第25話 『あくのそしき』のボス

 王都ティアーの郊外、モルガン侯爵邸。王城から帰還したアゼリアは、グエスを連れて公爵邸に泊まっている叔父ジラルドの部屋を訪ねた。

 王城で得た情報を元に、今後の方針をジラルドと話し合うためだ。


「今になって、オルガネラ子爵が積極的に動きだしたのか……それが気になります。叔父様はどう思われますか?」


 ジラルドの部屋のソファに座ったアゼリアがそう問いかけた。お行儀よく脚と膝とを揃えて座っているのは、隣にグエスがいるからだ。


 一方で、華やかな外見をしたジラルドは、口調も態度も砕けている。ジラルドは今日も気安い言動で片膝を立て、顎をさすりながらアゼリアの問いに答えた。


「そうだなあ……きっかけは恐らく、アゼリアとグエス・ガフの婚約内定……」

「やはり、叔父様もそう思われますか?」

「ふふ。気が早いよ、アゼリア。そうではない、君たちの婚約はきっかけなどではないよ」

「では、別のきっかけが?」


「そ。我が国の第一王子殿下が洗脳されて、アゼリアに求婚してきた事件があったね。それが元だ。あの件は起きなかったことにはなっているけれど、グレンロイ・オルガネラは殿下をライバル視しているようだし、知っているとみていいだろう」


 ジラルドはそう言って、そこから考えられる単純な答えは? と、アゼリアとグエスに問う。


 そう、オルガネラ卿は、酷く単純だ。自分の感情や面子メンツ尊厳プライドを優先する。そして、王城でノアベルトと相対した卿の姿は、ノアベルトに負けたくない、と張り合って空回っているように見えた。


「……殿下が達成できなかったわたくしとの婚姻を、自分ならばできる、と?」

「異常な対抗心ですね、それは。ですが、王城でのやり取りを見てしまうと、あながち間違っていないような気がします」


 アゼリアの考えに、グエスが頷きながら賛同した。オルガネラ卿の無礼な振る舞いが、グエスの傷になっていなければいいのだけれど。と、アゼリアの胸がチクリと痛む。

 さらにグエスは、ノアベルトが嘆いていたことも補足する。


「ノアベルト殿下の話によれば、オルガネラ卿が積極的に動きだしたのは最近だそうですから、辻褄は合いますね」

「あーあ、やんなっちゃうね。ウチは名ばかり公爵だってのに」


 ジラルドが、両頬を栗鼠リスのように膨らませて、そう言った。と、思ったら、すぐにオレンジの色味が強い赤眼をスッと細め、チャラけた雰囲気を急に引っこめて、低く冷たい声を発した。


「まあ、十中八九、グレンロイ・オルガネラの背後には誰かついている、と考えた方がいいけどね。どこかの誰かに、唆された。そして、野心を大爆発させた。問題は、それがどこの誰なのか、ということだ」


 眼光鋭い赤眼が、アゼリアやグエスに向けられる。あまりの鋭利さに、アゼリアはヒュッと息を呑んでしまった。

 ジラルドの、こういうところは、まだ全然敵わない。アゼリアは未熟な自分のとの差を見せつけられたように感じて、すぐに口を開くことができなかった。


 だから、部屋に広がる沈黙を破ったのは、アゼリアではない。その隣でお行儀よく控えていたグエスだった。


「……失礼、質問をしても?」

「どうぞ、遠慮なく。意思疎通は重要だ。特に我々のような家業の場合はね」

「……なぜ、貴方がこの場を取り仕切っているので?」


 グエスのその問いに、緩みそうだった部屋の空気が再び凍り、沈黙した。

 ジラルドに疑問を投げたグエスは、この部屋の誰よりも背筋をシャキッと伸ばし、洋燈ランプの灯で金色に揺らめく琥珀の眼を、真っ直ぐジラルドへ向けている。


 あ、いい。この横顔、最高。グエスの横顔をチラ見していたアゼリアは、己の欲望に忠実な感想を胸に抱いた。完全に現実逃避である。

 誰もが黙ってしまったから、時計の針が秒を刻む音くらいしか聞こえない。その沈黙を破ったのは、顔を引き攣らせたジラルドだった。


「……、……あらー、そうきたかー。アゼリア、彼にキチンと話してないの?」

「……結果的に、そうなりますね」


 そう、アゼリアはグエスに、モルガン家の歴史や家業を説明しはしたけれど、その実態についてはなにも教えていなかったのだ。


 昨夜、モルガン家の主要人物とグエスとが集まって開催された家族会議。あの会議でふたりの婚約式について話す、という機会が設けられたのに、アゼリアは自分の家族について、ひと言も話していなかった。王城からの帰りの馬車の中でも、すっかり頭から抜け落ちていた。


 なぜ、そんな状況になったかというと。

 完全にアゼリアの失態である。

 昨夜、家族会議が開催されるまで、時間はたっぷりとあった。それはもう、一週間くらいはあった。今日のこの叔父との会議にしたって、そう。王城からの馬車の中で、いくらでも話せたはずなのに。


 別に、話す機会がなかった、というわけじゃない。

 アゼリアはグエスと頻繁に会っていたし、交流を深めもした。グエスとお茶をしたり、王都へ繰りだし市場を散策したりした。なんなら、公爵家所有の丘でランチもしたし、遠乗りにも行った。王都の大図書館で静かに過ごしたこともあったし、モルガン公爵邸で戦闘訓練なんかもした。


 つまりアゼリアはこれまで、グエスと楽しい楽しいデートしかしてこなかったのである。

 家族の話や、将来の希望もとい野望、家業の詳細という、婚約前に必ずしなければならない話を、すっかり忘れていたのだった。


 待って、ちょっと待って。婚約者と交流を深めるって、家のこととか話してよかったの!? 嘘でしょ、交流デートを満喫してたのだけれど!?

 アゼリアは、淑女の微笑みを強力接着剤で顔に貼りつけて、胸の内では激しく混乱していた。そんなアゼリアの心境を見抜いたのは、叔父であるジラルドだ。


「あは。ははははは。そっか、それなら仕方がない! いいよ、アゼリア。それはいい傾向だ。……説明は僕がしても?」


 腹を抱えて笑うジラルドの目尻には、うっすら涙が浮かんでいる。相変わらずコロコロと表情や雰囲気を変えるひとだ、と思いながら、アゼリアは首を振った。縦ではない、横へだ。

 そうして、隣り合うグエスのほうへ身体の正面を向けた。


「いいえ、わたくしから。せめて、わたくしの口から説明をさせてください。……グエス様、我々が私設諜報機関を有しているのは、もうご存じですね?」

「ああ、当然だ」

「その機関の総責任者……いえ、こう呼ぶのが正しいでしょうか。機関の頭領ボスが、父の弟であるジラルド・モルガン・ジオマール叔父様なのです」


 そう告げられたグエスは、少し驚いたように目を見張った。もしかしたら説明不足がすぎて、父であるダライアスが『あくのそしき』のボス兼モルガン公爵である、と思っていたのかもしれない。


 そしてアゼリアは、伴侶となるグエスに、家族についてだけでなく自分の夢も話せていないことにも気がついた。

 それなのにグエスは、共犯になって欲しいというアゼリアの願いプロポーズを、ただ黙って受け入れてくれたのだ。


 これは早々に指輪を渡さねばならない。婚約式ができない以上、指輪を渡すなりなんなりして、グエス様を絶対に逃してはならない。指輪、指輪よ。指輪はまだなの!? と決意と欲望に燃えるアゼリアであった。

 そうして、


「……なるほど、理解しました」


 充分な沈黙の後。グエスはそう呟いて、アゼリアに向けて微笑んだ。その笑みにアゼリアが見惚れていると、今度はそっと、アゼリアの手にグエスの手が重なった。


 体温を感じた途端、ドキリと高鳴るアゼリアの心臓。頬に熱が集まる感覚。アゼリアは、自分の身体がみせた初心うぶな反応に少なからず戸惑った。


 完全に感情を掴まれて、振り回されている。だから余計に頭を回して、理性的に振る舞っている。だからアゼリアは、荒れる内心のまま完璧な淑女の微笑みで、グエスに笑い返した。


 アゼリアは、グエスが工作員エージェントであった、という過去は、もう知っている。かつて、自分とともに檸檬ケーキにヒントを得て厄介な案件を片づけたことも。

 昔のことを思いだすと、顔から火がでそうになるから、あまり頻繁に思いだしはしないのだけど。


 さすが、やり手の工作員エージェントだわ、とグエスに脅威を感じながらも、アゼリアはグエスが口を開くのを待つ。

 アゼリアの意思を読み取ったのか、グエスはひとつ頷くと、対面に座るジラルドと向き合って、話を切りだした。


「……ジオマール卿、今回の件ですが」

「うん? なんだね、グエス・ガフ。意見があるなら述べたまえ」

「はい。今回の件、あまりにも前回の求婚劇と似通にかよっています。まるで、同じシナリオをなぞっているかのような」


 グエスはそこで、一度言葉を区切った。スッと細められた琥珀の瞳が、冷徹に輝くのをアゼリアは見た。

 ああ、彼は怒っている。わたくしのために、怒ってくれている。アゼリアはそう思いながら、グエスの形のよいくちびるが動きだすのを、静かに待った。


「……誰かが、オルガネラ子爵に入れ知恵をした」

「そうだね。もしくは、助言という名の甘言か。どちらにせよ、ロクな奴じゃあないはずだ。なにせ、グレンロイ・オルガネラは王家の血を引く立派な王族だからね!」


 静かに怒りを放つグエスに、ジラルドはわざと明るくひねた物言いで、そう答えた。

 ジラルドの皮肉がグエスの怒りを鎮火させたのか、否か。グエスから放たれるピリピリとした空気が、わずかばかりやわらいだ。


 アゼリアは、ほんの少し。常識の範囲内でジラルドに嫉妬のような胸のうずきを覚えた。だから、グエスとジラルドの会話に割って入るように、確認事項のような疑問を投げかけたのは、決してふたりの間に割りこみたかったから、という理由じゃない。


「ということは、三盟約の破約を狙って? 今回は、より明確な意思を持って、王国の破滅を狙っている……」


 アゼリアの問いに答えたのは、ジラルドだ。ジラルドは重々しく頷いて、真っ直ぐアゼリアを見た。


「……本当は僕の方で調べることになっていたけれど、アゼリア。自分の身に降りかかった火の粉は、当然、自分で振り払いたいよね?」

「ええ、当然です。できれば火元を押さえて、二度と延焼しないよう徹底的に消火したいところです」


 誰にも邪魔されないように、徹底的に。そして、グエスとの婚約式および結婚式を、盛大に上げるのだ。

 アゼリアの私情を存分に含んだ言葉に、ジラルドは当然気づいたらしい。カラカラひとしきり笑うと、それからすぐに真面目な顔つきに変わった。


「よし、決まりだ。今回の任務ミッションはグレンロイ・オルガネラの後ろで糸を引いている人物を特定すること。そして当然、ヤツとの婚姻阻止だ。前回の婚姻阻止任務ミッションより、少し厳しいハードだけれど、やれるね?」


 これは、『あくのそしき』のボスから直接言い渡された任務ミッションだ。アゼリアの将来のためにも、夢のためにも、そしてオルガンティア王国の未来のためにも、決して失敗は許されない。


「もちろんです、叔父様。グエス様、今回もよろしくお願いいたします」


 アゼリアは緊張感を持って頷くと、ソファに腰掛けたままグエスに頭を下げてお辞儀をする。と、グエスはやおら立ち上がり、ソファに座るアゼリアの足元にひざまずいたではないか。


「……っ!? ぐ、ぐえすさまっ!?」


 そして、グエスの突然の行動に表情を隠すことを忘れたアゼリアが目を白黒させていると、グエスはアゼリアの白い手袋に覆われた華奢な手を取り、その指先にくちづけた。


「もちろんだ、アゼリア嬢。この身果てるまで、アゼリア嬢に尽くそう」


 あーッ、あーッ! もはやアゼリアに意味のある言葉は紡げなかった。頭は真っ白、胸は激しい動悸で、いっぱいいっぱいだ。

 絶ッ対、ジラルド叔父様に笑われる! と、アゼリアの理性はしっかり状況把握をしているのに、硬直が解けない。


「ははは、そうこなくっちゃな! グエス・ガフ、アゼリアのことを頼んだよ。明日は貴族牢へ行くのだから、しっかりアゼリアを守りたまえ。それから、僕のことはジラルドでいいから」

「待って叔父様、なぜわたくし達の明日の予定を勝手にお決めに……!?」


 まるで余裕のないアゼリアが、パニックになりながらそう叫んだ。無事、硬直が解けたことも、ジラルドがグエスを君付けで呼んだことも、今のアゼリアの頭の中には欠片も入ってこなかった。


 そうしてジラルドは、ひと呼吸分キョトンとした顔をして、そうしてすぐに朗々とした声と笑顔でこう告げたのだ。


「ははは、だって僕は『あくのそしき』のボスだからさ!」



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