第31話 王国のモルガン家と悪女の企み

 アゼリアは今朝、目が覚めたときからずっと気持ちが落ち着かず、浮いたり沈んだりを繰り返していた。

 グエスに会うのは、6日振り。それまでずっと、意図的に避けていた。


 だから、アゼリアが寂しい思いをしていたのも、久しぶりに顔を合わせるグエスとなにを話せばいいのかわからないのも、すべてアゼリアの自業自得だ。


 アゼリアはこの6日間、新たなる配下である『鷺』の調教で忙しくしていたのだ。ちょうどいい人材もいたから、たった4日で準備を整えることができたのだけれど。


 モルガン家の諜報工作員は、役割に応じて鳥の名が割り振られる。

 アゼリアの『鴉』は、主に監視や調査、情報収集を行う集団だ。敵地への潜入や工作、標的ターゲットに真実嘘に関わらず情報を流したり、モルガン家へ敵の情報を持ち帰ったり、という二重スパイのような任務には向かない。


 だからアゼリアは、ジラルドの手引きによって、新しく『鷺』を配下に置いたのだ。自分の情報を餌として持たせて放ち、隣国エネルゲイアの悪女オクタヴィアの目に留まるように、と。


 そういうわけでアゼリアは、『鷺』の手配を4日で終え、5日目に隣国へと解き放った。王城でちょっとした騒動になったようだったけれど、事後報告で丸く収めたから、大丈夫だ、問題はない。


 そういう『あくのそしき』としての活動をしていたアゼリアがグエスに一度も会わなかったのは、グエスに一度も相談せずに、ひとりで決めてしまったという後ろめたさから。


 共犯になって欲しいのだと訴えておきながら、『あくのそしき』のボスを目指しているのだと告げておきながら、自分一人で決めてしまったから。

 信頼が足りないだとか、反対されたら嫌だとか、そういうことじゃない。


 ただアゼリアは、エネルゲイアの悪女が絡むと自制が効かなくなってしまうから。醜く悪女を憎む自分の姿を、グエスには知られたくは、ない。そういう乙女のような思いが、アゼリアの胸の内で渦巻いて、グエスへのやましさを生んでいる。


 とにもかくにも、今日は6日振りにグエスと会う。

 マリアに言って、控えめなドレスと化粧を施してもらい、皆より少し遅れてモルガン公爵邸の応接間の扉を開けた。アゼリアは奥歯をぎゅっと噛み締めながら、表情と感情とを完璧な淑女の形に整える。


 顔と心を作るのは、少し、辛い。けれどグエスの顔を見たい。声を聞いて、話したい。目を逸らさずに見つめたいし、できることなら笑って欲しい。だからアゼリアは淑女の微笑みビジネススマイルを浮かべて部屋へと入った。


 部屋の中には、父ダライアスと叔父ジラルド。それからグエスがソファに腰掛けていた。二人掛けソファに座るグエスの隣は空席で、アゼリアを待っているかのような空白に、思わず少し歓喜した。


「さて、グエス君。報告があるね?」


 アゼリアが部屋に入ってきたのを察したジラルドが、そう言って今日の会議を開始した。

 いつの間にかジラルドが、グエスを名前で呼んでいることにアゼリアは驚いた。


 グエスをフルネームではなく、名前で呼んだ、ということは、叔父がグエスを認めたということ。最短でも3ヶ月はかかるというのに、こんな短期間で成し遂げるとは。


 けれど、喜ばしいことなのにどうしてか胸がチリチリ。アゼリアの心が狭いだけか。それとも心に余裕がないためか。

 もちろん、淑女の仮面を被っているアゼリアは、それを表情にはださない。表にださず、静かに微笑み、グエスの隣の空白に腰をかける。

 ——と。


「はい。昨日、王城でオルガネラ子爵に絡まれたのですが」

「また!? あの男、また王城にあらわれたの!? 信じられない! 首から上はただの飾りなの!?」


 淡々としたグエスの報告に、気づけばアゼリアは、思いっきり感情的に突っこみを入れていた。

 そう、アゼリアのセンチメンタルな心持ちは、オルガネラ卿の名によって吹き飛んでしまったのだ。


 あの男、許せん。絶対に後悔させてやる。と、いつもの調子を取り戻したアゼリアは、別に心の中でオルガネラ卿に感謝したりはしなかった。


 むしろ、あのわずらわしい男をどのように処理……もとい、どのように責任を取らせるかを考える。考えながらアゼリアは、ほぼ反射的に噴火した感情を口から吐きだしていた。


「あの失礼な男! 王家の血を引くからって、一体なんなの!? その血こそがお断り案件なのに!」

「……アゼリア、落ち着きなさい」

「落ち着いています! ですが、あの男、わたくしのグエス様に失礼なことばかり言うのですよ!? まったく、ありえない! ……心情的には、今すぐにでも、やってしまいたい……!」


 興奮するアゼリアを止めたのは、アゼリアの正面に座るダライアスだ。けれど、父の言葉だけではアゼリアは止まらない。

 アゼリアの暴走を止めたのは、喉をくつくつと鳴らして笑うグエスの低く柔らかい声。


「アゼリア嬢、ありがとうございます。自分はその言葉だけで救われます」

「グエス様……わたくしは当然のことを言っているだけです」

「それでも、です」


「あーあーあー、ちょっといいかな。アゼリア、気持ちはわかるけれど、話が進まない。いや、そんなことよりも君、ようやく芽生えてきたの? いいね、そういう成長は好ましいよ!」

「……叔父様、なにを話されているのか、さっぱりわからないのですけれど」


 ジラルドの話は、さっぱりわからない。話が進まない、ということはわかるけれど、芽生えるって、なに。好ましい成長って、なに。


 突き放すようなアゼリアの視線からジラルドはそっと目をらした。そうして隣に座るダライアスに助けを求める。


「ううーん、その台詞の意図をどう捉えればいいんだろうね。ね、兄さん!」

「ジラルド、お前が話を掻き回してどうする。……グエス君、すまないね。報告を続けたまえ」


「はい。オルガネラ子爵を少し挑発してみたところ、あっさりと漏らしました。子爵は隣国エネルゲイアの支援を受けています。言質はここに」


 グエスはそう言うと、鈍く光を放つ紫色の石を取りだして、低机テーブルの上にコトリと置いた。そうして手を掲げ、魔力を注入する。と、石が強烈な光を放ち、空中に映像を映しだす。


 記録映像の中で、オルガネラ卿はいつものようにグエスを罵倒していた。できれば、グエスの耳を塞いでしまいたい、とアゼリアは思う。こんな罵詈雑言を何度もグエスに浴びせたくはない、と。

 けれど、である。


 ——自分を従えることができるのは、アゼリア嬢だけですので。

 ——あの麗しい名を呼べないとは……不幸ですね。

 ——アゼリア嬢を貶めるのならば、自分ももう黙っていませんが。


 これはもしや、惚気のろけというやつなのでは? と、アゼリアは気がついた。これは愛情表現というやつなのでは? と。気のせいだろうか、と思って隣のグエスをそっと窺う。


 すると、表情はあくまでも真面目。寡黙でキリリとしているグエスの、その、耳が。首が。じんわり赤く染まっているではないか。


 これは気のせいでは、ない! と理解したアゼリアは、自分の頭が漂白されてゆくような感覚を味わった。それと同時に、背中が熱く燃え上がり、びっしょりと汗が噴きだす感触。そう、訓練された貴族令嬢は、化粧を施された顔には汗をかかないのである。

 そして。


 ——それが、なんです? 自分はアゼリア嬢を愛している。譲れと言われて譲るような、軽い愛ではない!


 と。グエスの愛の叫びで記録映像は終わった。

 アゼリアの心臓は、もうバクバクだ。体温だって、急上昇だ。こんな、こんなの、公開告白もいいところ。

 オルガネラ卿の口を滑らせるために、本気で対応する必要があったのは、理解できる。


 記録改竄の疑いをかけられないよう、編集せずに抜きだしたのも、理解できる。


 けれど、けれど、けれど。あんな愛の告白を堂々と。肝が据わっているのか、豪胆なのか。こんな、こんなの……グエス様に惚れ直してしまうじゃない! と、アゼリアの頭は急激な体温上昇による温暖化の影響で、それはそれは見事なお花畑と化していた。


「……あー、凄い愛の籠った台詞が聞こえたけれど、それについては後にしよう。アゼリア、報告を」

「あ、はい、叔父様。『鷺』を一羽、放ちましたが、無事、隣国エネルゲイアへたどり着いた、とのことです」


 脳内お花畑でダンスを踊りはじめるところだったアゼリアを正気に戻したのは、ジラルドの『あくのそしき』のボスとしての言葉だった。


 アゼリアはゴホン、と咳払いをしてから腰を伸ばして背筋を正し、冷静な機関員インテリジェンスオフィサーの顔で答えた。


「……『鷺』。上手くいきましたか?」

「ええ、彼の国が食いつきそうな餌を持たせましたから。『鴉』の報告によれば、早速、『鷺』に接触してきたそうです」


 そうグエスに返しながら、アゼリアは胸の内に後ろめたい気持ちが再び湧きだして来るのを感じた。


 自分を餌にしたのだ、とグエスに知られたら、彼は悲しむだろうか。怒るだろうか。それとも、もっと別の反応か。アゼリアは、先程まで咲いていた頭の中のお花畑が、急にしおしおと萎んで枯れてゆくのを幻視した。


 そんなアゼリアを置いて、会議は進んでゆく。


「ふむ。グエス君の証拠をあわせて考えると、糸を引いているのは悪女の系譜で確定だな」

「悪女の系譜……ですか? オルガネラ子爵は、自分を支援しているのは王と女王だ、と……王と、女王?」


 ジラルドの言葉に反応したグエスは、自分で言ったセリフに首を傾げた。戸惑いを見せるグエスに、ジラルドがパチンと指を鳴らしてニヤリと笑う。


「あ、気づいたね。本来なら王と王妃、と言うのが正しい。今代のエネルゲイアは王が立っているからね。けれど、グレンロイ・オルガネラは、王と女王と言った」


「……エネルゲイアには影の女王と呼ばれ、国王に寵愛されている寵姫の一族がいるのです。それが、悪女の系譜。エネルゲイアとその周辺国を混乱させることしか興味のない、悪の親玉」


 ジラルドの言葉を引き継ぐように、アゼリアが静かに補足した。お腹に力をグッと込め、完璧な淑女の微笑みビジネススマイルを浮かべたけれど、アゼリアはいつになく感情的に言葉を吐いてしまった。


 それに気づかないグエスではない。グエスは眉根をわずかに寄せて、気遣うようにアゼリアの表情を窺った。


「アゼリア嬢……、やけに言葉に力が籠っていますが」

「仕方がないよ、こればかりは仕方がない。今代の悪女、オクタヴィア・エンテレケイアは、マクスウェル・モルガン……モルガン公爵家の長男でアゼリアの兄を、我々から奪ったのだから」


 そう告げてくれたのは、ジラルドだった。アゼリアも、父であるダライアスも、強く強く拳を握り締め、奥歯を噛んでいたから。


 オルガンティア王国の無防備な王族をそそのかしたのは、隣国の悪女。エネルゲイアの国王の寵姫で、悪の親玉。アゼリアから兄の存在を奪った悪女。


「あの悪女がしたことは、それだけではないわ。数世代前に起こった王太子の婚約破棄騒動も、悪女の系譜が関わっていることは調べがついています」

「今もなお、密かに攻撃を仕掛けてきている、ということですか」


 今代の王家が脆弱なのも、長きにわたる悪女の見えない攻撃が影響しているから。

 悪女は隣国にいながら間者スパイを使い、オルガンティア王国を頻繁に混乱に陥れてきた。それを未然に防いでいたのは、歴代のモルガン公爵家とその配下である。


 けれど、である。

 王太子婚約破棄事件の際に起こった国政の混乱は、当時のモルガン家にも制御コントロールができなかった。対処が後手後手に回ってしまった結果、オルガン王家とモルガン家とを結ぶ役割を果たす者が、失われてしまったのだ。


 それ以降、オルガン王家とモルガン家は断絶したといってもいいほどに隔絶された。当時、モルガン家側からは、何度も交流を再開させようと試みたらしい。けれど、結局、なにもかもがあやふやになり、ノアベルト王子洗脳事件が起こるまで、モルガン家はオルガン王家と没交渉だったのだ。

 影響はそれだけではない。


 王国の暗黒期には、些細な情報、特に、書類や本にならず口伝で継承されている情報、儀式、作法。そういうものが、軒並み失われてしまった。だから三盟約も、御伽噺のようだ、と軽んじられてしまったわけ。


 悪女は人の心や情報を喰らう。喰らって自分のものにして、新たな悪事をたくらむのだ。


「今回は間接的にモルガン家を使ってオルガンティア王国を破滅させようとしている、ってわけ。三盟約を破約させれば王国が詰む、なんて、よく辿たどりついたよね」

「あの悪女たちは執念深いからなぁ……」


 ジラルドの言葉に、ダライアスが頬を引き攣らせながら、そう答えた。アゼリアはまだ、感情の整理ができていない。

 視線を床へと落とし、俯いたまま話を聞いている。


「……悪女たち、とは?」

「うん。悪女の系譜——エンテレケイア家がエネルゲイアにあらわれて権力を持ってから、ずっと、オルガンティア王国はエネルゲイアに狙われているのさ。なぜだと思う?」

「……まさか、悪女がオルガンティア王国を欲しい、と願ったから?」


 グエスの言葉に、ジラルドは首を振った。盾ではなく、横へ。神妙な顔つきで、膝の上で指を組む。前のめりの体勢で言葉を返す。


「聞いといてなんだけど、誰も悪女の心はわからない。けれど、悪女の動きは、どうみても我が国を欲する動きだ。滅ぼしたいのか、吸収したいのか。それが、まだ、わからない。とにもかくにも、エンテレケイア家は王国を手に入れることを一族の悲願として掲げ、代々、エネルゲイア国王に取り入っている、というわけさ」


「それは……もう、国難ではないですか」

「そう、国難だ。グエス君、君がオルガネラ子爵から引きだした言質によって、本件が国難であり、エネルゲイアの侵略工作である、と判明したわけさ。ありがとう、君はいい仕事をしてくれた。——……アゼリア」


 ジラルドはそういうとニヤリと笑い、アゼリアの名を呼んだ。呼ばれたアゼリアは、ハッとして顔を上げる。

 こんなところで、うつむいている場合じゃない。ようやく悪女に手が届きそうなのだから。


 アゼリアは、深呼吸をふたつ。吐いて、吸って、吐いて、吸う。新鮮な酸素が頭をめぐり、霧がかった思考を次第に晴らす。

 かつて、オルガン王家とモルガン家とを結ぶ役割を果たす者がいた。はるか昔に失ってしまったけれど、今代は違う。


 そう、今代はモルガン公爵家とルイユ宰相との中継拠点ハブ役を務める存在がいる。そして、モルガン家の話を真面目に聞いてくれるようになった王家がいる。

 全部、アゼリアが繋いだ縁だ。


「宰相閣下経由で国王と話し合いを行うことを、我々モルガン家の総意といたします。……グエス様、段取りをお願いいたします」


 背筋をピンと伸ばし、顔を上げたアゼリアがそう言った。

 その赤い眼にかげりはなく、燃えるような決意によってきらめいていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る