第33話 決戦は応接室(下)

 それまで平和だった応接室に、あっという間に緊張感が走る。


 危機管理意識の高い人間は、思っていたよりも少ない。ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、間者スパイの動きに対応したのは、アゼリアとグエス、ダライアスの3人だけ。


 パティス国王は驚いて固まっているし、デジレ伯爵夫妻は恐怖で震え、お互いを守るように抱き合っている。ひと呼吸遅れて、ベスティア卿が魔術式を編むために魔力を練りだすのがアゼリアに視えた。


 短刀を抜いた間者スパイが走る。アゼリアに背を向けてバディス国王の元へと。


「……っ! グエス様ッ、陛下を守って!」

「承知した!」


 アゼリアは咄嗟にグエスの名を叫んでいた。呼びかけに応えたグエスが、椅子に座って硬直したままの国王と、短刀を振りかざす間者スパイとの間に入る。


 とその時、なんと間者スパイの背中からもうひとりの間者スパイえたのだ。

 魔術である。


 この応接室には、攻撃魔術を妨害する結界が貼られているが、攻撃魔術でなければ使えてしまう。つまり、間者スパイが使った魔術は、攻撃魔術ではない。


 そうして生えた間者スパイはその場に留まり、オルガネラ卿を護衛するように短刀を構えていた。

 間者スパイが分裂する瞬間に見えた魔術痕色は、パープル。貴重な古代魔術か、独自の進化を遂げた血統魔術の使い手だ。


 だからアゼリアは、魔力を練っていたベスティア卿に向かって協力を要請した。魔術痕色について研究を進めているベスティア卿なら、カラーを言えばわかってくれるはず。


「ベスティア卿! パープルです! この部屋に防護結界シールドを三重付与してください!」

「そんなことをして、なにに……、……っいえ、わかりました。さすがはモルガン公爵令嬢。こちらはお任せください」


 卿が頼もしい顔つきで頷くのを確認したアゼリアは、オルガネラ卿を守る間者スパイとの距離をゆっくりと詰めてゆく。


「こんなところまで深く入りこめた、なんて思い上がっているのでしょうけれど、罠だとは思わなかったの?」

「なにを……往生際が悪いなあ、お嬢さん。我らが女王はこの国を御所望されている。素直に受け渡せ」

「ああ……やっぱりあの悪女が動いているのね。これであなたを、絶対に逃がせなくなりました」


 アゼリアの赤い眼に闘志が灯る。けれど今日は、暴走しなかった。ちゃんと自分の心と身体とを制御コントロールできている。

 グエス様がここにいて、戦ってくれているからかしら。と、思う余裕さえあった。


 そんなアゼリアの余裕に満ちた思考を遮ったのは、不安で震えるオルガネラ卿の怒声だった。


「お、おい! なにを悠長に話してるんだ!? は、はやく、なんとかしろよ!」

「……うるさい。お前になどかしずく必要は、もうないのだ。我らが女王のために役立って貰うぞ、小僧」


 間者スパイは言うが早いか身を翻し、構えていた短刀でオルガネラ卿を切り裂いた。


「……は? ……、……っあ? ああああああ!?」


 オルガネラ卿の絶叫が応接室に響く。裂かれた腕を押さえる卿の手は赤い。が、目視した限りでは重症とは思えない傷の浅さだ。

 だからアゼリアはオルガネラ卿のことは気にせず、間者スパイと対峙した。アゼリアに向けられた短刀の刃には、オルガネラ卿の血がべったりとついている。


 敵の狙いは、王族の血とアゼリアの血を物理的に混ぜること。ベスティア卿が解説していた婚姻の条件、つまり、三盟約の破約を成そうというのだ。


「さあ、血の婚姻と参りましょう!」


 間者スパイが狂喜の雄叫びを上げた。短刀を振りかざし、アゼリアに襲いかかる。対するアゼリアは、武器らしい武器を持っていない。

 それに気づいたグエスの顔が、途端に色を失う。そうして、国王を守って戦いながら、悲鳴を上げた。


「……リア、リア! ……ア……アゼリア嬢ッ!」

「大丈夫。ご心配なく、グエス様! わたくし、上手にやれますので!」


 アゼリアは自信に満ち溢れた微笑みを浮かべ、心配で青褪めるグエスにそう返した。

 モルガン家は、常に備えを怠らない。

 アゼリアが特殊加工されたドレスのスカートを掴んで持ち上げる。スカートの下には、頑丈な革で造られた膝上丈靴ブーツが覗く。


 バサリ、とアゼリアがスカートを振るった。高速で振るわれたスカートの裾が、間者スパイが繰りだす短刀の攻撃を叩き落とし、武器を絡め取った。そうして隙ができた敵の鳩尾みぞおちを、容赦なく蹴り飛ばす。


「……ぐぁ! ……あ、う……く、クソッ!」

「わたくしを、ただの小娘だと思われたことが、そもそもの敗因です。あなた方の女王とやらは、我々モルガン家について、なにも話さなかったのかしら?」

「そ、れは……」


 反撃があるとは思わなかったアゼリアに攻撃され、武器を奪われた敵が、アゼリアの挑発に動揺を見せた。不安気に視線がキョロキョロと動いている。


「あらら、可哀想に。あなた、期待されていなかったのね、その女王ってひとに。きっと、国に帰りつけたとしても、罰せられることもないでしょう。呼びだされることもなく、ひっそりと使い潰される。あなた、女王に名前も顔も、覚えられてなどいないわよ」

「……ッ! お、お、お前の妄想であの方を貶めるな!」


 図星か、それとも高い忠誠心ゆえの行動か。間者スパイはヤケクソに叫び、アゼリアに向かって突っこんできた。武器も持たずに勇敢な。あるいは、ただ無謀なだけか。


「……いけないわ。簡単な挑発に乗って、ヤケクソになっては。ここはこらえて退却するのが正解でしょうに」


 アゼリアは物足りなさそうにため息を吐いた。飛びかかってきた間者スパイの首を狙って蹴りを放つ。


「——……ぁ」


 間者スパイは呟きのような小さな声を漏らし、その場に崩れ落ちた。白目を剥いて倒れている。

 こちらはひと段落か、とアゼリアは安堵しながら、グエスの方を見た。グエスは、短剣を構えてもう一人の敵と対峙していた。


「……お前も観念して投降したらどうだ?」


 と。グエスの言葉に間者スパイが一瞬、躊躇した。けれど敵はすぐに思い直したように首を振り、魔術痕色パープルの魔術を展開しようとする。

 ——しかし。 


「——……ッ!? ……ッ?」


 敵が魔術を展開した瞬間、バチバチと魔術の火花が散って、間者スパイを捕らえた。

 ブルーの光が美しい鎖となって、敵の身体を締めつける。ピンクの光が冠となり、敵の意識を刈り取った。そうして、イエローの光が重石となって、敵の身体を床へと縫いつける。


 ベスティア卿が密かに展開していた三重付与結界だ。

 身動きが取れなくなった間者スパイに、アゼリアが静かに近づいてゆく。そして、にこやかで冷たい笑みを浮かべると、こう告げた。


「わたくし、言いましたよ。絶対に逃がさない、って」



 そういうわけで、襲撃事件は早急に解決し、間者スパイ2名は捕らえられた。


 重要な情報を持っていないように見えたから、アゼリアもダライアスも、なにも問わず衛兵に受け渡したわけだけれど、きっと今頃、連れて行かれた王城地下の牢獄で、激しい尋問が開始されていることであろう。


 あの2人は、ただの捨て駒だ。悪女を盲信するだけの、ただの駒。あるいは、悪女にとっての玩具オモチャでしかない。彼らが本命ではない、ということは、ベスティア卿がした血についての解説を、そのまま鵜呑みにしたことから察せられる。


 この会議が行われる前に、アゼリアはベスティア卿と密かに連絡を取った。

 そして、会議で古代魔術における『血』について話題がでるだろうから、解説して欲しいのだ、と依頼した。その際に、物理的に血が混ざると三盟約が破約する、と嘘を交えて言って欲しい、と。


 つまり、こちらの誘導にまんまと引っかかった間者スパイたちは、短絡的に行動し、そして捕まった、というわけだ。

 ちなみに、血と血が物理的に混ざったところで、破約はされない。……多分。確定的に言えないのは、三盟約は古代魔術なだけあって、条件範囲がゆるふわだからだ。警戒するに越したことはない。


 とにもかくにも、会議は再開された。

 オルガネラ卿が負った傷は浅く、すでに出血は止まっていたから応急処置が施された。卿にはそれが不満だったようで、うるさくわめいていたけれど、バディス国王はそれをまるっと無視して告げた。


「……グレンロイ。いや、オルガネラ子爵よ。お前はアゼリア嬢とは婚姻できないのだ。いい加減、理解せよ。……よいか、お前が今、王城ではなく王都の貴族区画で子爵についているのは、お前のせいではない」


 国王陛下は短くため息を吐いた。そして、怒りが収まらない様子のオルガネラ卿を宥めるように、優しい声と視線を送る。ほわりとした柔らかい表情に、さすがのオルガネラ卿も黙って耳を傾けた。


「だがな、お前の先祖が越権行為を行ったがゆえに、臣籍降下となったのだ。たとえ、それが愛ゆえの行為だとしても、だ。当時の王の温情で、未来永劫オルガネラ家が陞爵されぬことを条件に、子を成してもよい、とされただけだ。そして、代々、子はひとり。その約束を、お前の両親の代までは、粛々しゅくしゅくと守ってきたのだ」


「……は?」

「子爵位のまま、おごらず、つつましやかに暮らす。そうすれば、貴族としての体面が保たれるよう、王家より援助される手筈になっていた。それをお前は台無しにした」

「そ、んな……俺が思っていたのと……違う……」


 いったい、なにを聞かされて、なにを思っていたのか。バディス国王が告げた事実に愕然とするオルガネラ卿。その顔が、絶望の色で染まってゆく。

 オルガネラ卿は、うつむいて黙ってしまった。静かになった応接室に、国王の弱々しい声が響く。


「アゼリア嬢。ノアベルトに続き、我が王族が迷惑をかけた。本当に申し訳ない」

「陛下……いけません。非公式での場ではありますが、陛下が臣下に頭を下げるなど」

「そうですよ、陛下。そうやって、ご自分の謝罪を利用してはなりません。アゼリア嬢が困惑されている、ということは、その謝罪は無効ですよ」

「宰相……やはりそなたは手厳しいな。だが、その通りだ。謝罪ではなく、未来へ繋がる結果を示そう」


 バディス国王は宰相の言葉に励まされたように頷くと、決意を固めたようにオルガネラ卿と向き合った。


「グレンロイ・オルガネラ子爵よ。お前に兄弟、従兄弟はなく、オルガネラ家の血を引く者は、お前が唯一……だったな?」

「は、はい……」

「グレンロイ。オルガネラ家の血は残さん。お前は子を成せないよう処置をしたのち、爵位を剥奪。平民として生きるがよい。オルガネラ領は王家直下の管理地とする」


 ガクリと項垂れるオルガネラ卿——もとい、グレンロイ。けれど、国王の決定を受け入れるだけの理解力と、貴族としての矜持は残っていたようだった。文句も言わずに「はい……」と頷いた。

 そうしてバディス国王は続けてこう告げた。


「そして、アゼリア・モルガン公爵令嬢と、グエス・ガフ男爵子息との婚約および婚姻を、バディス・オルガンの名を持って、最大限、後押しすることを約束しよう」


 そう、貴族同士の婚姻は、最終的に国王陛下が管理するのだ。国王の公認を得たアゼリアは、胸の内に歓喜が広がってゆく気配を感じた。グエスと結ばれるための障害は、すべて取り除かれたと言っても過言ではない。


 あとは儀典官の任命を待って、婚約式を上げるだけ。いえ、婚約式と結婚式を同時にするのはどうかしら!? だなんて、思考の暴走をさせたアゼリアは、宰相の傍らに控えるグエスを見た。


 グエスの琥珀色の目が、柔らかく弧を描いている。その頬は、うっすらと赤い。

 ああ、なんて、幸せなことだろう。


 アゼリアは頭の中で歓喜の舞を踊りながら、けれど表面上は淑女の微笑みを浮かべ、恭しく頭を下げてこう言った。


「ありがとう存じます、国王陛下。最高の褒美をいただきました」


 ——と。



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