第24話 王城でデジャブ

 ルイユ宰相への相談と協力要請を終えたアゼリアは、グエスとともに、王城の馬車止めへ向かっていた。そう、馬車止めへ向かいはしていた。


 だから、馬車止めへ向かう途中にある庭園に、グエスとふたりきりになりたいがゆえに寄り道している状況であったとしても、別にやましい思いは、なにひとつとして、ない。ないったら、ない。


 庭園に敷かれた石畳をふたりで並んで歩きながら、アゼリアはグエスと話している。その会話の中身は、というと。


「アゼリア嬢、貴女が警戒しているグレンロイ・オルガネラとは、一体どのような人物なのですか?」


 という、甘さのかけらもないどころか、ふたりの婚約に横槍を入れてきた男の話であった。


「オルガネラ子爵家は臣籍降下後、大人しく粛々と王国に仕えてきた一族です。けれど、今代になってからは野心に満ち溢れているようで……」

「野心、ですか」

「ええ、そうです。内政への復帰や、王族としての復権。それらを目指すようになった、とは聞いておりましたが……まさか、こんな……」


 アゼリアは目を伏せ、ため息を吐いた。

 オルガネラ卿の目的は、実に単純だ。家門やおのれのルーツを探り学ぶうちに、そんな野心を抱いたのだろう。その気持ちは、わからないでもない。ないのだけれど。


「利用価値のない名ばかり公爵であるモルガン家を、まさかこんな形で利用しようとするなんて」


 対外的には、モルガン公爵家は歴史の古さしか価値のない家門だと認識されている。

 国政における権力は持っていないし、王家と近いわけでもない。外政的にもなんの影響力も持っていないし、財力だって特別目立って持っているわけじゃない。


 だから、オルガネラ卿がモルガン公爵家に目をつけた理由が、いまいち不鮮明だった。

 だから、ルイユ宰相が言うように、アゼリアが伴侶として選んだグエスが、新興貴族の男爵家の三男である、という理由だけではないような気がしてならない。


 アゼリアは自分の『鴉』に、オルガネラ卿の真意を探らせてはいるものの、いまだ『鴉』は帰還していない。それもあって、昨夜から続く嫌な予感が、どうしても消えてくれないのだ。

 と、そこへ。


「ああ、こんなところにいたのか。俺の花嫁!」


 ガサリとなる葉擦れの音とともに、ひとりの青年があらわれた。言動からして、グレンロイ・オルガネラ子爵そのひとであろう。

 完全に、既視感デジャヴである。


 血筋? 血筋なの? と、アゼリアは咄嗟に思った。洗脳ノアベルトのとった言動とどこか重なる口調と態度に、もしかしたら、あの洗脳時の傲慢な態度はノアベルトの可能性の一部だったのかもしれない、と思った。


 アゼリアがそんな風に現実逃避していると、名乗りもしない青年オルガネラ卿(仮)が、不躾に近づいてきて、アゼリアの華奢な手首を、ぎゅうと強く握りしめた。


「遅かったじゃないか、さあ、行こう。もっと親交を深めに、な?」

「痛っ、なにを……」


 オルガネラ卿(仮)は、わかるだろ、と言うように片目をバチリと瞬かせ、掴んだアゼリアの手首を強引に引く。


 アゼリアは反射的に特注ドレスのスカートを握りしめ、特殊な〈ケモノ〉の皮と鱗が仕込まれている裾をうっかり振るいそうになったのだけれど、強く手首を引かれたことで、アゼリアの脚がたたらを踏んだ。


 よろり、とよろけて倒れそうになったところを、グエスの筋肉質な硬い腕が受け止める。グエスは円を思わせるような滑らかな動作で、一瞬にしてアゼリアをオルガネラ卿(仮)から奪い返すと、アゼリアの耳元で「大丈夫ですか、アゼリア嬢」と甘苦しく囁いた。


 あ、ああ〜ッ! という、単純で言葉にできない叫びがアゼリアの胸の内を駆け巡る。グエスに抱かれた腰が、なんだか熱い。熱くて熱くて、とろけそう。

 待って、婚約者と仲良くされている御令嬢方は、皆さま、こんな熱に堪えていらっしゃるというの!? どうやって舞踏会で踊っているの!? 皆さま、凄いわ!


 アゼリアが明後日のほうに思考を暴走させているあいだ、グエスは冷淡な表情と声とをオルガネラ卿(仮)へ向けていた。


「失礼な方ですね、レディをなんだと思っているのですか。彼女は貴方の宝飾アクセサリーではない」


 グエスがアゼリアを隠すようにして前へでる。腰を抱く熱い腕と手から解放されたアゼリアは、そんな場合じゃないのに、寂しさを感じて、離れていったグエスの手を目で追ってしまった。


 視線で追った先のその先に、オルガネラ卿(仮)がいるのを見とめて、アゼリアは浮ついた心を鎮めるために、深呼吸を1回、2回。

 それは、グエスの背でほとんど姿が見えないオルガネラ卿(仮)が、怒声を発するのと同じタイミングであった。


「お前こそなんだ? 名を名乗れ!」

「自分は宰相補佐官グエス・ガフですが?」

「なんだよ、お前がガフ家の三男か。まあ、いい。ちょうどよかった。お前、俺に花嫁を譲れ」

「……は?」


 オルガネラ卿(仮)を見るグエスの視線は、酷く冷たい。凍てつく刃のような視線を受けたオルガネラ卿(仮)は、胆力があるのか、それとも鈍感なだけか。

 グエスの視線に構わず、偉そうにふん反り返ってニヤついた。


「お前、新興貴族で元平民なんだろ? そんな人間が公爵家に婿養子として入れると本気で思ってんのか?」

「それと貴方と、どのような関係が?」

「俺の方が断然、血筋がいい! だからな、俺がお前の代わりにモルガン公爵令嬢を貰ってやる、って言ってんだよ!」


 これは、グエスに対する挑発だ。それをわかっているから、グエスも拳を固く握りしめるだけで収めている。

 アゼリアの位置からではグエスの表情を窺い知ることはできない。けれど、冷淡な顔をしていることだろう。そうであるに違いない。いや、そうあって欲しい。


 それにしても、なんて失礼なひと。と、アゼリアは目を細めた。

 あなたのその血筋が問題なのです、と言いたい。けれど、血筋以前に、令嬢レディに不作法に声をかけ、仮にも婚姻請求をしたアゼリアに対して挨拶のひとつも寄越さない男など、そもそも問題外であった。 


 それに、アゼリアにはモルガン公爵家の婿として素晴らしい素質を持つグエスが、すでにいる。天秤にかけるまでもない。


「アゼリア嬢は物ではありません。貰うだとか譲るだとか、失礼な話です。自覚がないようですが、どこか具合でも悪いのですか?」

「どこも悪くなんてないが? いいか、よく聞けよ。お前は平民上がりの男爵家の、それも三男だ。血も歴史も、なにもない。対して俺はどうだ? 俺はオルガネラ子爵で、王家の血も引く血統種だぞ? お前が敵うわけないだろ、身の程を知れ!」

「爵位を盾に横暴ですね」

「いいからお前は、俺にモルガン公爵令嬢を譲ればいいんだよ!」


 そう言って怒鳴るオルガネラ卿に、アゼリアはグエスの背に守られるのをやめて、ずい、と前へ踏みだした。


「あら、わたくし、お断りいたしますわ」


 オルガネラ卿がみずから名乗らないところも、それとなくデジャヴだ、とアゼリアは胸の内だけでため息を吐く。ノアベルトの時は、仮にも第一王子だったので、その名前は周知の事実であったけれど。


 とにもかくにも、対面しているのがオルガネラ卿本人である、と確認が取れたわけだけれど、ルイユ宰相が予想した通りの文句をつけてくるとは、なんと単純な子爵だろうか。


 そう、単純だ。単純で王家の血を引く王族だ。それは、つまり、オルガネラ卿を利用しようとしている勢力にとっては、とても都合のいい人物である、ということ。


 そんなことを考えながら、グエスに失礼な態度を取って脅したオルガネラ卿に、アゼリアは冷たく言い渡した。


「わたくしが認めたのはグエス様、ただひとり。残念ながら、貴方ではないの」


 けれど、オルガネラ卿はまったく聞く耳を持たなかった。そこもまた、デジャヴである。


「なにを馬鹿なことを。俺の花嫁よ、気は確かか? あいつよりも確実に俺の方が優良だぞ? ああ、それとも照れているのか? 可愛いな」

「ですから、貴方などお呼びでないのです。お引き取りください」

「なぜだ? 貴族の婚姻は、よりよい血統を残すためのものだろう? ならば、こんな平民よりも俺の方が相応しい!」


 アゼリアは頭の痛い思いをしながら、努めて冷徹に言葉を返す。


「……グエス様は平民ではありませんが?」

「男爵家の三男だぞ? 平民も同然だろ? だが俺は違う! 俺は王家の血を引く尊い」

「グレンロイ・オルガネラ子爵。オルガネラ子爵家への登城権は剥奪されたままです。こんなところまで入りこんで、なにをしているのですか?」


 唐突に、割りこんできた声が、ひとつ。凛としたその声は、ノアベルト・オルガン第一王子のものだった。

 すると、だ。それまでアゼリアやグエスに突っかかってきていたオルガネラ卿が、目を吊り上げてノアベルトに詰め寄った。


「お前、ノアベルト! 世が世なら、俺が次期王太子になっていたものを……!」


 オルガネラ卿が、誰からどんな話を聞いて憎しみを育てていったのかは、まだわからない。けれど、現王家に対する憎悪は、グエスを口汚くけなし、アゼリアを的外れな言葉で口説くことよりも優先されることのようだった。


 そんなオルガネラ卿から増悪を向けられることに慣れているのか。ノアベルトは表情ひとつ崩さず冷静に、側に控えていた近衛衛士に指示をだす。


「衛兵、子爵がお帰りになるそうだ。お送りしろ」

「はっ! ……オルガネラ子爵、どうぞこちらです」

「こんなの不当だ! 陰謀だ! 絶対に取り戻してやる! 一族の尊厳と権利を返せ!」


 なんて頭の悪い捨て台詞だろうか。オルガネラ卿は暴れつつも近衛衛士に取り押さえられ、強引に連行されていった。そうして卿は、姿が見えなくなるまでずっと、うるさく喚いていた。


 そうしてやっと静かになったころ。ノアベルトが気まずそうに口を開いた。


「……大変失礼いたしました。モルガン公爵令嬢、大丈夫ですか?」

「助けていただいた上に、お気遣いまで……ありがとう存じます。……その、殿下もオルガネラ子爵に手を焼いていらっしゃるのですか?」


 アゼリアは、淑女の微笑みビジネススマイルを浮かべながらも、ノアベルトに対する同情と同族意識とを滲ませて、そう尋ねた。


 するとノアベルトは、共感してくれたように感じたアゼリアに気を許したようで、スルスルと事情を話してくれたのだ。


「……僕も、といいますか……オルガン家にまとわりついて離れないのです。特に僕によく絡んでくるのですが……先代子爵までは、このようなことはなかったというのに」

「今代に引き継がれてから、変わった……と?」


「……いえ、子爵の行動が過激になってきたのは最近です。前は手紙を頻繁に寄越すくらいで、登城するようなことはありませんでしたから」


 ああ、これは、裏になにかある。と、思ったアゼリアが、チラリとグエスに視線を投げた。グエスも同じように思っていたようで、小さくコクリと頷き返す。


 その一方で、アゼリアはノアベルトに共感の言葉を返して、曖昧に笑った。


「そうでしたか……。……殿下も大変ですね」

「いえ、僕は慣れています。大変なのは……ガフ宰相補佐官の方ですよ。子爵に目をつけられてしまったようですので。後でお見舞いの品を届けさせましょう」

「気にかけていただき、ありがとうございます。自分は心配ありません。それこそ、あのような言いがかりや侮辱は王城で慣れていますので」


 と。淡々と告げたグエスの問題発言に、アゼリアは待ったをかけたいところではあった。あったのだけれど、表にださずにこらえきった。

 今、大事なのは、基本的には実力主義である内政官にも身分差別のようなものがある、ということじゃない。


 予想外のところから、今後に繋げられそうな情報が落ちてきた。ということだ。無視してもよい些細なことかもしれなかったけれど、どうにも臭う。


 とにもかくにも、モルガン家に持ち帰り、検討しなければ。

 そういうわけで、悔しさと気疲れだけが残るノアベルトとの会話を切り上げて、アゼリアはグエスとともに王城を後にするのであった。


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