第26話 貴族牢にて、尋問

 翌日。

 ジラルドの采配で、アゼリアはグエスとともに貴族牢へとおもむいていた。


 昨夜のあの会議の後ですぐに手配をしたのか。それとも、先を読んですでに手配していたのか。アゼリアとグエスはなんの手続きも必要とせず、すんなり貴族牢へと入ることができたのであった。


 王城の北の外れにあるこの貴族牢は、元々は王族が暮らしていた古城なだけあって、古すぎるという点を除けば、貴族の罪人が監禁されて暮らすには充分な設備が整っている。


 だから、牢といっても鉄格子がはめられているわけでもなく、頑強な扉と鍵がついた個室に入れられるだけである。もっとも、窓ははめ殺しだし、部屋の外へでる自由はない。罪人ではあるから、それなりの刑罰や刑務作業が割り当てられる者もいる。


 アゼリアは目的の人物が投獄されている部屋に向かう途中で、おもむろに嵌めていた指輪をひとつ指から抜くと、隣を歩くグエスに差しだした。


「グエス様。これを」

「これは……指輪?」


 モルガン家の紋章が彫られた真紅の宝石、土台は黄金。アゼリアを思わせるその色は、言うなれば婚約していることを周囲に知らせるためのもの。

 グエス・ガフがアゼリア・モルガンのものであると主張する証だ。


 けれどアゼリアは、その事実をグエスには伝えなかった。遠慮せず、堂々と、さりげなく。侍女マリアのアドバイスに従って、プレゼントとしてではなく譲渡品としてグエスに差しだしたのだ。そう、アゼリアはマリアの意図を曲解していた。


 けれど。なんの違和感もなく完璧にできたわ。と、自画自賛におちいっていたアゼリアは、そんなことには気づかない。

 指輪をマリアに手配させておいてよかった。事前に準備していなければ、今日渡すことなどできなかっただろうから。と、斜め上な安堵をしていた。


 昨夜ジラルドは、グエスにアゼリアを守るよう言っていたけれど、それは違う。アゼリアがグエスを守るのだ。


「わたくしの血が封じられた宝石が嵌めこまれています。なにかあるとは思えませんが、お持ちください。きっと、役に立つでしょう」

「アゼリア嬢の、血……。わかりました、ありがとうございます」


 グエスはそう言ってうやうやしく指輪を受け取ると、左手の薬指に指輪を嵌めた。少し緩かったようだけれど、問題はない。魔術で調整すればいいのだから。

 こうしてグエスの指に、それも左手の薬指に、指輪が嵌められた。そう、左手の薬指だ。


 指輪の場所が完璧だわ、さすがグエス様。と、なんとも面映おもはゆいくすぐったさに、アゼリアは頬が緩むのをしばらく自制できなかった。

 とにもかくにも、そんなやり取りを経て、アゼリアとグエスは目的の部屋に着いた。付き添いの看守に鍵を開けてもらい、部屋に入る。


 背後で扉が閉まる音と鍵がかけられた音とを聞きがなら、アゼリアは目的の人物——ジョルジオ氏に声をかけた。


「お久しぶりです、ジョルジオ氏。なにか不便なことはありませんか?」


 ジョルジオ氏、とは。アゼリアとノアベルトの婚姻事件の首謀者であるダンソル卿の名前である。ダンソル卿は、爵位と貴族籍を剥奪されて、ただのジョルジオとなったのだ。

 椅子に座ってぼう、としていたジョルジオは、アゼリアとグエスにワンテンポ遅れて気がつくと、慌てて立ち上がり、すぐさま頭を下げて膝と両手とを床についた。


「あ、アゼリア嬢……! す、す、すまなかった。いや、こうして対面で謝罪できるとは……本当に申し訳なかった!」


 王城の応接室で見せた傲慢で無礼な態度はどこへやら。実のところ、ジョルジオはまだ、尋問にかけられていない。それなのに、モルガン家から施された教育だけでこの有り様。

 すっかり変わってしまった様子に、父ダライアスが派遣した教育係の凄まじさを見た気がした。


「モルガン公爵家を巻きこむ必要などなかったのに、巻きこんでしまった。元がつくとはいえ、宰相職についていた家門であったのに三盟約を軽んじてしまうなど……ダンソル家はもう、宰相に……国政を司るに相応しくないとみずから証明してしまったも同然だ」


 ジョルジオは顔を伏せたまま、時々言葉を呑みこみながらそう言った。後悔が滲む声には聡明さが見え隠れしている。もしかしたら、本来のジョルジオは、今、アゼリアに見せている姿だったのかもしれない。


 アゼリアはジョルジオの3歩前までゆっくり歩くと、口元に小さな黒子を湛えたくちびるをニコリと緩めた。そう、無敵の淑女の微笑みビジネススマイルを顔に貼りつけたのだ。


「ジョルジオ氏、顔を上げてください。その謝罪は、あなたの今後の働きによって、正式に受け入れるかどうか検討します」

「と、当然です……突然まくし立てて申し訳ない……」

「いいえ。……そういえば、ルイユ卿への引き継ぎ教育を熱心にされている、と聞きました。次回からはこちらのグエス様も一緒に講義を受けても?」

「え、ええ! どうぞ、構いません。もとより私に拒否権などないのですから……!」


 アゼリアの真紅の眼に射抜かれたジョルジオが、首をブンブン縦へ振って了承した。

 まるで犬かなにかのようだ、と思いながら、アゼリアはスッと目を細め、ジョルジオを観察する。


 身体的な健康状態は、目で見る限り異常はない。損なわれている感じもしない。けれど、ジョルジオは罪人だ。豪華な箱に入れられているとはいっても、刑務作業などの刑罰は科せられる。


「ふ、ふふ。随分と性格がまぁるくお変わりになりましたね。そんなに貴族牢こここたえますか?」

「い、いや……その……」


 ジョルジオが思わずといったさまで、アゼリアから目をらした。

 元貴族であり、今はへりくだってはいても、元々は尊厳プライドの高いジョルジオが、平民同然の刑務作業や日々の刑罰に服するのは、精神的に辛いだろう。


 そして、罰を受けて戻る部屋は貴族でいた頃と変わらぬ豪華な個室。その現実的ギャップをすぐに受け入れられる者は、なかなかいない。

 床にうジョルジオに立ち上がることを勧めたりせずに彼を見下ろしながら、アゼリアは慈悲深い者の笑み仮面で告げた。


「まあ、当然それなりに、堪えるでしょう。ジョルジオ氏がなさっているのは、ルイユ卿への引き継ぎ教育だけではありませんものね。我々の使いは、きちんとあなたに教育できていますか? 今日はそれを確かめにきたの」


 そう言って、アゼリアの喉は冷たい響きを発した。

 ジョルジオはもう平民だ。平民を貴族牢に入れているのは、ひとえにモルガン公爵家の駒として再教育するため。そして、宰相閣下への引き継ぎ教育のため。


 貴族であるアゼリアやルイユ宰相が、ジョルジオの元を訪ねやすくするためにすぎない。決して、ジョルジオのためではない。

 これからはじめるのは、アゼリアによるジョルジオへの尋問だ。今までジョルジオに尋問がされていなかったのは、この時のため。そして、尋問に使えそうな取引材料も手に入れてある。


 ——準備は万端だ。

 アゼリアは背筋をスッと伸ばし、それまで浮かべていた淑女の微笑みビジネススマイルを取り払い、表情を消す。


「グエス様」

「はい」


 と、短く頷いたグエスが一歩前へでる。

 アゼリアは前へでたグエスを盾にするよう背中に隠れ、持参していた扇を広げた。そうして広げた黒と赤との扇で顔の下半分を覆い隠す。


「ジョルジオ氏。あなたの回答如何いかんで、あなたの家族とデジレ家へ嫁いだ娘の行く先が決まります」


 アゼリアが暖かみなど一切ない無慈悲な声でそう告げた。

 途端、それまでしおらしく平伏ひれふしていたジョルジオが、ガバッと起き上がりグエスの脚にしがみついた。


「む、娘はデジレ家へ嫁いだんだ! か、関係ない!」

「それを決めるのは、自分ではない」


 グエスは冷淡にそう言うと、懇願するジョルジオを力任せに引き剥がす。そうして一度、チラリと首を巡らせてアゼリアの無事を確認すると、またすぐに前を向いた。


 アゼリアが行う罪人に対する尋問は、別にこれがはじめてじゃない。ないのだけれど、グエスが同じ空間にいる状況で、上手くやれるか、どうか。アゼリアは酷く緊張していた。

 だからアゼリアは、扇の後ろでひと呼吸分、時間を取った。


 大丈夫。ジョルジオの弱みはもう握っている。手応えはあったのだから、いい取引材料になるはず。

 アゼリアは深呼吸を一度。吐いて、吸って、そうして喉を震わせた。


「質問します。あなたの知恵だけでノアベルト王子殿下を洗脳し、アゼリア嬢へ求婚するよう仕向けたのですか?」

「そっ、それは……」

「そもそも、警備や管理が厳重な魔術研究塔の中で封印保管されていた魔道具を、一体どうやって盗みだしたのですか? そして、魔道具の使用方法や効果を、どのように知り得たのか。すべてお話しください」


 淡々と、一音一句丁寧に発音しながら、アゼリアはただジョルジオを凝視した。凝視して、観察をする。深い真紅の双眸が、ジョルジオを射抜く。


「ぐっ……、それは……」

「デジレ家へ嫁いだ娘は、とても優秀な歴史家だ、と聞きました。けれどあなたは、儀典官を継がせようとはしなかった。デジレ家に押しこめて……そんなに表舞台に立たせたくなかったのですか? それはなぜ? けれど、そんな風に遠ざけたなら、彼女になにかあったとしても、別に構いませんね?」


「あ、あ、あ、アレのことは、今、関係ないぞ!?」

「それを決めるのは、あなたではないわ」

「……わ、わかった、わかった話すから、アレの話はやめてくれ!」


 ジョルジオは顔を青褪めさせて唾を飛ばしながら、慌ててそう懇願した。アゼリアの脅しに屈したジョルジオは、急にしおしおとしおらしくなって、真実を話しはじめた。


「……そそのかされたのです。ルイユ家に対する嫉妬心に付け込まれ、あのようなことを……」

「誰にそそのかされたのです?」

「名前までは。ですが、この国の人間ではない。それだけは確かだ」

「なぜ、断言できるのですか?」

「言葉の端々に、音節の区切りに、隣国のなまりが滲んでいましたので」


 ジョルジオのその言葉に、アゼリアは頭が一瞬にして漂白されるような感覚に襲われた。視覚が、聴覚が、急に働かなくなったような錯覚。気が遠くなるような、足元がぐらつくような混乱。

 アゼリアは広げた扇の後ろで、完全に表情を失った。


「隣……国……?」

「アゼリア嬢、どうされましたか?」


 今のアゼリアには、グエスの声も届かない。

 オルガンティア王国は、いくつかの国と接地している。ひとつは、母アガタの出身国であるドロティア。それ以外にも大なり小なり接していた。


 それでもアゼリアは、嫌な予感しかしなかった。だって、動機がある国は、ひとつしかない。オルガンティア王国をおとしいれようとしてくる国は、あの国しかない。

 だから、隣国、というキーワードに過剰反応を示したアゼリアは、ジョルジオを厳しく問い詰める。答えを聞いて、はっきりさせたかった。


「隣国とは、どの国のことです! 答えなさい!」

「え、え、は? り、隣国はエネルゲイアの……」

「エネルゲイア……! またわたくしから、大切なものを奪うつもりなの……!」


 エネルゲイア。その名を聞いたアゼリアは、淑女の微笑みも貴族の矜持もなにもかも捨て去って、ただ感情が揺れるがままに、そう叫んだ。

 エネルゲイア。絶対に、絶対に、許さない。と、憎しみが滲むアゼリアの声に、グエスが戸惑いながら呟いた。


「……アゼリア、嬢?」


 名前を呼ばれたアゼリアは、ようやくハッと我に返った。

 自我を失っていたのは、どれくらい? 余計なことは言わなかった? 白く飛んだ空白の記憶に羞恥しながら、アゼリアは咳払いをひとつ、ゴホンとした。


「……すみません、取り乱しました。続けて」


 ジョルジオは両目をパチクリと瞬かせていたけれど、すぐに気を取り直し、話を続けた。


「……え、その……そのエネルゲイアの者が教えてくれたのです。研究塔には人心を操り洗脳するための魔道具がある、と。その封印を解く方法も、形状も、すべて教えてくれました」

「なぜ、その者はそんなことを知っていたのか聞いていますか?」


「……そもそもあの魔道具は、エネルゲイアで作られた物だ、と言っていました。目的を達成して用済みになったら、エネルゲイアに返却してくれればそれでよい、と」


 ジョルジオはそこまで言うと、深く息を吐きだした。そして、悔恨の念にかられたように顔をくしゃくしゃに歪めると、一気に喋りだす。


「殿下を洗脳してオルガンティア王国を混乱に陥れたところに宰相として返り咲いたところで、満たされるはずもない! それなのにあの時の私は、馬鹿な私は、そんな簡単なことにも気づかなかった……。なんて馬鹿なことをしたのだろう、と嘆いて後悔しても、もう遅い……!」

「あなた、まだその隣国の者スパイと繋がっているの?」


 ジョルジオの反省を、嘆きを、アゼリアは一切無視した。彼の後悔はジョルジオの口を滑らかにしたけれど、反省とともに吐きだされた言葉には、役立つ情報が含まれていなかったから。


 その冷淡さにジョルジオも気づいたのか、否か。自嘲気味に笑ったジョルジオは、自虐めいた笑みを浮かべて言葉を返した。


「ふ、ふふ。私が貴族牢に入れられたことは、王城で聞き耳を立てている貴族なら知らぬものはいないでしょう。そういう情報は、回るのが早いのです。たとえ、表に流れだしていなくとも」

「つまり?」

「使い道のなくなった道具に、あなたはなさけをかけますか、という話ですよ」


 ジョルジオは完全に諦めている。過去の栄光も未来の希望も失って、残ったものは使い捨てられたという事実だけ。


 大事な娘を隠すように嫁がせたものの、宰相やモルガン家に見つかってしまった。見つけられたら、それは、もう、守れない。ジョルジオの胸中は、自棄と絶望が渦巻いている頃だろう。


 だからアゼリアは、ニコリと笑った。完璧な淑女の微笑みビジネススマイルで。そして、力強い言葉でジョルジオに笑い返す。


「ふふ。我々を誰だと思っているの? オルガンティア王国の闇を喰らい尽くしたモルガン公爵家ですよ。必ずわたくしの役に立ってもらうわ」




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