第32話 決戦は応接室(上)

 グエスが中継拠点ハブ役を務める会議が開催されたのは、公爵邸で報告会を行なってから2日後のことだった。

 執務や謁見で忙しい国王陛下が会議に応じてくれたのは、グエスや宰相閣下の調整力と、王家への教育の賜物だろう。


 またこの応接室に来る羽目になってしまったわ、と複雑に思いながら、アゼリアは部屋を見渡す。キラキラと輝きを放つシャンデリアには、相も変わらずオレンジとイエローの魔術痕色が浮かび上がっていた。


 書記官のいないこの応接室を指定したのは、モルガン家だ。

 目に見える形で記録する者がいない部屋。第三者のいない、監視するものがいない、警戒心を緩めるための部屋。


 実際は、この応接室で起こったことは、シャンデリアに付与されている魔術が魔術的に記録しているし、王城回想録にも記載されてしまうのだけれど。それを知っているのは王家か、魔術に明るい人間だけ。


 とにもかくにも、久しぶりの応接室に集まったのは、オルガンティア国王バディス・オルガン陛下、ルイユ宰相、グエス・ガフ宰相補佐官。主に上座やその付近に座っている。


 モルガン家としては、アゼリアとダライアスが出席していた。いつも通り、モルガン家は下座だ。そして、ジラルドではなくダライアスがこの場にいるのは、ダライアスはモルガン家の表の顔、ジラルドは裏の顔として役割分担をしているから。


 そして、なにかあった際の保険として、宮廷魔術師長であるベスティア卿、それから、デジレ伯爵と伯爵夫人。本会議の中心人物である、グレンロイ・オルガネラ子爵とその従者。本来ならば、従者は応接室に入れない決まりになっているのだけれど、オルガネラ卿が「なにかあっては困る」とわめいて我儘を通し、引き入れた。彼らはそれぞれ、上座と下座の中間地点に座している。


「本来なら、貴族議会にかける内容ではありますが、国防に関する重要な情報を得ましたので、こうして皆さま方にお集まりいただきました」


 と、ルイユ宰相が告げて、会議ははじまった。

 この会議はモルガン家が要請して開催されたものではあるけれど、主催は宰相閣下となっている。三盟約があるため、モルガン家が前面にでるわけにはいかないからだ。


 今回は、オルガネラ卿の求婚を国王陛下に捌いてもらうための会議である。いうなれば、モルガン家は被害者だ。けれど、表立って動かず宰相を通して間接的に行動しているのは、やはり三盟約のせい。


 三盟約は、効果範囲や条件が割とあやふやな古代魔術だ。だから、慎重に慎重を重ねて行動するしかない。

 そういうわけで会議を開いてもらったわけなのだけれども、なぜこの場に呼ばれたのかわからず、緊張した面持ちでガチガチに固まっているデジレ伯爵夫妻以外は、慣れた様だった。


 いや、ひとり。会議に臨む態度とは思えない男がいた。

 椅子の背もたれに身体を預け、ふんぞり返っている。オルガネラ卿だ。卿は、ルイユ宰相が告げた言葉に引っ掛かりを覚えたようで、首を傾げて疑問を投げた。


「うん? これは俺と、そこの公爵令嬢との婚姻の段取りについての話ではないのか? 大々的に行うんだろう? なにせ、俺と公爵令嬢の婚約式だからなぁ!」


 と。子爵位にも関わらず、尊大な言動でニヤけるオルガネラ卿。そんな卿を青褪めた顔で凝視するのは、バディス国王だ。ワナワナとくちびるを震わせてバディス国王は言った。


「……オルガネラ子爵、今、なんと言った?」

「陛下、青い顔をしてどうかされたんですか? ああ、それとも、我が婚姻を祝ふ」

「どうかしているのは、お前のほうだ! 国防に関する問題とはなにかと疑問に思っていたが、なるほど、そうか。お前が原因だったのか!」


 オルガネラ卿の呑気でふざけた言葉を遮って、バディス国王が怒声を上げる。どうやら王家への教育は順調に進んでいるらしい。成果を目の当たりにして、アゼリアは思わず目元を緩めた。


 そう、この会議は国防に関する問題を話す場だ。あるいは、王国の存亡の危機について話す場か。

 前回の婚姻事件を知っているバディス国王とベスティア卿は、恐怖を宿した目でオルガネラ卿を見ている。けれど、意外だったのは、デジレ伯爵夫妻もまた、恐ろしいものを見るような目でオルガネラ卿を凝視していた。


「……は? なぜ、怒っているのです? 俺は祝福されるべきでは?」


 多くの視線に突き刺されているにも関わらず、オルガネラ卿はポカンとした表情で、そんなことを言った。


 その発言に、真っ先に反応したのは、なんとデジレ伯爵夫妻だった。デジレ伯爵の肘を、隣に座るデジレ伯爵夫人が引き、何事か視線で会話をしている。

 そうして頷き合ってから、デジレ伯爵が恐る恐る口を開いた。


「……国王陛下、おそれながら発言させていただきます。残念ながらオルガネラ子爵は、ご存じないのでは?」


 なんと。デジレ伯爵夫妻は、三盟約を理解しているようだった。真偽はともかく、守られなければならない盟約である、と。

 そこですかさず、父公爵がデジレ卿に同意を示す。


「デジレ伯爵に我々も同意します、陛下。少なくとも我々モルガン家は、そう判断しています」

「デジレ伯爵、モルガン公爵……。そうか、すまない公爵。我が血筋がまたもやアゼリア嬢に迷惑をかけたようだ。アゼリア嬢、何度もすまない。臣籍降下した先や、降嫁した先についてはまだ気が回っていなかった」


 バディス国王はそう言うと、深いため息を吐いてから、アゼリアに向けて頭を下げた。アゼリアは慌てて、けれど顔にも態度にもださずに落ち着いた声で国王へ声をかける。


「陛下、お顔を上げてください。陛下はまだ宰相閣下より教えを乞うている立場ですから。完璧にできなくとも、理解されておられるだけで充分です」

「アゼリア嬢……」


 バディス国王はアゼリアの、つまりはモルガン家の寛大さに感嘆したように呟いた。アゼリア的には、少しでも恩、売っとこ! という軽いノリであったから、特に胸に響いたりはしなかったけれど。

 代わりに響いたのは、オルガネラ卿の怒鳴り声だった。


「お、おい。俺を置いて話をするな!」

「黙れ、グレンロイ! 貴様は王家の血を引く者として、王族として、やってはならぬことをしたのだ。王族としての誇りがあるなら、黙って話を聞け!」

「……ッ、……!」


 オルガネラ卿は、つくづく残念な男であった。自分が叱咤されているというのに、バディス国王にオルガネラ子爵家は王族だ、と言われて嬉しそうに目を潤ませ、肩を震わせている。


 そして、この話の通じなさが洗脳魅了魔術によるものではなく、素なのだから恐ろしい。アゼリアは心の中で、そっとため息を吐いてしまった。


 アゼリアは、オルガネラ卿が変なことを喚きださないうちに会議を進めて欲しい、と懇願するようにグエスを見た。視線を受け取ったグエスはひとつ小さく頷き、宰相へ耳打ちする。

 そうして耳打ちされたルイユ宰相が、主催の役割を果たすために口を開いた。


「さて、本日お集まりいただいたのは、王族であるオルガネラ子爵が、モルガン公爵家のアゼリア嬢へ一方的に婚姻請求を送りつけた件について、どのように処罰を与えるか話し合うためです」

「……おい、宰相! なぜ俺が罰を受けねばならんのだ!? それに、国防の話ではないのか? いや、やっぱり俺の婚姻の話なのか?」

「グレンロイ。これ以上、醜態を晒すな……」

「へ、陛下……?」

「ルイユ宰相、話を続けなさい」

「はっ。……オルガン王家とモルガン公爵家の間で結ばれている三盟約について、詳しくご存じではないかたもいらっしゃいますから、そちらから説明します」


 ルイユ宰相はそう言うと、チラリとオルガネラ卿へと視線を投げた。けれど、オルガネラ卿は憮然とした顔で黙っている。先程、バディス国王に叱責されたのが、余程ショックだったらしい。

 宰相は小さくため息を吐き、淡々と話を続けた。


「三盟約は御伽噺などではなく、オルガンティア王国の建国時より我らの繁栄と守護を司ってきた実在する古の魔術です。一つ、彼の家を取り立ててはならない。一つ、彼の家とは婚姻してはならない。一つ、しかして彼の家を蔑ろにしてはならない」


 親の名前より読み上げた三盟約の条約にアゼリアがウンウンと頷いていると、ボソリと女性が呟く声が耳に入った。


「彼の家……というのは、モルガン公爵家、ですよね?」


 呟いたのは、デジレ伯爵夫人である。クリスティアナ・デジレ。ジョルジオの娘である。デジレ伯爵夫人は好奇心に満ちた目で、アゼリアとダライアスとを交互に見ていた。

 だからアゼリアは、彼女に応えるために肯首しながら口を開く。


「ええ。そうで」

「ああッ、凄い! やっぱり実在するのね、三盟約の形をとった古代魔術は! 御伽噺ではなかったのだわ! では、三盟約を破約すると国が滅ぶ、というのも本当なのね!? なんて規模の魔術なの……どれほどの代償を払って……」

「クリスティアナ、クリスティアナ……抑えて、抑えて……!」

「あっ、すみません……」

「いいえ、構いませんよ。デジレ伯爵夫人、代償が気になるようですが、ご説明しても?」

「おおおお願いします!」


 少女のように目を輝かせるデジレ伯爵夫人の様子に、アゼリアは思わず笑みを漏らした。夫人が優れた歴史家であることを思いだし、よく研究されているな、と感心する。


「ふふ、面白い方。……三盟約は古代魔術を用いた契約魔術です。代償は盟約の中に刻まれています。ですから、我々は王国の内政において重要なポジションに就任することはできません。貴族議会の参加や投票は別として、政治的な影響力を持つことができないのです」


「……それでいて、ないがしろにしてはならない、という制約があるが、これはモルガン公爵家を取り潰さないよう王家側に約束させているのだね。まあ、そもそもの話、初代モルガン公爵がこの三盟約を結んで魔術をかけたからね。モルガン公爵家がなくなると、魔術の維持ができなくなるんだ」


「あら、わたくしてっきり、面倒くさい盟約を押しつけてくるモルガン公爵家を、感情のままに王家が潰さないための保険かと思っておりましたよ、お父様」

「ははは、多分、その意図もあるさ。なにせ、我々のご先祖様だからね!」

「ああああすごい……もっとききたい……」

「クリスティアナ、クリスティアナ……戻っておいで……」


 どうやらデジレ伯爵は、夫人の暴走ストッパー兼、現実へ引き戻すためのくさびの役割を果たしているようだった。伯爵の声で正気に戻った夫人が「はっ! もしかして、またやってしまいましたか?」と恐縮する様子が、アゼリアにも見えた。


 なんて、微笑ましい。きっとデジレ伯爵は、暴走しがちな夫人を怒鳴りつけたりはせずに、ああやって支えて支援してきたのだろう。


「……よろしいですか、続けても?」


 アゼリアが逸らした話を元に戻すべく、優秀な宰相閣下が咳払いとともにそう告げた。話を戻すことに異論はないアゼリアは、素直に頷いて謝罪と了承の意を示す。


「すみません、宰相閣下。続きをお願いします」

「……さて、今回お集まりいただいたのは、残るひとつ。婚姻してはならない、という制約に絡む問題が発生したからです」

「あ、オルガネラ子爵は王家の血筋……!」

「その通りですよ、デジレ伯爵夫人」

「では、古代魔術における『血』について、私のほうから少し説明しましょう」


 そう言って話に入ってきたのは、宮廷魔術師長であるベスティア卿だった。

 卿とは前回の事件以降、いくつか共同研究をしたり、古代魔術や魔術痕色について議論を重ねている仲である。


 ベスティア卿の言葉に、溢れる好奇心を隠せずソワソワしだしたのはデジレ伯爵夫人であった。以外にも、バディス国王も身を乗りだして聞く体勢を作っていた。

 唯一、ポカンとして口をつぐんでいるのが、オルガネラ卿だ。どうやら話について来れていないらしい。

 そうしてベスティア卿のミニ講義がはじまった。


「三盟約を成立させるために、オルガン王家とモルガン公爵家の『血』が使われています。この血というのは、三盟約に刻まれた血脈筋の者のこと。王家と公爵家の血筋の者がオルガンティア王国の領土内に存在すること。それが成立条件です」


 それを聞いてアゼリアは、赤い眼をパチクリと瞬かせた。

 三盟約に『血』が使われているのは知っていたけれど、両家の血縁者がともに国内にいなければ三盟約が破約する、というのは、はじめて知った。ベスティア卿の研究欲や探求欲も、底知れないな、とアゼリアは感心しながら耳を傾ける。


「三盟約でいう婚姻というのは、オルガン王家とモルガン公爵家の血を混ぜること、と言い換えることができるでしょう。王族とモルガン公爵家の血は、混ぜてはならないのです。つまり、オルガネラ卿はアゼリア嬢とは婚姻してはならない。そして、物理的に血が混ざってもいけない」


「我々が代々、下位貴族や他国の貴族から伴侶を選びがちなのは、彼ら彼女らは王族の血が混ざっている確率が低いから、という理由があってね。ただ下位貴族であればよい、というわけではないんだよ」

「……ッ、……なん、だ、と……!」


 ベスティア卿の言葉にダライアスが補足するように言った。その言葉だけはオルガネラ卿に届いたらしい。卿は眉を吊り上げてダライアスを睨みつけた。

 オルガネラ卿は、もしかしたら子供のような態度しか取ることができないのではないか、とアゼリアはふと思う。


 両親父母は、質素倹約に努めた方々であった、と『鴉』から聞いている。領民のために尽くした方々である、と。けれど、自罰が過ぎて卑屈になり過ぎてしまったのではないか。真面目すぎる両親に嫌気が刺し、オルガネラ卿は王家の血を引くという事実だけを拠り所に、尊厳プライドだけをうずたかく積み上げてしまったのではないか、と。


 これはすべて、アゼリアの想像だ。そして、その想像が真実であっても、そうでなくても、アゼリアは容赦などしないのだ。

 アゼリアが、スッと手を上げた。肘を曲げて控えめに。そうして、背筋を伸ばして胸を張る。顎を引いて美しい姿勢を保ち、駄々をこねるオルガネラ卿を真っ直ぐ見た。


「よろしいですか? わたくしは、グエス様のお人柄とその能力の高さに惚れこみました。たとえグエス様が高位貴族であっても、同じように求婚したでしょう。——では、あなたは? あなたには、なにがあるのです? わたくしが欲しくなるような、そんな訴求点セールスポイントが、あなたには、あるのですか?」

「だから、それは……」


 凛とした声が応接室に響いて満ちる。オルガネラ卿はアゼリアの視線の強さにえきれず、そっと視線を外してうつむいた。

 そんな卿に追撃をかけるように、アゼリアは手加減せずに冷淡に告げる。


「血筋のことでしたら、それはマイナスにしかなりません。オルガネラ子爵がわたくしと婚姻した場合、オルガンティア王国は……滅びます。子爵は亡国の王族として君臨したかったのですか?」


 シン、と静まり返る応接室。シャンデリアの光がチカチカと、長卓の天板に反射している。

 そんな静けさの中で、オルガネラ卿の呼吸が次第に荒く大きくなってゆく。ブルブルと震える肩と、握りしめた拳。顔には血が昇り、真っ赤に染まっている。


 爆発は、急にきた。オルガネラ卿はバンッ、と平手で天板を叩くと、側に控えていた従者に向かって唾を飛ばしながら激怒した。


「——……ッ、は、話が……話が違うぞ!? おい、なんとかしろよ!」

「……なんとか、ですか。……ふむ」


 怒鳴られた従者は、ひるむ様子を少しも見せなかった。そして、そんな従者を注視するアゼリアもグエスも、それからダライアスも、冷静に臨戦態勢へ移行してゆく。


 この従者が隣国エネルゲイアの手のものだということは、すでに知っている。オルガネラ卿が連れてきた従者だなんて、警戒対象でしかない。

 そして名も知らぬ従者——エネルゲイアの間者スパイは、ニタリと不気味に笑って見せると、


「……うけたまわりました」


 そう言ってオルガネラ卿に向かって仰々しくお辞儀をすると、腰に隠していた短刀をズラリと引き抜いたのだった。


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