第23話 これはもう、血筋では?

 王城の上層階にある宰相閣下の執務室をアゼリアが訪ねるのは、今日で2回目だ。

 1度目のときは、アゼリアひとりで訪問したけれど、今回はグエスと一緒だ。それは少し、心強かった。


「ルイユ宰相閣下。今日はお時間をいただき、ありがとう存じます。急なお願いでしたのに、対応してくださって嬉しく思います」


 グエスにエスコートされて通された執務室に入ったアゼリアは、あの事件以来はじめて顔を合わせたルイユ宰相に、美しいカーテシーを披露した。


「いいえ、アゼリア嬢。貴女のお話でしたら、いくらでも時間を取りま……なんですか、グエス。なぜ、そんな目で見るのです?」

「気のせいでは? もしくは、お疲れなのでしょう。早く休まれては?」


 穏和な顔をにこやかに緩めてアゼリアを迎えたルイユ宰相は、なぜかグエスに冷たくあしらわれていた。


「グエス……言うようになりましたね。まあ、いいでしょう。君の心の狭さはアゼリア嬢に免じて許容します。ああ、アゼリア嬢。遅れましたが、ご婚約おめでとうございます」

「ありがとう存じます、ルイユ卿。けれど、正式な婚約はまだ先ですので」


「そうでしたね、宰相である私の責任です。王城の人事まで目が行き届いておりませんでした、申し訳ありません」

「いいえ、そんな。頭を上げてください、ルイユ宰相。宰相閣下は引き継ぎをしながらも、よくやってくれている、とグエス様からお話を聞いています。ダンソル卿……今はジョルジオ氏ですね。氏からの引き継ぎをこなしながらも、日々の政務に励まれている、と」


 申し訳なさそうに頭を下げる宰相に、アゼリアは穏やかな口調でそう伝えた。口にした言葉は本心ではあるけれど、挨拶のうちだ。

 それを宰相もわかっている。しかし執務や引き継ぎで忙しい宰相が、自由でいられる時間はわずかだ。


「それで、アゼリア嬢。本日はどのような?」


 ルイユ宰相は、細い眼をさらに細め、早く本題に移って欲しい、と単刀直入に言った。

 アゼリアはその物言いに気分を害することなく、むしろ、待ってました! とばかりに素早く動く。時間がないのはアゼリアも同じこと。


 そうしてアゼリアは、昨夜モルガン公爵家に送られてきた手紙を宰相に手渡した。


「ルイユ卿、まずはこちらをご覧になっていただけますか」

「これは……? 差出人が……グレンロイ・オルガネラ子爵?」


 さすが宰相か、それとも、引き継ぎ教育の賜物たまものか。ルイユ宰相は手紙を開くことなく、封蝋に使われた紋章を見ただけで、そう言った。


 宰相に手紙の中身を読むよう促し、アゼリアは伏せ目がちに口を開く。


「……わたくしとグエス様はご存知の通り、まだ婚約式を上げておりません。ですから、公的にはまだ婚約していないことになっています」

「なるほど、その隙を突かれたのですね」

「そのようです」


「……アゼリア嬢とグエスには酷なことを言うようだけれど、オルガネラ卿の申し出を無視することは、議会にかけたとしても無理です。オルガネラ家が子爵で、モルガン家が公爵だとしても」

「やはり、そうですか……」


 切れ者の宰相閣下ならば、この状況を打破する秘策を授けてくれるかと期待したのだけれど、やはり無理そうだった。


 アゼリアがひとつため息を吐いているあいだに、ルイユ宰相は最後まで手紙に目を通したらしい。添付されていた婚姻請求状を掲げながら、渋い顔をしてアゼリアを見る。


「手紙に書かれている内容は滅茶苦茶ですが、この婚姻請求状だけは、正式な内容できちんと正しく書かれている。ですから、この婚姻請求を無視した場合、オルガネラ卿に訴えられる可能性がでてきます」


 オルガンティア王国では、公的に婚約していないのならば、第三者が婚約や婚姻に介入できてしまう。前回や今回のように、婚約をすっ飛ばして婚姻請求を突きつけることだって、そう。


 請求を突きつけられた場合、それを一方的に棄却することはできない。無視することも、できない。

 それを回避するためには、正式な婚約が必要だ。正式に婚約してしまえば、誰かに口出しされることも、横取りされることも、ない。


 気に入らない婚約が画策されているならば、この制度を使って邪魔をすることができる。けれど、そんな不名誉なこと、100年に一度、あるか、ないか。


 貴族は面子メンツや体面を気にする生き物だから、そんな愚かで卑怯な真似など、しない。余程、追い詰められているか、あるいは、余程、野心に燃えた愚か者でない限り。


 オルガネラ卿は、どちらだろう、とアゼリアは考える。顔を合わせたことはないけれど、アゼリアの『鴉』がもたらした資料で卿のことは知っている。

 確実に、後者だろう、と思いながら、アゼリアは深くため息を吐いた。


「では、オルガネラ卿に取り下げていただくか、きちんと対応してお断りするしかない、と?」

「ええ、まあそうなります。……正直なところをお話しましょう。グエスが新興貴族の男爵家の三男である、というのが、恐らくオルガネラ卿にでしゃばられた原因です」

「自分に原因が?」


 グエスの片眉が、ピクリと跳ねる。悔しそうにくちびるの端を噛む様が、アゼリアにも見えた。

 こんなところで、身分の差が問題になるなんて。


 モルガン公爵家は、ガフ家の爵位なんて気にはしない。大事なことは、王族の血を引かないこと。そして、モルガン家の家業を嫌悪しない者。


 そういう意味で、グエスは最高の伴侶である。だからアゼリアは、グエスの身分だとか、社交界での序列だとか。そんなものを気にしたことはなかったのだ。


 グエスがそれを、どう思って、どう感じているか。アゼリアには、いまいちよくわからない。わからないから、不安になってくる。


 わたくし、かなり強引に進めてしまっているけれど、グエス様は序列的に否定的な意見を言えないだけ、なのでは……?

 と、アゼリアは不安を表情にあらわすことはせず、胸の内にしっかりと抱えこむ。淑女教育をしっかりと受けていてよかった、と変なところで安堵した。


 ルイユ宰相は、そんなアゼリアや、グエスの曇った表情などをまったく気にせず言葉を続ける。


「そう。グエスはアゼリア嬢と婚姻すると、いわゆる逆玉の輿になるわけです。それが面白くない貴族は当然いますし、男爵家の三男であることがわざわいして、横槍を入れれば立場を奪える、とでも思われたのでしょう」


「……それは、自分が悪」

「グエス様は悪くはありません。人の婚約に横槍を入れてくるお馬鹿さんが悪いのです」


 気がはやってしまったアゼリアは、グエスの消極的な呟きを打ち消し否定するために、すぐさま言葉を被せて言った。


 そうだ、そうである。悪いのは、他人の婚約を横取りしようと仕掛けてきたオルガネラ子爵だ。アゼリアとグエスとの身分差であるとか、グエスがかつて平民であったとか、そんなことは些細なこと。少しも悪くないのである。


 アゼリアの力強い言葉に、ハッとしたのか。グエスが背筋を伸ばして瞬きを2回。それから目元を緩めてこう告げた。


「アゼリア嬢……すまない、ありがとう」


 ああー、待ってー。待ってグエス様、その控えめな微笑みはわたくしによく効くのです! と、眩しいものでも見たかのように、アゼリアは目を細めて頷いた。


 尊いものを見たおかげで精神的な余裕がひと息に消費され、頷くことしかできなかっただけだけれど。


「とにもかくにも、早急に婚約式をしてしまうのがよいでしょう。と、言いたいところですが、儀典官の後任問題がありますから難しいところですね。そこで、アゼリア嬢に提案があります」


「なんでしょう?」

「……グエスからすでに聞いているかもしれませんが、私としては、デジレ伯爵家を推薦したいところなのです」


 ルイユ宰相がそう告げた。グエスから聞いていたのは、次代の儀典官に女性ならば最適な方がいる、ということだけ。家族会議では、女性が儀典官になるのは、周囲の的に難しいだろう、ということで話が終わってしまったのだ。


 だから、宰相から具体的な名前を聞いて、アゼリアは頭の中がパッと明るく晴れ渡る。デジレ家にいる適任者であり、女性。となれば、あの方しかいない。


 あのとき、グエスからもう少し候補者の詳しい話を聞いていれば、と胸の内だけで後悔するのと同時に、アゼリアは目を輝かせた。


 デジレ家。の家には、貴族牢に押しこめられているあの人物に優るとも劣らない適任者が、確かにいる。


「デジレ伯爵夫人ですね。それはいい案です。別件のいい取引材料にもなりますし」

「では、そのように働きかけておきます」


 アゼリアの賛同を得た宰相が、満足そうに頷いた。宰相が働きかけるなら、女性だから、という理由でデジレ伯爵夫人が却下されることはないだろう。

 そうして宰相は、アゼリアに柔らかく微笑みかけると、


「……これでアゼリア嬢の憂慮は晴れましたか?」


 と、気遣うような言葉をかけてくれた。けれどアゼリアはその問いに、首を横へ振らざるを得ない。

 アゼリアは声のトーンを低く落とし、困った顔を見せて口を開く。


「いえ。……ルイユ宰相閣下、ご相談したいのは、わたくしに婚姻請求を送りつけてきた方がオルガネラ子爵家の人間である、ということなのです」


「……、……オルガネラ子爵? オルガネラ子爵……ああ、確かにそうですね。の方の血筋を失念していました。ええ、ええ。これは確かに相談を要する案件です」

「……閣下、自分にもわかるよう説明をしてください。可愛い部下が置き去りになっていますが?」


 この場で状況が把握しきれていないのは、どうやらグエスだけだった。それに気づいたアゼリアは、自分の失態を胸中で悔やむ。


 運命を共にするなら、敵の情報は共有しなければ。けれど今のアゼリアには、それが全然できていなかった。オルガネラ子爵の話だけじゃない。グエスには話しておかなければならないことが、山のようにあったのに。


 いけない、浮かれすぎていたわ。グエス様が求婚を受けてくださったから、それだけでもう、嬉しくて、嬉しくて。


 けれど、嬉しいからといって、グエスを置いてけぼり状態にしてはいけない。執務室をでたら、少しずつでもグエスに話さなければ。とアゼリアが決意していると、ルイユ宰相が戸惑うグエスに上司力を発揮しているところだった。


「グエス、モルガン家に婿入りするなら、この国の貴族名鑑と歴史をすべて頭に叩きこむ必要があるよ。今、私がジョルジオ氏から叩きこまれているように、ね。……一緒にやろうか? いや、やろう。決まりだ。次の講義から私とともに受けなさい」


「それと、これに、なんの関係が?」

「……あるのです、グエス様。この国は、数世代前の時代に国政が破綻しかねない重大な問題が発生した過去がありますが、それは知っていますね?」

「……政務官が総入れ替えになった事件ですね?」

「ええ。その事件がどのような事件だったか、ご存知ですか?」


「……いえ」

「端的に言いますと、当時の王太子によって、婚約者である御令嬢への一方的な婚約破棄が行われ、その騒動に多くの家門が巻きこまれたのです」


 問題の王太子は下位貴族の令嬢にうつつを抜かし、挙げ句の果てには婚約者に公の場で婚約破棄を宣言をしたという。そして、周囲のざわめきおさまらぬ内に下位貴族の令嬢との婚約を宣言してしまった。


 貴族の婚姻関係について何の権限もない王太子が、独善的な愛と、王家の名の下に起こしたこの身勝手な事件は、多くの次代の令息、令嬢の未来を巻きこんで、一応の解決を果たしはした。

 けれど。


「当時は酷い混乱で、国の存亡に関わるほどだった、と自分は聞きました」

「仕方がありません。貴族の婚姻についての裁量は陛下が担っていますから。王家ではなく、国王陛下です。陛下が単独で管理をしています。それなのに、国王の意向を無視して王太子が勝手に婚約破棄と婚約宣言を行ったのです」


 そうして、越権行為を軽々としてしまうような危なっかしい王太子は廃され、臣籍降下の処分となった。それが、オルガネラ子爵家だ。


 そして、そんな王太子を支持していた令息たちは次々と廃嫡され、各家で新たに立てられた継承者たちは、急遽付け焼き刃な教育を施されて爵位と家業を継ぐことになった。

 当時の影響が今日こんにちにも続いているのは、ルイユ宰相が一番よく知っていることだろう。


「つまりオルガネラ家は、立場を考えず自分本位で動き、王国を混乱に陥れた王太子の血筋なのです。……と言っても、今代の子爵に世代交代するまでは、慎ましやかに粛々と王国に仕える善良な家門だったのですが……」


 アゼリアはそこまで告げて、深く息を吐いた。長く吐いて、それから吸う。

 視線は、隣でアゼリアを見つめているグエスの顔に、真っ直ぐ固定。背筋を腰からシャキッと伸ばして、顎を引く。


「おそらくグレンロイ・オルガネラ子爵は、三盟約の真実を知らないのです」


 そう、これはまた、王族とモルガン家のあいだに結ばれた三盟約を知らない、あるいは、ないがしろにしているパターンである、と。

 今回の一方的な婚姻請求事件も、つまり。


「グエス様、ルイユ卿。協力をお願いいたします。これは、オルガンティア王国破滅の危機です」


 そう。再び、オルガンティア王国破滅の危機である。


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