第34話 もう一度、求婚【第二部・完】

 襲撃事件や婚姻阻止作戦が片づき、ひと段落したのは、それから一週間後のことだった。


 今回の襲撃事件も、王城の応接室で起きたことであるから、正式な公表はない。という判断が下された。つまり今回も、なかったことになるという。


 ただ、なにもかもが、なかったことになるわけじゃない。

 グレンロイ・オルガネラは国王陛下に下された罰を粛々と受け入れて、来月中には平民として生きる段取りが組まれている。


 アゼリアが最後に見たグレンロイは、憑き物が落ちたかのようにスッキリとした表情をしていた。けれど、酷く痩せていたから、精神的な疲労や損傷ダメージがあるのだろう。それが、どれほどのものかは、アゼリアにもうかがい知れない。 


 後任が決まらなかった儀典官については、ルイユ宰相の推薦もあって、クリスティアナ・デジレ伯爵夫人に無事、決まった。王国初の女性儀典官だという。


 そして、伯爵夫人がオルガネラ子爵の無謀な策略——モルガン家との婚姻による三盟約の破約と、それに伴う王国への反逆——を指摘した、という名目で、ダンソル女伯爵として爵位を与えられ、ダンソル家の跡を継ぐことになったのだ。


 ジョルジオの破滅により散り散りになっていた一族も、デジレ伯爵夫人が集め、ダンソル家の再始動となった。否、そういうお話ストーリーをモルガン家とルイユ宰相が組み、バディス国王へ提出し、採用されたのであった。


 だから、そういうことになるのだ、と説明したときに夫人はかなり恐縮していたらしいけれど、ルイユ宰相とグエスが押し切った、らしい。夫人も元々は儀典官になりたくて歴史や儀式などの勉強していたから、最終的に素直になって儀典官の職務と爵位の授与を承諾してくれた。


 そして、ついに王国オルガンティアに手をだしたことを隠さなくなってきた隣国エネルゲイアの悪女の問題は、今、ジラルド率いるモルガン家が総力を上げて調べているところだ。アゼリアが調教して放った『鷺』も、現地でいい仕事をしているらしい。


 グレンロイを探らせるために放った『鴉』のうち、帰還していないものたちがあったが、先日、ボロボロの姿で帰還した。無事に戻ってきてくれてよかった、とアゼリアは少し泣いた。エネルゲイアの間者スパイによって捕らえられ、拘束されていたが、自力で脱出したとのことだ。


 あとは、アゼリアとグエスの婚約式を済ませるだけ。

 そんなある日。

 午後の日差しが眩しく、爽やかな風が流れるモルガン公爵邸の庭で、アゼリアはグエスと会っていた。美しいツツジが咲く庭は、赤や白、ピンクの花が咲き誇っている。


「グエス様、確認したいことがございます」


 と、アゼリアが歩む足を止めて仰々しく告げた。


「……なんでしょう、アゼリア嬢?」


 グエスも同じように立ち止まり、少しばかり首を傾げてアゼリアの様子を窺った。

 日差しを浴びた琥珀色の眼が、金色に輝くのを見つめながら、アゼリアが言う。


「……本当に、わたくしの伴侶になっていただけますか」


 思っていたよりも弱々しい声の響きに、アゼリア自身も驚いた。自信などないかのような声に、グエスも驚いたらしい。

 息をひと呑み。そしてグエスはすぐにアゼリアの手を取り、きゅっと握った。


「どうして、そのようなことを。自分はもう、アゼリア嬢にすべてを捧げる所存です」

「だって……わたくし、あなたに大事なことをなにも告げていないの」

「それは……アゼリア嬢の兄上のことを言っていますか?」


 鋭い指摘だ。アゼリアは思わずゴクリと唾を飲んで、それから静かに頷いた。


「……ええ、そうです。わたくし、グエス様に隠し事ばかり。言っていないことも沢山あるの。今回の事件だって、そう。グエス様に相談もせず進めたことがいくつもあるわ」

「……もしかして、そんなことを考えていたのですか?」


 なんとグエスは、アゼリアの隠し事など、たいしたことはないのだ、とでも言うように、朗らかに笑った。

 その笑顔に救われたアゼリアは、意図せずムキになってグエスに食ってかかった。


「そうよ! だって、わたくし、グエス様に嫌われたくないのだもの。それに、グエス様の意思で、わたくしの伴侶になっていただきたいの! こんなに隠し事の多いわたくしは、ちゃんとあなたに寄り添えないかもしれないのだから……」

「そんなことはありません。……自分もアゼリア嬢に話していないことは、ある」


 そう言って、グエスが少し、目を逸らした。けれど、逸された琥珀色の眼は、すぐにアゼリアの赤い瞳をしっかりと捉える。

 だからアゼリアは、安堵した。隠し事のない工作員エージェントは、存在しない。そしてまた、隠し事のない機関員インテリジェンスオフィサーも。

 アゼリアは緊張を解いて、ふ、と笑う。


「そう、そうね。……お互いに隠し事ばかりね、グエス様」

「そうですね。こんな自分はお嫌いですか?」

「まさか! そんなこと、ありえないわ!」

「でしたら自分の答えもアゼリア嬢と同じであると、理解していただけますか?」

「……ふふ、そう。そうね、わたくしたち、似た者同士なのかしら? ところでグエス様、リアってだぁれ?」


 そう言ったアゼリアの顔には、完璧な淑女の微笑みビジネルスマイルが貼りついていた。

 アゼリアの耳はいいし、記憶力だって、そう。


 応接室の襲撃事件で、グエスは確かに「リア」と言った。後で言い直してアゼリア呼びになったことを、アゼリアはしっかりと覚えていたのだ。


 指摘した途端、グエスの目が揺れた。顔色だって、変化する。青ではなく、赤へと。


「……、それ、は……」

「あら、気づいてないの? だって、あなた、わたくしのことをリアと呼んだわ」

「……っ!」


 どうやらあのときグエスが「リア」と呼んだのは、完全に無意識だったらしい。

 咄嗟にでた名前が「リア」だなんて。アゼリアは心臓の裏側がくすぐったくなるような感覚に、思わず頬を緩めて笑った。


「ふふ、ふふふ。ねえ、グエス様。以前、わたくしとあったこと、ある?」

「……ありますよ。もう、知っておられるはずだ」

「違うでしょ。あのときはもっと、砕けた口調だったわ」


 アゼリアが丁寧な言葉遣いをやめて、過去、グエスと過ごしていたときのような口調で可愛らしくむくれてみせた。

 するとグエスは、罰が悪そうに首の後ろをボリボリと掻き、そして、


「……ある。あるよ、リア」


 と。短く肯定して過去にアゼリアが教えた愛称を呼ぶから。アゼリアは思い切り破顔してグエスに向かって腕を伸ばし、勢いよく抱きついた。


「グエス、やっと会えた! ねえ、わたし、至らない点ばかりあるけれど、きっとグエスに迷惑ばかりかけるけど、わたしと結婚してくれる?」

「そのために、今、君の前に立っている。リア、君の求婚を喜んで受けるよ」


 アゼリアの何度目かの求婚をこころよく受け入れたグエスは、愛しく大事なものへとするように、アゼリアの額と頬に、ちゅ、とキスを落とした。


 だからアゼリアの理性と知性は行方しれずとなり、物足りなさを覚えたらしいアゼリアは、心と欲望の赴くままに、グエスのくちびるを奪ったのであった。



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