第28話 密室で宣誓

「まったく、なんて失礼な男! なんなの、なぜ話が通じないの!? あの男、魅了状態でも、洗脳状態でもないんですよ!? つまり、正気です。正気な状態で、アレなのです。信じられない、とてもじゃないけれど、信じられない! ……ああもう、やってしまいたい。今すぐにでも追いかけて、後ろからザクっとやってしまいたい!」


 グエスの手を引いてにこやかな笑顔を浮かべていたアゼリアは、モルガン公爵邸へ戻る馬車に入り腰をかけるなり、感情を爆発させた。


 馬車止めまで歩いて向かうまで、オルガネラ卿との遭遇について記憶を強化させるために、繰り返し思い返していたせいだ。


 何度も何度も記憶を振り返っているうちに、後からムカムカと腹が立ってしょうがなくなってしまった、というわけ。

 アゼリアが激しく憤慨する様子を、対面に座ったグエスが見ているにも関わらず、アゼリアはなお興奮して言葉を吐き捨てる。


「わたくしのグエス様になんてことを! 爵位で伴侶を選ぶなんてモルガン家がするわけないでしょう! そもそも態度がなってないのよ! 信じられない、信じられない! なんて無礼な! ああ、本当にやってしまいたい!」


 と、アゼリアがいきり立っていると、グエスが端正な顔を柔らかく緩め、控えめに笑いだした。


「ふ、ふふ。やってしまわれるのですか? それとも、自分がやってきましょうか。上手くやる自信はありますが?」


 柔らかく包みこむような声で冗談混じりに言われると、アゼリアの怒りも急速にしぼんでゆく。

 少し淑女レディらしくなかったわ、と反省しながらも悪びれることなく、アゼリアは真っ直ぐグエスを見つめて告げる。


「そうですね……やってしまいたいところですが、殺すことは致しません」

「……なぜ、と聞いても?」


 尋ねるグエスの目は、優しい。アゼリアが安易に暗殺をしない理由を、グエスは理解してくれているのだ、と安堵する。

 だからと言って、言葉にしない、という選択肢は今のアゼリアにはなかった。意思疎通は重要だ。『あくのそしき』に関わる内容の場合は、特に。


 アゼリアは、自分とモルガン家の方針をしっかり伝えるために、背筋を伸ばして顎を引く。それからハッキリとした発音でゆっくり話しだした。


「それは最終手段で、どうにも逃げ場がなくなったときだけ、です」


 アゼリアはそう宣言すると、「たとえば、今の状況を悪いほうに想像したとして」と前置きをした。膝の上で組んだ手に、無意識に力が入る。


「今はわたくしがモルガン公爵家の令嬢で、あの方より立場が少し強いのです。だから、婚姻請求への返答を引き延ばすことができています」


 オルガネラ卿は確かに王家の血を引いてはいるけれど、ただ、それだけ。オルガン王家が後ろ盾になっているわけじゃない。オルガネラ家は、あくまでもオルガネラ家で、爵位は子爵だ。


 公爵位とは、天と地ほどの差がある。

 だから公爵令嬢にすぎないアゼリアでも、家の力を借りて強く言うことができる。先程のように、オルガネラ子爵を牽制することができる。

 けれど。


「でも、もし、今。お父様が何者かに討たれたら? わたくしは爵位継承者ではありますが、現時点では爵位を継いだわけでもない、ただの令嬢です。つまり、お父様が失われたら、わたくしの立場や権威は、一時的にオルガネラ子爵を下回ります」


 オルガネラ卿が、そこまで考えるか、といえば、彼はそんなこと考えないだろう。思いつかない、と言った方が正しい。

 そうであったとしても、オルガネラ卿の背後でオルガンティア王国転覆を模索する工作員スパイが、卿の耳元で囁いたら? モルガン公爵を事故に見せかけて始末すればいい、とそそのかしたら?


 オルガネラ卿は後も先も考えずに、実行に移すだろう。宰相職への復権を渇望していたジョルジオが、そうだったように。王家への復帰を、つまり、王位継承権を望むグレンロイ・オルガネラならば、きっと、そう。


「そうなったら、わたくしもあの方との婚姻からは逃げられない……かもしれない。強引な手を使われたら、貴族議会などにかけられたら、たとえ、わたくしとグエス様の婚約が内定していたとしても、婚約式を行えていない状態では、それは貴族典範上、白紙と同じこと」


 アゼリアは一度、グエスから視線をそらした。髪の色と同じ金色の長い睫毛を伏せて、すぐにしっかり前を見る。

 見えるのは、グエスの顔だ。真剣な眼差しでアゼリアを見つめるグエスの顔。琥珀の瞳が光を帯びて金色に輝いている。


 やはり、わたくしには、このひとしか有り得ない。

 そうしてアゼリアは、自分の信念と本心とを感ずるがままに言葉にしてつむいだ。


「だから、そのときは、やります。王国を滅ぼしたくないから。そして、わたくしはグエス様以外とは、絶対に結ばれたくはないのです」


 耳の奥で響く言葉の余韻に、馬車がガタガタと石畳を進む音が混じる。

 演説にも似た長いたとえ話を終えたアゼリアは、いつの間にか強張っていた顔に気づいた。


 アゼリアは硬直していた頬をほぐすように、ゆっくり笑ってみせる。


「それに、暗殺って意外と諸経費コストがかかるんですよ」


 と。明るくそう言って、さらには片目をパチンと弾いてみせた。

 その瞬きは、グエスとのあいだに横たわってしまった暗く沈んだ雰囲気を、途端にスッキリ晴れさせた。通常の空気が戻ってくるとともに、目立って聞こえていた車輪の音もアゼリアの意識から溶暗フェードアウトしてゆく。


 それに合わせて、グエスの真面目な表情も少し緩んだようだった。グエスは長い指で顎をさすりながら、軽く首を傾げて言った。


「なるほど……諸経費コスト……ですか? 不確実性要因リスクではなく?」

「ええ、そうです。不確実性要因リスクゼロで暗殺できても、それは諸経費コストゼロというわけではありません。なにごとにも、お金はかかりますから。特に、貴族の暗殺がそうです」


 アゼリアはそう答えると、先程とは打って変わって不真面目にならない程度の明るい口調で言った。


「殺す、という話だけなら簡単なのです。事前準備も、後始末もそう。事故を装ってもいいし、病気ということにしてもいい。けれど、それにはお金がかかる。それに、殺した貴族が負っていた役目や家業、領地管理はどうなりますか?」

「……後継者の問題、ですか」


「そう、そうです。すぐにすげ替えられるような人材がいるならばいいのですが、往々にして暗殺されるような貴族にまともな後継者などいないでしょう。そうなると、せっかく暗殺しても、似たような思考、思想の後継者が同じような罪を犯してしまう」

「イタチごっこ、ですね」


 今、オルガネラ卿に後継者はいない。だから実のところ、卿を暗殺してしまうのは容易たやすい状況ではある。けれど、オルガネラ家は今代を除いて、ずっと真面目に生きてきた。


 そのおかげで窮地を救われた領民や、大切なひとを失わずに済んだ者が大勢いる。そういう力を持たない多数の民を、アゼリアとしては巻きこみたくはなかった。


 オルガネラ卿を排除するなら、もっと、ゆるやかに。不自然な入れ替わりではなく、領民の誰もがみな、仕方がなかった、と納得できる形で、だ。


諸経費コストをかけて命を消費するよりも、別の方法でトップをすげ替えることはできますから」

「……ああ、なるほど。不穏分子を煽って組織の共倒れを狙ったり、反乱の助力をしてトップを交代させたり、ということですね」


 と、告げたグエスが目を細め、ふ、と笑った。グエスの言葉に、アゼリアの脳裏でグエスとの過去が再生される。

 よかった、グエス様は覚えてくれていた。アゼリアがそう確信すると、胸の内から溢れる喜びが弾んだ声となって、いつの間にか外へでてしまった。


「ええ、そうです、そうです! ときには檸檬ケーキがきっかけとなって政変クーデターが成功する、とか。そういうことをするのが、我々の仕事」

「……っ、……アゼリア嬢」


 いつも冷静クールなグエスが、切羽詰まったように立ち上がった。目元が少し、ほんのり赤い。琥珀色の双眸だって、心なしか潤んで見える。

 グエスの気持ちは、よくわかる。アゼリアだって、似たような顔をしているだろう。けれど、ここは、モルガン公爵家の馬車なのだ。


 未婚かつ正式な婚約が了承されていない男女がふたりきりでいても、車内は簡易自動書記録用の魔道具が余すことなく記録ログを取っているし、アゼリアの『鴉』だって遠巻きに護衛している。


 つまり、密室であるにも関わらず、馬車内の出来事はすべてモルガン家に筒抜けである、ということ。

 だからアゼリアは、グエスに座るよう無言でうながした。そして、ニコリと笑って話を元へ戻す。


「それに、モルガン家は諜報工作機関であって、暗殺機関ではありませんしね。暗殺はギリギリまでしませんよ、最終手段です」


 甘い考えかもしれない。隣国エネルゲイアの侵略からオルガンティア王国を守るためには、その考えを崩さなくてはならない日も来るだろう。


 けれど、とアゼリアは思う。けれど、できるだけそんな日が来ないように、と。出来うる限りの力を持って、回避しよう。命だけは奪ってしまわないように。簡単に消費してしまわないように、と。


 グエスにモルガン家の方針を告げたことで、将来の夢を今一度確かめることができた。だからアゼリアは、今まで語っていなかったことを、自分の目標を、グエスに話す決心がついた。

 深呼吸をひとつ。大きく吐いて、それから吸う。しっかり前を見て、グエスと見つめ合う。


「グエス様。わたくしの共犯になってくださる、と約束してくださいましたね。わたくしはね、モルガン公爵家を継ぐだけでなく、いずれ叔父様が取りまとめている機関の……『あくのそしき』のボスになりたいのです」


 一瞬の沈黙。けれど、その沈黙は気まずいものではなかった。だからアゼリアは安堵して、とびきりの微笑みでグエスに向ける。


「もちろん、協力、していただけますね?」


 断ることなどないでしょう? というような、傲慢で自信に満ち溢れた女王の顔で、アゼリアはそう要請した。

 グエスは当然のようにこうべを垂れてアゼリアの手を取り、指先にそっとくちづける。そして、熱のこもった視線と声とで、アゼリアの理性を貫いた。


おおせのままに、我が愛しいひと」


 その後、アゼリアは自分がどうやって公爵邸の自分の部屋に戻ったのか、まったく覚えていなかった。



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