第36話 事件は応接室では起こらない

「国王陛下、今回のお話はお断り一択でございます」


 アゼリアが隣国のジュダ第二王子に求婚されるや否や、ノアベルトとレグザンスカ公爵令嬢との婚約お披露目パーティーは急遽中止となった。


 そして、突然の解散令に困惑する貴賓たちを尻目に、アゼリア、グエス、ルイユ宰相、そして王家からはバディス国王とノアベルト第一王子、知らせを受けて駆けつけたモルガン公爵は、王城の例の応接室へと引き篭もって緊急会議を開いていた。


 アゼリアに求婚をしたジュダ王子は、ノアベルトの近衛たちが丁重に客室へ連行し、その場にとどめているところだろう。


 とにもかくにも、応接室で開かれた緊急会議で、開口一番にアゼリアはそう言った。今回の求婚騒動は、絶対にお断りである、と。


「アゼリア嬢ならば、そう言うとわかっていたよ。すでに想い合う相手がいるのだから。……だが、しかしだね」

「アゼリア嬢とグエスが、いくら陛下公認とはいえ、まだ正式に婚約式を上げていないのだからいいではないか。外交的にも悪い話ではないだろう、という一部の貴族がチラホラいるのです」


 言葉を濁すバディス国王に続き、ルイユ宰相が国王の言葉を代弁するように冷淡に告げる。

 それを聞いて、アゼリアはグエスにバレないように、小さくため息を吐いた。モルガン家の役割も知らない身の上で、きっと好き勝手言われているのね、と。


 名ばかり公爵であるモルガン公爵家が、ようやく国の、それも外交の役に立つ時が来た。だのなんだの、今頃、貴族たちのあいだで囁かれているのだろう。


 そう思っても、アゼリアは別に気など重くはならなかったけれど、チラリと横目で窺ったグエスは、そうではなかったらしい。


「……それは、リアに求婚した相手がエネルゲイアの王子だから、ですか」

「まあ、そうなるね」


 怒りを抑えきれず、荒い口調で吐き捨てるように発言するグエスは珍しい。けれど宰相は、グエスの問いを無情にもたったひと言で肯定した。


 隣に座るグエスの気配が、憤怒によって膨れあがった。わたしのために、怒ってくれている。と思うと、場違いにも頬が緩んでしまいそうになる。微笑まないように気をつけながら、アゼリアはグエスの袖を摘んで何度か引いた。


「グエス、グエス。ありがとう、でもここは抑えて」

「リア……だが……」

「大丈夫、心配しているようなことにはならないから」


 そう囁き合って、アゼリアはグエスをやんわりとなだめた。


 ジュダ王子がアゼリアに、第二王子として求婚してきたとしても、モルガン家には断る理由があるからだ。アゼリアは、少し離れて座っていた父ダライアスに目配せをする。するとダライアスは、スッと挙手をしてから口を開いた。


「……国王陛下、宰相閣下。私の方から説明しても?」


 挙手をしてから発言するのは、モルガン家で広まっている流行り仕草である。以前、ジラルドなどとの作戦会議中、グエスがしていた挙手を皆が真似るようになったのだ。


 それを応接室でも行うダライアスの姿に、少し微笑ましくなりながら、アゼリアは父公爵の発言をグエスとともに見守ることにした。


「モルガン公爵、なんだね?」

「エネルゲイアの第二王子の母方の血筋には、オルガン王家より嫁いだ姫がおられます。つまり、第二王子はオルガン王家の遠縁の者……」

「遠縁……ということは、ジュダ殿も三盟約上の王族の範囲に入る、ということか?」


 国王の確認に、ダライアスが静かに頷いて肯定する。


「なんてことだ! では、ジュダ殿がアゼリア嬢と婚姻したら、王国が破滅してしまうではないか!」

「三度目の破滅の危機ですね、陛下。……貴族たちは私がどうにか説得しましょう。この求婚は断るしかない」


 国王の叫びにルイユ宰相が応える。そう、貴族がどのように言ったとしても、アゼリアは、モルガン家は、そしてオルガンティア王国は、ジュダ王子の求婚を受けるわけにはいかないのだ。


「……こんなことになるなら、私の婚約式よりも、アゼリア嬢の婚約式を優先的に行うべきでしたね」

「確かにそうだ。……アゼリア嬢、それからモルガン公爵、ガフ補佐官。我らの血筋が面倒をかける。申し訳ない……」


ノアベルトと国王が、項垂うなだれながらアゼリアに謝罪する。

 アゼリアは、そんなふたりの姿に成長を感じながら首を振った。縦ではなく、彼らの謝罪を否定するために横へと。


「わたくしたちの婚約式よりも、ノアベルト殿下とレグザンスカ公爵令嬢の婚約式が優先されるのは道理です、お気になさらずに。どうか、顔を上げてください」


 おずおずと顔を上げる国王とノアベルト。そんな彼らに、グエスがそっと挙手をして発言をう。


「……よろしいですか?」

「どうした、グエス。なにかいい案でも?」

「案、という訳ではありませんが、人目は確かに多くはありましたが、リア……アゼリア嬢は第二王子から正式な婚姻請求をされた訳ではありません。王家から断りを入れれば解決するのでは?」


 と。グエスが冷静に告げた。

 応接室に、しばしの沈黙が降りた。皆、視線を交わし、頷き合う。


「確かに……確かにそうだ。ガフ補佐官の言う通りではないか!」

「それに、ジュダ殿は話を聞かない人間ではありませんから、返答を催促される前にこちらから不承知の意を伝えれば、問題はないかと」

「殿下はエネルゲイアの第二王子と親しくされているのですか?」

「親しい、というわけではありません。外交的な交流をさせていただいているだけで。でも驚きました。ジュダ殿がオルガンティアに縁がある人間だなんて、彼は知っているのかな」


 ノアベルトが緊張を解いた緩んだ顔でそう教えてくれた。ジュダ王子を語るその表情を見て、アゼリアはハッとする。いくらジュダ王子がエネルゲイアの者だからといって、必ずしも悪女オクタヴィアの手先であるとは限らないのだ、と。


 エネルゲイアは影の女王である悪女オクタヴィアに支配されてはいるものの、だからといって悪の国である、というわけではない。悪女の手先が、王国オルガンティアにコソコソ出入りし、内政干渉をしているとはいえ、少なくとも、今のところは。


 少し頭を柔らかくしなければ、と思い直したアゼリアはノアベルトの言葉に「そうですね」と穏やかに返すことができた。


「アゼリア嬢、ガフ補佐官。安心したまえ。早速、求婚不承諾の書状を書いてジュダ殿に渡しておこう。……宰相、早速手配を。今夜中に仕上げるぞ」

「はい、陛下。——アゼリア嬢、悪いのですが今夜はグエスを借りても?」

「グエス様がよろしいのなら」


 アゼリアが頷いて隣に姿勢正しく座るグエスを見る。グエスはやる気に満ちた光を琥珀色の目に宿し、力強く頷いた。


「問題ありません、確実に仕上げてジュダ殿下にお断りして参ります」

「ふふ。よろしくお願いしますね、グエス様」

「アゼリア嬢、私の方からもジュダ殿にそれとなく言っておきます。安心してください、決して外交問題などに発展はさせませんから」


 グエスやノアベルトの頼もしい言葉に、アゼリアの頬が緩んでゆく。求婚されたときにはどうしたものか、と焦ったけれど、アゼリアには頼れる者たちがいて、支えてくれている。


 アゼリアの3回目の男難は、心強い味方しかいない状況ではじまり、すぐに収束するだろう。


「皆さま……本当にありがとう存じます。どうぞ、よろしくお願いいたしますね」


 今回は出番がなさそうだ、と安堵して、アゼリアは心穏やかに微笑むのだった。



 そういうわけで、緊急会議を終えて王城から帰るため、アゼリアとダライアスは馬車止めへと向かっていた。


 すでに夜は深い。


 いつもの応接室から馬車止めへ向かうため、アゼリアは父公爵と雑談をしながら近道となる庭園をゆく。歩きやすいよう整備された石畳を父にエスコートされながら、アゼリアは軽やかに歩いていた。


「今回は大きな事件にならなそうで、よかったですね、お父様」

「そうだね、アゼリア。いやはや、王家の人間の潜在能力ポテンシャルは高いね。まだ少ししか教育されていないはずなのに、すっかり頼もしくなって……。我々の出番がまるでない」

「あら、よいことではないですか。我々の出番はないほうがよいのです」

「はは、言うねアゼリア。……それでもアゼリアは、ジラルドの跡も継ぎたいんだろう?」

「ええ、そうですよ。わたくしの大事なひと達が犠牲にならずに済むように。……わたくしは強くありたいのです」


 アゼリアは胸を張ってそう告げた。

 幼き日、兄の空の棺に誓った思いは、まだ枯れてはいない。ジュダ王子に求婚されたとき、悪女の名前が頭をよぎったことは確かだ。もしかしたら、エネルゲイアに送りこんだ『鷺』に持たせた情報に、悪女が喰いついたのかもしれない、と。


 いや、その予感は確信だ。だってジュダ王子は初対面にも関わらず、目立たぬ装いをしたアゼリアの美貌を褒め称えたのだから。


 だからアゼリアは、罠であろうジュダ王子の求婚を、一瞬でも受けようかと思ってしまった。それは感情からではなく、頭が弾きだした損得勘定での話。


 けれど。けれど、やっぱり、婚姻するならグエスでなければ。それに、今のアゼリアには、頼もしい王家や宰相がついているのだから。


 だから今回の事件解決は彼らに任せて、『あくのそしき』のボスになるために強くあろう。『あくのそしき』でしか解決できない問題のために、力を尽くそう。

 アゼリアは美しい星空に、そう決意したのである。


 ——と、そのときだった。夜のとばりが降りた静かな庭園で、ガサリ、と植物の葉が揺れる音。石畳を歩く音ではない、不審な音。風か、それとも動物でも紛れこんだのか。


「……? なんの音だ?」


 と、音に注視してダライアスは辺りをぐるりと見渡した。いつでも対応できるように、アゼリアはダライアスの腕にかけていた手を離し、父と同じように周囲を探る。


 一秒、二秒。三秒目に、ソレはきた。


「……っ!? …………ッ」

「アゼリア、気をつけろ!」


 嵐のような風に舞い踊る木の葉。ザザザ、と響く音に呑まれたアゼリアは、嵐の中に、葉の一枚一枚に、攻撃色であるレッドカラーの魔術痕色をた。


 これは、攻撃だ。王城の庭園で、なんて大胆な。アゼリアが防衛のために魔術式を編んでゆく。


 そのときだ。視界を覆う木の葉嵐の中に、ダライアスではない男の気配。その気配は、甘く痺れるような香りとともに、アゼリアの背後にあらわれた。


 いけない、これは睡眠薬——!


 それは、かつて侍女マリアの妨害(意訳)を交わすために使った薬と同じ種類の薬であった。アゼリアは咄嗟に息を止めた。けれど、ひと呼吸遅かった。


「……ぁ、……、…………」


 そうして睡眠薬に意識を刈り取られたアゼリアは、嵐にまぎれた何者かによって連れ去られたのである。


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