第27話 わたくしを誰だと?

 ジョルジオとの話を終えたアゼリアは、グエスとともに貴族牢となっている古城を後にした。

 古びてはいるけれど、きちんと機能している正門を通り抜けると、そこには見知った人物がひとり。できることなら、永遠に再開したくなかった人物である。


「待っていたぞ、俺の花嫁! こんな辛気臭いところで話をするのは嫌だろ? 場所を変えよう、王城の屋外サロンはどうだ? この季節は薔薇が美しい」


 仰々しくそう言ってのけたのは、オルガネラ卿だ。待っていた、というが、どうやってアゼリアとグエスがこの古城にいると知ったのか。


 ジョルジオについていたエネルゲイアの間者スパイが、もしかしてオルガネラ卿についたのだろうか。

 という真面目な憶測は、オルガネラ卿が放ったあるひと言によって、あっけなく霧散した。


「ああ、薔薇の花嫁よ! そなたには薔薇がよく似合う!」

「ば、薔薇……また薔薇なの……」


 完全に既視感デジャヴである。

 オルガン家の血を引く人間は、もしかして皆、こうなのか。潜在的であっても自覚的であっても、どちらにせよはた迷惑には変わりない。


 関わりたくない人間の迷惑極まりない言動に、脱力感がアゼリアを襲う。持っていた扇を広げ、ゲンナリした顔を巡回している衛兵などの視線から覆い隠す。

 そうやってアゼリアが、対オルガネラ卿への迎撃体制を整えていると、グエスがスッと前へでてくれた。


 なんて、頼もしい。アゼリアは、ここ数日はずっとグエスに守られてばかりだわ、と思いながら、彼の広くたくましい背中に思わず見惚れていた。


「オルガネラ子爵。王城への登城権をお持ちでないのにサロンを使うとは、どのような理屈であるか、ご説明いただいても?」

「またお前か、平民。うるさい、黙っていろ。なんの権限があってそんな戯言を……。俺は今、俺の薔薇の花嫁と話しているんだが?」

「アゼリア嬢はあなたの花嫁ではない。薔薇でもない。将来に渡って、あなたの花嫁になることもない。諦めてお帰りください」


 毅然とした態度でグエスが言った。周辺の空気を冷やすような重みのある低い声が、オルガネラ卿へ向けられている。アゼリアからは見えないけれど、きっとその視線も声と同じ冷たさを持っているのだろう。

 けれど、図太い血筋であるオルガネラ卿は、それを物ともしなかった。


「お、お? いいのか、お前。子爵である俺に逆らって、社交界で生きていけると思っているのか? いいか、お前の話じゃないぞ、平民。お前の実家の話だ。お前の父親と兄達の話をしているんだが? それくらい、平民の頭でもわかるだろ?」

「……っ」


 なんと卑怯にもオルガネラ卿はグエスを脅迫してきたのである。思わず言葉を詰まらせてしまうグエスの背中を、アゼリアは堪えながらジッと見ていた。

 否、アゼリアが見ていたのは、グエスの背中越しに見えるオルガネラ卿の頭部だ。アゼリアはただ黙って静かに、ある魔術を展開させていた。


 その魔術とは。対象が洗脳や魅了状態になっているか、否か、を確認する魔術である。

 前回の事件で使った『制限解除』魔術の応用で、個人を単位として精神系異常がないか走査スキャンするものだ。宮廷魔術師長であるベスティア卿との共同開発である。


 これで、ノアベルトのときと同じような洗脳魅了系魔術が、オルガネラ卿にかけられているかどうかが、わかる。わかるのだが。


「嘘でしょ……」


 アゼリアは、その結果に愕然とした。思わず声を漏らしてしまうほどに驚愕した。

 結果はグリーン。正常だ。


 つまりオルガネラ卿は、まったくの正気の状態で、あの言動をとっているのだ。その事実にアゼリアは軽く絶望した。まさか、素の状態であんな臭い台詞を吐き、おかしな行動を取るなんて。


 そんな風にアゼリアが呆気に取られているあいだ、グエスとオルガネラ卿の話は、オルガネラ卿優勢で今もなお続いていた。


「ははは、なにも言えなくなったな! そうだ、それでいいんだよ。平民はそうやって口を閉ざしてこうべを垂れていればいい! それにな、親切な者が教えてくれたぞ。お前、ガフ家の人間でもないらしいな! どうやって養子になったんだ? ガフ家を陞爵させてやるなんて言って、取り入ったのか?」

「……、……っ」


「なんで黙っている? さっきの威勢はどうした! ははは、図星なのか? なら、これも真実か? お前、ガフ家に入る前は卑しい仕事をしていたんだってな。なんだ? 人でも殺したのか? それとも、たぶらかしたか? ははは! そんな奴が、なにを、どうして、そんなに威張っていられるんだ?」


 得意満面の顔で声高に叫ぶオルガネラ卿に、グエスは言葉を呑んだままくちびるを噛み締めることしかできなかった。けれど、その背中の背筋はピンと伸び、屈しているわけでもないようだ。


 オルガネラ卿がグエスを罵った言葉は、すべて事実だ。それは『鴉』を使ってグエスの過去を調べさせたアゼリアも、独自に調査していたらしいモルガン家の面々も、皆が知っている。


 けれど、アゼリアやモルガン家がグエスの過去をなにからなにまで知っていることを、グエスは知らないだろう。だから、オルガネラ卿に過去を穿ほじくり返されてグエスが傷ついていないか、それだけが心配だった。


 過去を持ちだして恫喝するなんて、なんてそこの浅いひと。どうせなら、わたくしの過去も一緒に調べればいいのに。まあ、なぁんにもでてこないでしょうけれど。アゼリアはそう思いながら、過去に思いを馳せた。


 グエスとは過去、作戦をともにしたことがある。そのとき、アゼリアは一度だけミスをして窮地に追いやられたのだ。けれどグエスは、助けなくても作戦に支障はないアゼリアを、危険を顧みず助けてくれたことがある。


 言うなれば恩人だ。作戦中は互いに偽名を名乗っていたし、あんなに素敵な紳士に成長し過ぎていて、グエスと再開したときは、すぐには気づかなかったけれど。


 グエスも覚えてくれているかは、わからない。ふたりきりのお茶会で檸檬ケーキをだしたとき、グエスの反応はイマイチだったから。


 それにしても、とアゼリアはため息を吐いた。やってしまいたいところだけれど、と冷静に考えながら、アゼリアは静かに一歩踏みだしてグエスの隣に並ぶ。広げていた扇をパチンと音を立てて閉じると、空気を読めないオルガネラ卿が馴れ馴れしくアゼリアに声をかけてきた。


「さあ、行こう。俺の花嫁よ。もう話はついた、俺たちの時間を楽しく過ごそう」

「話などついていませんし、アゼリア嬢はあなたの花嫁でもない! 彼女の美しい名前を呼ばず、物のように扱う男などアゼリア嬢には相応しくはない!」


 グエスにしては珍しく、牙を剥くように声を荒げてそう言った。滅多に見れないものを見たような、得をしたような、浮ついた気分に一瞬なったけれど、アゼリアはすぐに表情を落として名前を呼んだ。


「グレンロイ・オルガネラ」


 爵位敬称など、つけなかった。アゼリアはカツ、とヒールを鳴らし、高圧的な態度でオルガネラ卿へ向かって一歩踏みだした。


「な、なんだ?」

「あなた、失礼すぎるわ。わたくしがみずから選んだグエス様をざまに言うなんて、モルガン公爵家の判断にケチをつけるというの?」

「は、はぁ? おい、俺が下手したてにでていると思ってつけ上がりやがって!」


 顔に汗を滲ませたオルガネラ卿が、抵抗するように暴言を吐く。

 なんて、語彙ボキャブラリーのないひとだろう、と思いながら、アゼリアはまたカツ、と一歩前へでる。危険だからと止めようとするグエスの手は、名残惜しかったけれど、そっと払い除けて。


「グレンロイ・オルガネラ。あなた、子爵よね。わたくしを誰だと思っているの? 爵位差を盾にグエス様を脅すなら、こちらも同じ手で返しましょうか?」


 アゼリアが語気強めにそう言うと、オルガネラ卿は若干、ひるんだようだった。その隙を突いてグエスがやおらふところから一枚の証書を取りだし、掲げて見せた。


「お引き取りを、オルガネラ子爵殿。それとも、衛兵を呼ばれたいのですか?」


 グエスが掲げた証書には、王家の印章が押されていた。おそらく、ノアベルトから貰った見舞いの品だろう。その証書には、グエスがいつでも衛兵を呼びだしてオルガネラ卿を排除することができる、と記載されていた。


「ぐっ……! 姑息な手を使いやがって! お前、今に見てろよ! いつかノアベルト共々、地獄を見せてやる!」


 証書を見たオルガネラ卿は、サッと顔を青くして捨て台詞を吐くと、意外にも素直に退散したのであった。


 その縮こまった背中をグエスとともに見送ったアゼリアは、また調べることが増えたわ、と顔を微量だけ顰めた。そうして、自分の『鴉』が疲労で倒れないかしら、と自ら心配事の種をひとつ増やす。悩みも心配事も、そして次から次へと湧いてくる懸念事項も、キリがない。


 けれど、とアゼリアは思う。けれど、わたくしにはこの方がいる。

 アゼリアは、自分と同じようにため息を吐いて疲れた顔をしているグエスの手をそっと掴み取った。


 手に取ったグエスの左手薬指には、アゼリアが贈った指輪が光る。だからアゼリアはニコリと笑って、馬車止めへ向かって軽やかに歩いてゆくのであった。



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