなことを提案してきたのだ。


「君を害するようなことはしない、と誓おう。だから泣き止んでくれ。……そうだ、この部屋の外へだしてあげられないけれど、明日は気分転換に商人を呼ぼう。気に入ったものを好きなだけ君のものにしていい」

「……わたくしはそんなこと、望んでいません」

「いいから、いいから。じゃあ、明日は楽しんで」


 ジュダはそう言うと一方的に話を切り上げて、笑いながら部屋を出ていった。


 そしてひとり残されたアゼリアは、監禁された状況で商人を呼んで豪遊しろ、とか言われても困るのだけれど。と、誰も見ていないことをいいことに、思い切り顔を引き攣らせて乾いた笑いを漏らすのだった。


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